第231話 親子の絆

 白い悪魔は見る影もない。水分を抜かれたかのようなカサカサの巨体は、誰がどうみてもスルメである。

 白い悪魔が元からこうなのか、それとも魂を強制的に引き剥がした影響なのかは、誰にもわからない。

 ただ1つだけ言えることは、10年にも及ぶ長い戦いに終止符が打たれ、ようやく海賊達の悲願が達成されたということである。


「ママ!」


「イリヤス!!」


 2人はそれぞれの船を急いで降りると、足元の悪い中バシャバシャと水飛沫を上げ駆け寄った。

 イレースは目一杯両手を広げ、涙を浮かべ飛び込んできた娘を強く愛おしく抱きしめる。


「イリヤス……。本当にイリヤスなのね!」


「そうだよ、ママ。会いたかった……。いっぱい……いっぱい我慢したよ……」


「あぁ、イリヤス……。助けてあげれなくてごめんなさい……。ダメなお母さんでごめんなさい……」


「わかってる……。わかってるから泣かないで? ママ……」


 2人は抱き合ったまま、泣き崩れていた。10年ぶりの再会。親子の間にそれ以上の言葉はいらなかった。

 それを見ていた海賊達も込み上げてくるものがあるのだろう。邪魔しないよう遠くから見守りつつも、目には涙を浮かべていたのだ。


 イレースはイリヤスの境遇を知っていた。人間達に捕らえられ、自分をおびき寄せる為の餌として活用されていたからだ。

 どうにか救い出そうと試みるも、海へと戻れば女王に自分の存在を悟られてしまうことになり、八方塞がりであった。

 そして人間達を恨み、娘と同じ目に合わせなければ気が済まないと憎しみを露にしたが、それでは自分の母である女王と同じ。

 それからは今日まで、苦悩と後悔の毎日を過ごしてきたのだ。


「ワダツミ!」


「うぐぐ……九条殿……面目ない……」


 九条がワダツミに駆け寄ると、地面に強く叩きつけられたワダツミは、酷いダメージを負っていた。

 打ちつけた片側のあばら骨が複数本折れてしまっている状態。それが肺や心臓に刺さっていなかったのが不幸中の幸いであった。

 重症ではあるものの命に別状はなさそうで、ひとまず九条は安堵した。

 元の世界であれば必死に助けを呼んだだろう状況だが、この世界には魔法がある。ミアに治してもらえるだろうと落ち着いている自分に、九条は少々の違和感を覚えた。


(それだけこの世界に慣れたということか? 住めば都とはよく言ったものだな……)


