私情まみれのお仕事 一族滅相編
赤川ココ
第1話
その報告があったのは、頼んですぐだった。
若者は、その情報の提供者に、礼を言う。
「有力な情報、有難い。あんたらが、そこまで奴らの事を調べてるとは、思わなかったぜ」
つい本音も混じった若者の言葉に、壮年の男が笑う。
「お前への下心がなかったと言えば、嘘になるがそうだな、身の危険は感じていないものの、気になっている一族なのだ」
「あんたの女房が、連れ戻される可能性も、あったからか?」
「奴ら、頭を使わんからな、大勢で来るのだ。襲われると対処が億劫だ」
その前に、身を隠すことも出来るがと笑ってから、男は真顔になった。
そう言う顔をすると、頼りがいのある男に見えるから、不思議だ。
「しかし、どう言う風の吹き回しだ? 連中とは、関わりたくないとばかり、思っていたが」
「……オレは一度、奴らを滅する機会を、自分で潰しちまった。それが、永年心に残ってることだ」
若者も真顔になって、呟く様に答えた。
男が、物騒に笑う。
「一族の女を誑かし、奴らの住処を知ろうとしたと言うのに、先にその女を殺してしまったからなあ。悔いにならぬ方がおかしい。というより、今迄よく、平然と暮らしていたな」
「……気にしてなかったわけ、じゃねえよ。ただ、奴らを相手に、オレ一人で、どこまで太刀打ちできるのか、いまいち分からなかった」
若者は、男に笑い返した。
「だが、怪我の功名って奴だ。あんたのお蔭で、吹っ切れた。もう、どうとでもなればいいと、そう思える」
「知っての通り、奴らはある程度の術を使いこなせる。お前に太刀打ちできるのか?」
つい、気になった男の問いかけに、若者は首を振った。
「出来ねえだろうな。だが、問題ねえ」
きっぱりとした答えに眉を寄せる相手に、若者は問いかけた。
「情報の報酬は、何がいい?」
「……お前が戻ったら、その話をしよう」
見返す相手に、男は笑いかけた。
「どうせ、そいつらを滅したら、顔を合わせられぬ者が、いるのだろう? どういう方法で、奴らを滅ぼす気かは知らんが、死ぬ気の方法ならば、この後の事など、どうでもよいだろう?」
「……そうだな」
少し考えて頷いた若者も、笑い返す。
「今すでに、あんたと二度と会わないと言う約束は、破っちまってるもんな」
「末永く、可愛がってやろう」
若干、怪しい笑顔を浮かべる男に背を向け、若者は立ち去った。
今後の覚悟を、胸に秘めながら。
中学生となった少年は、下校途中でその男と再会した。
「初々しいな。こんな時期に、心苦しいが……」
「構わんさ。あんたの事情が、最優先だ」
固い表情の男の言い分を遮り、少年は笑った。
「いつ、どこで、どういうやり方にする?」
切り出され、男は僅かに苦笑した。
「いいのか? お前の弟子は、こういう事を、もうさせたくないのではないのか?」
「そうらしいな。だが、あんたがオレを作ったのは、この為なのだろう? まずは、作り主の希望を優先するのが、玩具としての在り方だろう」
「……三日後の正午、場所は……」
不意に告げられた予定に、少年は空を仰ぎ頷いた。
「場所が、いまいち分からんのだが、それは、連絡役に聞けばいいか?」
「ああ、あれなら、どこでも分かるだろう。何なら、案内させてもいい」
「そうだな。今のオレの年齢では、補導されて捕まるのが、関の山のようにも思うしな。出来れば、家を出た事すら気づかれない内に、移動したい」
気づかれたら、すぐに追いつかれる。
そんな、危機感を抱きたくなる程、少年の弟子だった者は成長していた。
「その旨、知らせて置く。武器の用意もな」
「助かる。じゃあ、三日後、その場所で」
頷いた男は、もう振り返る事すらせずに、立ち去った。
その背を見送り、学生鞄を持ち直す。
立ち尽くした後歩き出したが、その顔には、苦笑が張り付いていた。
予想以上に、あの弟子の息子という役柄は、楽しかったのだ。
その日々が、もうすぐ終わると思うと、疑われるのを承知で、弟子に甘えてみたくもなる。
だが、それはすまいと、少年は心に決めた。
また、泣かれると思うと、そんな気休めな行動は、逆に辛くなるだろうから。
