Flag2.FCD

「ここがFCD本部だ」

気が付いた時、俺達は薄暗い空間の分厚い金属製のドアの前にいた。おっさんがドアの横にある電話機のように数字が羅列してあるボタンを数回押すと、そのドアが鈍い音を立てて開いた。中から漏れ出る眩しい光に、俺は思わず目を覆った。少し光に慣れてきて部屋の中を覗き込むと、何の事はない、俺の家とさほど変わらない、普通のマンションの玄関であった。

「いや、本部ってただのマンションの一室じゃねぇか…」

そう言うと、おっさんはニカリと笑った。

「逆に秘密基地っぽいだろう?」

おっさんは俺の首根っこから手を離すと、大声で中に向かって呼び掛けた。

「おーい、マリア君、伊凛君、今帰ったぞー!」

その声と共に、パタパタと足音が聞こえ、玄関から続く廊下の端から、ひょこりと誰かが顔を出した。そしてまたパタパタとこちらに向かって走り寄ってきた。

「お帰りアル隊長!」

それは、派手な刺繍が織り込まれたチャイナ服に身を包んだ小さな女の子だった。健康的に日焼けした肌に、左右をお団子に結んだお団子に結んだ髪、アニメや漫画で見るような典型的な中国人と言った格好をしている。彼女はメチャクチャにはしゃぎながら 、大きな瞳を輝かせ、困惑している俺の顔を覗き込んだ。

「何これこの冴えない男何アルこれ誰アルあれアルか!?新入りアルか!?」

まだ小学生のようなあどけない表情でピョンピョンと俺の周りを飛び回る。

…て言うか、さりげなく失礼な事を言われた気がする。

「お止めなさい伊凛、みっともないですよ」

その声が聞こえて顔を上げた時、俺は息を飲んだ。

そこに立っていたのは、真っ白な透き通るような肌に、柔らかな金髪をなびかせた美女だった。おっさんと同じような迷彩服を着ているが、その上から彼女の均整の取れたスタイルの良さが見て取れる。彼女は碧眼で無機質な瞳をこちらに向けて佇んでいた。

「紹介しよう」

そのおっさん、そう言えば十田と言う名前のおっさんの声で俺は我に返った。

「君の周りで飛び跳ねているアルアルっ子が蔡伊凛君、中国出身のフラグ・クラッシャーだ。見た目は可愛い子供だがかなり強いぞ。そして隣のクールビューティーが、ロシア出身のマリア・ロクヴナ・スヴェトラーナ君だ。見た目通り、怒らせたらかなりおっかないぞ」

