第26話 管理者

 奈落の底へと繋がっているのではないかと思うほどに長く急な階段。

 その終わりが見えて来ると、目の前に現れた空間は、今までとは違う異質な場所であった。

 ダンジョンから炭鉱へと逆戻りでもしたかのような岩肌むき出しの洞窟。

 その中央に位置している場違いなオブジェに目を奪われぬ者なぞいない。

 長い年月を経て形成された鍾乳石が地表にまで届き、その中央が異様なまでに膨れ上がっているような物体。

 いびつなハートのような形をしたそれは、出来の悪いすりガラスのような透明感で中は空洞……。いや、底の方に少しだけ何かの液体が入っていた。


 その裏側には先程の幽霊もいた。こちらに背を向け、何やらブツブツと呟いている。

 丁度いい。まずはここは何なのかを説明してもらおう。


「おお、こんな所があるとは……」


 その声で俺の存在に気付いた幽霊は、驚きと同時に奇声を上げた。


「ええぇぇ……。なんでここに……。もうダメだ……。おしまいだ……」


 極力目を合わせないようにはしているものの、幽霊は絶望にも似た表情を浮かべ固まっていた。

 あんなバレバレの隠し通路にどれだけ自信があったのか甚だ疑問であるが、今はそんなことより、ここがどういう場所なのかを知りたいのだ。


「ここまで来た人間は初めてですね……。もしかして勇者の生まれ変わりでしょうか?」


 幽霊は部屋のオブジェに視線を向けると、俯いた様子で低く唸る。


「1回なら……まだ大丈夫……」


 何やら決意した幽霊は、俺に向かって片腕を伸ばす。


「【調査サーチ】」


 その瞬間、ゴボッという不快な音がオブジェの中から聞こえると、その内容量が減ったように見えた。


 油断した! と思った時には遅かった。

 物理的な干渉は無理でも、魔法ならばという可能性を失念していたのだ。

 自分の身体に何かが起きるのではないかと警戒したが、特には何も感じない。

 痛みどころか、至って正常である。


「えーっと……。よかった、勇者ではないですね……。鈍器適性と魔獣使い適性……それと……。え゛っ……死霊……術……?」


 何かに気づいた幽霊は、目元をヒクヒクとさせながら俺の顔を見上げると、震えた声で語り掛ける。


「もしかして……。私のこと……見えてたりします?」


 ここで初めて幽霊と目を合わせ、ニッコリと微笑んだ。


「ぎゃぁぁぁぁぁ!?」


 仰天しながらも地面に尻もちをつく幽霊。

 普通驚くのは生きている方であるのだが、これでは立場が逆である。


「大丈夫か?」


 得体の知れないものを触る恐怖より、驚かせてしまって申し訳ないという気持ちが勝り、反射的に伸ばした右手は幽霊の右胸を鷲掴みにしたのだ。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」