再び、この地に舞い戻らせてくれた男が、切に願う事を叶えるための人材が、自分だ。
それを叶える自信はあるが、それは相手の数による。
場合によっては、命と引き換える必要のある、実力者もいるかもしれない。
だが、それもいいと思っている。
一度死んだ身が、心に残った者たちを一目見て、安心できたのだから、もう悔いはなかった。
一人店番をしている大男の前に、久し振りにその男は現れた。
「……準備が、出来たのか?」
「遅くなったが、お前には、都合が良かったようだな」
固い顔で返す男の言葉に、大男は顔を伏せる。
「最近では、そういう事は、大きく報道されるぞ。もみ消せるような状況に、できるんだろうな?」
「その辺りは気にするな。うちの者が、引き受ける。お前はただ、奴らを消す事だけを、考えればいい」
そう言って、男は時と場所を告げた。
「そうか、猶予はあるんだな。どうやってそんな場所に、呼び出す気だ?」
頷いて問う大男に、男は変わらぬ声で答えた。
「囮を使う。この時期になったのは、その囮が、動き始めたからだ」
「そうか。大勢動くほどの囮って事は、あんたの血縁だろ? 大丈夫なのか、そいつ?」
「簡単には死なんだろう。だから、気にせず暴れろ」
きっぱりと言い切り、男は店を後にした。
その背を見送り、大男は店内を見回した。
「……」
最愛の者との第二の人生を、ここまで全うできた。
可愛い娘と孫にも恵まれた、幸せな毎日が、ここで終わる。
過ぎた幸せをかみしめながら、大男は表情を改めた。
その日が来るまで、女房にそれを悟らせてはいけない。
大男は、そんな気持ちを噛み締めながら、その日を過ごした。
仕事先に、突如現れた男は、顔見知りだった。
「……」
だが、余り係り合いたくない、顔見知りだ。
若者は、その顔を凝視してから、そのまま男の横を通り過ぎる。
「奴らを、この国に、おびき寄せる」
足が、止まってしまった。
振り返る若者に、男は固い顔のまま、ゆっくりと告げる。
「あの男も、出て来る」
「……いつですか?」
問う声が、いつもより震えてしまうが、男は気にせず答えた。
「三日後だ。囮にする者が、その時に動く。その場所に、奴らをおびき寄せる」
「三日後……」
呟きながら顔を伏せる若者に、男は尋ねた。
「どうする?」
「感謝します。こういう機会を、戴けるとは、思いませんでした」
湧き出る感情を、若者はいつもの表情で隠そうとして、失敗した。
それを見守りながら、男は場所を告げる。
「……確かですか、その場所というのは?」
「好都合だろう? お前や、囮の者にとっても。一石二鳥とは、この事だ」
若者の顔が、固まった。
「まさか、囮とは……」
「そうだ。その地に逃げ隠れていた鬼の一族を、滅することを夢見ている奴、だ」
戸惑いで、目を泳がせる若者に構わず、男は話を進めた。
「人材の一人が、道案内を望んでいる。お前がやってやってくれ」
「その人は、いつ頃出て来るんですか?」
動揺しながらも、訊く事は訊く若者に、男は答えた。
「聞いていないな。本人と連絡を取って見ろ」
「分かり、ました」
生返事をする相手に、言う事を言った男は、すぐに姿を消した。
見送らずに、立ち尽くした若者は目を閉じて、感情をやり過ごす。
囮の若者が、あの一族の元に向かう前に、自分はあそこでやらなければならない事が、出来た。
その時に、間に合うよう片付けるために、若者は今の仕事に集中する。
頭の中で割り振りを計算し、眠る暇がない事に、うんざりとしながらも、素早く動き始めた。
その一報は、直ぐに
「……どういう監視をしてたんだ、お前らは?」
いつもの気安い表情が消えた顔は、整っている分、恐ろしい。
だが、その怒りを受けた男は、はっきりと答えた。
「いつも通りの、しっかりとした、監視に決まってるでしょうが。それを、かいくぐられた」
凌が、忌々し気に舌打ちした。
「やはり、どんな手を使ってでも、あの時に消しておけばよかったな」
若い頃、凌は怒りに任せて、その者たちの殲滅を実行した。
が、人数も半分もいかない時に、泣き落としに引っかかった。
