第78話 ブラバ卿
王宮の階段を下りながらブツブツと独り言を囀っている小太りの男の名は、グレッグ・ヴァン・ブラバ。
侯爵に名を連ねる者の1人で、歳は50を超え、顎ひげがくっついてしまいそうなほどもみあげが長い。
小綺麗で、見るからに貴族といった服装。すれ違う者全てが深く一礼するほどの地位と権力を持っている。
そんなブラバ卿は、いつになく荒れていた。
「クソッ!」
その原因は計画が上手く進まない事への苛立ちである。
(ノーピークス襲撃に使う予定だった人員を割いてまで魔法書の奪還に向かわせたのに、返り討ちにあうとは……。ゴールドプレートとはいえたった2人。しかも1人は手負いだというのに、20人もの人員を割いてこの体たらく。無能どもめ……)
損害はそう大したものではない。しかし、状況は楽観視できるものではなかった。
王女を人質に取った挙句殺された部下が、自分の事を喋ってはいないかとヒヤヒヤしていたのだ。
(死ぬのは構わないが、私に迷惑を掛けずに死ね!)
国王謁見の帰り道。アンカース家とノーピークスの領有権を争い、アンカース領への挙兵を嘆願したのだが、王の裁可は得られなかった。
貴族同士の戦争は、正当な理由なき場合は禁じられている。王の裁可を得るか、自治の防衛のみ可能であるのだ。
アンカース領からならず者達が流入し、こちらの領内を荒らしまわっているのだが、アンカース卿はそれを鎮めようとしない。
代わりにブラバ卿が出向き、騒動を鎮める……というのが表向きの話。
裏でそのならず者達を操っているのはブラバ卿なのである。
ブラバ家にとってアンカース家は盗人のようなもの。
(元々は冒険者だっただけの一般人が、貴族を名乗るなど烏滸がましいにもほどがある!)
アンカースの先祖であるバルザックが爵位を賜り、貴族の仲間入りを果たした。
その際に、ブラバ家の領地だった所を移譲したものが、今のアンカース領となったのだ。
与えられた領地はノーピークスを有する1等地。王を守る為にと王都から最も近い領地を賜ったのである。
国王が決めたことは絶対。ならば、アンカース家を没落させ領地を取り戻そうとブラバ卿は躍起になっているのだ。
「陛下も陛下だ……。あんな弱小貴族、放っておけばよいものを……」
長い階段を降りると、見えてきたのは美しい中庭。
そこに響く高い声の主は第4王女。ちょうど魔術修練の真っ最中であった。
(アンカースの小娘……。いつ見ても腹が立つ。我が物顔で王宮内をウロチョロしおって……)
この苛立ちをぶつけるいいカモがいた。小汚いローブを身に纏った冒険者。
隣の魔獣は恐らく従魔。最近街を騒がせているという噂は、ブラバ卿の耳に入っていた。
「おいそこの男! ここは部外者立ち入り禁止だぞ! ここをどこだと思っている!?」
ブラバ卿は、冒険者の男に勢いよく近づくと胸ぐらを掴み、背中を壁に打ち付け大声で怒鳴り散らす。
魔法修練の手が止まり、静まり返る中庭。
苦痛に顔を歪める冒険者の男は、抵抗することなくされるがままであった。
「ブラバ卿、お止めください。私の護衛として同行を許している者でございます」
目を細め、乱暴に突き放す。
「おお、そうでしたか。アンカース卿の御息女殿。これは失礼を致しました」
もちろんそんなことは知っている。ブラバ卿からしてみれば、それはただのストレス発散ついでなのだ。
逆らおうものならそれを理由に糾弾できると考えていたブラバ卿だが、どうやらバカではないらしい。
「リリー様。修練の方はうまくいっておりますかな?」
「ええ。おかげさまで……」
「そうですかそうですか。それは良かった。それでは私はこれにて失礼いたします」
ブラバ卿は王女にのみ頭を下げると、中庭を後にした。
「アンカースの小娘が……。第4王女に上手いこと取り入りおって……。今に見ておれ……」
国王からの信用を無くせば、アンカースは勝手に沈む。その為には何としても魔法書を奪わなければならない。
(返還のタイミングは、宝物庫の虫干しと同日に行われる
ほぼ全ての貴族達が一堂に会する場。皆の集まる所で行方不明の魔法書を返還すれば、式典と相まって注目度も高まる。
(それだけは、何としても阻止しなければ……)
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