第447話 遺物

「残念だったなフードル。仲間が増えるかもしれなかったのに」


「何を言うかと思えば……。あんなもん冗談に決まっておろう」


「はぁ?」


「考えても見ろ。人間の子供を娘に持つ魔族がどう思われるかを」


「……裏切り者だと?」


「いやいや、それは少し言い過ぎじゃな。精々バカにされるくらいじゃよ。こう見えて若い頃は一軍の将であったからの。当時の仲間に知られたら、丸くなったと笑われてしまうわい。アーニャだって魔族に育てられたとは、口が裂けても言えんじゃろう?」


「何も本当の事を言う必要はないんじゃないか?」


「確かにそうなんじゃがな。娘の事については嘘をつきたくないんじゃ。アーニャはワシの誇りじゃからの」


 そんなことをさも当たり前のように口にするのだ。聞いているこっちが恥ずかしくなってしまう。


「九条にも、そのうちわかる時が来るじゃろうて」


 無意識にミアへと行く視線。それはミアも同じだった。恐らく自分の事であると気付いたからこそ俺を見上げたのだろう。

 絡み合う視線はお互いを意識するには十分であり、ミアは少々照れた様子で恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

 愛おしくも尊いその笑顔に釣られて頬を緩めると、俺はその頭を優しく撫でる。


「ん?」


 その時だ。ミアの後ろに隠れていた壁に何かの影が見えた。

 揺らいだミアの髪が影を作ったのかとも思ったのだが、そうではない。


「カガリ、ちょっとこの辺りを照らしてくれ」


 光量を上げながらも、俺の指差す所に寄っていく狐火。そこには何か尖った物で削ったような模様……文字の羅列が刻まれていた。

 この世界の言葉であれば大抵の事が理解出来る知識を持ち合わせているにも拘らず、それは俺にも読めないもの。

 楔型文字にも似たそれに、既視感を覚える。


「これは……」


「わぁ……古代文字だよ。おにーちゃん」


 隣から顔を覗かせるミアも、それを珍しそうに見つめる。

 それで思い出した。ノルディックを殺した時、その遺体を漁っていたら出て来た報告書に書いてあった物とそっくりなのだ。

 それは、ミアが遺跡調査で丹精込めて書き上げた物。


「読めるか?」


「ううん。ギルドでも長年解析してるけど、まだわからない事の方が多いみたい。多分読める人はいないと思う……」


 俺の期待に応えられず、残念そうなミアの頭にポンと軽く手を乗せたのは、他でもないフードルだ。


「読めるわけなかろう。それは文字であって文字じゃないからの」


「知ってるのか?」


「ああ。魔族に伝わる古い暗号文字の一種じゃ。文字と言っても読むのではなく、感じると言った方が正しいんじゃが……。特定の魔力を流し込むことによって解読できるものじゃから、上辺の文字を解析したところで何の法則性も見つけられん。普通にやっていたら一生かかっても解読はできんじゃろうな」


 それは最早、正解のないパズルを解き続けているのと同じ事だ。ギルド職員の解析担当者が不憫でならない。

 フードルは、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながらも口元で人差し指を突き立てた。


「これは秘密じゃぞ?」


「何が秘密だ。どうせ知ったところで魔族以外には解読できないんだろ?」


「魔力の波長を合わせることが出来れば誰でも解読できるぞ? 人間が魔族に合わせるのは至難の業じゃろうがな……」


「それで? フードルはこれが読めるのか?」


「やってみなけりゃわからんというのが正直な所じゃ。どれ、少し試させてくれ」


 そう言うと、フードルは削られた壁を指先でそっと触れ、ゆっくりと目を瞑った。

 その指先が淡い魔力の光を帯びると、何かを探るかのように強弱を繰り返す。

 それはまるで開かない金庫を前に集中する鍵師を見ているかのよう。


「見つけたぞ……」


 指先の魔力が一定の光量で安定すると、それに呼応するかのように波紋が広がり、掘られた文字が輝き浮かぶ。

 フードルは目を瞑ったまま指先で暗号文字をなぞり、たどたどしくもそれを読み始めた。


「……ついに降臨の儀が観測されてしまった。我々の計画が漏洩した可能性を考慮し、このダンジョンは放棄する……。だが、諦めた訳ではない。いつの日か、我らが仇に相対する者が現れることを願い、ネクロガルドにこれを託す……」


