第185話 委ねられた未来

「探したよ。ミア」


 薄ら笑いを浮かべながらも、見下したような態度のノルディック。

 それはケガをした子供に向ける目ではなかった。そして、ミアは自分がここで死ぬのだということを悟ったのだ。


「どうして……。どうして……こんなこと……」


「どうしてだと? わかるだろ? お前が九条の担当を辞めなかったからだよ。九条が最初からグリンダの派閥に入っていればこんな事にはならなかったんだ……。可哀想に……」


 ノルディックはわざとらしく悲しそうな表情をするも、それはすぐに怒りへと変わる。


「てめぇの所為でどれだけ時間を食わされたと思ってるんだ。くだらねぇことにワシを巻き込みやがって。お前が死ねば全て上手くいくんだ。九条には新しい女を買ってやるし、満足するだけの褒美をやろうって言ってるんだ。それの何が不満なんだ」


「おにーちゃんは……、そんなことで……派閥を変えたりはしません……」


「フン、随分自信たっぷりに言うじゃねぇか。だが、お前が死んでもそうだと言えるのか? あっさり裏切るかもしれないとは思わないのか?」


「私は……。おにーちゃんを信じてるから!」


 ミアは、その瞳に信念を込めて睨み返す。


「まぁ、口では何とでも言える。だが、それが何時まで続くかな? 人間ってのは時間とともに記憶を忘れる自分勝手な生き物なんだ。思い出は風化していく。ある日を境に悲しかった過去も忘れ、明日からは心機一転がんばろうなんて綺麗ごとを抜かす生き物なんだよ! 全ては時間が解決する……。そうは思わねぇか?」


「少なくとも……おにーちゃんは……そんなこと……」


 ミアは九条を信じ、九条もミアを信じている。それは揺るぎない事実。だが、未来は誰にも分らない。故にミアは反論出来なかった。


(私が死んじゃったら、おにーちゃんはどうするだろう……)


 そんなことは考えたこともなかった。


(おにーちゃんは私を必要としてくれている。守ってくれるとも言ってくれた……。でも、おにーちゃんは私なんていなくてもやって行けるはずだ。もう最初の頃の何もわからなかったおにーちゃんじゃない……)


 ギルドの最高戦力。それ以上の強さは測ることが出来ないと言われるプラチナプレートの冒険者。それが九条だ。誰が担当でも変わらない事実。

 ミアがいなくなっても、他の担当が付くだけ……。


(……でも諦めたくない……。まだ、おにーちゃんと一緒にいたいよ……)


 とは言え、状況は絶望的。ミアがノルディックに敵うはずがなく、死は確実にミアへと迫っていた。


「まだ諦めねぇって顔してやがる。嫌いじゃねぇが、どうしようもねぇだろ?」


「私を殺せば、おにーちゃんが黙ってませんよ……」


「だろうな。だからこの場所を選んだんじゃねぇか」


「……」


「なんだ、知らねぇのか? ここは九条が所有してるダンジョンだぞ?」


 ミアはその存在を知っている。ただ、中に入る機会がなかっただけ。


(それが今、何の関係があるの……?)


「まだわからねぇのか? ここの魔物に殺されて死んだことにするんだよ。九条がそれを受け入れ、グリンダの派閥に入ると言うのなら、それは公表せず闇の中に葬り去ってやる。だが、それを拒むようならお前の死を公表して、その罪を九条に擦り付けるってことだよ。ここは九条のダンジョンなんだからなぁ!」


 それを聞いたミアの表情からは絶望が溢れていた。ミアは死を受け入れていたのだ。どうやってもこの状況は覆せない。


(死ぬのは怖い……)


 しかし、死してなお九条の隣にいることは出来るのだ。九条は優秀な死霊術師ネクロマンサー。例え死が2人を分かつとも、それは本当の意味での別れではない。


(おにーちゃんが私の魂を呼び戻して、本当の事を教えてあげれば、私の恨みも晴らしてくれる……)


 そう考え、諦めていたミアであったが、これでは自分の死が九条の解放にはならないのだ。むしろ九条を縛ることにもなりかねない。

 ミアは苦悩した。受け入れていた死が敵に回り、どうにか生きなければと焦燥感に苛まれる。


「まぁ、そういう事だから死んでくれ」


 逃げ道はノルディックが入って来た通路だけ。痛みを我慢し、寄りかかっている扉に力を入れても開かない。

 どう頑張っても、ミアには最悪の事態しか残されていなかった。


「ニーナ。お前がやれ」


「えっ!?」


 ノルディックは、あろうことかミアの始末をニーナに託したのだ。

 今まで2人のやり取りを黙って聞いていただけのニーナも、突然の出来事に困惑を隠せてはいなかった。


「武器は貸してやる」


 そう言ってノルディックが差し出したのは、1本のダガー。素材の剥ぎ取りに使用している予備の武器だ。

 それをニーナはジッと見つめていた。


「早く受け取れ。それともお前、俺に手を汚せと言うつもりか?」


 ノルディックの凄みに恐怖を覚えたニーナは、左拳を自分の胸に当て、震えた右手で恐る恐るそれを受け取った。

 それは通常の物より重く、冷たい。グリップは使い込まれてどす黒く、ギラギラと輝くその刃にはニーナの顔が映り込んでいた。

 その表情は酷く戸惑い情けない。


「早くやれ」


 ニーナはミアに視線を移した。左肩は血にまみれ、酷く怯えている。息も荒く、足は震えて今にも倒れてしまいそう。


(それを私が……。私が殺すの……?)


