第456話 ケシュア再び

「いいですか? ローゼスさんは、俺達より先に入ってケシュアが扉に背を向けるよう誘導してください。方法は任せます」


「はぁ……わかりました。……ですが、九条様。騒ぎになってしまうようなことは困るのですが……」


「大丈夫です。いきなり暴力に訴えたりはしませんから。……ケシュアの出方次第ですが……」


 困惑していたローゼスの顔が、みるみるうちに青ざめていく様子が見て取れる。

 確かにケシュアとは顔見知りであり、共に戦った仲間でもある。だが、その関係が続いているとは限らない。

 俺は、一言も仲がいいとは言っていないのである。


 ここは王都スタッグにある一軒の宿屋。ケシュアとの待ち合わせの場所であり、俺達はそこのロビーで作戦会議中。

 俺とケシュアの関係は、寝耳に水だったのだろう。ローゼスは酷く動揺していたが、これは避けては通れない道なのだ。

 回避するには、俺とケシュアを会わせなければいいだけなのだが、今更依頼キャンセルなぞ出来やしない。

 そもそもローゼスは迎えに来ただけであり、その権限を持ち合わせてはいないのだ。

 ミアはそんな彼等に、同情するかのような苦笑いを向けていた。

 既に宿屋の主人からは、ケシュアが在室していることを聞いている。突撃の準備は万端だ。


「くれぐれも……くれぐれも穏便にお願いしますよ? 九条様」


「くどい……」


 待ち合わせ場所は2階の一室。そこへと向かう途中、ローゼスは何度も念を押してくる。

 他国の使者が騒ぎを起こすのはマズイというのは理解出来る。その方針には極力従うつもりだが、それもケシュア次第だ。

 素直に謝るのであれば一考の余地はあるだろうし、逃げるのであれば捕らえるまで。だが、向かって来るなら自衛は必至。

 そうならないようローゼスに何か出来ることがあるとすれば、それは神に祈る事のみである。


「では、行ってまいります。ケシュア様が背を向けたら咳払いで合図……でしたよね?」


「そうだ。頼んだぞ」


 苦虫を噛み潰したような表情を向けるローゼス。

 損な役回りで申し訳なく思うが、これも仕事の一環だと思って頑張ってほしい。

 大きく溜息をついたローゼスは、同時にその表情を引き締めると、扉を強くノックした。


「ケシュア様。お待たせしました。調査依頼の件でお迎えに上がりました、グランスロード王国の者でございます」


「……どうぞ入って。開いてるわ」


「失礼します」


 ローゼスが部屋へ入ると、閉められた扉に耳をくっつけ盗聴の構え。

 俺を真似るかのようにミアも耳を寄せくるのは構わないが、カガリは大きすぎるから出来れば降りてからにして欲しい。


「そんなことせずとも私が聞き取り、主に伝えればよいのでは?」


 耳元で囁かれるカガリの言葉は至極尤もなのだが、決して忘れていた訳でも面白半分な訳でもない。


「こういうのは雰囲気が大事なんだよ」


 カガリを優しく撫でながらも再度部屋に意識を向けると、中ではありきたりな自己紹介が行われている様子。

 そして待望の瞬間だ。恐らくはローゼスのものであろう足音と同時に聞こえてきたのは、わざとらしい咳払い。

 俺とミアは、互いに顔を見合わせ頷くと、扉のノブにそっと手を掛けた。


「報酬の方は前もってお知らせした通り、前金として金貨80枚。調査に掛かる費用は全てこちら持ちで、その中には旅費や交際費等も含まれております。残りは調査結果次第で報酬に上乗せという形になりますが、何かご質問等あれば……」


 ローゼスの声が鮮明に聞こえるようになると、真っ先に見えたのはケシュアの後ろ姿。

 憤りよりも懐かしさを覚えてしまったのは、俺の甘さ故だろうか?

 いやいや、ここは非情にならなければ……。


「それは1人当たりの報酬なの? 同行者と共有――なんてことはないわよね?」


「同行して頂く方とは別で御座います。今回は冒険者ギルドを通していない個別の依頼ですので、ケシュア様のみの金額提示とお考え下さい」


 腕を組み、熱心にローゼスの言葉に耳を傾けているところを、後ろからそろりそろりと忍び寄る。

 俺と目を合わせないようにしているローゼスからは、若干のぎこちなさは感じるものの十分及第点だ。


「了解したわ。それで? その同行者とやらは何時来るの?」


「それは……」


 ローゼスが言い淀むのとほぼ同時。俺は、ケシュアの首に腕を回し、ガッツリと肩を組んだ。

 驚きのあまり跳ねる身体。俺はその耳元で、怨嗟を込めて囁いた。


「よう、ケシュア。久しぶりだな」


 時が止まったかのような静寂。暫く動きを見せなかったケシュアは、状況を理解したのか次第にカタカタと震えだす。

 ケシュアの返事待ち……なのだが、その視線は俺へと向かずにローゼスの元へ。

 今にも泣き出しそうな瞳。しかし、ローゼスには何も出来ず、ただ首を横に振るばかり。

 そこまでして、ようやくこちらに顔を向けると体の震えが更に増した。

 恐らくは俺が鋭く睨みつけていたからだろう。見開かれた目は瞬きすら忘れたようだ。


「……く……くじょ……ひさ……ぶり……」


 擦れた上に震える声。聞き取り辛いったらありゃしない。

 まるで全力疾走した後の犬のような激しい呼吸は、過呼吸でぶっ倒れるんじゃないかと思うほど。


「何か言うことがあるんじゃないか?」


 突然跳ね上がる心拍数。もちろん俺のではなく、ケシュアのだ。

 首に回した俺の右手がケシュアの胸に触れているので、その変化に気付けたのだが、ケシュアはそんな事にも気付いていない様子。

 ちょっと強めに揉んでみても、反応すら返ってこない。

 人間、集中すると周りが見えなくなると言うが、どうやらエルフも一緒らしい。

 ケシュアは一体何を考えているのか……。命乞いか……それとも辞世の句か……。


 暫くそのまま待っていると、痺れを切らしたのか、ローゼスが口を開く。


「あの……」


 その時だ。俺の意識がローゼスへと向いたほんの一瞬、ケシュアは俺を突き飛ばすと、脱兎の如く駆け出した。

 その先にある窓は閉じられていたが、ケシュアは躊躇なく床を蹴る。


「ケシュア様!」


 ローゼスの伸ばした手が空を切り、空中で身体を丸めたケシュアが、勢いよく窓から外へと飛び出していく。

 耳を劈くような衝撃音と共に舞うガラスの破片。背けた視線を窓へ戻すと、そこにケシュアの姿はなかった。


「流石はゴールドの冒険者。やるなぁ……」


 皆が唖然としている中、まるでアクション映画でも見ているかのような臨場感に賞賛を贈りたい気分ではあるが、別に呆けている訳じゃない。

 そもそも焦る必要がないのだ。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」


 外から聞こえてきたのはケシュアの悲鳴。

 ガラスの破片に注意を払いながらも破壊された窓から外を覗くと、下にはケシュアと熱い抱擁を交わすカイエンの姿。


「ガハハ! どうだ九条殿。美味うまくキャッチしたぞ!」


 それは確かに想定内。しかし、その嬉しそうな顔は、俺ではなく白目を剥きぐったりとしたケシュアに向けられていた。

 従魔登録試験では我慢出来ていたのだが、口から出る涎の量はそれを不安にさせるには十分すぎる。


「そのままだぞ!? 美味そうに見えるのかもしれんが、絶対に食うなよ!? フリじゃないからな!」

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