第498話 狂信者
肌寒い王宮の廊下を足早に歩く1人の女性。その背中には天使と見紛うほどの美しい翼が生えていた。
八氏族評議会の証であるローブは、その翼のおかげで特注品。背中が寒いのは種族故に仕方なきこと。
「豚野郎が話しかけてこなければ、こんな時間にならなかったのにッ……」
細い目を更に細くしてしまうほどに、ご立腹な様子を見せているのは
それもそのはず、セシリアが意識を取り戻したのはつい先ほど。昨日は医務室に辿り着くや否やそのままぶっ倒れ、気付いた時には丸一日が経過していた。
セシリアが医務室で療養している間に、他の八氏族の代表達によってキャロの扱い方が勝手に決められていたのだ。
巫女であるが故に、勝手は許されない。キャロに会うには本人の許可が必要。それには八氏族の代表でさえ従わざるを得ないと直接バモスから聞いたのである。
「キャロは、私が最初に目を付けたのよッ……」
セシリアが王宮を出ると、うっすらと積もった雪の中を踏み固められた足跡をなぞるように歩いて行く。
目的地はキャロを保護している迎賓館。それも目と鼻の先だ。
「お疲れ様です! セシリア様ッ!」
迎賓館の正門に立っていたのは2人の騎士。セシリアを目視すると模範的な敬礼で出迎える。
相手は八氏族の代表。強張る表情は緊張の表れだ。
「キャロに会わせなさい……」
突然の物言いに難色を示す騎士達。セシリアの面会予定は聞いていない。
「申し訳ありませんが、巫女様の許可がなければセシリア様とはいえ、会わせるわけには……」
「知ってるわ。だから今、本人に聞いて来なさいって言ってるの! 時間がないから直接来たのよ。早くして!」
「ハッ! ただいまッ!」
誰がどう見ても虫の居所が悪いセシリア。騎士の一人が慌てて屋敷に入っていくも、残された方はたまったもんじゃない。
報告を待つ間、セシリアは苛立ちを隠そうともせず仏頂面で舌打ちを繰り返すばかり。
とは言え、いつもは穏やかで八氏族評議会でも話の分かる方だともっぱら評判のセシリアだ。残された騎士は居心地の悪さに耐え兼ね、場を和ませようと何気ない話題を切り出した。
「そ……それにしても昨日飛来したドラゴンの迫力たるや凄まじいものでしたね。それを操る巫女様は、我等の光となり得る存在なのでしょうか?」
「そんなこと、下っ端のアンタに教えられる訳ないでしょッ!?」
言っていることに間違いはないのだが、その剣幕たるや今までのセシリアのイメージが崩れ去ってしまうほど。
結局騎士の気遣いは無駄に終わり、火に油を注いだだけ。
「しっ……失礼しました! 出過ぎた真似を……。本日は面会の方々が多かったので、そのことについて話し合われているものかと……」
「……ちょっと待って! 私以外にもここへ来た人がいるの?」
一介の騎士が、御存じない? とは口が裂けても言えない。
八氏族評議会の代表であれば、情報は共有されているものだと思っていた。
「え? ええ……。リック様にアッシュ様。それとネヴィア様にクラリス様が面会に訪れておりますが……」
「アイツらッ……やはり抜け駆けをッ……!」
キャロが巫女である間だけでも取り入っておこうという魂胆だろうと決めつけ、歯を食いしばり悔しがるセシリア。
明らかに機嫌の悪そうな表情を見せているタイミングで戻ってきてしまった騎士の1人は、顔面蒼白である。
それは、セシリアにとっていい知らせではないと言っているようなものだ。
「も……申し訳ありませんセシリア様。巫女様は既にお休みになられたようで……」
「なんですってッ!?」
確かに辺りは薄暗く、既に日は暮れている。とは言え、時間的には夕飯を終えたばかりであり、就寝には少し早すぎる。
面会はあくまでキャロの意思が最優先。キャロを怒らせることは、黒き厄災を怒らせる事と同義である。その扱い方はまさに腫れ物に触る感覚だが、一歩間違えば国が亡ぶことにもなりかねない為、仕方がない。
「本当にお休みになられたの!? これでもバモス殿との議論を切り上げて急いで来たのよ!? この私に出直せと!?」
誰が相手でもそれがルールというものだが、騎士達から見ればセシリアの方が立場は上。強く言われれば逆らえないのが世の常だ。
それでも勇気を振り絞り、小さな声でやんわりと抗う。
「申し訳ありませんが……」
「チッ! もういい!」
盛大な舌打ちと共に、セシリアは背中の翼を大きく広げ羽ばたいた。
「セシリア様!? いけません!」
そんな騎士達の制止も虚しく、セシリアは迎賓館2階のベランダから易々と侵入を果たしたのだ。
屋敷の中では複数の使用人に声を掛けられるも相手にせず、直で向かうキャロの部屋。そしてノックもせずにドアノブを捻ると、素直に扉が開いた。
鍵がかかっていない。もしやと思ったセシリアだが、それは当たっていた。
「あら、なんだ起きてるじゃない」
「……セシリア……様?」
キョトンとしているキャロをよそに、辺りを確認するセシリア。
確かにベッドには寝間着が準備されていて、着替えればすぐにでも寝られる体勢ではあったが、キャロはテーブルで食後のティータイムの真っ最中。