 それは簡単な事だった。ミアは痛みで集中できず、魔法は使えないだろう。


(近くまで行って、この刃物を突き立てて終わり……)


 そうすればノルディックに怒られることもなく。全てが上手くいくのだ。


(確かに私はミアを恨んでいる……けど……)


 ――――――――――


 ニーナは実力でギルド職員に登用され。ミアは孤児院からの成り上がりだった。

 ニーナは、自分の方が仕事が出来ると自負していた。ミアよりも年上であり、それは当たり前の事だった。

 だが、ギルドの先輩達に可愛がられているのはいつもミアだった。

 ニーナがどんなに仕事をがんばっても、それが覆ることはなかった。


(だからイジメてやった……)


 ミアはそれを甘んじて受け入れていた。ニーナは気分が良かった。ミアより自分の方が上なのだと証明できた。

 それは徐々にエスカレートしていった。あることないことミアの所為にし、ギルド内でのミアの居場所は次第になくなっていった。

 そしてロイド担当の事件が起き、ミアは田舎ギルドに左遷されたのだ。

 だが、ミアがいなくなってもニーナの扱いは変わらなかった。

 それから暫くして、コット村に新しい冒険者が登録された。ニーナは手の空いているギルド職員として担当候補に選ばれた。

 相手は才能の欠片もないカッパープレートのおっさんである。


(田舎ギルドにはお似合いだ)


 そこはミアが左遷されたギルド。そしてミアがおっさんの担当になった。


(ミアには感謝しないとね。私がおっさんの担当にならずに済んだんだから)


 その後、バイスの担当となりコット村を訪れた時、ニーナは目を疑った。

 ミアは大きな獣に跨り、笑っていたのだ。ニーナは幸せそうなミアが許せなかった。

 そしておっさんの鑑定不備が公表され、カッパーからプラチナへと昇格。

 ニーナはそれが信じられなかった。そしてその担当にはミアが抜擢され、プレートは特例でゴールド。


(私は降格させられたのに、なんでミアばっかり……)


 ニーナは、はらわたが煮えくり返る思いであった。


 そしてある時、ニーナに転機が訪れた。ノルディックの担当に抜擢されたのだ。


(これで私もミアと同じゴールドプレート! ついに私の時代が来たのよ!)


 冒険者ギルド通信の取材も受け、ニーナは順風満帆だった。だが、その誌面は差し替えられ、特集記事はミアのものに。


(またしても私の邪魔を……。ミア……絶対に許さない……)


 その憎悪は、死んでほしいとさえ思うほどに膨れ上がっていた。


 ――――――――――


 ————そう、今までは……。


 ニーナは、まさか自分にその役割が回ってくるなんて思わなかった。

 自分は見ているだけでいいのだと、どこか安心しきっていたのだ。


(恐らくここでミアを殺しても、ノルディック様により揉み消され、不問となるだろう)


 だが、この刃を突き刺した感触は、一生記憶に残るのだ。

 ニーナのダガーを持つ手が震えていた。


(これをミアに突きつけるだけ……。それだけなのに、震えが止まらない……。なんで……)


 魔物を相手にしているわけではない。無抵抗な人間を殺すのだ。

 ニーナはミアの目を直視出来なかった。


(ミア……お願い……私を見ないで……!)


 時間にして数分。ニーナは悪人にはなり切れなかった。

 落とすまいと必死に握っていたダガーは地面へと落ち、静まり返っていたダンジョン内にその金属音が響き渡る。


「おい、何してる。ビビってねぇで早くれ」


「……で……出来ません……」


「ああ!?」


 ニーナはその場で膝から崩れ落ちると、その瞳からはボロボロと涙が溢れ出していた。

 人を殺す度胸なぞ始めからなかった。それに心が耐えきれなかったのだ。


 その瞬間だった。ミアの後ろの扉が輝きを増すと、音を立て開き始めた。

 なんの前触れもなく突然にだ。開かないと思っていた扉が開いた。それに気を取られ、全員が動けなかった。

 扉に寄りかかっていたミアは、そのまま倒れるように中へと吸い込まれ、奥から突風が吹き荒れると、扉はすぐに閉じた。

 それは一瞬の出来事で、まるでミアがダンジョンに食べられてしまったかのようであった。

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