 フードルの指先から魔力の光が消えると、溜息をつく。


「……ふぅ。これが全てじゃ……」


「ネクロガルドってエルザさんの……?」


「ほう。ネクロガルドを知っておるのか?」


 ミアの言葉にフードルは意外とばかりに目を見張る。


「ああ。別に隠していた訳じゃないが、村人達がダンジョンに避難していた時、フードルが捕まえたババァがいただろ? あいつがネクロガルドの最高顧問なんだよ」


「なんと……あやつがそうじゃったのか! どうりで魔族慣れしていると思ったわい……」


「フードルは、何故ネクロガルドを?」


「魔族の間じゃ有名な話じゃ。人類の異端者だとか、ネロの狂信者だとか色々と言われておるが、詳しくは知らん。九条もネクロガルドの一味なのか?」


「違う違う。あんなのと一緒にするな。恐らくはフードルと同じ、少し知っているだけだ。そんなことよりフードルはこのメッセージ、どう思う?」


「ふむ、そうじゃのぉ……。仮にこれが熊っころの言うアモンが残した物だとしたら、ネクロガルドとの何らかの繋がりがあると見て間違いないじゃろうなぁ……。不測の事態が起きダンジョンを捨てた。そしてを何かを受け渡すつもりだったと読み取れるが……」


「それっぽい物は見当たらないし、このダンジョン自体を託すって意味なんじゃないか?」


「こんな空っぽのダンジョンを託してどうする? それよりも疑わしき者がおるじゃろ? ワシ等よりも先にここに辿り着いていた……」


 全員の視線がブルーグリズリーに集まるも、それには気付いていない様子で相変わらずダンジョンハートを遠い目で見つめている。

 両手はフリーで何かを持っているわけでもなく、何処かに隠すような時間もなかったはず。

 そもそも、ただの熊に魔族の暗号が解けるとは思えない。


「主。ちょっといいですか?」


「ん? なんだ」


「間違っていたら申し訳ないのですが、この辺りから誰のものでもない匂いを微かに感じるのです」


 カガリが鼻先で指したそれは、暗号が削られていた壁の真下。俺達の足元である。

 等間隔に並べられたブロックは法則性に則って綺麗に敷き詰められているが、そこだけが何故か不自然にひび割れていたのだ。

 崩落の影響とも考えられなくもないが……。

 その場にしゃがみ、僅かに盛り上がったひびに手を掛けると、指が入る程度の隙間に広げたそれを指先の力だけで持ち上げる。


「これか……」


 ブロックの下から出てきたのは、ドス黒い指輪。

 土埃を掃い狐火に近づけると、それが汚れではなく元からの色だという事が良くわかる。余計な装飾がされていないシンプルな輪っかだ。

 ゴムパッキンに見えなくもないが硬い割には非常に軽く、木目のように見える模様は怪しさ満載である。


「なるほど、わかったぞ九条。ネクロガルドのババァはコレを探しているんじゃないか?」


「あり得るな……」


 エルザが俺との約束を破ってでもダンジョンを潜ろうとした理由。

 これがネクロガルドの探しているネロの遺物であると仮定するなら、辻褄は合う。


「これがネロの遺物である可能性は?」


「どうじゃろうなぁ……。そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。何せ2000年も前の話じゃ……。それよりも、九条はそれをどうするつもりなんじゃ? あのババァに渡すのか?」


 言われて一瞬考えはしたものの、その答えはすぐに出た。


「冒険者規約第2条第3項に準ずる……ってとこかな」


 それを聞いて目を細めるフードルに対し、ミアは元気よく手を上げる。


「はい! 規約第2条、冒険者は野外活動において以下の権利を有します! 第3項は、ギルドの管理外及び所有者が明確でない施設(ダンジョンを含む)での拾得物は、発見者に所有権が認められる……です!」


 流石はミアだ。子供とは思えないほど優秀なギルド職員である。


「あくまで託しただけであり、これはまだネクロガルドの物じゃない。つまりは発見者である俺達の物って訳だ」


 フードルに対しニヤリと不敵な笑みを浮かべる俺に、それを真似るミア。


「これはネクロガルドとの交渉材料として頂いておこう。タダでババァに譲るのは勿体ない……。なぁミア?」


「うん! おにーちゃんとの約束を破ったお仕置きです!」


 ミアは胸を張り、それはもう深く頷いた。

 アモンの形見……いや、思い出としてブルーグリズリーに指輪を渡すことも考えたが、それがネクロガルド側に知られる可能性を憂慮し、俺が預かるべきだと判断した。

 ……と言うのは表向きの考え方であり、実際はネクロガルドよりも優位な立場に立てさえすればそれでよかった。

 俺の周りをちょろちょろと嗅ぎ回られるのも腹立たしい。次に何かあればこの指輪を切り札に、エルザを出し抜いてやろうと言う算段である。

 そんな俺達に対しフードルは、我関せずと言わんばかりに肩を竦めるだけであった。


「九条とネクロガルドとの関係に口出しはせぬが、なにやら根は深そうじゃの……」

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