腐っても、一応は血縁者。
例え、血の繋がらない兄の親族と言う、薄い間柄でも。
その躊躇いが、甘い判断を招いた。
その後、聞こえて来る連中の悪行の数々が、当時の甘さを後悔させる。
今は、後悔を通り過ぎ、そいつらへの怒りしか浮かばない。
敷地の外に出たからには、奴らは自分の法で都合よい考えで、動き出すだろう。
「行先に、当てはあるのか?」
「あれば、こうしてあんたの所に、恥を忍んでこなかったっ」
介護という名の、見張りをしていた男も、この事態に取り乱していた。
「あんたなら、心当たり位、あるんじゃないかと、ここまで来たんだ。先々代の、行きそうな場所は、どこですか?」
「お前な、あの人の事は、お前も知っているだろう? 愛しい女のところでなかったら、お手上げだ」
リヨウは、眩暈を感じてよろめいた。
「あの人が、奴らを外に出したのは、分かってるんです。今更、何をやらかす気で……」
連中の中で、あの監視網と結界をかいくぐれる者は、一人だけだ。
カスミの、実の父親で、凌の父親違いの兄。
長男のヒスイが後を継ぐまで、適度に連中を抑え、ヒスイに後を譲った後も、連中を適度に抑え続けていた男だ。
その適度が過ぎて、問題が生じたのちは、連中を軟禁状態にし、最小限の被害に抑え続けていたはずなのに、今頃それを放棄した。
いや、と凌は思う。
兄は、一度やり始めた事を、途中で投げ出す人ではない。
「……この状態を動かす、何か好都合なものを、見つけたのかもしれないな」
「え?」
その、好都合と思われるものは、何だったのか。
少し前に、久々に顔を見せに戻った時は、変わった様子はなかった。
その後に何か、見つけたと言うのだろうか。
唸る男は、先程呼びに来た事務員に、再び来客の到来を告げられた。
「誰だ?」
「それが、お会いしたことのない方々で……ライラが来たと、伝えてくれと」
思わず、鋭く振り返った。
その勢いに慄くリヨウに構わず、凌は事務所の接客室の一つの、その部屋から飛び出した。
そこで待つのは、小柄な影と長身の影だった。
一見すると、男女のカップルに見えるが、凌は意外な取り合わせに驚いた。
「何で、お前たちが、連れ添ってここに?」
「……」
二人は黙って頭を下げ、長身の方が声をかける。
「すみません、お忙しいとは思うのですが、一つだけ、確認したいと思いまして」
「? 何だ、改まって?」
「この人の旦那さんが、会いに来ませんでしたか?」
目で指された女は、顔を伏せたままだ。
長身の者の、何でもない問いかけに、凌も冷静を装いながら答えた。
「来るはずが、ないだろう」
「本当に、ですか?」
顔を上げた女が、すがるように男を見返した。
「今更、気楽に顔を見せる間柄ではないのは、お前も知っているだろう? というより、お前もよく、顔を出せたな」
迫力ある笑顔で言うと、女は身を竦ませた。
凌の方は、軽い罪悪感を覚えながら、八つ当たり気味に言い放った。
「どういう事情かは知らんが、一度死んだ奴らに恨み言を言う気はない。もう顔も見たくないんだ。早く帰れ」
「すみ、ませんでした」
頭を下げ、ライラはそのまま背を向けた。
その傍に、寄り添った長身の人物も、凌に頭を下げて背を向けた。
歩き出した背を見ながら、男が声をかけた。
「
足を止め、振り返った律は、見目のいい銀髪の男を見上げ、微笑んだ。
「それすら、予想できぬほど動揺している方に、お答えする気は、ありません」
「おい」
「というより、この人の事をご存じなのなら、なぜこのご夫婦が、健在であるのかの理由にも、心当たりがあると思ったのですが。だからこそ、あなたが何か分かっていると、見越したと言うのに」
僅かに、律の表情に陰りが走った。
「……」
ライラが旦那となった大男と、この世に舞い戻って来たのは、随分前から知っていた。
その理由にも、見当はついているが、それをした人物の意図が、全く読めずにいた。
自分で、考えていた以上に動揺していた男は、そこまで考えて思い当たった。
ここに、どうして律が、一緒に訪ねて来たのかにも。
