第445話 107
「別に森の中を通れば見られることもないと思うのじゃが……」
後ろから聞こえてきたのはフードルの愚痴。少々籠って聞き取り辛いのは、頭に麻袋を被っているからだ。
「念の為だ」
もちろん魔族であることを隠す為の一時的な処置である。
「九条は少し心配しすぎなところがあるな……」
「石橋は叩いて渡るくらいが丁度いいんだよ。ブルーグリズリーに見られていたにも拘らず、気付かなかったのはどこのどいつだ?」
「ぐッ……。面目ない……」
恐らく歪んだ表情を浮かべているのだろうが、麻袋のおかげでその目元しか見えやしない。
ブルーグリズリーの言う、魔族の住む洞窟に向かっているのは、俺とフードルにブルーグリズリー。それに加えてミアとカガリのいつものコンビである。
村をぐるりと迂回し、東の森を抜け、川を超えると目的地は目の前だ。
大きな岩が屋根のように突き出ていて、それを他の岩が支えるように積み重なっている場所。
恐らくは、この屋根の重みに耐えきれず崩落してしまったのだろう。雨宿りには最適だが長い月日の所為か洞窟というより屋根の付いた穴蔵といった印象を受ける。
「入口があった場所は?」
「この辺りだ」
そう言いながらも、ブルーグリズリーの長い爪で指差した場所は奥まっていて薄暗く視界が悪い。
「カガリ、頼む」
俺の隣にふわっと出現したのは宙に浮いた炎の塊。見た目は魂のようだが、その輝きは段違い。それは見たくもない物までを映し出す。
光に驚き蠢き出す虫達に、網の目のように張り巡らされた蜘蛛の巣。そして白骨化した亡骸達。
人か獣か定かではないが、今回はそれが目的ではない為ひとまずは放置させてもらおう。
「これか……」
目を凝らすと、岩肌に残されていた無数のひっかき傷が僅かな影を作っていた。
「よし。ワシの出番じゃな」
フードルは麻袋を脱ぎ捨て、伸ばした右手で岩肌に触れる。
「【
それは一瞬であり無音であった。目の前に出来たキッチリと図ったような四角い通路は違和感の塊。
支えのなくなった歪な岩石がゴトゴトと音を立て落下するも、作った通路が埋まってしまうほどではなく、同時に奥から吹き出した風はふわりと優しく肌を撫でる程度。
「ひとまず5メートルほど消したが、ドンピシャじゃったな」
奥に繋がる洞窟は、当たり前だが真っ暗。そこを覗き込もうと一歩前へ出たその時、後ろから誰かに押され、体勢を崩しながらも俺の視界に割り込んで来たのは、ブルーグリズリーのケツである。
その姿はすぐに闇の中へと消えて行く。流石は熊と言うべきか。デカい図体の割には駿足だ。
「いいのか? 九条」
「ああ。好きにさせておこう。もし生きていたら、先に俺達の事を説明してくれるはずだしな」
この日を心待ちにしていたのだろう。浮足立つのも仕方あるまい。遊園地を前に走り出してしまう子供のようで微笑ましいではないか。
その言葉にフードルは頷くでもなく、僅かに顔を顰めただけ。
それが気にならない訳がない。
「どうした?」
「そのことなんじゃがな……。ちぃと望みは薄いかのぉ……」
その意味はすぐに理解出来た。
「あぁ、そうだったな。言葉が通じなければ意味はないか」
「いや、そうじゃないんじゃが……。まぁ、行ってみればすぐにわかるじゃろうて」
それだけを言い残し、スタスタと洞窟へと入っていくフードル。その足取りは、ご年配とは思えないほどの軽さである。
探し人は既に亡くなっているという事なのだろうか? 魔族同士通じるものがあると言われても、おかしなことではないが……。
「行くぞ。ミア」
「うん!」
子供には少々大きめなリュックをヨイショとばかりに背負い直すその仕草は、ミアが気持ちを切り替える時の癖である。