「…隊長」

彼女はその無機質な瞳を十田に向けた。確かにかなりおっかない。

「ごめんなさい」

間髪入れずに頭を下げる十田の様子を見ると、普段からのこの二人のやりとりが目に浮かび、俺は思わず苦笑した。

「それより隊長!このなんとも言えない地味な男誰アルか!?」

…さっきからヒドイ言われようだな俺。

「彼の名は福泉勝一君、超一流のフラグ・クラッシャーになれる素質を持つ男だ」

その言葉に、マリアと呼ばれた美女がその形の良い眉をひそめた。

「…それはどういう事ですか、隊長?」

その言葉をかき消すように、軽快な携帯の着信音が響いた。十田は悪びれもなく懐に手を突っ込むと、またニカリと笑った。

「すまん電話だ。とりあえず君達で親交を深めてくれたまえ」

言うが早いか、彼は無責任にもドアの奥に消えていった。

「お、おい!オッサン!」

どうしろってんだ…なんかあのお姉さんにすごい睨まれてるし。かなり気まずい。俺がその場の雰囲気に戸惑っていると、傍の少女が下からぐいっと覗き込んできた。

「どうしたアル?あっ、分かった!」

そう言って手を叩くと、曇りなき眼で声を上げた。

「マリアのパンツの色が気になっているアルね!?」

「なっ…!?」

「なんでそうなる!?そ、そんなわけないだろが!!気にならねーよ、そんなもん!!」

見当違いの気遣いに思わず声を上げると、その向かいから凄まじい殺気を感じた。氷のような冷たい目で碧眼美女は俺を睨みつけていた。

「…そんなもん?」

「い、いや、そういうつもりじゃ…」

「も~、お前えっちアルね~!」

「お前は黙ってろ!」

十田と言うおっさんといい、この伊凛というクソガキといい、一体フラグ・クラッシャーという人間はどんな思考回路をしているんだ?俺の焦燥をよそに、碧眼美女は軽蔑の眼差し、と言うよりほとんどゴミを見るような表情で溜息をついた。

「十田隊長から何を言われたのかは知りませんが、私は貴方の様な者を決して認めない」

「…なんだと?」

俺は流石にイラっときた。なんで見ず知らずの人間にそんな事言われないといけないんだ。俺だって好きでこんなとこに来たんじゃない。すると、まるで俺の考えている事を見透かしたように彼女は強い口調で言った。

「立ち去りなさい、今すぐに。ここは誇り高きフラグ・クラッシャーのみがいるべき場所、貴方の様な者にその資格はない」

「ああ!言われなくても帰ってやるよ!」

「あれ?お前、マリアのパンツ見たいんじゃないアルか?」

「うるさい!」

俺とそのマリアと言う女は、同時に声を上げた。

「どうしたというのだ諸君、大きな声を出して…」

ドアから電話を終えた十田が顔を出した。俺とマリアの顔を交互に見ると、はぁ、と大きなため息をついた。

「全く君達は…マリア君、隊内の雰囲気はいつでも明るく健康的に保つ様にと言ってあるだろう」

生真面目な性格なのだろう。十田から窘められると、マリアは素直に頭を下げた。

「…申し訳ありません」

ふざけたおっさんとしか思っていなかったが、こう言う所を見ると隊長らしい威厳を漂わせている。俺は少し十田を見直した。そのまま、十田は威厳に満ち溢れた表情でこう言った。

「話は変わるがマリア君、今日は何色のパンツ履いてるの?」

前言撤回、このおっさんやっぱりふざけてる。しかも話全然変わってないし。

「隊長…!」

マリアは顔を真っ赤にして、目を釣り上げて声を上げた。その横からひょっこりと伊凛が顔を出した。

「へへ〜、マリア今日はベージュのパン…!」

そこまで言って、凄まじい形相をしたマリアに口を塞がれた。伊凛は何やらジタバタしているが抜け出せる様子はない。…しかし、ベージュか。ベージュってなんか大人なイメージで、この人が身に付けるには少し地味なような気がする。この人だったらもっとこう……俺は何だか色々と想像してしまいそうになり、慌ててかぶりを振って邪念を取り払った。

だが、俺の隣にいるおっさんは愕然とした表情でいきなり唾を飛ばしながら、邪念をそのままに叫び始めた。

「マリア君!うら若き乙女がベージュなどという地味な色の下着を身に着けてはいかんとあれほど口を酸っぱくして言ったというのに…!さあ、すぐに我輩が先日購入したピンクのきわどい下着を身に着けるんだ!」

瞬間、マリアは氷の様に冷たい目で十田を睨み付けた。

「隊長、死にたいのですか?」

「ごめんなさい」

下らないやり取りを尻目に、急に真面目な顔付きになった伊凛が十田の袖を引いた。

「隊長、さっき隊長を襲ってきたアイツ、FPの命令で動いてるようじゃないアル。今回はヤツの単独行動アルな」

「ふむ、やはりそうか」

十田も真剣な表情で頷く。あのカフェから今までの、途方もなく現実離れした展開に俺の思考回路は全く追いついていなかった。

「FPの常套手段は多勢を用いての闇討ちだ。通称、『キリングスマイルのキャリコ』、最近名を上げて来た若きエリートだ。勝一君、君とも歳はそう変わらない少年だよ」

その言葉を聞き、俺は思わず息を飲んだ。あんなスゴイ力を持っているのに俺と同じくらいの年齢だって言うのか。混乱する俺をよそに、十田は話を続けた。

「ヤツは《敵に一ヶ月の時間的猶予を与える》という、典型的な《敗北フラグ》を立て、正々堂々フラグをへし折り、余裕の笑みを浮かべて敵を葬る、天才的なフラグ・クラッシャーだ。一ヶ月か、あまり時間はないが…」

