第一章 少女の願い

第2話 日常

空。


何処までも続いていく青い空。

白い雲が浮かぶ中。

私はその光景を見つめている。

ただただ、その光景を見つめている。


何年も何年も。

ただただ、その青い空を見つめていた。

私はそこに居るだけで。

何をするでもなく。


たった一人で、青い青い空を見守っている。



ジリリリリリリリリリリリ……。



「ふぁ~……」



カーテンの隙間から差し込む日差し。

けたたましく鳴り響く目覚まし時計をポンと一叩きし、私は大きく伸びをする。

何か変な夢を見ていたような気がするけど気にもせず。

母ゆずりの茶色みがかったボサボサのショートの髪の毛、寝ぼけ眼で洗面台へと向かいバシャバシャと冷たい水で顔を一洗い。

部屋に戻ってテキパキと身だしなみを整えた後、台所の冷蔵庫の中のパンを二枚取り出しトースターでチン。

そのうちの一枚にブルーベリージャムを塗って、一口、二口。

同じく冷蔵庫から取り出しておいたオレンジジュースをコップに注ぎ、一気に口に含んだパンを飲みほす。



「ふぃー……」



これが、毎朝の私のルーティーン。

私の名前は如月翼希きさらぎつばき

17歳の高校二年生だ。




「おはよ~……」



ボサボサの頭を手でポリポリと掻きながら、居間の奥から母(はは)がやってくる。



「おはよ、母(はは)」


「うーん、相変わらず私に似て可愛いんだからこの子は」



言いながら私に向かって抱きついてくる。




「やめてよもう子供じゃないんだから」



それにいい歳して自画自賛しないで欲しいな。

母はもう可愛いって年齢じゃないと思うんですケド。

まぁ、まだ母は40超えてないし、若いとは思うけどね。

並んで歩いてると姉妹?とか聞かれることも多々あるし。



「小さい頃はそれはもう、ははー、はは―、って抱きついてきてたのに……」



母はよよよと、崩れ落ちながら泣き真似をする。



「母……、そんな演技は良いから、さっさとご飯」


「はいはい、分かりましたよ、まったく。いつからこんなに可愛げが無くなったのかしら」



可愛げもなく母は私がテーブルに置いておいたパンを掴んで、モグモグと口に含む。

そう言う切り替えの早いとこ、母らしいといえば母らしいけど。



「ふばひぃふぁん、ひょうもふぁえふぃおひょいにょ?」



母はパンを咀嚼しながら、そう問いかけてくる。



「……母、何言ってるのか分からない」



私は母用のコップにオレンジジュースを注ぎ手渡す。



「んぐ、んぐ。ぷはーーー。やっぱ、朝はオレンジジュースよねー」


「……それは良いから、さっきなんて言ったの?」


「えー。あれぐらい聞き取れたでしょ、母はまじでぴえん超えてぱおんだよ……」



そう言いながら、本気で泣きそうな顔になる母。

はぁ……めんどくさい。

この母、本気でめんどくさい。

ていうか、ぴえん超えてぱおんとか、今時の言葉をいい歳した社会人が使わないで欲しい。

ぴえん位ならまだ許されると思うけど。



「はいはい、今日も帰りは遅いですよ。8時位かな」


「ふーん。ふーん。そっか、そっかー」



意味深気に私の顔をニヤニヤと見つめながら、母は呟く。

さっきまでの泣きそうな顔はどこへやら、だ。



あゆむ君とはどこまでいったの?Cまでやっちゃった?」



薄っすらと頬を染めながらニヤついた顔で、そんな事を聞いてくる。



「……Cって何?それと歩が何か関係あるの?」



私は何の事か分からず、率直に問い返す。



「……え?」


「……え?」



お互いに何を言っているのか分からず、周囲の空気が一気に凍ってしまった。

そもそもCって何さ、Cって。

沈黙からしばらくして。



「あのー……翼希ちゃん?」



母が申し訳なさそうな顔で、私に問いかけてくる。



「恋愛ABCって知ってる?」



恋愛ABC?何それ。



「母が何を言っているのか、私には皆目見当がつきません」


「……はぁ……どこで教育間違ったんだろう」



母はボソボソと、何やら愚痴めいたことを言っている。



「あのー……それじゃあ、歩君とキスとかは」


「あるわけないじゃない。何言ってんの、母」


「ですよねー……」



何を馬鹿なこと言っているのやら。

