第398話 グリンダとヴィルヘルム

「ようこそグリンダ様。ヴィルヘルム様がお待ちです」


「チッ。こんな場所に呼び出して……。私は王族なのよ!?」


「存じ上げております。万が一の為で御座います。どうかお静かに……」


 グリンダが呼び出されたのはシュトルムクラータの一角にある薄汚れた宿屋。立地条件は最悪でギルドからも歓楽街からも遠い為、滅多な事では客も訪れない寂れた場所である。

 密会には丁度良い場所で、現在はヴィルヘルムが偽名で貸し切っている。

 グリンダはニールセン公の屋敷を街の視察と言って抜け出し、密偵を撒くためにわざわざみすぼらしい服に着替え、馬車は5回も乗り換えた。

 にも拘らず、それはあまり意味がなかった。何故なら数人の使用人を護衛として周りに侍らせていたからだ。

 装いだけなら浮浪者の集まり。だが、態度がデカすぎて、全くもってそうは見えない。


「ようやく来ましたね。グリンダ……」


 一番奥の部屋に案内されたグリンダは、6畳の小さな部屋の真ん中でフライドチキンを両手で頬張るヴィルヘルムを見て辟易とした。


「私をこんなところに呼び出して……。あなたには常識もありませんの?」


「その言葉。そっくりそのままお返ししますよ。自国の軍事機密を恋人の為に売るあなたには言われたくありませんね」


「くっ……」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるグリンダ。それもそのはず、グリンダは既にヴィルヘルムの傀儡であった。

 九条の所為で、カーゴ商会からの裏金は途絶えた。ノルディックも死亡判定が下され、派閥も縮小。故に貴族達からの上納金も心もとない。今まで通りの生活を送るにはカネが必要だったのだ。

 その弱みに付け込んできたのがシルトフリューゲルの西側に広大な領土を持つ公爵、ヴィルヘルムである。

 最初はノルディックを亡くした見舞金として、ヴィルヘルムから多額の寄付が送られて来た事から始まった。

 グリンダもバカではない。敵国の援助は受けぬとそれを突っ返したのだが、今度はその倍額が送られてきたのだ。

 それには王族に対して失礼すぎる額であったとの謝罪の書面が添えられていた。

 グリンダはそれを受け取った。カネに目がくらんだわけじゃない。他国の貴族とはいえヴィルヘルムは礼儀正しく、離れていく貴族達とは対照的に見えてしまったのだ。


(これを機に話し合えば、300年続いていた戦争を終結に導けるかもしれない。そうすればその功績は私のもの……。皆が私を見直すはず……)


 その後ヴィルヘルムとの書簡でのやり取りが続いた。グリンダはまず自分の事を知ってもらおうと、近況を書き綴った。と言っても共通の話題はノルディックの事が中心であった。

 そしてある時、ヴィルヘルムからグリンダの元に1通の書簡が送られてきた。そこにはこう書かれていたのだ。『ノルディックを生き返らせたくはないか?』と――。

 グリンダもそれには目を見張った。もちろん当時はノルディックを生き返らせようと必死になったが、それは何者にも覆す事の出来ない自然の摂理。

 王国の宮廷魔術師に聞いても魂の抜け出た遺体は、たとえ神聖術を極めた者であっても生き返らせることはできないだろうと言っていた。

 だが、グリンダは諦めきれなかったのだ。

 シルトフリューゲルにはプラチナプレートの神聖術師プリーストがいる。ヴィルヘルムならその者とコンタクトが取れるのではないかと踏んだ。

 そしてグリンダは、ヴィルヘルムの傀儡となったのだ。


「それで? お隣にいるのは誰なの?」


「彼はローレンス。私の右腕でしてね。使用人として連れてきてはいますが、一応は貴族。今回の仕事を手伝ってくれる仲間……とだけ言っておきましょうか」


 グリンダに軽く会釈するローレンスは白髪交じりの初老の男性。その瞳の奥に隠している内面の狂気が透けて見えるほどの強面で、一癖も二癖もありそうな佇まいだ。


「そんなこと聞いてませんわ」


「今回の計画にはどうしても必要なんですよ。そんな不安そうな顔をせずとも結構。彼もあなたの夢を叶えてくれる仲間なのですから」


「ふん。あなたに私の何がわかるというのです?」


「もちろん知っています。最愛のノルディックを生き返らせたい。そして派閥勢力を拡大し、第1王子と第4王女を出し抜き、いずれは女王にと思っているのでしょう? そしてノルディックを殺した九条を怨んでいる。その恨みを晴らすには力が足りない」


「……」


 ヴィルヘルムには全て見透かされている。……いや、知られているのだ。

 不覚にもグリンダは自分からそれを文書に書き起こし、怒りのはけ口としてヴィルヘルムに送り付けていたのだから。

 グリンダから見ればヴィルヘルムは自分の事を否定しない唯一の理解者。逆らえばノルディックの復活は成し得ない。


「それで? 私は何をすればいいのかしら?」


「簡単です。九条をこの街から追い払って下さい」


「ちょっと待って! 私は九条との関わり合いをお父様に禁じられてるのよ!?」


「もちろん知っています。ですが、今回九条はあなたに感謝するでしょう。あなたは九条にこう伝えるだけでいいのです。コット村にシルトフリューゲルの軍が迫っていると……」