十田は目を伏せ、何やら考え込んでいる。不意に顔を上げると、傍にいるマリアに向き直った。

「マリア君。君を勝一君の教育係に任命する」

「な!何故私が…!」

マリアは憤懣やる方ない様子で声を上げたが、十田はギラリと視線を尖らせ彼女の言葉を遮った。

「マリア君、これは命令だ」

「っ!……かしこまりました」

そう言うと、マリアは横目で俺を睨み付けた。

「勝一、私に付いて来なさい」

「勝手に決めるな!俺は帰らせてもら…」

言い掛けた瞬間、目の前に白い火花が散った感覚がした。マリアが恐ろしい早さで、俺の顎を下から掴み上げたのだ。その細腕からは信じられないくらい強い力で、ギリギリと容赦なく俺の顎を締め上げる。

「お黙りなさい。次に私の許可なく口を開けば、それが貴方の最期の言葉になりますよ。さあ、行きましょう」

「は!はな…へぇ…!」

抵抗も空しく、俺はマリアに引きずられるまま、廊下のさらに奥の部屋へと連れ込まれていった。


「隊長、アイツ、死んじゃうかも知れないアルね」

「うむ、ああなったマリア君はメチャ怖だからな」

嵐のようなやり取りが過ぎ去った後、伊凛と十田は顔を見合わせて言った。

「だが、それぐらいしてもらわねば困る。日本の…いや、世界の平和が掛かっているのだからな…」



乱暴に地面に転がされた俺の目に突然、眩い光が突き刺さり、咄嗟に目を覆った。少しずつ明かりに慣れ薄目を開けた俺は、思わず声を上げた。

「…どうなってるんだ?」

その空間は、学校の体育館程の広さがあり、中央に真っ白く巨大な円柱が十m以上ある天井にまで延びている。天井には強烈な光を放つライトが均等に配置され、この広大な空間の明るさを保っていた。四方の壁には、和洋問わず様々な武具が備え付けられ、俺達がいる入口の脇には、トレーニングマシンが所狭しと並んでいる。

一体ここは何なんだ?この入口の向こうは、普通のマンションの一室だったはずだ。俺は言葉を失い、部屋の中を見渡した。

「ここはトレーニングルームです」

事も無げにそう言ったマリアに目を向ける。

「このマンションは全て、我々FCDが所有している建物です。三十階からなる施設内には他にも、我々の活動を支える様々な設備が備わっています」

そう言うと、また俺に冷やかな視線を送る。

「部外者である貴方には説明する必要ありませんが」

俺は大きなため息をついた。どうしてこの女はいちいち俺に突っ掛かってくるんだ?

