第410話 卑劣な罠

 ゲオルグを先頭にダンジョンへと入っていく。炎の魔剣であるイフリートがあれば、松明なぞ必要ない。

 通常ではありえない速度で奥へ奥へと潜って行くと、明かりの漏れ出ている場所に微かに感じる人の気配。


「ゲオルグ! 逃げてッ!!」


 突如響いたのはレギーナの声。有無を言わさずゲオルグが声の方へ走ると、そこは大きなホール状の空洞であった。

 奥に見えるのは薄っすらと光を帯びた巨大な扉。その前で縛られ、身動きがとれないでいるのはレギーナとザラ。


「大丈夫かレギーナ!」


 バルザックとゲオルグが駆け寄り、縛られていた縄を解くも2人とも満身創痍。

 それらの傷跡が無明殺しむみょうごろしのものであることは一目瞭然であった。

 腕の健を切られたであろうレギーナは弓を引くことすら叶わず、ザラに至っては辛うじて生きている状態だ。

 震える程度にしか動かない身体から流れ出る血液は、すでに致死量を超えている。

 相手は無明殺しむみょうごろし。人質を取られ、ウェポンイーターを使わずに戦ったのだとしたら、ザラがどれだけ不利な状況に陥っていたかは想像に難くない。


「ゲオルグ! 後ろよ!!」


 光の届かぬ暗がりから殺気だけが姿を見せた。それは無明殺しむみょうごろしから放たれた目に見えぬ一閃。

 ゲオルグはイフリートを振り上げただけで、それを難なく弾き返す。


「さすがだな。ゲオルグ」


 聞き覚えのあるその声の主はフランツ。ハーフプレートの鎧を着た長髪の若者。

 薄ら笑いを浮かべながらも、その目はちっとも笑っていない。

 ゲオルグはイフリートを振り上げ、フランツへと駆けだした。その形相は怒りに塗れ、まさに鬼神の如き迫力だ。


「フランツ! てめぇ!!」


「ゲオルグ! 待てッ!」


 バルザックが止めるのも聞かず、無慈悲にも振り下ろされたそれを無明殺しむみょうごろしで受け止めたフランツ。


「相変わらず隊長は血の気が多いねぇ」


 突如その刃から発生した風圧に、距離を取ったゲオルグはバルザックの横へと並び立つ。


「落ち着けゲオルグ。お前の悪い癖だぞ」


「仲間を傷付けられて黙っていられるか!」


「否定はせんが、まずは手当てが先だ」


「折角罠にハマったんだ。ここから逃がすと思ってるのか?」


 ホールの出口に立ち塞がるフランツ。その自信に満ち溢れた表情は、何か奥の手を隠し持っているだろう事は明らか。

 対峙するのは元騎士団の序列1位と2位。フランツがどれだけ鍛錬しようと、2人相手に勝てるはずがない。


「何故レギーナを攫い傷付けた? お前の希望通り騎士団のトップにしてやっただろう?」


「復讐に決まってるだろ! お前達がローレンス卿の言うことを聞いていれば、こうはならなかったはずだ!」


「何を今更……。我々は依頼された仕事をこなす傭兵だ。カネさえ貰えればなんでもするが、内部人事にまで従うつもりはない。何故貴様のような軟弱者の下につかねばならぬ? なぁゲオルグ」


