第119話 取引

「シャーリーさん! よくご無事で!」


 九条とシャーリーがギルドへ帰還すると、ソフィアは安堵と歓喜の声を上げた。

 暫くシャーリーを休ませていた為、2人が村に着いたのは空が茜色に染まる頃。

 その甲斐もあり、シャーリーは笑顔を浮かべられるほどには回復していた。

 シャーリーはソフィアから足の治療を受け、疲労と汚れを流す為にもギルド所有の温泉へ入ることを奨められ、ソフィアはその間にモーガンを呼んでくるとのことで、足早にギルドを出て行った。


「俺が背中を流してやるよ」


「……別にいいけど……」


「……は?」


 モジモジとしているシャーリーは恥ずかしさで顔を真っ赤にしていたが、思いがけない答えに九条の思考は停止した。

 シャーリーは助かったというのに、何故か浮かない顔をしていたのだ。

 それを和ませようと、九条は冗談を言ったつもりだった。


「意味わかってるのか? ここは混浴で俺が背中を洗うんだぞ?」


「……わかってるよ……。九条だってあちこち汚れてるし、恥ずかしいけどもう何度も見られちゃってるし……。気にしないわけじゃないけど……。ほら、減るもんじゃないしさ!」


 それはどう考えても男性が吐く台詞である。女性が言うことじゃない。

 何故そんな冗談を真に受けるのか、九条には理解出来なかった。

 明らかにシャーリーは無理をしている。

 入っていいのであれば遠慮なくご一緒させていただくが、その表情には何か裏が垣間見える。


「そのかわり、1つ頼みを聞いてほしいんだけど……」


 俯き加減に視線を下げ、小さな声で懇願するシャーリー。


「内容による」


「みんなの捜索依頼を九条が受けて、危険な炭鉱に入ってまで探してくれたんでしょ? その依頼料はモーガンさんが払うと思うんだけど、それを辞退してほしいの。代わりにその分は私が分割で払うから……」


 モーガンから九条に対し、金銭的なやりとりや契約の話はされていない。

 九条の目的はウルフ達の安全の確保だ。カネに関しては何も考えてはいなかった。


「その理由は?」


「モーガンさんが九条にいくら払うのか知らないけど、その請求は最終的に私に回って来るんだよね。入っちゃいけない場所に入ったってこともあるし……。払わなければ強盗扱いでギルドプレートは剥奪されちゃう。でもそんなお金ないの。捜索依頼って高いから……」


