警衛高校の作家《リライター》

稲宮 鹿

プロローグ

名もなき少女

 夕陽も霞むような曇天の空。

 その曇天さえも覆い隠してしまう程の砂埃と硝煙の煙が視界を覆い尽くす。

 曇天の隙間から射し込んだオレンジの光が硝煙の煙でチンダル現象を起こし、鮮血にも似た紅光のカーテンを作っている。


「なんでだよ」


 そこに溢れた誰かの言葉。

 それは意図して出た言葉ではないからこそ、自身が発したモノだと気づかない。

 この現状に耐えきれなくなったように、抑えていた感情の防波堤が決壊したように、不意に言葉になってしまった言葉。


 何故だろう。

 先程まで熱を持て余していた筈の体が芯から凍るように。絶対零度の監獄にいるように急速に冷たくなっていく。

 敵兵から弾丸を受けたわけでも無い、刃物で切られたわけでもない。

 そうだと確信できるのは、体のある一点を除き何処からも痛みという信号が送られてこないからだ。

 だが一点だけ。

 ある一箇所だけ。

 鋭く尖る鋭利な刃物で刺された時のような痛みを訴えてくる。

 それは絶え間無く鼓動し、絶え間ない絶望を与えてくる。

 そして、最初の問いへの答えが出る。

 自分は恐怖しているのだと。


「...ぁあ」


 口から溢れた言葉は何の意味も為さず。目の前の事実を受け入れまいとする逃避行動に他ならない。

 泥まみれになった防弾性の軍服は素の黒色の上から真紅の化粧をしている。

 鼻腔には金気臭い匂いが流れ込み、それに合わせて胃の中がひっくり返されるような気持ち悪さが吐き気を誘う。

 だが、吐いてはいけない。

 今はダメだ。

 そう何度も何度も自身に言い聞かせ、何とか逆流してくる胃液を喉の奥へと押し込む。

 どうして。

 なんで。

 どうして。

 頭の中を回るのはその言葉ばかり。

 何とか動く首を回せば、少し離れたところで自動小銃の発砲音や金属のぶつかり合う不快な音。更には自身と同じ『傭兵』達の雄叫びや悲鳴、時には断末魔が聞こえてくる。

 ここは戦地。

 そんな事は百も承知している。

 今までだって様々な戦場へと赴き駆け回ってきたのだ。

 敵の死は当然、仲間の死だってこの目で見てきた。そして、時にはこの手で敵の命を奪った事さえある。

 殺さなければ殺される。

 それは『戦場』に置いて唯一確定している事実なのだから。

 生半端な覚悟で此処にいるわけでは無い。

 しかし。

 しかしだ。

 俺は半ば無理矢理に視線を『遠ざけていた筈の現実へ』と戻す。

 眼前に広がるのは小規模なクレーター。

 膝を降り、座り込んでいる自身の目と鼻の先にはクレーターの境界線があった。

 その中心点は僅か二十メートル程離れた所、あと一歩ーーーいや、あと半歩逃げ遅れていればこのクレーターを形成した『爆弾』の餌となっていただろう事は易々と想像がついた。

 戦場で爆弾に巻き込まれる事なんて幾らでもある。もし、俺自身が他の爆弾に巻き込まれ死を迎えたのであれば、死後の世界で「運が無かったな」と自身を嘲笑に吹くことが出来ていただろう。

 だが、違う。

 この爆弾だけは違うのだ。

 爆弾を運んできたのは一人の少女。

 ブロンドヘアーが強く印象的だった、俺と同じくらいのよわいの少女。

 戦争孤児として此方に保護された少女は端的に言ってしまえば、敵の捨て駒であった。

 今にして思えば、少女の身体に巻き付けられていた時限式の爆弾は、かなりの量であった事はこの眼前のクレーターが物語っている。

 俺は少女に救われたのだ。

 爆発の瞬間。

 少女は母国語では無いのか、はたまた教育というものを受けていなかったのか片言の英語で俺にだけ聞こえる声量で言葉を発した。


逃げてespape


 その言葉のお陰で俺は今。

 生きている。

 生きてしまっている。

 生かされてしまったのだ。

 名も知らぬ少女がどんな感情で俺だけを逃したのかはわからない。

 近くにいたのが俺だけだったのかも知れない。たまたま年齢が近かったからなんて空虚な理由なのかも知れない。

 それを聞こうとしても知る事はできない。

 何故だと問いかけても返答は帰ってこない。

 少女は既にーーー肉片の一つも残さず、この地に眠ってしまったのだから。

 ただ一つ言える事があるとすれば。


 俺は少女に生かされたのだ。


 死すべき筈の未来を捻じ曲げて貰ったのだ。


 名も知らぬ少女。

 名があるのかも分からない少女。

 そして何より。

 本当の意味で命の恩人である少女。

 その少女に恩を返す事ができる事があるとすれば。

 震える足に鞭を打ち、静かに呟く。


執筆write


 それは確かな意味、確かな意思を持って放たれた言葉。

 冷え切っていた身体が熱を持つ。

 魂に灯された小さな火種が燻るのが分かる。ロウソクのように小さな種火が、業火を纏ったかの如く燃え上がるのを実感する。

 体内を巡る炎は光となり両の掌に二丁の漆黒の拳銃を書き出す。

 現実へと具現化されたそれは質量を持ち、先ほどの熱と対をなす冷ややかな感触を伝えてくる。

 爆風により汚れた顔を軍服の袖で乱雑に拭う。視界がクリアになり先程まで硬直していた身体に自由が戻る。止まっていた時間が動き出すのを肌で感じる。


 そして俺は駆け出す。


 この戦争を終わらせる事が俺にできる少女への唯一の恩返しなのだから。


「死ねぇえええ」


 己の声と思えない程の怒気と狂気を孕んだ声に敵の兵が怯むのを感じる。


「くそ。作家リライターが攻めて来やがった!」


 敵兵の焦燥に慌てた声が聞こえる。

 逃げ腰になった相手など只の的でしかない。一人、また一人と両手に握られた漆黒のガバメントで脳天を確実に撃ち抜いていく。

 足りない。まだ足りない。

 俺は止まらない。

 奴らを殺し尽くすまでは。


「コスパ最強ーーー舐めんじゃねぇぞ」



 

 

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