第404話 花嫁泥棒
「どうだ? ワダツミ」
「うむ。ここまで来れば大丈夫だろう。辺りに人の気配はない」
俺がシュトルムクラータの街を出ておよそ半日。現在地は街から南に位置するエルダー山脈の麓。
コット村へショートカットすると思わせる為に道なき道を行く登山ルートを辿ってはいるのだが、それは見せかけ。
深い森の中へ入り、追手がないことを確認した上で今夜の宿を選定する。
と言っても、やることはいつもの野営である。
「よし、じゃぁワダツミは薪を集めて来てくれ。俺はテントを立てておく。……それと……」
荷物持ちを任せていたコクセイを、労いの意味も込めてわしゃわしゃと豪快に撫でてやると、気を付けて運んでくれたであろう大きな荷物をゆっくりと降ろした。
「もう出て来ても大丈夫だ」
地面に寝かせた麻袋の口を開けると、中からひょっこりと顔を出したのはアレックスの婚約者であるレナ。
「体に痛みはないか?」
「大丈夫です。お心遣い痛み入ります九条様」
もぞもぞと麻袋から這い出るレナ。その格好は貴族とは思えないほど質素な衣装ではあるが、それも仕方のないこと。
レナをシュトルムクラータから連れ出さなければ、殺されてしまうのだ。逃走用にと衣装を用意している時間はなかった。
暗闇に響き渡るフクロウの鳴き声は、不気味でありながらも何処か落ち着く音色のようにも聞こえるのが不思議だ。
俺とレナ、それにワダツミとコクセイという異色の組み合わせで焚き火を囲む。
「正直味に自信はないが、しばらく我慢してくれ」
火にかけた鍋の蓋を開けると白い湯気が立ち上る。その中身は少々ワイルドなビーフシチュー。
ニールセン公の屋敷から拝借した素材を使っているので味は悪くないはずだが、男の料理は雑である。
レナはそれを器によそうと、上品に口へと運んだ。
「全然美味しいですよ? それに魔法学院での野営も何度か経験がありますし、問題ありません」
「あぁ、そういえばそうだったな」
久しぶりに会ったというのもあるが、婚約式の時のレナのドレス姿はまさに貴族の御令嬢であった。
それは何処か大人びていて、レナが魔法学院の生徒であったことを忘却してしまうほど印象深かったのである。
「今後はどうするのですか? 急すぎて詳しくは聞けず仕舞いで……」
「ああ。このまま迂回してシュトルムクラータ国境線のフェルス砦へと向かう。予定では騎士団と軍を引き上げているはずなんだ」
「騎士団を? 何故?」
「黒幕はわかってるんだが、相手が尻尾を掴ませてはくれないだろうからな。ひとまず招待客全員を見張るという名目でな」
「それで砦の防衛は大丈夫なのですか?」
「まぁ十中八九ダメだろうな。だからそこに俺が行く。身を隠すには丁度いい。言うまでもないが、俺が力を使うには騎士団は邪魔なんだよ」
「では、九条様のお力の一端が見られるのですか!?
目をキラキラと輝かせて、まるで憧れの人でも見るかのようなレナの視線は、正直言ってくすぐったい。
「んー。いや、どうだろうな……。俺の力と言うべきか、力を借りると言うべきか……」
なんと説明していいのか戸惑う俺に、首を傾げるレナ。
「まぁ、どうなるかは相手次第といったところだ。まだ攻めて来るとは決まった訳じゃないからな。レナはどう思う?」
「恐らく攻めて来ると思います。騎士団のいなくなった砦。それに今シュトルムクラータには有力な貴族達が集まっています。ヴィルヘルム卿を取り返すという大義名分もありますし、こちらは祝い事で油断している。相手にとってこれ以上ない好機でしょう」
「さすがは貴族の御令嬢だな。俺も同意見だ。砦はその最前線になるだろう。レナは怖くないか? 別の場所に避難するなら今の内だぞ?」
「大丈夫です。私も貴族の端くれ。それを見届ける義務があります」
「……レナも変わったな……」
「そうでしょうか? だとすれば、それは九条様のおかげです。魔法学院の試験……。あの経験がなければ今の私はいませんから」
笑顔を見せるレナに安堵しながらも、俺は頭を下げた。
「こんなことになって、すまない」
「いえ。九条様の所為ではないですよ。今頃私はシュトルムクラータで殺されているのでしょう? ならば助け出してくれた恩人ではないですか」
「確かにそうだが、第2王女が俺を怨んでいなければ、そもそもこんな事には……」
「それこそ九条様の所為ではありません。決着はついているはずです。それは単なる逆恨み。むしろ手を下さないのですからお優しいと思いますが……」
「優しい? 俺が? 冗談だろ? 相手が王女だから我慢してやってるだけだ」
「十分優しいじゃないですか。理性が働いているのですから。……もし私の目の前でアレックスが殺されたとしたら、私は自分を抑えることが出来ないと思います。たとえその相手が国王……いや、神であったとしても刺し違える覚悟がある。やっと掴んだ幸せなのです……」
その力強い瞳の奥には、確固たる意志を感じてしまうほど。
貴族の令嬢ともなれば、結婚に自由はない。惹かれ合う者同士が一緒になる事は稀だ。
レナとアレックスはその僅かな一握りなのだろう。その想いが重いのは当然である。
俺はノルディックと対峙していた時の事を思い出していた。それは恐らく、人生で初めて理性を失った瞬間。
激しい怒りと沸き上がる憎悪が止めどなく溢れ、それに身を任せると今まで味わったことのない感覚を得られたのだ。
苦悩から解き放たれた開放感は心地よく、それはまるで枷を外した獣であった。
何者にも囚われない真の自由があるかのようにも錯覚してしまったのである。
しかし、それは無限なる欲と同じこと。人として生きるのならばそこに完全な自由はなく、欲に溺れれば身を滅ぼす。
『
それは少ない欲でもそれ以上を望まず、満足せよという仏の教えである。
「アレックスのことが心配か?」
「もちろんです。……ですが信じていますから」
少々の不安も垣間見える笑み。レナの視線の先には、左手首に付けられた赤い念珠。それは焚き火の炎に照らされ、より紅く輝いていた。
俺達の計画はアレックスに教えてやれなかった。その周囲には常に第2王女の従者が付き纏っていたからだ。
ニールセン公が何時アレックスに家督を譲るかわからない。そんな状態での結婚式、それは1人前になった証でもある。
結婚式を終えると同時に、それを大々的に発表する可能性も否定はできないのだ。
俺がアレックスの性格を矯正したという話は、第2王女の耳にも入っているはず。
恐らくは、アレックスが派閥を去ってしまわないかを危惧しているのだろう。
そうならないためにも今から必死に根回しをしているのだろうが、それが邪魔であったのだ。
「それにしても驚きました。まさか九条様が私そっくりの
「
「きっと大丈夫ですよ。九条様からの贈り物です。気付かないはずがありません」
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