 基本的には捜索依頼は出さない。死亡扱いが一般的だ。

 だがキャラバンが関わってくると話は変わって来る。行方不明が認められないからだ。

 その所為で商人側は躍起になって探す。見つからなければ次の仕事が出来ないのだから。

 その為、報酬は通常よりも割高になることが多い。

 シャーリーだって貯金がないわけではない。金貨200枚程度はあるのだから、それだけあれば九条の方はどうにかなると考えていた。

 しかし、問題なのは炭鉱の所有者の存在である。

 プラチナプレート冒険者が炭鉱の不法侵入に損害賠償として金銭を要求してくる可能性は否定できない。

 それがシャーリーに請求されるならまだいい。交渉してどうにか譲歩してもらえば被害額は最小限で済む。

 だが、今回の請求はキャラバンにいくだろう。

 キャラバンが言い値で払ってしまえば、その莫大な請求はいずれシャーリーに回って来るのだ。

 プラチナプレート冒険者の金銭感覚で請求されることを考えると、金貨200枚では心もとない。

 支払いが滞ればプレート剥奪のうえ奴隷落ち。商会は甘くはないだろう。

 九条と一緒に風呂に入るだけで捜索分の支払いを待ってもらえるなら安いもの。

 既に裸は見られている。それでも恥ずかしいことには変りないが、それくらいの覚悟なら出来ているのだ。


「なんだ、そんなことか。それなら安心しろ。最初から貰う気はない。風呂も冗談だ。気にせずゆっくり浸かってこい」


「……は? 九条、あんた捜索依頼って結構するの知らないの!?」


「知らん」


 シャーリーには九条が理解出来なかった。

 九条はカッパーの冒険者。そして14人全員の捜索は生死にかかわらず確認できた。それは十分成功に値する。

 カッパーの平均年収を上回る報酬が貰えるかもしれないのだ。それを断る意味がわからない。

 断ってくれとは頼んだものの、本当にこんなことで交渉が上手く行くとは思っていなかった。

 救助させた上にその報酬もなし。これではまるで、シルバープレート冒険者がカッパープレート冒険者を脅しているようにも見える。


「ふーん……。でも、それだとなんか私が悪者みたいだから礼だと思ってもらえばいいや。ほら、いこ?」


 シャーリーは九条の腕に手を回し、引き摺ってでも風呂に連れて行こうとしたのだが、九条はその場から動かなかった。


「そうしたいのは山々だが、それは出来ないんだ」


「ん? なんで?」


 九条はシャーリーに顔を近づけると、その耳元でそっとささやく。


「俺は監視されている」


「えっ!? 監視? 何か悪い事でもしたの?」


 振り返らずに後ろの柱を指差す九条。その陰から半分顔を覗かせていたのはミアである。

 シャーリーはポンっと手を合わせ、納得の表情。


「あぁ、なるほどね。確か担当と一緒に住んでるってネストが言ってたわ……」


「そんなわけで風呂は1人で入ってくれ」


「残念だなぁ。折角のチャンスなのに」


 不敵な笑みを浮かべ、シャーリーは外套の裾をたくし上げた。

 隠していた秘部がギリギリ見えるか見えないかの位置でヒラヒラと踊るそれに、目線を泳がせてしまうのが男性の悲しいさがではあるが、そんな煽りで屈するほど九条の理性は脆弱ではない。


「炭鉱で見てたから、それくらいじゃ別に……」


「バカ!!」


 シャーリーは顔を真っ赤にして風呂へと走り去り、ミアは満足そうな表情を浮かべ頷いていた。



 九条がギルドに戻ると、ソフィアが帰って来ていた。

 キャラバンとの話し合いはモーガンの予定を踏まえ、明日へと持ち越し。

 それならばと九条は昼食を抜いた分、食堂で軽い食事を済ませてから自室へと戻る。


「……え? なにこれ? どういう状況?」


「おかえり。九条。お邪魔してるわよ」


「おかえり。おにーちゃん」


 部屋では、ミアとシャーリーがテーブルを囲んでいた。

 シャーリーがギルドの部屋を借りる際に、ミアから九条の部屋の隣だと言う事を聞き、暇つぶしに訪れたとのこと。

 2つしかない椅子は占領され、仕方なくベッドで横になる九条。

 聞こえてくる会話は、どうでもいいものばかりだ。

 ギルドに来た酔っ払い冒険者の話。冒険者登録に母親付き添いできた若者の話に、金貨を銅貨に両替しろと詰め寄る商人の話。

 九条はその輪に入れず、ただ眺めているだけであったが、笑顔で話すシャーリーの横顔を見て満足していた。


(それにしても疲れた。ここ数日で村とダンジョンを何往復もしたのだから当然か……。そろそろシャーリーに部屋に帰れと言わなければ……)


 と、考えていたのは夢の中でのこと。九条は何時の間にか眠ってしまっていたのだ。



 窓辺から差し込む光の眩しさに当てられ、九条は目を覚ました。

 身体を起こそうと腕に力を入れると、その腕がミアに当たってしまったのだ。


「んんぅ……」


 無意識に寝返りを打とうと体を傾けたミア。

 その姿が一瞬の内に九条の前から消えた。


「――ッ!?」


 九条の伸ばした腕がミアを掴み、ギリギリのところでベッドからの落下は免れた。

 大事にはならずに済んだが、肝が冷えると同時に一気に目が覚めた九条。

 ミアを抱き寄せベッドへと戻すと、何故か九条の逆サイドにはシャーリーが寝ていた。


「なんでやねん……」


 ベッドのサイズはシングルだ。シャーリーは壁側なので落ちる事はないが、そこに3人はどう考えても無理がある。

 ミアも目を覚まし、寝ているのはシャーリーだけなのだが、その幸せそうな寝顔を叩き起こすのはさすがの九条にも憚れた。


(昨日あれだけのことがあったのだ。それを考えれば尚更か……。仕方ない。起きたらくだらない言い訳を聞いてやればいい……)


 それから2時間ほどが経ち、ギルドのオープンと同時にモーガンがやって来た。

 それをソフィアが知らせてくれたのだが、シャーリーは未だに夢の中。


「……いい加減起きろや……」


「あ……九条。おぁょぅ……」


 完全に寝ぼけている。そして、悪びれることなく2度寝の体勢に入ったシャーリー。

 とは言え、叩いて起こすというのも可哀想。そこで九条の目に留まったのは2つの山だ。

 その山はとてつもない弾力を秘めていて、シャーリーが動く度にぷるぷると小さく震えていた。


(これも目を覚ましてもらう為……)


 九条は自分にそう言い聞かせると、うつ伏せになっていたシャーリーの尻を揉みしだく。

 引き締まった尻がキュッと大きく持ち上がると、さすがのシャーリーも飛び起きた。


「ひゃぁぁぁぁ! 何すんの!?」


「早く起きて着替えろ。既にモーガンが待っている」


「あっ、はい……」


 シャーリーを見下す九条の目は据わっていた。

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