まさか、そこまでしないだろうと、凌は心の中で打ち消しながらも、訊かずにはいられなかった。
「律、お前の元に、まさか……ミヅキが、戻っていたのか?」
男装の女の顔が、一瞬崩れてから、頷いた。
「まさか、ミヅキをこの世に戻して、お前に引き渡したのは……」
いや、それ以前に、ライラやその旦那を同じように、この世に戻したのは……。
「カスミの旦那の、御父上です」
「……これか、あの人は、この為に……」
「それです、旦那。あなたに訊きたいのです。ぜひ、お答えください」
律が一変して、真剣に切り出した。
「あなたの兄上は、あなたの身近だった人を蘇らせて、一体、何を企んでいるんですかっ?」
「訊いて、どうする気だ? ミヅキが、知った上で蘇ったのなら、止めても無駄だろう?」
「あの人は、まだ中学生なんですっ。まだ、成長しきっていない。そんな状態で、あの狼と二人だけで、何ができると言うんですかっ」
柄にもなく叫ぶ女を見やり、凌は内心思う。
随分、根を回した割に、焦りが見える計画だ。
いや、ミヅキを出した時点で、自分をこの件から遠ざける気なのは明らかだが、時期が早すぎではないのかと思う。
狼の大男ならまだしも、成人したミヅキは、小柄な男だった。
まだ中学生なら、さらに小さい筈で、力も戻ってはいまい。
なのに兄は、この時期に、奴らを動かし……殲滅することを、決意したのだ。
他に、何か好都合の物を、見つけたのだろうか?
凌は二人をその場に残し、応接室に残していたリヨウを連れて、出て来た。
「少し、外出してくる。社長には、外回りと言っておいてくれ」
事務員にそう声をかけ、三人に呼び掛けた。
「情報交換をしたい。どこか、場所がないか?」
「私の店が……嫌でないのなら、空いています」
ライラが控えめに返し、凌は頷いた。
「そこにしよう。そこに、もう一人呼び出す。その上で、心当たりを絞っていくことにする」
手探りで調べるしかないもどかしさは、久し振りだ。
しかも、知恵比べでは勝てそうもない、兄の思惑を、読まなければならない。
全て終わった後に報告されるだろうが、その前に少しは把握して、仰天するのだけは避けたい凌は、その無茶な試みに、挑むことにした。
「置手紙もなく、夜の内に出てしまったらしくて、母も心配しているんです」
「そうか。でも、子供じゃないんだし、夫婦喧嘩なら、少し頭を冷やした方が、いいんじゃないかな」
答えた
「喧嘩なんか、していないと言うんです、母は。本当に突然、いなくなったって。もしかして、何か事件に巻き込まれたんじゃ、ないかって……」
「それなら、それこそ
メルも、気のない返事をした。
朱里は、二人の女の様子に、溜息を吐く。
相談に来た若者は留守で、代わりに相談に乗ると請け負ってくれた二人は、只の夫婦喧嘩の末の家出と決めつけ、話を収めようとしている。
「うちの人は、昨夜から、出張なんです」
「出張? 刑事が? 別な地の事件が、こっちの管轄の事件と、重なったの?」
「分かりません。でも、個人的に気になる仕事の方、みたいです。有休を取って出かけると、言ってましたから」
メルが首を傾げた。
「それも、葵にしては珍しいな。有休は、家族のために使ってんだろ、あいつ? そこまで気になる案件が、あったのか」
「それでも、結構余っていたみたいで、消化も兼ねているようです」
朱里も今日は、休みだ。
「偶々、父母の騒動に巻き込まれたのですけど、今回は、喧嘩にしてはおかしいと言いましょうか……」
「ん? その言い方だと、喧嘩自体はしょっちゅうあった?」
「数えきれないほどではないですけど、些細な言い争いは、ぼちぼちと見受けられました」
大概は父が折れ、ラブラブで終わる。
メルが、にこにこと笑って何度も頷くのに対し、雅は何とも言えない複雑な顔で、小さく唸った。
「あの二人、年甲斐がない上に、わき目も振らないから、目のやり場に困るんだよね」
「申し訳ありません」
「君と葵君は、可愛らしいから、いいけど」
優しい笑顔でさらりと言われて、朱里も年甲斐なく、照れてしまった。
幼い頃、父親違いの若者に引き取られて以降、雅にも可愛がってもらい、どう言う過程で葵と夫婦となったのかも、一部始終知られていた。
