第4話 接触 2

「国王陛下が約束を違えることはない。あのパレードをあなたも見ましたよね?」


 勇者エイキムがマサトキに言っている間に、魔法使ヘクセいが巨大な獣の爪のようなもの、雷獣の爪を取り出した。ナギサが急転する。戦士エイキムが直線上に入ってナギサの刀を受け止めた。魔法使いが口を開く。


「さあ、力を発揮して」

「母上を愚弄するな!」


 ナギサが目を血走らせて吼えるも、戦士に飛ばされた。雷が走る。ナギサに直撃し、ソファを蹴散らすように吹き飛んだ。

 雷で出来た巨大な手が迫る。


「爺や、頼む」


 セスの左手から糸が伸び、黒い沼が現れて傷口が乱雑に縫い合わされたナギサの祖父の体が現れた。雷と雷がぶつかり、巨大な手を消したが代償に爺やの首がまた落ちた。


「そいつを殺る方が楽だったんだぜ!」


 戦士の剣を受け止めれば胸の傷が開き、勇者に対応すれば太腿が裂ける。

 死体は、あっけなく沈黙した。

 ナギサが左手で自身の胸を抑えながら戦線に復帰する。


「愚弄って言うけどさ、死体を使っている以上そっちの方が愚弄してんじゃん。私は爪だけだし」

「生者は命を惜しみ、死者は名を惜しむ。我に使われることが名誉かはわからぬが、敵の手に渡り可愛がっていた娘をなぶるよりはよかろう」

「命を惜しむな名を惜しめ、じゃねえんだな」


 戦士が沈黙した死体を、もう動けないだろうというあたりまで斬り捨てた。


(すまぬ)


 セスは爺やの魂に謝った。


「死んでも生き返る人間風情と同じにするな」


 肩を大きく動かしながら、ナギサが戦士を睨んだ。

 戦士がおどけたように肩をすくめる。

 ナギサが息を吐きだして、肩の動きが大分おさまった。


「殿下、背負うものを増やして申し訳ありません。ですが、裏切り者だけは、刺し違えてでも持って行きますので、ご容赦を」


 ナギサがマサトキを見据えた。


「ならぬ」

「奥義、」

「妖狐は勇者を討つ可能性がある」


 セスの凪いだ声にナギサの動きが止まった。いや、ナギサだけではなく勇者と僧侶イルザとフブキの動きも止まった。裏切りを予想していたのか魔法使いと戦士は変わらず両面を警戒しており、ヤマトは浮かせた腰を下ろしている。マサトキは、飄々とした顔を崩さずに姿勢を正したまま座っていた。


「どういうことだ」


 意外にも最初に口を開いたのは勇者。ただ、問いかけた先は妖狐に近い。


「殿下の戯言です。気になるのなら、殿下に聞いてみてはいかがですか?」


 僧侶を自身の方に寄せる勇者を気にも留めず、マサトキが言った。


「エイキム、殿下って呼び方がまず怪しいだろ」


 戦士が足を僅かにひらく。


「人間の王を呼ばせても、陛下とつけると思うがの」


 セスがゆっくりと身を起こした。


「殿下、勇者を招き入れたのはこ奴らです。お言葉ですが、勇者を討つとは思えません」


 意図を理解したのか、ナギサがセスに肩を貸すように近づきながら言う。


「我らの敵が人間の味方とは限らない。我が死ねば御旗がなくともある程度は仲間を集められよう。そして勇者が死ねば、人間に打撃を与えられる。他種族を糾合できる時間が稼げよう」


 僧侶は素直すぎるのか、彼女の目に妖狐に対する敵意が宿り始めたように見える。


「その証拠が、ここに三部族集まっていることと、おっしゃられるのですか?」


 ゆるりとした声がマサトキの口から出て、それが戦士を逆なでしたように彼の意識の割合が妖狐に多く傾く。


「伏せている妖狐が、とでも言えばよいかの。我らを逃がさないようにと言えば言い訳は立つ。いや、それも事実。されど我に集中した勇者を討つことも可能。だが殺しただけなら復活しよう。されば虜囚しようか? 妖狐ならば、種族を虐殺された数も略奪された数も少ないからの。里に連れ去っても、よもや殺されることはあるまい」


「虐殺も略奪も、したのは魔族だろ」


 勇者が落ち着いているように聞こえる声で言った。されど、眼球は動いており、瞬きはゆっくりだが多い。


「あれを虐殺と言わずに何という。私の家を荒らしておいて、何を言う! 使用人があそこまで血をまき散らすわけあるか!」


 左手をセスの肩に回し、刀を勇者に突き付けてナギサが吼えた。


「箪笥からごみ箱に至るまで漁り、死体をまき散らして使えそうなものは全て持ち去る。武具も無ければ食料も残ってなかった。残っていたのは取れないほどの血がついた衣服と、壊れた家だけだ。押し入り強盗と何が違う」

「切り裂け」


 魔法使いの攻撃を、ナギサが辛うじて雷で相殺する。

 戦士は反応が遅れたのか、ナギサの威嚇によって踏み込むことができなかったようだ。


「エイキムはあんなこと言ったけどね、こっちだってきちんと補給があるわけじゃないんだから、魔族のものだって使えれば頂戴するわよ。じゃないと討てないんだもの。私達が魔族を殺したのも事実だけど、魔族が人間を食べているのも事実でしょ」


