第34話 言葉の泉

「フェントさん、アンタ何処まで協力してくれるんだ?」

『私が仰せつかっているのは、皆様の寝泊まりと食事、それとご希望の書をこの長机に運ぶことだけです。書の内容のや、わからない言葉の解説は出来ません』

「そうかそうか。ん、オッケー」


 アキラ兄さんは腕組みををして、フェントの手伝いの範囲を確認する。


「本を持ってきてくれるなら充分だ。それじゃあ、一冊いいかな」

『はい。どのような本をご所望ですか』

「まずは辞典を一冊。そんなに沢山言葉が収録されてなくていい。一冊に収まるもので。そういう物はあるかな?」

『かしこまりました、お待ち下さい』



      *     *     *



『ん……おまたせしました』


 数分後、フェントが持ってきたのは、かなり大判の本だった。小柄な彼女が抱えると、上半身がほとんど隠れてしまい、まるで本に足が生えてヨタヨタとこちらに近づいてくるように見えた。


「おわっ、悪い悪い持つよ。ありがとう」


 アキラ兄さんはフェントから本を受け取る。大柄のアキラ兄さんが持っても大きく感じられる。


「しっかし、でけえな……この世界の辞典ってのは皆こんなサイズなのか?」

『はぁ……正しい決まり事はありませんが、だいたいどれもこれくらいの大きさかと。知識の源泉とも言える書ですから、当然のことかと……』


 ん? フェントの言葉のつながりがよくわからなかった。知識の源泉だと、サイズも大きくなるのか?


 オレは、かくれ里で毎晩書き連ねていた異日辞典を思い浮かべた。始めは木の板切れに、村に人と仲良くなってから脱穀した後のペタフの繊維で作った藁半紙に書いている。

 その束はオレの肩に届くほどの量になっているけど、いつかは一冊の本にしなければいけないと思っている。そのサイズは手の平に収まるくらい……扱いやすいサイズでなければと思って……


「あ、そういうことか」


 そこまで考えて合点がいった。オレがイメージしているのは元の世界の辞書だ。手のひらに収まる大きさにするために、めちゃくちゃ小さい文字で印刷されている。

 でもこの世界に印刷機はなさそうだ。手書きであの、爪の先くらいしかない大きさの文字を書いていくのは無理だ。となると、自然とサイズは大きくならざるを得ない。


「よっと……」


 アキラ兄さんは長机の上に、その巨大な直方体を置く。


「で、アキラ兄さん。この辞書をどうするんだ。文字が読めないことには使いようが……」

「リョウ、ココ使えココ!」


 指先で自分の頭を小突きながら、アキラ兄さんは得意げに言う。


「辞書は一定のルールで書かなければいけない。これはどんな世界でも同じはずだ」

「は?」

「まぁオレたちは、お前が投影してくれるゲンの辞書に慣れきってるからな。そのルールがなくてもやってこれたけど……〈書籍投影〉がなければ、あの辞書を使うのは不可能だと思うぜ」

「順番だ……」


 オレはつぶやくように言った。自分の辞書の弱点は自分が一番良くわかっている。あの辞書はリョウのスキルがなければ使い物にならない欠陥品だ。誰でも使える本の形にするには、文字や版の大きさ以上に気をつけなければならないことがある。


「オレの辞書は、あいうえお順で並んではいない。投影で直接アタマに叩きこまなければ、あんな辞書使えないよ」

「あ、そうか。インデックスがないんだ、ゲンさんの辞書って」


 アツシも納得して、手を叩いた。


「新しい言葉を覚える都度に、ページを足していったからな。知らない言葉を探すには特定の順番である必要がある。たぶんそれは、この世界のルールでも同じだ」

「そのとおり!!」


 アキラ兄さんは、巨大な言葉の泉を開きページをめくっていく。


「うん、思ったとおりだ。最初のページ、頭文字は同じ文字が続いている。この文字が”あ”や”a"に相当するんだろう。この頭の文字をさらっていけば、この世界で使われている文字の中で少なくとも一種類は、全文字を拾えるはずだ!」

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