 そんな自分に苦笑いを浮かべると、急ぎ駆け寄って来たのはカガリに乗ったミアである。


「【強化回復術グランドヒール】!」


 横たわるワダツミは、そのままの体勢で九条に目配せすると、何かを言いたそうに口をもごもごと動かしていた。


「すまん。聞こえなかった。なんだ?」


 立ち上がるのはまだ厳しそうだと、九条は跪き顔を寄せる。


「九条殿。良い機会だから血をくれ」


「……」


 ワダツミに向けられたのは軽蔑の眼差し。


「もしかして、ワザと攻撃を喰らったのか?」


「違う! そうじゃない! これは自分の判断ミスが招いた事だ。決して故意ではない」


「怪しい……」


 こうしている間にも、傷はみるみるうちに塞がっていく。

 ワダツミの言っていることは嘘ではなかった。本当にいい機会だと思っているのもまた事実。

 九条は従魔達に優劣を付けたりはしないし贔屓もしないが、客観的に考えてコクセイが一歩抜きんでているのは、誰の目から見ても明らかであった。

 誇り高いウルフ族が「コクセイばかりズルイ! もっと自分も見てくれ……」などと女々しいことを言えるわけがないのだ。

 ワダツミは、九条の隣に立っていたいという思いは誰にも負けないつもりでいた。だからチャンスが欲しかったのだ。

 それは自分の為じゃない。自分の強さは仲間達を守る為にあるものだと……。九条の為に強くなりたいと心から願っていたのである。

 まだ起き上がることは出来ないが、九条に向ける眼差しは真剣なもの。長い付き合いだ。不純な理由ではないということは、九条も汲み取ってはいた。

 だが、九条は従魔達を戦闘の道具として見ていない。家族なのだ。そこに強さは必要ないのである。

 九条の考えは変わらない。強いからといって自惚れることもなく、プラチナプレートだからと、それを鼻に掛けようとも思わない。

 ミアにカガリ、白狐にコクセイにワダツミ、それと村に置いてきた従魔達。皆と静かに暮らせればそれで充分だと思っている。地位も名誉もいらないのだ。


 ――だが、それは今までの話。


 ここは異世界だ。話し合いで解決できなければカネで。カネで解決できなければ力で解決するしかないのである。降りかかる火の粉は払わねばならない。

 自分の理想を実現するには、力が必要なのだ。だからこそ、今の九条にはワダツミの気持ちが理解出来た。力がなければ抗うことすらままならないのである。


「仕方ない。何も無きゃ諦めるんだぞ?」


「うむ!」


 まだ何もしていないのに、バタバタと暴れ回る箒のような尻尾。土埃が舞い、ミアは迷惑そうに顔をしかめた。


「尻尾!」


 頬を膨らませたミアに一喝され、その動きはピタリと止まる。


「おにーちゃん? ワダツミに何か言った?」


「ああ。血をやる約束をした」


 ミアはそれだけで理解した。コクセイの時と同じだ。だが、今回は瀕死の重傷には程遠い。


(このまま回復し続ければ治るけど……)


 だが、ミアは九条を止めなかった。コクセイのようにモフモフがパワーアップするかもしれないと思うと、むしろウェルカムであったのだ。


「ナイフ使う? 右のポッケに入ってるよ?」


 とは言え、回復の手は緩めない。必要であれば勝手に取ってというスタンス。


「いや、大丈夫だ」


 九条は金剛杵こんごうしょを手に取ると、鋭く尖った先端に指の腹を押し当てた。

 プツッっと小さな穴が空き、そこからじわりと滲み出る血液。だが、それにワダツミは不満の様子。


「少なくないか? コクセイの時のようにもっとドバドバとだな……」


「量は関係ない。カガリはこれで充分だったんだ。文句を言うな」


 それがワダツミの口元へと運ばれると、ざらざらとした舌で舐めとった。

 そこからはコクセイの時と同じだ。ワダツミの体が光に覆われると、黒い影が膨張するかのように大きく姿を変えた。

 一回り大きくなった体。青味が少し強くなった毛色。なにより目を引いたのは、額に聳え立つ1本の白い角である。

 九条とミアは、それに見覚えがあった。


「「長老!」」


 それはボルグに囚われ、不遇の死を迎えたウルフ達の長老に酷似していたのだ。

 同じ種族なのだから、成長すれば同様に角が生えてもおかしくはない。それは心身共に族長となった証なのである。

 ワダツミはむくりと起き上がると、俺とミアの周りを飛び回った。


「やった! やったぞ!」


 溢れ出る力。体中に活力がみなぎり、その勢いで振られる尻尾は、もはや残像が見えてしまうほど。


(喜ぶ子供を見ているようで微笑ましいのは結構だが、正直少しはしゃぎ過ぎじゃないか?)


 ワダツミに向けられた冷たい視線。それは九条だけで、その気持ちがわかるコクセイとカガリだけが、うんうんと頷いていたのだ。


「九条殿! これからはより一層尽くすと誓おうではないかっ!」


(悪い気はしないが、出来れば異性から言われたかった……)


 喜びを体全体で表すワダツミは九条に突撃を試みるも、それはあっさりと躱される。


「何故避ける!?」


「角があぶねぇんだよ……」


「おおそうだった。ついうっかり」


 九条は、コクセイの背に初めて乗った時のことを思い出していた。

 ギルドの壁に顔を強打した苦い思い出。自分の成長に慣れていない様子は、あの時とそっくりである。


(ワダツミがじゃれ合いたいのは理解できるが、ついうっかりで腹に穴を開けられるのは御免だ……)


 ミアの回復術ヒールで治るとはいえ、痛いものは痛いのである。

 それを反省し、角に気を付けながらもゆっくりと近寄ってくるワダツミを撫でてやる九条。

 気持ちよさそうに身を預けるワダツミによじ登ったミアは、鼻息も荒く瞳を輝かせながら、その角をペタペタと触っていた。


「ミアちゃん。私にも回復術ヒールお願いできないかな?」


 その声に視線を移すと、そこには腹を出したシャーリー。

 綺麗なおへそが……と言いたいところではあるが、そこには赤く腫れあがったロープの痕。率直に言って痛そうだ。

 もちろんミアが断る理由はなにもない。すぐにその治療を開始した。


「【回復術ヒール】」


 シャーリーはじんわりと温かくなっていくお腹にこそばゆさを覚えながらも、周囲をぐるりと見渡した。

 島の地形は大分様変わりしていて、もはや最初の面影は何処にも残っていない。

 その規模の大きさに苦笑いを浮かべるも、その程度で済んでいるのは、九条が色々と規格外なのだと知っているからである。


「後は帰るだけ?」


「いや、最後の仕上げが残ってる」


 目下の脅威は去り、海が魔物に脅かされることもなくなるだろう。だが、これはあくまで通過点であるのだ。

 ここからが、九条の腕の見せどころなのである。

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