 魔法使いが妖狐も牽制している間に、戦士が魔法使いに直接セスとナギサが仕掛けられないように間に入る。


「その括りにするならば、逃げ惑う力なきものを殺しまくる人間も同じ枠だな」


 ナギサの左足がセスの右足に触れる。

 セスがゆっくりと左足を動かして、次に右足を引き寄せる。


「誰がそんなことをした。軍が入るのは、まだ危険な魔族がいるときだけだ。盗賊の類なら、俺らだって捕まえてきた。魔王は同族に対して何かしたのか?」


 勇者がゆっくりと二人に迫る。戦士も位置取りを変えつつ、魔法使いが妖狐から離れた。

 セスの動きに合わせてナギサも左に動く。セスがソファから横に出た。


「同族なんて言えば、後ろの妖狐が怒るぞ」


 ナギサが余裕そうに笑った。勇者の目が妖狐に、そして僧侶に逸れる。カバーするように戦士がナギサとの間合いを詰めた。


「自分らが魔王より弱い事、把握してんのか?」


 戦士が言葉と剣を叩きつける。

 セスがナギサを引っ張るようにして倒れ、剣はソファと床を叩き割った。


「凍てつけ!」


 魔法使いの言霊と共に氷がセスとナギサを捕まえた。

 戦士が大上段に構え、剣に相当な魔力が籠められる。


「あまり暴れないでくださいまし」


 相変わらずのマサトキに、警戒とも信頼ともとれない曖昧な態度を示す勇者。


「解放」


 剣が振り下ろされる瞬間、ナギサが呟いた。ナギサの体が膨れ上がって氷を砕き、鋭利な爪が大剣とぶつかる。右の爪が簡単に砕けたが、左の爪による突きが剣を止め、戦士を突き飛ばした。体勢が崩れはしなかったが戦士が床を剥ぎながら下がる。文字通り巨大な妖狐となったナギサの尻尾が天井を押し上げ、瓦礫を落とす。


「風の精霊よ」

 僧侶の掛け声とともに風が起こり

「神の加護よ」

 続けた声でどかし切れなかった瓦礫から妖狐と勇者一行を守る。


「じゃ、作戦通りってことで」


 魔法使いが懐から爪や牙、石を取り出して指の間に挟んだ。


「押し込め、燃やせ、噛みつけ、貫け」

 ゴーレムの腕のような魔力が巨大な狐と化したナギサに伸び、炎が足元を焼いて魔力塊が胴体に歯形をつけた。雷の槍がナギサに直撃する。


「まだまだいくよー」


 軽い調子で魔法使いが龍の玉を取り出した。


「ご無礼を」


 ナギサがセスを咥えた。八本の尻尾に炎を纏わせて、叩きつける。勇者と僧侶が共同で自分のとこに来たのを防ぎ、戦士が念のためか魔法使いの元に引いて魔法使いが氷で尻尾を受け止めた。フブキとヤマトは飛び退き、尻尾の間でマサトキが口元に弧を描く。その笑みは、セスにしか見えていなかっただろう。


 防がれなかった六本が屋敷を焼き、追撃の雷が勇者一行が攻撃に転ずることを許さない。その間にナギサは跳び上がって逃げ出した。


 右前脚は爪が無く、左前脚は剣によって裂けて血が滴り、体には雷による焦げ跡があったが、ナギサからは泣き言一つ聞こえることなく、山に逃げ込んだ。川に入ると顔を顰めたのかセスに当たる歯の力がやや強くなったが、そのまま川を上って木々が深くなったところで跳び上がり、人間態に戻った。セスをお姫様抱っこのように抱えて、岸に降り立つ。


「申し訳ありません」


 セスを下ろして、ナギサは片膝をついて頭を垂れた。左手からは相変わらず血が流れており、右手も明らかに怪我を負っている。息も荒い。


「そちは、命を懸けて我を守ってくれたではないか」

「そもそも、私があのような者どもと会おうと言わなければこのような事態にはなりませんでした」


 セスは右手を引いて、口から糸とそれにくるまれた羊羹を取り出した。


「我はこの通りじゃ。多少は毒が零れ落ちてしまったが、直ちに問題があるわけではないしの。むしろ騙すためにそちに戦わせてすまなんだ」

「殿下のために戦うのが私の役目。何も問題はありません」

「……すまなかった、ナギサ」

「私には過ぎた言葉でございます」


 セスはしゃがんでナギサと頭の高さを同じにした。


「そのことだけではない。そなたの祖父も、結局失ってしまった。虎の子の戦力だったのに活かせなかった」

「…………お爺様は、殿下の役に立てましたか?」


 俯いたままナギサが言った。


「ああ。いなければ、討たれていたやもしれぬ。死してなお救われた。感謝してもしきれない」

「そのお言葉を聞けば、お爺様も草葉の陰でお喜びになると思います」


 ぽたぽたと、ナギサの下の石が濡れる。


「ですが、母は、仇の戦力増強に使われ、父は、陛下を守れず、私は殿下を危険にさらし……」

「ならば罰を与える」


 セスはマントを取り、ナギサに頭から被せた。


「権威付けのためにつけてはいたが、邪魔だったのだ。そのマント、今日はそなたが運ぶがいい」


 ナギサからの返答はない。

 されど、下から覗く手は固く握られ、震えていた。石の染みも増えている。


「それと、今回は我が哨戒しながら寝床を探すとしよう」

「それは」

「奪うでない。一度やってみたかったのだ」


 少しだけ声に笑いを含めて、セスはナギサの声を遮った。


「ただ、慣れないから歩きは遅くなる。周囲への警戒に気を遣うからそなたの声を聞き逃すことも多いかも知れぬ。そこだけは勘弁してくれ」


 声が出なかったのか、間が一つあって、それからナギサが頭を下げた。


「では、行くか」


 セスが立ち上がる。

 遅れて、ゆっくりとナギサも立ちあがったのだった。

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