「あぁ。あの時の選択が間違っていなかったと今になって実感したさ。クズ野郎が……」


 フランツは、ローレンス卿の推薦で黒翼騎士団へと入隊した。

 コネ入隊とは言え筋は良く、部隊長達に鍛え上げられメキメキと実力をつけたものの、精神がそれに追い付いていなかった。

 最初からだったのか、それとも口車に乗せられたのか……。ローレンス卿の言葉を鵜呑みにし、フランツは自分こそがリーダーであるべきだと声を上げた。

 1度痛い目を見ればわかるだろうと騎士団を任せてはみたものの、その結果は言わずもがなの大敗北。

 逃げ帰ったフランツを諭そうにも聞く耳を持たず、ローレンス卿はフランツをリーダーに据え置かなければカネは払わないと圧力をかけてくる始末。

 それならばとバルザック達は愛想を尽かし、騎士団を去ったのだ。

 そんなフランツとローレンス卿にかき回された騎士団は衰退の一途を辿り、その歴史に幕を閉じたのである。


「お前達が逃げ出さなければ巻き返せたんだ! 俺の采配は間違ってなかった!」


「その通りだ」


 フランツに同意しながらも、その後ろから姿を見せたのは貴族風の恰好の中年男性。


「ローレンス……生きていたか……」


「久しいな。黒翼騎士団の部隊長達よ……。私がどれほどこの時を待ちわびた事か……。ようやく我が怨みが晴らせると思うと心が躍る」


「怨み? 感謝はされようとも、怨まれる覚えはないがね」


「貴様等がいなくなったせいで国が滅んだのだぞ? それをなんとも思わんのか?」


「知らんな。そもそも根無し草の傭兵に愛国心なぞあるものか。カネの切れ目が縁の切れ目。傭兵とは元来そういうものだ。逆恨みも大概にしてもらおう。【死霊騎士召喚コールオブデスナイト】!」


 バルザックが魔法書を広げると、地中から這い出て来たのは5体のデスナイト。

 それは身長2メートルを超える死霊騎士。スケルトンとゾンビの中間的な見た目は恐怖を煽るには十分だ。

 錆び付いた両手剣を片手で振るうほどの腕力に、巨大なカイトシールドを併せ持つ鉄壁の戦士達。

 ダンジョンで言うならば、地下40層以下で出現するとされているほどの強敵である。


「残念だが、貴様等との昔話に興じる時間はないのでね。一気に蹴散らすが、悪く思うな」


 ゲオルグに複数のデスナイト。それは相手を蹴散らすのに必要十分な戦力――のはずだった。


「「神のしもべたる我らが祈りを聞き届け、従順なる我等にその御加護を示し給え! 【怨敵退散ターンアンデッド】!」」


「――ッ!?」


 洞窟内が眩いほどの光に包まれると、召喚したデスナイト達がボロボロと瓦解していく。

 ローレンス卿の後ろからぞろぞろと姿を現したのは、複数の兵士とヴィルザール教の聖職者達。


「バルザック。貴様を相手に何も用意していないとでも思ったか? この日の為に私がどれだけのカネを教会につぎ込んだのか知る由もあるまい」


 タワーシールドを構え、ジリジリと距離を詰めてくる兵士達。その紋章はブラバ家の物。

 利害が一致しているとは言え、それはあからさまが過ぎる。


「まさか他国に力を貸すとはな……。そこまでして私を排除したいか……」


「しゃらくせぇ!」


 そこへ飛び込んで行ったのは、イフリートを振り上げたゲオルグだ。

 その炎の凄まじさは、ゲオルグの怒りを体現していると言っても過言ではないほどの熱量。

 鎧を着込んでいようがお構いなし。熱せられた金属の鎧は、火から下ろしたばかりのアツアツのフライパンを押し付けているのと同義である。


「ゲオルグ! お前の相手は俺だッ!」


 荒れ狂う炎に立ち向かったのはフランツ。無明殺しむみょうごろしを豪快に振り回すとイフリートの炎を絡め取り、それをそのままゲオルグへと打ち返す。

 ゲオルグはそれを避けようともせず、我が身で受けた。


「なッ!?」


 無数の火の粉が舞い散る中、その鎧には傷1つ付いておらず、余裕の笑みを浮かべるゲオルグ。


「言っただろ? フランツ。お前は魔剣に頼りすぎなんだよ。そんなもんに頼ってねぇで直接打ち合おうぜ?」


 フランツから放たれた斬撃の威力を見誤れば、ゲオルグの上半身が下半身に別れを告げることになってもおかしくはなかった。

 それでも敢えて避けなかったのは、ギャンブル狂いの勘と自信。それを裏付けるだけの度胸がゲオルグに備わっていたからだ。

 それは歴戦のゲオルグだからこそ出来る行為。経験の差である。

 常に実戦に身を置き、命のやり取りをしてきたゲオルグと、強者に囲まれ強くなった気でいるフランツとでは格が違うのだ。

 そんなものを見せられてしまえば、フランツがムキになるもの当然である。


「あの頃の俺だと思ったら大間違いだぞ、ゲオルグッ!!」


 激しい打ち合いを始めた2人に手を出せる者はおらず、その矛先はバルザックへと向く。


(状況は不利だな……)


