第582話 勇気と無謀は紙一重

 辺りが暗闇に支配され時が日を跨ぐ頃、食堂の長い一日がようやく終わりを迎えた。


「よし! これで全部ね」


 レベッカの書いた『閉店後にやる事リスト』に目を通し、満足気に頷いたのはコット村のギルド支部長ソフィア。

 それを見守っていたシャロン、グレイス、ニーナのギルド職員3人娘もホッと安堵の溜息をついた。


「ふぅ。やっと終わったぁ……」


「ギルド受付の延長線上だと思ってたけど、意外と慣れないもんですねぇ……」


 大きく背伸びをしたニーナに、同意するかのように頷くシャロン。

 壁に掛けてあった鍵の束を手に取ったのはグレイスで、それを見せつけるようにジャラジャラと振って見せた。


「後は戸締りだけですね」


 帰宅の支度をして皆が食堂を出ると、そこで待っていたのは村の冒険者カイル。


「お疲れさん」


「あれ? 先に帰ったんじゃ……」


「いや、今日の事、謝っておこうと思って……」


 クロードと揉めてしまった件である。

 村の立場を考えると、騎士団相手に騒ぎを起こすのは得策ではない。にも拘らず、咄嗟に手が出てしまった。

 正義感ゆえの行動ではあったが、結果問題になりかけた事には変わりない。


「私達は別に……。シャーリーさんは?」


「あぁ。シャーリーには許してもらえた。そのシャーリー経由になっちまうが……、九条にも礼だけは言ってもらおうと思って……」


「それがいいかもしれませんね」


 柔らかい笑みを浮かべるソフィア。

 従魔達がいなくなった村の守護にと宛がわれていたのは、武器屋の親父のその親父。……を始めとした、少数精鋭の黄泉帰り部隊。

 時間制限の為、定期的にダンジョンに帰る必要があるが、盗賊を追い払える程度の実力は保証されている。

 食堂では、グラハムがその顔を覚えていたおかげで事なきを得た……と言っても過言ではなかった。



 月明かりとランタンの光が辺りを柔らかく照らす中、静寂とは言い難い虫の鳴き声に耳を傾けながらも帰路に就くソフィア達。

 いつもとは違う村の日常に疲れを見せながらも、それを楽しむかのように、世間話に花を咲かせていた。


「あの騎士……グラハムって言ったっけ? なんか、雰囲気変わったよな」


「そうですね。でもまぁ、あれだけのことがあったんですから、村にも来たくはなかったのかも……」


「え? あの騎士、知ってる人?」


 ニーナが知らないのも無理もない。この場で知っているのは、ソフィアとカイルだけだ。


「ああ。確か、九条がプラチナになったばっかの時だったかな……。派閥の勧誘だかで、村に1度来てるんだよ」


「そうなの? でも、生きてるわよ?」


 ニーナの返しに一瞬の間が空くと、カイルとソフィアは顔を見合わせ吹き出した。


「まぁなんつーか、諦めが早かったからな」


 派閥の誘いに来た者全てが命を落とす訳じゃない。

 簡単な話だ。ノルディックとは違い、グラハムが素直に警告を受け入れただけである。


 当時の事を思い出しながら語るカイルに、笑顔を溢す面々。

 そんな陽気に誘われてか、不気味な雰囲気を漂わせる男達の集団に行く手を遮られた。


「なぁ? 俺らとちょっと遊んでいかねぇ?」


 この村では見慣れない顔の男達。その中に1人だけ知った顔がいたのは、先程食堂で悪目立ちをしていたからだ。

 グラハムに連れて行かれた分隊長のクロードと、そのお仲間の騎士団員である。


「いえ、結構です」


 表情の強張る女性陣。そんな中、私に任せろとばかりに前に出たのはグレイスだ。

 ノルディックの担当を務めていた経験は、伊達じゃない。

 彼等の視線から読み取れる遊びが、何を意味するのかは考えずともわかること。

 村の娯楽はお酒だけ。賭場もなければ娼館もない。そんなところに1ヵ月。鬱憤は溜まって当然だ。


「つれねぇこと言うなよ……。俺達は村を守ってやってるんだぜ? 多少なりともご褒美があってもいいじゃねぇか。一月もいれば、もう仲間みてぇなもんだろ?」


「仲間を自負されるのは結構ですが、それならば私達の意見も尊重して下さいませ。それと、褒美の件は村長にお伺いを立てておきますので、今しばらくお待ちください」


 一部の隙もない完璧な返しに、言葉に詰まるクロードではあったが、その程度で引き下がりはしない。


「むむ……ならカネならどうだ? そこら辺の娼婦よりは高く買うぜ?」


「結構です。恐らく勘違いをしているのかと思われますが、私達はこう見えてギルドの職員なんです。食堂のお手伝いは友人の為で、本業ではございません」


「……だからどうした?」


「……え? ですから、私達がギルドの本部を通じて苦情を入れることも……」


「あぁ、そんなことか。なら、好きにすればいい。こう見えても騎士には貴族の産まれが多くてね。その程度造作もなくもみ消せる」


「――ッ!?」


 クロードの手が伸び、それがグレイスの腕を掴もうとした瞬間、その手を払いのけたのは、またしてもカイルであった。


「やっぱ見てられねーわ……」


「また、てめぇか……」


 額に血管が浮かび上がるほど血を登らせるクロード。

 身分の違いもさることながら、まさかの2回目。食堂の時と同じく、カイルは胸ぐらを掴まれた。

 とは言え、全ての状況が同じとは限らない。

 運良くクロードは帯刀していなかったが、運悪く助けてくれる者もいなかったのだ。


「……雑魚のクセに、中々度胸がありやがる。今、俺達が貴族だと説明したばっかりなんだがなぁ?」


「……すんません……」


「謝るくれぇなら、最初から出張ってくるんじゃねぇ!」


 言い得て妙だが、それも仕方のないことだ。

 カイルは九条とは違う。自分に力がないことを自覚しているのである。

 シャーリーに言われた通り、鍛錬を続けてはいるのだが、成長の度合いは人それぞれ。

 地道な努力は確かに力になってはいたが、才能が開花したとは言えないレベル。

 それでもクロード1人が相手なら、まだ勝てる可能性もあるだろう。勝負は時の運と言っても過言ではない。

 しかし、100人の騎士を相手にするほどの実力があるかと問われれば、正直言ってNOである。

 戦慄も当然ではあるが、カイルは彼等の標的を自分に向けられれば、それで良かったのだ。


「……そうだ。いいことを思いついた。今日はコイツで遊ぶとしよう。大事にしたくなけりゃ、付いて来い」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべながらも、カイルから手を離したクロード。

 騎士の男達が踵を返すと、カイルはヘタクソな笑顔を浮かべ、ソフィア達に手を振った。


「じゃぁ、ちょっと行って遊んでくるわ。皆は先に帰ってくれていいからさ」


 大事にしない。カイルがそれを信じた訳ではないが、読み通りの展開ではあった。

 恐らく酷い目にあうだろうことは想定済み。だが、それが長くは続かないだろう事もわかっていたのだ。

 野営地には、グラハムがいる。過去の出来事を引き摺っているなら、必ずクロードを止めるだろうと確信していたのである。

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