第13話 ノクターンと決意
一度、ピアノに置いておいたガーゼハンカチを取り、鍵盤を拭き、両手の汗を吸わせる。
悩みに悩みぬいた僕の演奏。
はるか先生も、僕と一緒に悩みぬいてくれた。
ありがとう、はるか先生。
僕、この夏、先生と一緒にピアノが弾けて、すっごく楽しくて幸せでした。
その夢が終わるかどうかは、この演奏で決まる。
覚悟を決め、ガーゼハンカチをピアノの弦の横にそっと置く。
深い、深く沈む音――
『メロディーを出来る限り歌いながらも、振り回されないで』
僕が仕上げていく中で、一番響いた先生のアドバイス。
僕は昔からメロディーを歌わせるのが得意ね、とみんなに言われてきた。
美しくメロディーを歌わせて弾くための、カンタービレ奏法が身についていると思っていた。
でもそれは、ただ奏法として身についていただけだった。
それに気付いたのは、実は、ほんの2日前。
メロディーラインだけを録音して、何度も聴き直した後に、タケルくんのラフマニノフを聴いた瞬間だった。
それまで聴いてきたタケルくんの演奏は、なにか伝わるものはあるけど、カンタービレじゃないな、という印象を持っていた。
はるか先生がフレーズについて注意しないはずないんだけど、どうも変な所でフレーズが切れたり。
きっとタケルくんは、これまでもっていたものに、最強のカンタービレ奏法を身につけたんだ、と分かってしまった。
それじゃあ、僕に足りないのは?
カンタービレ奏法はすでに身につけている。
そう、僕に足りないのは、メロディーを強く感じ歌わせようとする「なにか伝わるもの」
それがないから、どう弾いても「うまいけどそれだけ」になっている。
直情的なその表現では、ノクターンは表現できない。
その時、僕は決めた。
このノクターンに最大限の想いをのせて。
もし結果が出たら、はるか先生に僕の気持ちを伝える。
僕はずっとずっと先生のことが好きだった。
子どもの初恋、とバカにされるかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいいほど、先生が好きで、僕のピアノを聴いてくれて褒めて笑ってくれる先生が支えだった。
どうして僕は、先生と同じ時に生まれなかったんだろう。
同級生じゃなくたっていい、2歳や3歳差、いや5歳差だったら、小学校は一緒に通えたかもしれない。
圭吾さんみたいに、同じ高校や大学に通って、ピアノデュオを組んで…あんな風に楽しそうにピアノを弾く先生は初めて見た。
僕じゃ、先生をあんな笑顔にできない。
僕と先生は22歳くらい違う。
そう、先生が22歳の時に僕はようやく生まれたんだ。
なんでこんな絶望的な年齢差…。
下手すれば、子どもでもおかしくない。
でも、諦められない。
気付けば音楽は中間部に差しかかる。根底に流れる成熟したリズム。美しく、流れるように、でも流され過ぎず…。
ふわっと救われるような音色が響いて、また沈み込んでいき、冒頭のメロディーが再現される。
ずっとずっと好きでした
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