 死霊術は封じられ、魔術は後ろの2人を守りながら戦うには不向き。加えて地下の洞窟ともなれば、大魔法は使えない。

 人数差は歴然であり、フランツさえ始末できればゲオルグがフリーにはなるが、弱いとは言え魔剣持ち。そう簡単には決着はつかないだろう。


「【氷晶嵐ハーゲルヴィント】!」


 バルザックが掲げた杖、アストロラーベから放たれたのは砕氷を含んだ極寒の吹雪。

 出口を求め荒れ狂う暴風は、タワーシールドを構えた兵士達を後退させてしてしまうほどの威力。

 熱を帯びていた鎧は極度に冷やされ、先程とは一転して凍傷の危機。

 相手にもダメージを与えられ、熱と冷気を交互に与え続ければ、金属製の鎧や盾も脆くなる。

 それは状況的に最適な選択ではあったが、バルザックはすぐにその手を止めねばならなくなった。


「”スパイラルショット”!」


 出口付近にいた兵士から放たれた1本の矢。そのスキルは矢に回転力を加え、直進性と貫通性能を高めたもの。

 とは言え普通の弓から放たれたものであれば、バルザックの生み出した暴風に敵うはずもなく、それは推進力を奪われすぐに落下していたはずだった。

 しかしその矢の威力は衰えを知らず、レギーナに向けて一直線に飛翔したのだ。


「レギーナ!」


 それに逸早く気付いたゲオルグは、その射線上に飛び出し身を挺してレギーナを庇うも、矢はそれすらも貫通し2人を一気に撃ち抜いたのである。


「ゲオルグッ!!」


 鮮血が舞いレギーナの上に倒れ込んだゲオルグ。運悪く鎧の隙間を抉られ脇腹に開いた大きな穴は、誰がどう見ても致命傷であった。


「貴様ッ!」


 バルザックの視線の先に居たのは1人の兵士。その手に握られていたのは剛弓ヨルムンガンドである。

 それが状況を一気に悪化させたのだ。


「……バルザック……ごめん……」


 微かに聞こえたのは聞き慣れたザラの声。それは今にも消え入りそうな儚さを帯びていた。


「ザラ! お前の所為じゃない! 今は生き残る事だけを考えろ! …………ザラ?」


 その返事は返ってこなかった。バルザックが振り返ると、ザラは既に琴切れていたのだ。

 喉に突き刺さっていたのはウェポンイーター。ザラは自分が足枷であると判断し、自ら命を絶ったのである。


「レギーナ……。クソッ……守れなかったッ……!」


 脇腹の負傷なぞ気にせず、ゲオルグはレギーナの頬を優しくなぞった。その手は小刻みに震え、瞳から零れ落ちた涙は無念の極み。

 それは感情のコントロールを失うほどの衝撃。バルザックは込み上げた怒りを一気に吐き出した。


「許さんぞ! ローレンスッ!!」


「ふん。終いだバルザック。この人数差、貴様とて覆せまい」


「【氷結壁アイシクルウォール】!」


 バルザックが愛用の杖であるアストロラーベを振るうと、地面が隆起し勢いよく盛り上がっていく氷の壁。

 バルザックとローレンスを分け隔てたそれは、まだバルザックに理性が残っている証でもあった。

 全てを諦め自滅の道を歩むには、まだ早い。


「【解析アナリシス】!」


 後ろの大きな扉に両手をかざし集中するバルザック。扉の封印を解くことが出来れば、逃げ道が見つかる可能性もある。

 バルザックは、そんな僅かな可能性に賭けたのだ。


「バルザック。俺を置いていけ……」


「そんなこと出来るか! さっさと脇腹の応急処置をしろ!」


 バルザックだって頭ではわかっていた。ゲオルグは重症。今まで通りには戦えない。

 とは言え、見捨てる訳にはいかないのだ。それがレギーナとザラの残された想いなのだから。


「【解呪ディスペル】!」


 巨大な扉の輝きが増すと、すぐにその光は失われた。それはまるで打ち上げ花火のような刹那の閃き。


「立て! ゲオルグ!」


「バルザック! 逃げるのか!?」


 氷の壁の反対側から辛うじて聞こえるローレンスの叫び声。

 バルザックはそれに何の反応も示さず、ゲオルグの手を肩に回すと2人は長い階段を降り始めたのだ。

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