After Flag.Re:Build

短い冬休みが終わり、三学期が始まる。あんなに降り積もっていた雪もいつの間にか溶け、僅かに道端の日陰にその面影を残すのみとなっている。

俺は欠伸を一つして、学校に向かっていた。風は冷たいが、太陽が燦々と通学路を照らしていて、一月の陽気にしては暖かな朝だった。

「おっす、勝一!」

背後から聞こえた声に振り返ると、沢木が小さく俺に向かって手を上げていた。沢木とは冬休み中にもちょくちょく会っていたので、新学期に再会する新鮮味はほぼない。

「なんだよお前、新学期早々だらしない面してるな」

沢木は俺の顔を指差してからかうように言った。沢木の指摘は最もで、俺の冬休みはほぼフラグ・クラッシャーのトレーニングに費やされた。そこらの名門野球部も真っ青の泊まり込みハードワーク合宿に、俺の疲労は新学期早々マックスハイなのだ。

「そう言うお前はテンション高いな。何か良い事でもあったのか?」

「へへ、当たり前だろー?今日からもどか様にお会い出来るんだぜ!?」

沢木はキラキラと目を輝かせて言った。

「楽しみだなぁ…!もしかしたら今年こそ、俺の純粋な想いがもどか様に届いて恋が芽生えるかも知れないだろ?」

その希望に満ちた瞳に俺が返答しかねていると、沢木は子供のようにはしゃいで飛び上がった。

「俺の新学期は!夢と希望に満ちてるぜーッ!!」

「朝から元気ね」

突然の背後からの声に、沢木はバランスを崩し、道端のなごり雪に頭から突っ込んだ。沢木は慌てふためいて立ち上がり、声を上げた。

「も、も、も、もどか様ーーーッ!?」

そこに立っていたのは、赤いマフラーをその白く細い首に巻き、灰色のダッフルコートに身を包んだ、もどかだった。彼女は立ち上がった沢木を見ながら、小さく微笑んでいた。

「派手に転んでいたけれど大丈夫なの、沢木君?」

その言葉に、沢木は耳まで真っ赤にして、今にも卒倒しそうな表情でブンブンと首を縦に振った。その様子を見て、もどかは楽しそうに笑っていた。

「ま、ま、ま、まさか…もどか様が俺の名前をご存知だったとは…か、感激ですッ!!」

極度の緊張で視線をあっちこっちにバタフライさせる沢木を見て、もどかはクスリとして言った。

「大袈裟ね。そんなの当たり前じゃない、私達はクラスメートでしょう」

その言葉に、沢木は今にも泣き出しそうな顔で涙ぐむ。何だかとても良い雰囲気だ。沢木の言う通り、本当に沢木の想いが通じたのかも知れない。

「沢木、俺先に行ってるよ」

お邪魔虫は早々に退散しよう。俺は友人の健闘を祈って歩き出した。

「……待って頂戴!!」

突然、もどかが声を上げた。振り返ると、もどかの潤んだ瞳が真っ直ぐに俺を見ていた。彼女は固まる沢木の前を横切り、俺の前に立った。

もどかは顔を伏せ、何も言わずに俺の眼前に立っていた。固く握り締めた拳は微かに震えている。

「…もどか?」

俺が声を掛けると、彼女は大きく息を吸い込んで顔を上げた。その顔は先程の沢木よりももっと真っ赤だった。

「…私、橘もどかは!」

ご近所に鳴り響くような大音声でもどかは叫んだ。

「福泉勝一さん、あなたを愛していますッ!」

真冬の空に、もどかの大宣言が響き渡った。もどかはうっすらと涙を浮かべて俺を見ている。かく言う俺は、目と口をあんぐりと開けた間抜けな顔で彼女を見ていた。

「例え…例えあなたが幼女好きの変態ロリータコンプレックスだとしても…!」

俺に掴み掛からんばかりににじり寄って叫ぶもどか。そのとんでもない心の叫びを制する余裕は、その時の俺にはなかった。

「私がッ!あなたを矯正してみせるッ!!」

そう言うと、もどかは学校に向かって走り去って行った。残された俺は、開いた口を塞ぐことも出来ずに突っ立っていた。

「おい、勝一…」

恐ろしく低い声に目を向けると、沢木が凄まじい怒りに満ち満ちた形相で俺を睨み付けていた。

「俺はッ!!お前の事なんてッ!!大ッ大ッ大ッ!!嫌いだーーーーーッ!!!」

溢れ出る涙と共に、沢木は走り去った。沢木の頬から飛び散った雫が、朝日に照らされてキラキラと輝いていた。嵐のような展開に、俺は道の真ん中で呆然としていた。

すると、不意に背後から誰かの気配を感じた。振り返る暇もなく、俺は誰かに後ろからそっと抱き締められた。

「…しょーいち」

「…千川原、か?」

その小さな呟き声は、間違いなく千川原のものだった。しかしいつもの彼女とは雰囲気が違う。天真爛漫で、無駄に高いテンションは影を潜め、千川原は俺を抱き締めたまま、無言を貫いていた。

「…アタシね…」

千川原はそっと呟いた。

「しょーいちの事が好き」

彼女はそう言うと、俺を抱き締める力をぎゅっと強めた。

「…ショックだったよ…傷ついたよ…でもね、諦められなかったの」

千川原の体温が背中越しに伝わってくる。

「アタシは、しょーいちの事が好き。大好き…だから…ね?」

突然、膝ががくりと折れ曲がった。千川原が俺の膝の後ろに、自らの膝を当て、膝かっくんしたようだ。

「うわ!何すん…!?」

唇に感じる、柔らかで温かな感触。目の前には、千川原の長い睫毛、桃色の頬。

一体何が起きたのか、その状況を理解するのに少し時間が掛かった。千川原は固まる俺から唇を離すと、イタズラな笑みを浮かべて言った。

「アタシに恋愛フラグを立てておいて、フラグを折るなんて、許さないんだからねっ!しょーいちっ!」

そう言って、千川原は朝日に向かって走って行った。俺は彼女の背中を見送りながら、そっと自分の唇に触れてみた。そこにはまだ、千川原の熱が残っているような気がした。

―新学期早々、大変な事になりそうだな。

俺の頭に、そんな大波のような予感が過った。どうやら、俺の本当の戦いはこれから始まるようだ。

…だけど、例えどんな事があっても、俺は前を向き続ける。どんな運命が待っていても進む事を諦めない。

その先にある、あの光のような笑顔を目指して、俺は歩き続ける。

決意を新たにして、太陽に照らされた学校までの道のりに、俺は一歩踏み出した。

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