王子といばらの魔法

高将にぐん

第1話 攫われた王子

 ゆったりと優雅に城内を包んでいた演奏が、貴婦人達の甲高い悲鳴によって引き裂かれた。シャンパングラスが手からするりと滑り落ち、床に砕けてガラスが飛び散る。

 次の瞬間、轟音と共に巨大な影が城に舞い降り、その巨体が枠ごと窓を押し破った。恐怖に慄く客人達に、砕けたガラス片が雹のように降り注ぐ。


 暗雲に轟くは雷鳴か、竜の咆哮か。


 駆け付けた衛兵達は雄たけびを上げ勇ましく剣を振りかざしたが、その切っ先は漆黒の鱗に触れる前に石化した。じわり伸びたるその魔力は、武具のみならず持ち主さえも、その身を冷たい石へと変えた。逃げ惑う貴賓達もまた、薄気味悪く輝く紫紺の光に足元から追い付かれ、みるみるうちに脚から腰、腕、肩、頭の先まで、石の彫刻に変化した。


 飽き足らぬとばかりに竜はぱっくり口を開けると、灼熱の火焔を吐き出した。炎は渦を巻いて放射され、煌びやかな宴をあっという間に凄惨な光景に塗り替えた。


 一足、一足、ゆっくりとその巨体が進むごとに、地響きのような振動が城を震わす。大木よりなお太い尾が、易々と石柱を薙ぎ倒す。


 やがて黒竜は歩みを止めると、鋭い鉤爪をのそりと伸ばした。


 嵐のような風が起き、遅れて轟音が響き渡る。

 瓦礫や火の粉を巻き上げながら、呪われた黒い翼は大きく風を翻し、大広間を後に飛び立った。

 その腕に、本日14歳の誕生日を迎えたばかりの、ロイス王子を掴んだまま。



◆◆◆



 最初に感じたのは頬に張り付く、石の床の冷たさだった。次いで、鼻の奥がかゆくなりそうな、息苦しいまでの埃臭さ。


 頭の芯がまだ震える。

 それでもロイス王子は重たい瞼を無理やりこじ開け、鉛のような体を起こした。痛む頭を僅かに振ると、あご先で切りそろえられた蜂蜜色の髪がさらりと揺れた。


「ここは……」


 口に出してはみたものの、その自問には意味がなかった。何故ならここが、あの魔法使いの根城であることは火を見るより明らかだったからだ。


 王子の14歳の誕生日を祝う、盛大な祝賀会。華やかなその場に突如現れた招かれざる客。醜く忌まわしい「それ」は卑劣な魔術を用い、招待客を石に変え、城内に火を放ち、あろうことか本日の主役であるロイス王子まで攫って来たのだ。


 しばらくすると王子の目も、随分闇に慣れてきた。すると王子が置かれているのが、それはそれは古く、また、これっぽっちも手入れのされていない小さな部屋であることがわかった。

 豪奢な調度品には埃が積もり、蜘蛛の巣がレースのように垂れ下がっている。いつ運ばれたのかわからないワイングラスは白く濁って縁が欠け、カーテンは引き裂かれて無残に床に広がっていた。

 割れた窓の外には、王子をあざ笑うかのように、にやにやと口を開いて輝く三日月。祝賀会が幕を開けたのは昼過ぎだから、一体あれから何時間経ったというのだろう。


「お目覚めかな、ロイス王子」


 しゃがれた声に振り向けば、そこにはあの、呪われた存在が立っていた。


 尖った鼻に尖ったあご、そこからやはり尖ったあごヒゲ。灰色のごわごわとした髪の毛もつんと尖っており、まるで彼の性格を表しているかのようだった。

 落ち窪んだ目はトカゲの様に丸く黄色くぎらぎら光り、王子をいやらしくじろじろと眺め回している。がりがりに痩せこけた体を包むのはぼろぼろに朽ちたマント。彼が気取ってそれをひるがえすと、ぶわりと埃が舞い踊った。


