第6話 対豪商 1
部屋で待っている間に、セスは袖口に手をやった。洗ってはいるがほとんどが川や井戸水を盗むように借りてであるため、城に居た頃ほど清潔でない気がしてならないのである。ナギサはそのことについて何かを言うことなく、セスの後ろで不動の姿勢のまま立っている様である。
匂いは大丈夫だと判断して、セスは腕を下ろした。
お茶に手を伸ばす。
「今日は飲まないでください」
ナギサの鋭い声がかかる。
それでも、セスはカップに触れた。
「商人ならば、信頼を示す手段は別のものがよろしいかと」
セスはナギサと目を合わせて、手をひっこめた。
(確かに、今回は人間の都市の真ん中。前回のようにはいかないの)
逃走経路を思案しつつ、セスは背中をソファにつけた。後ろの空気が弛緩したのがわかる。
直後にノックの音。ナギサの空気が締まり、セスが背中を浮かせると扉が開く音がした。
「これはこれはサグラーニイ殿、お久しゅうございます」
過度にへりくだった声と共に、顎の下にまで脂肪を蓄えた男、マルシャンが入室してきた。服の下地はくすんだ赤だが、垂れ下がったストールやネクタイ、模様など黄色も所々に見える。
「直接会うのは二年ぶりかの」
「ふむ、そうですな。二年……になりますかね。いやはや、もっと会っていない気も致しますが、最後に会った時を鮮明に思い出せるのもまた事実。時の流れとはなんとも摩訶不思議なものですな」
笑みを浮かべながら、マルシャンが向かいの席に着いた。一緒に入ってきた男がマルシャンの前に水を置いて、頭を下げてから一歩下がり、メモ帳とペンを取り出す。
どうやら話し合いが始まるらしい、とセスが気持ちを切り替えたところで、マルシャンが沈痛な面持ちを浮かべた。
「ご父君のこと、お悔やみ申し上げます。本当はもっと早くお伝えするべきことだったのですが……。いえ、仇と同じ者がそのようなことを言うな、と言ったところでありましょうか」
「討ったのは勇者一行であり、軍属の者どもだ。お主は仇ではあるまい」
セスの本心に近い部分である。
「そうでしょうか。勇者一行や軍の方々は国家の支援を受けております。その国家を支えているのは国民。特に稼いでいる私どもは他の方よりも多くのお金を納めておりますので、いわば実行部隊の方々にお金を渡していると言えなくもありません」
マルシャンは入ってきた当初とはうって変わって、静かにしゃべっている。
「その理論で行けば、お主と取引を行った我らは自ら刃を突き立てたことになるな」
「そのようなつもりはございません」
慌てたようにマルシャンが言った。だが、少なくともセスにはどこか白々しく感じたし、この会話に別の意図があることはナギサもわかっているだろう。
その意図を探して、言い当てる。
セスは目を立っている男に向けた。手に筋肉は付いておらず、骨も細そうだ。武器が隠してあったとしても、入ってきてからの歩き方では戦闘が得意ではないかもしれない。
(殺される心配はしていない。人柄をわざわざ探る程付き合いが浅いわけではないはず)
セスは目をマルシャンに戻した。
「少なくとも我は、父上同様に人間を滅ぼす気はない。無論、勇者や一部のものは行為の代償を払わせるつもりだが、一部が憎いからと種族全体を攻撃しては憎き奴らと同じ土俵に立つ羽目になるしの」
恨みを晴らす手段が同じ時点でほとんど同じだとは思うが、そこは少しでもというやつである。
「一部の者、に私どもが含まれないのはわかりましたが、国王陛下などの直接指示を下した方々の扱いはどうするおつもりでしょうか?」
マルシャンが尋ねつつも、時折、目はナギサの方に行っているのをセスは見逃さなかった。
下卑なものではなく、探るような視線。
「人間の国を人間以外が統治するわけにはいくまい。無駄に団結させかねないからの。我々に理解を示し、我々に近い立場に立ってくれる人間がいれば、あるいは……」
後半はややゆっくりと、瞬きもせずにセスは言った。
マルシャンの目が、部屋に入ってきて初めて鋭い光を宿す。
「私は人間にしては魔族に近いところに立っていると思います。国を潰した暁には、私を王に据えてくださるのであれば、協力は惜しむことがありましょうか」
後ろの男に変化はない。メモを取っているのかも怪しい。