いつものお遊びモードは鳴りを潜め、キリっと凛々し気な表情を浮かべるも、子供故の可愛らしさを隠しきれてはいない。
とは言え、それに和んでる場合ではない。これから見知らぬ洞窟へと入っていくのだ。
俺もミアに倣うよう気持ちを引き締め、洞窟の奥へと足を進めた。
「なかなか広いな……」
先に行ってしまったブルーグリズリーの後を追うように洞窟をひたすら歩き続ける。
その広さは馬車が1台余裕で通れるくらいの幅があり、俺の持つ狭い炭鉱とは大違いだ。
少々緩い下り坂。足元はあまり良いとは言えないが、フードルの歩調は昼間の街道を歩く速度と同等である。
「置いて行かれないよう急ぐのはわかるが、少し早すぎないか?」
「これが普通じゃ。魔族は人族と違って夜目が効くからの。先走った熊っころもそうじゃろ?」
獣と魔族を一緒にするのはどうかと思うが、確かに狐火の光は前を行くフードルにギリギリ届く程度であり、文字通り一寸先は闇である。
「魔物がいる可能性は?」
「100%とは言えんが、恐らくはいないんじゃないか?」
「その根拠は?」
「それは、もうすぐ見えてくるはずじゃ」
それから暫くして、見えてきたのは大きな空洞。そこに足を踏み入れると、強烈な既視感に襲われた。
「まさか……!」
突如目の前に現れたのは、俺のダンジョンにある物と同じ封印の扉。それは、ここが揺らぎの地下迷宮と呼ばれる魔王由来のダンジョンであることを示すのには十分な要素。
扉は魔力による輝きを失い、半分ほどが開かれている状態。隅に積もった土埃と薄汚れた扉は、長い年月動かしていなかった証だ。
「知ってたのか、フードル!?」
「いいや。匂いを感じただけじゃ。……洞窟の入口を開けた時、中から懐かしい匂いがしたんじゃよ」
確かに不快な風ではなかったが、嗅ぎ分けられるほどの匂いが含まれていたかと言うと、怪しいところだ。
「カガリは、わかったか?」
「いえ……」
流石は魔族と言うべきか、最早魔獣よりも鼻がいいとは恐れ入る。
「目だけじゃなく、鼻もいいんだな」
「待て待て。ダンジョンの匂いだから気付けただけじゃ。獣のように、僅かな匂いからその元を探し出すような器用な真似は出来んからな? 勘違いするでない」
「その匂いは、俺のダンジョンでもするのか?」
「もちろん……と言いたいところじゃが、嗅ぎ分けるのは難しいの。九条の匂いがキツすぎるからな……」
一瞬時が止まったかのように思考が停止した。
それは出来れば、人のいないところでこっそり教えてもらいたかった情報である。
突然のカミングアウトに衝撃を受けたのも束の間、咄嗟に自分の右腕を顔の前に持ってくると、その匂いをクンクンと嗅ぐ。
その行為に意味がないのは知っている。自分の匂いは自分にはわからないのだが、それでも不安にはなるものだ。
「一応風呂には入っているんだが……。ミア、俺って匂うか?」
「ううん。気になったことはないよ?」
それが本音ではなく、気を使っているだけだと思うと不安でならない。
自分の体臭にも気付かず毎晩ミアと寝ていたのだとしたら、自分自身の不甲斐なさに首を吊ってしまいそうである。
「大丈夫です。嘘ではありません」
俺の心を読んだかのようなカガリからのフォローに、ホッと胸を撫でおろす。
「だれも体臭とは言っておらん。恐らくは魔力の匂いじゃろう」
「あぁ……そういうことか……」
俺の魔力で維持されているダンジョンだ。何もおかしなことではない。108番もそう言っていた。
ただ、魔力に匂いがあるとは初耳である。いや、ただの比喩的表現だったのかもしれないが……。
「九条。そんなことより先を急ごう。探し人がいないと知ったら熊っころが可哀想じゃ」
「ああ。そうだな」
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