「一言多いんだよ、アンタ。そんなに俺が気に入らないならこのまま帰してくれよ」

いい加減、これ以上付き合わされるのはうんざりだった。そもそも、十田の口車に乗せられたのが不運の始まりだった。…俺の運命なんて、誰にも分かりはしないのに。

「では、こうしましょう」

俺の言葉に、マリアは先程とは違い怒りもせずに無表情で手を叩いた。

「今から私と勝負をし、貴方が勝てば今すぐ帰してあげましょう」

「勝負?」

「ルールは簡単」

そう言って両手の掌を俺に向けた。

「私の掌のどちらかでも地面につける事が出来れば、貴方の勝ちです」

「…女相手に取っ組み合いなんか出来るかよ」

「負けるのが怖いのですか?女相手に」

嘲笑するように俺を見下す。安い挑発であると分かっていても、今の俺にはこの女の鼻っ柱をへし折る事以外考えられなかった。

「やってやるよ」

俺の言葉を待っていたかのように、マリアはフン、と鼻を鳴らすと、壁に取り付けられた武具を指差した。

「好きな武器をお取りなさい。文字通り、矢でも鉄砲でも揃っていますよ」

「…なめてんのか?」

「はい、なめています」

本当に久し振りに、腸が煮えくり返るのを感じ、俺は拳を構えた。

「《その言葉、後悔させてやるぜ!》」

言うが早いか、俺はマリアに向かって駆け出した。

俺には勝算があった。

幼い頃から、転校生だとか留学生だとか、そう言う類の人間がこの町に来ると、必ず俺にぶつかって来る事に気が付いた。どんなにこちらが気を付けていても、まるで定められた運命のように連中は俺にぶつかって来るのだ。その連中は俺の顔を見るなり、一言二言小言を言い去って行く。そして必ず近いうちに再会し、また俺に突っ掛かって来る。これもまた定められたように例外はなかった。まるで少女漫画のような展開で、俺にとってはそれが煩わしくて仕方がなかった。(沢木のアホは羨ましがっていたけど)

そこで俺が編み出した回避方法が、『顔を見られずに立ち去る』事であった。そうすれば不要な出会いを回避出来る。そのためには、ぶつかった瞬間に反応する反射神経と、どこかしらに身を隠す敏捷性が不可欠だ。俺は今朝、トーストを口にくわえた女とぶつかった時、素早く自分の身長程の高さがある塀の上に飛び乗って身を隠した。たゆまぬ鍛練と、日頃の実戦の賜物である。

このマリアと言う女は、軍人然としているが、所詮フラグ・クラッシャーなる変人の集まりの一人に過ぎない。この女が反応出来ない早さでその腕を取り、軽く足を払えば、怪我させるまでもなく俺の勝ちだ。

予想通り、マリアは微動だにせず立ち尽くしている。素早く右手を出し、無防備なマリアの右腕を掴み上げた。

よし!このまま足払いを…

「愚か者」

次の瞬間、地面に転がっていたのは俺の方だった。何が起きたのか全く理解出来ないまま、右手に激痛が走った。

「今の貴方の発言は、《敗北フラグ》と言うのです」

激痛の中で、俺はつい先程の自分自身の言葉を思い返した。


《その言葉、後悔させてやるぜ!》


…俺はさっきそう言った。確かに漫画やアニメに出てくる、すぐにやられるザコ敵が言うようなセリフだが、それが一体なんだって言うんだ…?

混乱する俺の思考は右腕の激痛によって吹き飛んでいった。俺の背中に馬乗りになったマリアは、俺の右手首を締め上げながら、そっと俺に耳打ちした。

「このままへし折ってあげましょうか?」

耳元に感じるマリアの生温かい吐息に、俺の背筋は凍りついた。額に脂汗を滲ませながら、俺は必死に首を横に振った。マリアは何事もなかったかのように立ち上がると、俺を見下しながら言った。

「優れたフラグ・クラッシャーになるためには、心身共に強靭でなくてはなりません。今から腕立て、腹筋、背筋、各千回、少しでも休んだら罰を与えます」

とんでもない事をサラリと言ってのけるマリアに、俺は右手を擦りながら抗議した。

「い、いやだよ!大体俺はフラグ・クラッシャーとか言うものには興味ないし、なる気もない!」

「私も貴方には到底務まるものではないと確信していますが、隊長から教育を任された以上、貴方に拒否権はありません。早くおやりなさい。その後はマラソン、水泳各五十㎞、最後に戦闘の基礎訓練を行います」

「アホか!?そんなの無理に決まってるだろうが!!死んじまうよ!!」

堪りかねて叫んだ俺に、マリアはまた両の掌を差し出して、氷のように冷たい微笑みを見せた。

「今すぐ死ぬのと、どちらがいいのですか?」

……その後、死ぬよりも辛い、地獄の特訓が幕を開いた。

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