セスは若干身を前にだしたまま口を開いた。
「お主には公平な目も商才もあるの」
セスの背がソファに触れる。
「が」
ひじ掛けに右ひじを置いて、右人差し指で自身のこめかみに触れた。
「統治の才があるかはわからぬ。わからぬゆえ、お主を王にするという約束はできぬ」
開いた距離を戻すように、マルシャンが浅く腰掛けなおした。
「人間の国家ならば、多少は荒れた方がサグラーニイ殿下にとっても都合がよいのではないですか?」
「わが国には今後人に恨みを持った者が増えるのでな。その者らの声を抑えるのには、隣国が静謐であった方が都合が良い。人間の体勢が万全であれば、攻め込もうと思う者が減るからの」
「なるほど。では、今の王の皆様には、国家を静謐に保つだけの資質があると?」
マルシャンが丸い指を口元に這わしながら言った。
「それは周り次第だの。少なくとも、パフォーマンス能力は高いと見える。これも大事な資質ぞ。まともなことを言えても、発信が上手くなければ大勢の者が馬鹿に丸め込まれる」
「民衆を躍らせて魔王を殺させた国王は馬鹿なれどパフォーマンスがうまかったと」
「そう聞こえたかの」
マルシャンがにやり、と笑った。水を飲み、コップを机に戻す。
その間もセスは何も言わずにマルシャンを見ていた。
「まあ、私も国王なんぞ柄ではありませんし、何より金儲けを第一に考えてはいけない立場というのがしっくりきませんからそのような対価を出されたらどうしようかと思っただけです。お気を悪くされたのなら、申し訳ありません」
「許す。ただし、お主が知りたいことが今の会話で知れたのなら、であるがな」
「では、一つ無礼な質問をしてもよろしいでしょうか?」
「構わん。申してみよ」
にじり、にじり、とマルシャンが体を動かして机越しではあるが距離を詰めた。
ひそひそ話をするかのように、口を開く。
「殿下は、ご自身にご自身が考える統治者としての才があるとお思いですか?」
ナギサが動いた気配がしたので、セスは手をあげてそれを制した。制す直前に、カチャリ、と静かな金属音が鳴ったため、刀に手を掛けたのだろう。
「やってみないとわからぬな。だが我が考える統治者として最も大事な才は適材適所な人材配置ができること。静謐な統治を我が行えそうにないなら、誰ぞ種族間の調整のできる輩に全権を託そうぞ」
マルシャンの後ろの男は顔面が蒼白になっていたが、マルシャンの血色のいい顔は微塵も変わっていなかった。
やがて、まるまるとした頬肉を揺らしながらマルシャンが笑い始める。
「殿下の御前で失礼であろう!」
「よい」
セスがナギサに手を振る。
「いや、何、生まれながらに権力を持った者、自然と持ってしまった者の発想と言いますかな。権力に固執しない権力者だと思いまして。ご無礼をお許しください」
「許そう。そも、お主を失うことは我らにとって損失でしかないからの」
セスは手を伸ばしてカップを掴み、お茶を飲む。
ナギサからは制止の声はかからなかった。
「そう言えば、ご紹介がまだでしたな。この男はトラウテ。喜びなどのいい感情は隠すのがうまいくせに、御覧の通り恐怖などはすぐ顔に出てしまう男ですが、口の堅さは一級品です」
「記憶の末席に加えていただければ幸いです」
トラウテが頭を下げた。
予想よりも静かで優し気な声だと、セスは思った。
「覚えておこう。こちらの紹介は、不要だな?」
疑問よりも断定に近い言い方である。
「ええ。以前、護衛をして頂いたときにも傍に控えていた、クノヘ殿、と記憶しております」
不快になった様子は一切なく、マルシャンが言った。
「トラウテにもその時のことは話してありますので、彼にも不要です。もちろん、雇った傭兵が盗賊に買収されていたなんていう情けない話も聞かれてしまったわけですがな」
わはは、と豪快にマルシャンが笑った。
残念ながら、マルシャン以外に表情を変えたものは居なかったが。
「いやはや、あれは三本の指に入る危機でしたな。たまたまサグラーニイ殿が助けに入ってくれなければ今頃は湖の底で惰眠を貪っていることでしょう」
「主を助けていただき、感謝申し上げます」
トラウテが頭を下げた。
「感謝しているから帰ってくれ、とでもいうつもりか?」
