第102話 うらめしや

 アルフレッドは火の番をしながらも、グラハムを心配していた。 

 グラハムがテントに入ってから2時間。酷く荒い呼吸は徐々に落ち着きを取り戻し、1時間ほどで眠りについたようだ。

 第1王子の専属騎士となってから5年。グラハムに付き従い、数々の仕事をこなして来たアルフレッドであったが、こんな状態のグラハムを見るのは初めてだった。

 明らかに本調子ではない。昼に行うはずだったウルフ狩りを中止にしてよかったと心の底からそう思っていた。

 病気であればギルドで診てもらえれば良くなるのに、頑として譲らないのはグラハムらしい。だが、意地を張っている場合ではない。


(……そうだ! グラハムさんが寝てる間にギルドの神聖術師プリーストを連れて来て、治してもらえばいいじゃないか!)


 そうと決まれば善は急げだ。深夜に村を訪れる事になるが、こちらも緊急。理由を話して助けてもらうしかないと、アルフレッドは急ぎ支度を開始した。

 ギルド職員の説得を含め、往復で1時間もあれば戻って来られるだろう。

 それまでに焚き火が消えてしまわないよう薪を多めに投入し、組み替える。


(グラハムさん、待っていて下さいね……)


 アルフレッドは最低限の装備を纏い、村を目指し走り出した。


 ――――――――――


 凄まじい悪寒がグラハムを襲い、目が覚めた。グラハムは起こるべくして起こってしまったのだとすぐに理解したのだ。

 とはいえ2回目。すぐに飛び起き、アルフレッドに声を掛ければ何とかなるだろうと行動に移そうとしたが、その見込みは甘かった。

 目覚めたその時から体が動かないのである。


「カッ……ハッ……!?」


 アルフレッドを呼ぼうにも、まるで喉に何かが詰まっているようで声すら出ない。

 昨日と同じく、ブツブツと何かを呟きながらグラハムへと迫って来る声の波。

 必死に藻掻くもピクリとも動かない体。

 テントの布1枚を隔てた先にはアルフレッドがいるのだ。焚き火の明かりが、その影をテントに映している。

 距離にして僅か2メートルほど。それだけなのに、グラハムには限りなく遠く感じられた。


(アルフレッド! 気づいてくれッ!!)


 何かを呟きながら迫る声達がテントの目の前まで迫り来ると、それが急に途絶えた。


 一時の静寂――


 次の瞬間、テントに白い手形がべたりと張り付くと、徐々にその数は増えていく。その勢いでガサガサと揺れるテントは、台風の中に閉じ込められたかのように激しく形を変えた。

 恐怖がグラハムを支配し、激しく震えると同時に冷や汗がドッと吹き出す。

 動けるのなら一目散に逃げ出しているだろう。……いや、恐慌して気が触れているかもしれない。

 テントが手形で覆いつくされると揺れが収まり、昨晩と同じ声が耳元で囁かれた。


「かえれかえれかえれかえれかえれかえれかえれかえれかえれかえれかえれ……」


「……やめろ! やめてくれぇぇ!!」


 するとその声はピタリと止まった。

 グラハムはハッとした。声が出たのだ。これで助けが呼べる。そして、渾身の力を込めて叫んだ!


「アルフレッド! 助けてくれぇぇぇ!」


 するとアルフレッドが立ち上がりテントの入口から顔を出すと、いつもの調子で「グラハムさん、大丈夫ですか?」と心配そうに言ってくれる――と思っていた。

 しかし、テントに映るアルフレッドはピクリとも動かない。

 何故動かないのかとグラハムが思考を巡らせようとした刹那、耳元で囁かれた言葉に絶句した。


「うらめしや――」


 グラハムがその意味を理解する間もなくアルフレッドの首が自身の体に別れを告げた。


「——ッ!?」


 白く染まったテントの一部が赤みを帯び、アルフレッドの体がぐらりとバランスを崩して倒れる。

 その先には凄惨な光景が広がっているだろうことが、グラハムには安易に想像ができたのだ。


「アルフレッドぉぉぉぉぉ!」


 目には涙が溢れ、後悔の念と共にグラハムはそのまま気を失った……。

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