 王子はキッと彼を睨むと、薔薇の花のような唇を噛み締めた。と、魔法使いは背中を仰け反らせて大袈裟に驚いて見せ、それからにやにや笑いを浮かべた。


「おやおや、王子様はご機嫌斜めのようだな。この部屋はお気に召さなかったかな?」

「僕をどうするつもりだ、魔法使い」


 魔法使いはやはり大袈裟に肩を竦め、ひしゃげた眉毛を片方だけ上げた。


「さぁ、まだ決めていなかったな。どうするがいいかね、サラ?」


 その呼び声に答えるように、カサカサと乾いた音がした。王子が目を凝らすと魔法使いの足元に、なんとも奇妙な生き物が駆け寄るところだった。

 それは妖精のような小さな人物で、背丈はティーカップに入るくらい。銀色のさらさらとした髪をたなびかせ、あどけない少年の顔をしてはいるが、その腕は四本、そしてその足も四本だった。


「いかがなさいますかご主人様。何せ相手は王子、人質にとって金品を要求するもよし、その血を抜いて王家に呪いをかけるもよし」

「おお! 素晴らしい、素晴らしいぞサラ!」


 魔法使いは大きな身振りで自分の体を抱きしめると、ぶるぶるとその身を震わせた。それからずいと王子に顔を近づけると、鷹のように黄色くひしゃげた長い爪で、王子の小さな鼻を突付いた。


「まぁいい、時間はいくらでもある。貴様の処遇はじっくり悩もう。さぁ泣け、喚け。我輩は子供の泣き声が何よりも好きなんだ」


 酒臭い息でそう告げると魔法使いは、うっとりとして目を閉じた。が、いくら待っても王子が泣きも喚きもしないので、歯軋りをして目を開けた。


「フン、可愛げのない。だから王族は嫌いなんだ。いいか、ボンクラ王子。貴様の命はこの我輩が握っていることを忘れるな」


 それだけ言い捨てると魔法使いは、ばさりとマントを翻し、高い靴音を響かせて部屋を出た。その後ろ姿に、王子が慌てて声をかける。


「待て、この……!」


 と、魔法使いはひょいと扉から顔だけ覗かせ、目をぱちくりと瞬かせた。


「なんだね?」

「え、あ……」


「待て」と言って、まさか本当に待つとは思わなかった。

 拍子抜けするほど素直な反応に、王子の方が面食らい、言うべき言葉を見失った。


「用が無いなら呼ばないでいただこうか、オトボケ王子」

「あ、いやその……こ、このままで済むと思うな! きっと父王が、軍を率いて僕を救いに来てくださる!」

「安心おし、ネボスケ王子。下手な抵抗をすれば王子の命は無いと伝えてある」


 いともあっさりとした返答に、王子はぐっと言葉を飲んだ。


「そうそう、何かあったらそこのサラに言いつけるといい。妙な事を企まない限り、貴様の手助けをさせてやろう」


 魔法使いがちょいちょいと指差した先に目をやれば、先程の四手四足の少年が、ぺこりと頭を下げていた。

 ドアが軋み、王子が部屋に取り残される。扉から差し込むわずかな明かりが、徐々に細くなっていく。暗闇の中で冷たく響く、鍵を掛ける重い金属音に、王子は思わず睫毛を伏せた。

 すると再び扉が開き、魔法使いがひょっこり顔を出した。


「そうそう、明日は六時に起きろ。我輩は朝食が遅れるのが嫌いだ」


 ぽかんとする王子を置いて、扉が再度閉じられた。と、思ったらまた開いた。


「まだ何か用か!」

「就寝の挨拶を忘れておった。おやすみ、マヌケ王子」


 魔法使いはそれだけ言うと、今度こそぴったりと扉を閉じた。鍵が掛けられ、高い靴音が遠ざかる。王子は手元に転がっていたグラスを引っ掴むと、思い切り扉に投げつけた。

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