 体温は感じないが、感触はやわらかい。

 触ってから気が付いた。相手は触れなかったのに、自分は触れてしまったのだ。

 俺の手を必死に払いのけようとする幽霊の両手は、虚しく空を切っている。


「すまない。そんなつもりじゃ……」


 すぐに手を放し、振り回していた片方の手を掴んでやると、ようやくその体がふわりと浮いた。

 感触はあるのに体重を感じないほど軽い身体。

 それを不思議に感じているのは俺だけではないようで、繋いだ手をジッと見つめる幽霊はそれを離そうとはしなかった。

 俺が触ってる状態であれば、相手にもその感覚が伝わっているようだ。

 それを確認するかのように、にぎにぎと強弱を繰り返す。


「あのー、大丈夫?」


 揉まれる手に奇妙な違和感を感じながらも声をかけると、少々食い気味に興奮した様子を見せる。


「すげぇぇぇぇ! 私触ってる! 生まれて初めて! この感覚! やばいやばい!」


 どう見ても話を聞いてくれそうな雰囲気ではなかった。幽霊は俺の右手に全集中である。

 ならばと少し強めに右手を放し引っ込める。


「あぁ、待って! 放さないで……」


 放れた手を追いかけ再び掴もうとするもそれは叶わず、その勢いで俺の体をすり抜ける。

 物欲しそうに俺の手を見つめる幽霊は、レーザーポインターを追いかける猫のようだ。


「ちょっと待ってくれ。君はなんなんだ。幽霊なのか?」


 それに悩むような素振りを見せる。


「……触ってくれたら、話してあげてもいいですよ?」


 そんなことで情報が得られるのなら安いものだ。


「あぁ。後でいくらでも触ってやるから、今は俺の質問に答えてくれ」


「いいでしょう。交渉成立です。何から聞きたい?」


 その視線は常に俺の右手だ。


「じゃぁ最初の質問だ。君はなんだ? 幽霊なのか?」


「ん~ちょっと違うかな。私はこのダンジョンの意志。精神体。簡単に言うと魂……かな?」


「名前は?」


「名前なんかない。ここは魔王様によって造られたダンジョンの108番目。その管理を任されている」


「じゃぁ108番と呼ばせてもらう。魔王はもういないんだろう?」


「恐らく……。2000年前位から魔力の供給がなくなったから、もうこの世界にはいないと思う」


 ようやく視線が外れると、108番は部屋のオブジェを悲しそうに見つめた。


「これダンジョンハートって言うんだけど、ここに圧縮された魔力を貯蔵しておけるの。これを使ってダンジョンを維持してるんだけど、これがなくなるとダンジョンの機能を維持できなくなるんだ……」


 薄っすらと輝きを放つ淡い紫色をした液体。それは先程見た時よりも明らかに減っていた。


「維持できなくなるとどうなるんだ?」


「全ての機能の停止。私の存在も消えちゃうし、ダンジョン内の灯りも消えちゃう。空気の循環も止まり、地盤の弱くなってるところは崩落が起こるかも」


 それはまずい。最悪108番が消えるのはいいとしても、灯りと崩落は死活問題。最悪窒息の危険性もあり得るだろう。


「俺はここから出たいんだが、脱出する方法はあるか?」


 不思議そうに首をかしげる。


「入ってきたところから出ればいいんじゃないの?」


「それが入り口は塞がってしまったんだ」


「えっ? ちょっと待って……」


 目を瞑り動かなくなる。だがそれはほんの10秒ほどであった。


「入り口開いてるよ? あなたどこから入ってきたの?」


「いや、そんなはずはない。炭鉱は崩落してしまったはずだ」


「炭鉱? 私にはよくわからないけど、多分それ正規の入口じゃないよ」


 それを聞いて希望が湧き上がると、逸る気を押さえきれず、興奮気味に声を荒げる。


「それはどこにある? 教えてくれ!」


 108番はそれに動じることなく、俺に両手を向けた。


「触って」


 そんなことしてる場合ではない。とも思ったが、約束は約束だ。

 差し出された両手を掴む。


「あーこの感覚すごいなぁ。ずっと握ってたいなぁ……」


 愛おしそうに俺の両手を握る108番。しかし、そんなことはどうでもよかった。


「もういいだろ? 早く出口を教えてくれ」


 急かす俺に108番は悲しそうな表情を向けた。


「やだ……。もう間に合わないよ。魔力も残り少ないし崩壊の方が早い……。私が消えるまで……この手は決して放さない……」


 段々と低くなる声。背筋が凍るとはこのことなのだろうと思った。

 108番の目は生気を感じない。冷たく微笑むそれに畏怖を感じてしまうのも当然のこと。

 とはいえ、俺も諦めるわけにはいかないのだ。


「やめろ! 放してくれ!」


 手を放そうと渾身の力を込めるも、質量のない相手の手が離れることはなかった。


「諦めなよ。正規の入口から出るにしても、地下3層の門は封印されてる。残り少ない魔力をその解除に使う気はない」


「そうだ。魔力があれば崩壊しないんだろ? 俺の魔力をやるから、それで手打ちにしないか?」


 その提案に、少しだけ反応をみせた。

 狙いは間違ってなさそうだ。


「デスクラウンを被ってくれるの?」


 もしかしてあの王冠のことだろうか?