歩とは、ただの幼馴染で、友人で、親友だ。

幼い頃からずっと一緒に居て、気がついたら傍にいて。

本当に仲がいいだけの異性の親友。

ただそれだけの関係なのに。

なんで歩とキスしなきゃいけないのか。

まったくこの色ボケ母は、朝から何を言っているのやら。



「それじゃ、御馳走様でした。学校行ってくるね」



いまだにボソボソ何か呟いている母を放置して、私は家を出ることにした。

学校への道を歩きながら真夏の青い空の下、私は思いっきり澄みきった空気を吸い込む。


はー……気持ち良いな、この季節は。

空が遠くて、真っ青で。

私はこの真っ青な空が大好きだ。

このさんさんと照り付ける真夏の太陽だけは、ちょっと苦手だけど。

制服のスカートをはためかせながら、思わずスキップしてしまう。



「おーい……翼希、見えてんぞ」



背後から不意に大きな声をかけられる。

私はその言葉に反応してサッとスカートを押さえつける。



「……見た?」



振り返りそこに居る幼馴染の少年に問いかける。



「……ちょっとだけ」


「歩のスケベっ」


「……お前がパンツ見せながらスキップしてたから教えてやったっていうのに酷い言われようだな」


「う……」



まぁ確かに歩のいう通りかもしれない。

ちょっと……どころじゃなく浮かれ過ぎていたかもしれない。



「まぁ翼希の白いパンツなんか見ても別にどうとも思わんけどな」



ヒュッ。

バチーーーン。

小気味の良い音がして私は歩の頬を叩く。

神速の早業だった。



「……思いっきり痛いんだけど」



言葉とは裏腹に、不動の態勢で私のビンタを受けて歩は呟く。

不動の態勢で言われても全然説得力無いんですけどねぇ……。

はぁ……と深くため息をついて、私は歩の頬から手を放す。

歩の頬には真っ赤な手形がくっきりと浮かんでいた。


水無月みなづきあゆむという人間はいつもこんな感じだ。

何処かぼーっとしていて、私に気さくに話しかけてくる。

まるで、私の事を異性として見ていないかのように。

まぁ私も歩の事、異性として見たことはないんですけどね。

歩は他人から見たら、まぁそれなりにイケメンなんじゃないだろうか?

部活でもなんかグラウンドから黄色い歓声が飛んでるし。



「はぁ……、痛い。こりゃまた手形がついてるんじゃないのか?」


「思いっきりついてますね、はい」


「クラスの連中にからかわれるじゃないか。まじでぴえん超えてぱおんだな」


「……それさ、流行ってんの?」



母も今朝使ってたけども。

ぴえんくらいなら意味も分かるんだけど。



「……さぁ?クラスの連中が使ってるから使ってみたかった」



使ってみたかったで使わないで欲しいのだけれども。

そんなよく分からない言葉を。



「とりあえず、早くしないと遅刻するぞ」



言われて腕時計を見てみると、もう遅刻する寸前の時間になっていた。



「何でこんな時間になってんのよっ!!」


「翼希が俺の事なぐったからだろう?」


「殴って無いわよ、人聞きの悪いっ」



私達は軽口を叩き合いながら、学校へと向かって駆けだした。

けれど結局、その日も学校は二人揃っていつもの様に遅刻した。

歩の顔についた紅葉マークでまた夫婦喧嘩をやらかしたのかと、クラスの皆から囃し立てられ。

それは違うと、言って回るのに丸一日を費やした。


そして、私達はサッカー部で部活動を行って。

そこでもまた馬鹿夫婦だのなんだのと囃し立てられながらも。

ああ、いつもの日々だな。

なんて思ったりもしていた。


夕日が遠くに沈んだ頃。

私と歩は部活を終え、校舎の門をくぐり家路に着く。

いつも通りの部活帰り。

いつもの歩との帰り道のはずだった。

のんびり二人で馬鹿な世間話をしながら帰宅する。

そして、仕事帰りの母を待って夕食をとる。

それが私の日常だった。


けれど、そうはならなかった。

赤い光景が広がっていた。

私の目の前には日常ではない光景が広がっていた。

街の明かりに照らされて。

スポットライトに照らされたかのように。

私の目の前には真っ赤な光景が広がっていた……。

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