ひとまずは話し合えそうだと、セシリアはホッと小さな溜息をついた。
「突然の訪問でごめんなさいね。少し時間を貰えるかしら?」
「あっ……はい! 今お茶のご用意を……」
「いいえ。構わないわ。座っていて頂戴」
「……はぁ……」
キャロの対面に腰掛けるセシリア。その表情は少々深刻そうである。
「まずはキャロに謝らなければと思っていたの。生贄になれば両親に会えるだなんて言ったのに、生贄じゃなくて巫女だったなんて……。知らぬ事とはいえ、ごめんなさい」
「……大丈夫です。確かに残念ですが、生きていた方が楽しいってわかったんです。死ぬことは何時でもできるから……」
ティーカップに映る自分の顔をジッと見つめるキャロ。僅かな波紋でぼやけた顔が元に戻ると、キャロはそこにルイーダを見て僅かに微笑んだ。
母がくれた勇気。それは生贄を拒み、新たな人生の一歩を踏み出すきっかけとなった。
まさか巫女になるとは思わなかったが、キャロはそれに何の未練もない。あと少しで待ち望んだ日常が戻ってくるのだ。
「そうね……。巫女になってからキャロは少し明るくなったかしら?」
「そう……でしょうか?」
「ええ、絶対にそうよ。どうせならこのまま巫女を続けてみるのはどうかしら? 折角選ばれたのだから頑張ってみるのはどう? なりたくてもなれない特別なものよ? それを辞退するなんて……。皆からは尊敬されるし、生活に困らないほどのお金も手に入るわ。ネクロエンタープライズの孤児達に施してあげれば喜ばれるし、悪い事ではないと思うけど……?」
「確かに、そうなったらみんな喜んでくれると思います。……けど、決めたんです。私もミアちゃんみたいに、自分の為に生きてみようって。今はメリルさんに……みんなに迷惑を掛けちゃうだけですけど、その分大きくなったら私がみんなを支えてあげられるようになれればいいなって……。ディメンションウィング様も眠いって言ってましたし、丁度いいと思ったんです」
「いいわけないでしょ!」
それは本当に突然だった。先程までの笑顔が嘘であったかのような顔つきでキャロを睨みつけるセシリア。
同時に叩きつけられたテーブルが割れんばかりの衝撃音を発すると、キャロはそれに驚き身体を小さく震わせる。
「えっ……」
「ディメンションウィング様をコントロールできる力があるのに、何故それを有効的に使おうとしないの!? その力があれば、かつての栄光を取り戻せるのよ!?」
「かつての……栄光……?」
「そうよ。ディメンションウィング様のお力があれば、人間達が我々に跪く時代が来るの! 魔王様が我等への境遇を見かねて下賜して下さったお力なのよ! こんな寒い所に住む必要もなくなるし、戦争もなくなる! あなたの母親だって人間達に殺されたのよ? 人間が憎いでしょう!?」
鼻息も荒くこれでもかと見開かれるセシリアの目は、キャロが恐怖を感じるには十分な憎悪が込められていた。
キャロだってルイーダを殺したであろう人間は憎い。その上、自分の力だけではどうにもならないことを知っている。
巫女としての力がある今なら、復讐を果たすことも可能かもしれない。しかし、キャロがそうしなかったのは、人間の全てが悪なのではないと理解しているからだ。
九条とミア、そして心優しい従魔達に触れ、キャロの考え方は大きく変わっていたのである。
九条は、仕事の為に仕方なく来訪した人間という認識だった。護衛とは名ばかりの生贄を運ぶだけの存在だと思っていたキャロであったが、ルイーダとの再会を果たせたのは、何より九条のおかげだ。
勿論それだけではない。黒き厄災を前に恐怖に打ち震えていた時、九条はキャロを優しく抱き寄せた。黒き厄災が旧知の仲であると明かすや否や、九条はキャロに頭を下げて謝罪したのだ。
全ては自分の不徳の致すところだと……。巻き込んでしまって申し訳ないと……。そして、キャロを引き取るとさえ言ってのけた。
孤児院を任されていた母、そしてそれを買い取ったメリルを見ているのだ。それがどれだけ大変な事かは理解している。
九条の誠実さは、キャロの中の人間と獣人の境を曖昧にしてしまうほどの影響力であったのだ。
「セシリア様の言いたいことはわかります。でも、復讐したところでママもパパも帰っては来ませんから……」
最早どちらが大人であるのかわからない。キャロの方がセシリアよりもよっぽど現実を見据えていた。
大きな溜息をつくセシリア。鬼のような形相は消え失せ、それは諦めたかのようにも見える。
「はぁ……。これだけ言っても聞き入れてもらえないなら仕方ないわね」
「セシリア様……」
ほんの少しだけ笑顔を取り戻したキャロ。しかし、それはすぐに絶望へと姿を変えた。
「……キャロ……知ってる? 巫女はね、死んでしまうと別の誰かに継承されるのよ?」
感情を表に出さない冷酷な声。セシリアがゆっくりと上げた右手には、抜き身の短剣が握られていたのだ。
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