 名前がエグすぎる。知っていたら絶対被らないだろ……。100%呪われてるよそれ……。


「そのデスクラウンとやらを被る以外の方法はないのか? 流石に死にたくはないんだが……」


 デスクラウンに吸われた命が魔力となってダンジョンハートに溜まるのだろう。

 その中身は、もはや風前の灯火である。


「なくはない。けど人間1人の魔力なんかじゃ意味がない……。デスクラウンは効率よく魔力を吸収できる」


「頼む! デスクラウンを被る以外ならなんでもするから! ほら、俺が死んだら触ることも出来なくなるんだぞ?」


 その言葉に108番の眉がピクリと跳ねた。

 しばらく悩んでいた様子を見せるも消えるよりマシだと思ったのか、別の案を提示する。

 とはいえそれが最善の方法ではないようで、その表情は曇り気味だ。


「ダンジョンマスターになれば、あなたから直接魔力を貰える。けど人間の魔力はとても弱い。一時的な崩壊は防げるけど、多分持って数日……」


「わかった。じゃぁこうしよう。俺がダンジョンマスターになって魔力を供給する。なくなりそうになったらまた供給しに来る。もちろん死ぬまで魔力を吸うのは無しだが……。どうだ?」


「それだけじゃ足りない。あなたが私を……。ダンジョンを見捨てたら死ぬ呪いをかける。それなら許可する」


 死にたくはないが、逆を言えば約束さえ守れば死なないということだ。

 死という言葉に躊躇してしまうが、今は早く脱出して村に戻る方が先決。

 疲れと眠気、腹の減り具合からして今は深夜か夜明けが近いはずである。

 とにかくあまり迷っている時間はない。

 朝起きたらダンジョンに行って魔力を補給するという日課が追加されたと思えば……。


「わかった。それでいい。じゃぁ早速だが時間がない。呪いとやらをかけてくれ」


 首を横に振る108番。


「魔力がない。あなたがマスターになるのが先」


 そういえばそうだった。

 ということは、俺は自分の魔力で自分に呪いをかけられるのか……。

 なんというか腑に落ちないな……。


「どうすればいい?」


「デスクラウンが置いてあった玉座。あれに座って宣言すればいい」


「なんて?」


「なんでもいい。自分がこのダンジョンを支配するという意思表明が大事」


 階段を駆け上がるも、しんどい……。

 ダンジョンの探索に歩き通し。さらに寝不足と空腹のダブルパンチで足に力が入らない。

 俺の足は、産まれたての小鹿のように小刻みにぷるぷると震えていた。


「これ座って平気? 罠とかない?」


 大きな玉座。見た目だけなら座り心地は良さそうだ。


「大丈夫。罠はデスクラウンだけ」


 信用してもいいものかとも思ったが、放っておけばいずれ自分も命を落とす。

 それは108番も同じである。

 ならば嘘はないだろうと、よっこらせと腰を落とす。

 硬い尻を優しく包み込んでくれる玉座。

 このまま目を瞑れば、すぐにでも夢の中にダイブする自信があったのだが、108番がそうはさせてくれなかった。


「はやく。宣言して」


 宣言と言われてもどうすればいいのか……。

 自己紹介的な挨拶程度しか思いつかない。


「今日からこちらのダンジョンでマスターをさせていただくことになりました。九条です。どうかよろしくお願いします」


 我ながらに何の捻りもなく面白味もない挨拶だ。だがその瞬間、体の自由が効かなくなった。

 上から押さえつけられているような全身が強張る感覚と、焦りが生み出す緊張感は、まるで金縛り。

 足の筋肉は盛り上がり、血管が浮き出るほどに力を込めてはいるものの、立ち上がることすらままならない。

 横で見ていた108番は、必死に藻掻く俺を見て「逆らわないで」とやさしく声を掛けると、ゆっくり顔を近づけた。

 そして額に感じたのは、驚くほどに柔らかな唇の感触。

 触れることは出来ないと思っていたのに、その時だけは確実にそれを実感したのだ。

 どこかで見た光景に、自然と抜けていく力。荒波のように押し寄せる知識に翻弄され、俺の意識はそこで途切れた。

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