ナギサが剣呑な声を出した。トラウテの首が高速で横に動く。マルシャンがまるまるとした口を開いた。
「まさか。それは人の道に反します。ですが、私どもは商人。取引があって成立するもの。大方、戦力ではなく隠れ家や食事、と言ったところをご所望でしょうかな。で、サグラーニイ殿下がご提示できるものはなんですか?」
「そんなもの、殿下が王の座に着かれれば」
「今すぐの保証が欲しいのですよ、クノヘ殿」
「何が望みだ」
言外に『恩知らずめ』とでも言いそうだと、セスはナギサの言葉を聞いて思った。
「いえ、出せる物はないかと愚考いたします」
マルシャンはおどけたように首をすくめて続けた。
「服はずっと旅を続けているのか、洗ってはいるが皺がだいぶ寄って型をつけております。お二人が纏う匂いもほぼ同じ。香を焚くことはなく、自然の匂いばかり。おそらく、身一つで逃避行を続けているのではないですかな」
「ほう」
ナギサよりも先に、されど落ち着いた声を心がけてセスは口に出した。
「良い目だ。益々気に入ったぞ、マルシャン」
「光栄にございます」
「そうだ。我らから現物で出せる物は何もない。だが、それで終わりというわけではあるまい。お主が時間を割いてまで最初に探ったことがあろう? 断るだけで良いなら、あの会話は要らなかった。違うか?」
マルシャンが懐から厚みのある袱紗を取り出した。トラウテが受け取ると、恭しく膝をついて、セスに袱紗を掲げた。受け取り、開く。通行手形が四枚入っていた。
セスがマルシャンに目を向ける。
「魔族が人間を恨むのは自明の理。今はかりそめの天下に騒げていても、そのうち手痛いしっぺ返しを食らうでしょう。ですが、その時に魔族をまとめる人間がサグラーニイ殿なれば、なで斬りにはされないと判断したため、手伝おうと思ったまでです。ただ、現状で魔族に協力したとバレてしまえば何が起こるかわかりません。共通の敵が減った今、同族を殺すハードルは下がっているでしょうから」
「それゆえの通行手形か」
「ええ。人間同士に目を向けて検問を強化しているところも、これがあれば随分と緩く入れるでしょう。それに、露見いたしましても、この程度であればどうとでも言い訳が効きます」
そうはいうものの、通行手形はそう易々と、しかも申請者が使わない形で発行されるものではない。
「それと、心ばかりですが」
マルシャンが懐から財布を二つ取り出した。重そうな音がして、机の上に置かれる。
セスがナギサに目を向け、頷くとナギサが中を検めた。金貨がぎっしりと詰まっている。
「本来であればなにかとご入り用のはず。貸付ではなく、献上、という形でお願いいたします」
「随分と用意がいいな」
セスの言葉に、マルシャンは笑みを浮かべた。
「殿下が味方を探しているという噂はちらほらと漏れ出しておりましたから。そのうち来るのではないかと思っておりました。本当に私の前に来たのなら、それは殿下が人間を滅ぼす意思がない時。連れている従者の意思も同じか、殿下への忠誠が厚ければ協力しようと、どのような協力ができるかと考えておりました」
「ほう」
漏れているのか、集めたのか。
そこが気になったがマルシャンの話はまだ終わりではなさそうだったので、セスは口を挟まなかった。
「殿下の誘いを断った部族の方々も、恐らくは似た考えかと思います。部族の命を背負っているため、殿下の力がわからないうちからは協力できない。されど顔は繋いでおきたい。殿下なら魔王として復権をできるかもしれないが、最初の捨て石にはなりたくない。……聡明な殿下に言うことではありませんでしたな」
「よい。尤もなことだ。我は、まだ何もなしてはおらぬ。それどころか敗軍をまとめず反乱にあい、逃げ出しておるからの」
「私も、最初はよく失敗したものです。最初はうまく行ったからと同じ商売を続ければ大手に負け、これは商品の価値が高いと思ってその生産を増やせば価値が落ちて立ち行かなくなる。サグラーニイ殿下と単純に比べることはできませんが、まあ、誰しも失敗すると生の先達としての助言です」
「頼りにしておるぞ、マルシャン」
セスは財布の一つを掴み、懐に入れた。
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