「それが嘘だとバレたらどうするのよ……」


「バレませんよ。実際に起こる事ですから。小さな村が1つなくなるくらいどうってことないでしょう? ノルディック亡き今、我々が本気を出せばシュトルムクラータを陥落させることは容易い。そちらの方がよかったですか?」


 どちらにせよ、それは王族として容認できる事ではない。ヴィルヘルムは、自国を領土を攻め滅ぼすと言っているのだ。

 しかし、グリンダには既に断れないところまで来ている。辺境の村とシュトルムクラータ。比べるまでもない。


「……本当にノルディックを生き返らせられるの?」


「もちろんです。あなたが我々の言う事を聞いてくれれば――ですけどね」


「わかったわ……」


「実際コット村を襲うのは200人程度の兵達です。コット村との国境線であるエルダー山脈を越えての往来は現実的ではない。ブルーグリズリーの生息域を越えるのです。こちらとしてもたった200とはいえ、兵を失いたくはありません。仮にコット村を落としたとしても何のメリットもないので、すぐに手放しますよ」


「それで? 九条を街から追い出してどうするの?」


「もちろん第4王女の護衛から外れてもらう為です。こちらも色々と動きやすくなる。そして同時にノースヴェッジの娘を殺します。ニールセンとノースヴェッジに手を組まれるのは困るんですよ。婚約公示期間の自決であれば、疑う者も少ない。それに納得がいかなければその罪を九条に擦り付けるのです。丁度九条はいませんからね。シュトルムクラータの弱体化と、あなたの怨みも晴らせて一石二鳥でしょう?」


「そう上手くいくかしら? 私の発言が信じて貰えるとは……」


「あなたの発言力には最初から期待していません。レナ嬢の部屋に動物の毛を撒いておくだけで十分です。それに上手くいかなかった時の対策もあります。仮に我々がレナ嬢殺害の疑いを掛けられ捕らえられても。私達が期日までに帰らなければ、軍がシュトルムクラータへと攻め入る手筈になっています」


「それじゃぁ、私はどうするのよ!?」


「その戦を止めるのがあなたなのですよ。国境線のフェルス砦を落とすのは容易だ。その後シュトルムクラータを包囲したタイミングであなたを交渉の場に着かせます。そこで我々の解放を条件に全軍を撤退させることができれば、それはあなたの功績になる。あなたが街を救うのです。第2王女としての評価は見直され、派閥も力を取り戻す。それを想像してみなさい。素晴らしいと思いませんか?」


 ヴィルヘルムはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、言われた通りに想像を膨らませるグリンダ。

 九条がいなかったあの頃の幸せな時間を思い出し、恍惚な表情を浮かべる。


「へぇ……。中々良いプランじゃない……」


「でしょう? その後の継続的な停戦合意には第4王女を差し出していただきます。もちろん国の為なら断れないはず。そこまで計画的に進めることが出来ればノルディックの復活も目の前ですよ?」


 グリンダはホクホクの表情で帰路に就いた。それを窓からジッと眺めていたのはローレンス。


「バカな女だ。腐った死体がよみがえるわけないだろう。それこそ九条の土俵だ。泣いて謝れば、降霊術くらい簡単だろうに……」


「それでは満足できないのでしょう。生を肌で感じたい。恋とは一種の麻薬なのです。……いや、そもそもプライドが許さないんじゃないですか? 九条にはこっぴどくやられたようですからね」


「それでも軍事機密まで喋るのはどうかしてる。バレたら国家反逆罪で極刑だろう?」


「さぁ? 他国の法は知りませんね。どちらにせよ扱いやすくて助かります。実力よりも血筋の方を優先するあまり無能でも権力を握れるのです。むしろ見てみたいとは思いませんか? グリンダが女王になる未来を……」


「そりゃ国盗りも楽そうだ。最も警戒すべきアップグルント騎士団はノルディック不在で弱体化しているからな」


「そもそも300年前にスタッグ国王の暗殺が成功していれば、もっと楽でしたけどね?」


 肩を竦めながらもわざとらしく言うヴィルヘルムに、豹変したように声を荒げたのはローレンス。


「ヴィルヘルム! それは私の所為だと言いたいのか!?」


「違いますよ。正確には……」


「いや、もういい。その話はやめろ。私はご先祖様と同じ轍は二度と踏まない……」


 300年前。最強と名高い黒翼騎士団を抱えていても尚、東西戦争に敗れたローレンス家の末裔。

 未だに貴族として生かされ続けているのは、教会と密接な関係にある為だ。

 多額の寄付をしているローレンス家に手を出そうものなら、教会を怒らせかねない。

 ならば手を組んでしまおうと目を付けたのが、ヴィルヘルム。その思惑は功を奏し、シルトフリューゲルの東側では逆らう者がいない程の権力を手に入れていた。

 内乱を起こせば、国家転覆を目論めるほどの軍事力を有しているのだが、それを実行に移すにはシュトルムクラータが邪魔なのだ。

 シュトルムクラータを落とせればそれでよし。最悪でも攻め込まれないようにするためには、人質として王族の血筋が必要なのである。

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