「美女と野獣、って言葉が、しっくりするよな。お前たちと言い、その親夫婦と言い」
メルがしみじみと言うのに乗って、朱里が話を逸らした。
「メルさんは、旦那さんとは、仲がよろしいのでしょう?」
「……うん。仲たがいするほど、一緒にいないから、喧嘩もしないなあ」
「へえ、そうなんだ」
不躾な質問をしたと、後悔する朱里を一瞥し、雅はいつもの様に、相槌を打つ。
「そう言えば、朱里ちゃんは聞いたことないね、メルの旦那さんの話」
「そうだった?」
しかも、更に深い所を聞く女に、朱里は慌てた。
オロオロする女に笑いかけ、雅は大丈夫だと頷く。
「それがさあ、会える時間は少ないけど、すごく律儀な人でね、優しいし……」
デレデレと笑いながら、メルは話し出した。
「いいよねえ」
頷きながらも雅は、意識をよそに持って行っているようだ。
つまり、これを真面目に聞くのは、朱里一人と言う事だ。
どんな罰ゲームだと、文句を言いたい気持ちを押し隠しつつも、朱里にとっては興味のある話だった。
ついつい聞き入っている女と、いつもの自慢話を始めたメルをそのままに、雅はそっと立ち上がって玄関へと歩いて行く。
先程、来客の挨拶の声が、聞こえたのだ。
途方に暮れた様子で、玄関先にいたのは、大柄な男だった。
大きい体ながら、人ごみにすぐ紛れられそうな容姿のその男は、接客に出て来た雅を見て、目を丸くした。
「あれ、来てらしたのか。セイは、留守なんですか?」
「留守なんだよ。あの子に何か用があるのかい、
瑪瑙と呼びかけられた男は、躊躇ってから答えた。
「いや、用と言う程のものじゃあないですけど……いないって、いつから?」
「さあ、私が来たのは、昨夜だったけど、その時もいなかったよ」
長く帰っていない気配があったと答えると、男は少し考えた。
「……そう、ですか。分かりました。すみません。お邪魔しました」
頭を下げ、暇を告げた時、客に気付いた他の二人が、顔を出した。
「あら、瑪瑙さん。こんにちは」
朱里が気軽に挨拶すると、瑪瑙も気楽に挨拶を返し、社交辞令で尋ねた。
「葵さんは、相変わらずか?」
「ええ。子供たちが会いたいと、言っています。時間があったら、また遊びに来てください」
「生憎今は、色々、取り込んでて、暇はないな」
困った顔の男に頷き、朱里は返した。
「そうですか。うちの人も、忙しいようなので、子供たちも寂しい思いをしているようで……今も、遠出をしているんですよ」
気軽に言って、遠出先を告げると、瑪瑙は何故か目を剝いた。
「……葵さんが、そこに、出張か? 仕事で?」
「公務ではないですけど、結構難しい問題らしくて、有休を多めにとって、出かけてしまいました」
「……いつ?」
妙に食いついた男に首を傾げながら、朱里は答えた。
「昨夜ですけど……瑪瑙さん?」
「そ、そうか。いや、それは、大変だな。今度、酒でも奢ろう。じゃあ、またな。では、お二方も、また……」
「おい」
朱里の後ろで、目を交わしていた女たちの一人が、低い声で男を呼び止めた。
「な、何ですか?」
必要以上にびくついてしまいながら返すと、そのすぐ傍に、雅が音もなく近づいた。
「何ですか、じゃないよ。君、何を慌ててるんだ?」
「いえ、別に慌ててなんか……」
後ずさる男の腕を攫み、女は優しい笑顔で見上げた。
「葵君が向かった先で、どんな事件があったんだい? 君が知っているくらいだから、相当の事件なんだろう?」
「ないですよ、事件なんてっ」
「だったら、何でそんなに、驚いてんだよっ?」
いつもより、低い声のメルの問いに、瑪瑙は慄きながらも、答えていた。
「あの人も、伯母さんからの報告を受けたと知って、驚いただけですよっ」
「報告?」
怪訝な顔をした三人に、男は勢いよく頷いて続けた。
「昔、滅ぼし損ねた一族が、逃げて隠れた場所が、判明したんです」
初耳の単語と、初耳の事情に、女三人は目を瞬いて、顔を見合わせた。
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