第9話 自分だけのノクターン

「そうなんだ!」

僕が、チャイコフスキーのノクターンを自分の意思で選曲したと知って、はるか先生が驚いたように言う。


「実は、保木先生からはショパンのエチュードを勧められていました」

「そう。チャイコフスキーは、小品を小学生の時に弾いたことしかないもんね」

「そうです。中学に入ってからもチャイコは弾いてなくて」


「じゃあ、どうしてノクターンを選んだの?」

圭吾さんが不思議そうに聞いてくる。


「あの…この曲、僕に合いませんか?」

「いや、合わないわけじゃないけど、もっとノリノリな曲とか選びそうな感じもするからさ」

圭吾さんはちょっと言いにくそうに言う。


「なんだろうね、メロディー重視というより、勢いのあるような曲とか、保木先生ならタオくんにそういう曲を勧めそうだなと思って、ノクターンを弾き始めた時にあれっ?って思ったんだ」


「私も、タオくんがノクターンを選んだって聞いてちょっとビックリしてたの。でも本選で一位通過するくらいだから、演奏は出来ているんだけど…」


「全国で獲るには、まだまだ、ということですよね」

それは僕自身も感じていた。


「でも…ノクターンがどうしても弾きたかったんです」


「いいね、タオくん」

予想外に明るい声で圭吾さんが語りかけてくる。


「何かが弾きたいという強い意志は、演奏家にとって絶対に必要なものだよ。言われるがまま、なんて、ただの生徒止まり。

いいかい、タオくんが全国で何等かの爪痕を残すためには、ノクターンをどう演奏できるかによって決まると思う」


「僕…どうしたらノクターンが弾けるんでしょうか…」


僕は藁にも縋る思いで圭吾さんに聞いてみた。


「悩みぬくことだよ」


「え…」


「どう演奏したら、自分だけのノクターンになるのか、悩んで悩んで、悩みぬいて自分なりの答えを出して舞台に立てるかどうかだ。

はるかも、全国大会の日まで諦めずにレッスンしてくれるだろう。でも、最後は自分で生み出すものだ。何とかしてもらおうという甘い考えは捨てて、ピアニストの様々な演奏を聴いてみたり、真似してみたり、その中で自分だけのノクターンを探し出す」


ふと、横にいるはるか先生の口元が緩むのを感じた。


「タオくんも、いよいよそのレベルに達したということね」


「あの…はるか先生?」


「タオくん、舞台に経つその瞬間まで絶対に諦めちゃダメ。先生もタオくんと一緒に悩みぬいくから、諦めないでね」


僕の目をじっと見つめて言うはるか先生は、これまでにない真剣な表情だった。


「よし!講評はこれで全てね、圭吾」

「終わりだよ、後は楽しい飲み会タイム!」

「タオくん、ほら、焼き鳥たくさん食べてね」

由紀子さんが僕に焼き鳥のたくさん乗ったお皿を渡してくれる。


「あと10分で花火が上がるね」

「ここ、本当に絶好の場所だよな、今年も出張があってラッキー!」

「私もちょうどこの時期に帰国できてラッキー!」

「あの…由紀子さんって…」


僕は、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみようとした。


「あ、私ね、看護師なのよ、昔は県立病院で働いてたんだけど、この15年はNPO法人で途上国の看護支援に行ってるの」

「それで…あんまり日本にいないんだ…」

「そう、独身で子どももいないしね、社会貢献に生きようと思って」


圭吾さんが2本目の缶を開けながら言う。

「由紀子さん、そんな風に簡単に言うけど、なかなか出来ることじゃないですよ。俺、尊敬してますよ、実は」

「ふふ…まぁ、可愛い姪っ子のはるかちゃんも横に住んでくれることになったしね、安心して家を開けてるわけよ。ホントは圭ちゃんがはるかちゃんのお婿さんになって来てくれるのを期待してたんだけどね」

「それも悪くなかったなぁ~でも俺、振られちゃったからなぁ~」


はるか先生は、少なくなったお皿の上に焼き鳥を追加しながら


「タオくんがいるんだから、あんまりそういう話はしたらダメ!」


2人を静止しようとした。


「僕、もう子どもじゃないから話しても、いいですよ?」

もっと話を聞きたくて言ってみたけど、

「そうだね、ほい、ジンジャエール」

圭吾さんにジンジャエールを渡されて、完全に子ども扱いだった。


ド――ン!


「あ、始まった!」

「いや~綺麗だね~ビールも進む」

「圭吾、泊まりとはいえ飲みすぎないでよ、面倒だから」

「お~、はるかもな」

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