第七話 入学初日夜:それぞれの主従の内緒話

 王立学院の入学初日は長い一日だった。

 夕食を終え、学生寮の自室に戻ったリーリエ様と私は、テーブルを挟み、向かい合って座っている。リーリエ様の指示で、私の分のお茶も淹れた。青色で小花模様の描かれた上品なティーカップからは、湯気と共にカモミールの優しい香りが漂ってくる。


 貴族科特別クラスの生徒の自室は、中央に簡易的なキッチンの付いたリビングがあり、その左右に主人用の部屋と従者用の部屋が用意されている。従者用の部屋は主人用の部屋ほどではないが、ゆったりと生活するのに十分な広さが確保されていた。前の「私」の感覚で言うと、小さめの二LDKのような間取りだ。大きくはないが浴槽付きのお風呂とトイレもある。こういうところはこの世界の発展に感謝すべきか、前の「私」のゲーム世界を作った製作者に感謝すべきか分からないが、いずれにせよ私としては大変ありがたく思っていた。


 下手したら、桶に汲んだ冷水にタオルを着けて体を拭う程度の文化レベルだってあり得たことを思うと、水が豊富にあり、平民の家庭でも小さなバスタブがあるのが当たり前のお風呂文化があるこの世界観は、前の「私」の感覚にも馴染む。


 使用人科の学生寮の場合、部屋にシャワーは付いているがバスタブはないと聞いていたので、貴族科のリーリエ様付きの侍女になったことでこの住環境が与えられたことは、私にとっては僥倖と言えるだろう。


 向かいに座るリーリエ様に目を向けると、彼女はカモミールの香りをゆっくりと楽しんでから、カップに口を付けた。


「…おいしいわ。ターニャはお茶を淹れるのが上手なのね」


「お口に合えば幸いです。これからはもっとお好みのお茶をご用意いたしますので、リーリエ様のことはなんでも教えてください」


 リーリエ様は私の言葉に柔らかく微笑んだ。私はようやく出会うことのできた主人が少しでもリラックスできるよう、紅茶やコーヒーではなくカモミールティーを淹れたのであった。まだ好みが分からないので、あまり香りが強すぎないものを選んだ。リーリエ様はゆっくりとカップを口に運び、一口一口味わって飲んでいる。その表情から、お世辞ではなく本当にお茶を気に入ってくれたことが分かる。


 今日一日、リーリエ様はどれほど緊張していたのだろう。自分付きの侍女が決まるかどうかも分からずに登校し、入学式では貴族科特別クラスの一員として、第一王子のアルベール様やピヴォワンヌ様といった錚々たる顔ぶれに並んで最前列に席が設けられていた。その後のホームルームでの自己紹介だって、平民から男爵家の娘となったばかりの彼女には、相当なプレッシャーだったはずだ。ゲームの知識があり、とっくに心の準備が出来ていた私よりもずっと。それでいて、彼女は教室でも寮でも、侍女になったばかりの私が不安にならないよう心配りをしつつ、自身の心細さなど微塵も見せないように、ずっと背筋を伸ばし、前を向いていた。


 『月と太陽のリリー』のヒロインを、前の「私」は好ましく思っていた。ただ賢く健気で可愛らしいだけでなく、その凛とした姿や優しさに心惹かれていたのだった。そして今日、ようやく現実世界でリーリエ様と出会い、私は彼女を心から支えていきたいと思ったのだ。リーリエ様が貴族科Sクラスに入学できたことや、彼女の持つ高い学力や穏やかな性格は、すべて生まれ持ったものや幸運だけでは決してない。自らを律し、努力して生きてきたことが、この一日だけでも伝わってきたからだ。


 そして、彼女の人となりを知り、これまでばあや修行の名の下に積み重ねてきた私の努力も無駄ではなかったと思えた。侍女の基本のひとつであるお茶の淹れ方は、何年も自己研鑽を重ねただけでなく、様々なハーブのブレンドティーがブームとなっている、第四伯爵家の領都のカフェにも勉強に行き、短期間ではあるが働かせてもらってある程度マスターすることができた。


 怒涛の一日が終わり、平民出身でありながらいきなり貴族科に放り込まれた私たちふたりは、すでに互いに戦友のような気持ちも感じ始めているが、間違いなく今日が初対面であった。これから互いに理解し合う時間が必要だろう。私から話しかけようかと考えていたところ、先にリーリエ様が口を開いた。


「ターニャ、遅くなりましたが、まずはお礼を言わせてください。私の侍女を引き受けてくれて、本当にありがとう。今日イーサン様がおっしゃったとおり、あなたには使用人科特別クラスを卒業し、輝かしい将来を掴むチャンスがあった。その未来を諦めさせてしまったことを謝るのは簡単だけれど…」


 リーリエ様は私を見つめ、心から申し訳ないという表情を浮かべた。


「…私が謝ってしまえば、それはあなたがしてくれた決断を否定することになるわ。だから、謝りません」

 

 リーリエ様はキリッと表情を引き締めて続ける。


「…そのかわりに、誓います。あなたの決断を決して後悔させないことを。私は末端男爵家の娘でしかないけれど、この三年間必死でもがいて、あなたが仕えるに相応しい主になってみせます」


 それは、思いがけない言葉であったが、リーリエ様の本心からの誓いであることが伝わってきた。私はその言葉に、リーリエ様の気持ちに、誠実に応えなくてはならない。


「もったいないお言葉です。私こそ、これから益々ご成長されるリーリエ様に置いていかれないように、リーリエ様に必要とされる侍女になれるように、邁進する所存です。教室でお話したとおり、リーリエ様にお仕えしたいと思ったのは直感でしたが、今日一日でその直感に間違いはないと確信いたしました。これから末永く、よろしくお願い申し上げます」


「ええ、こちらこそ」


 ここでようやく、朝からずっと強張っていたリーリエ様の表情がふわりと綻んだ。その笑顔は誰もが見惚れてしまうほど可憐で、頭の中で「ぎゃーーーー‼ヒロイン可愛すぎるうううう」と見悶えている前の「私」を無視し、私も笑顔を返したのであった。


 そして内心では、もしもこんな笑顔を見せられたら、今日自己紹介のときからリーリエ様の可愛らしさに固まっていたアルベール様はイチコロだろうなと確信をするのであった。



 リーリエ様に就寝の挨拶を済ませた後、ティーセットを片付け、自分に与えられた部屋に戻った私は、脳内で現状の確認を行う。


 十五歳の現時点で、アルベール様とピヴォワンヌ様の関係は非常に良好なものである。恋愛的な意味でなく、友情的な意味で。それは今日一日、ふたりがごく自然な態度で隣にいたことでよく分かっていた。この状態であれば、いきなりアルベール様がリーリエ様に迫ったり、ピヴォワンヌ様がやきもちを妬いてリーリエ様に突っかかってきたりするような可能性はかなり低いと思われるが、念のため今後の動向は注視していくべきだろう。


 実際のところ、私はアルベール様の恋心にはさして興味がない。肝心なのは自分の生涯の主人となったリーリエ様の気持ちだけだ。リーリエ様がストーリーどおりに第一王子アルベール様に恋をするのであれば、その恋が皆に祝福される形で実るよう、当然ながら手を尽くす。もしもゲームとは異なり、リーリエ様が他の誰かに恋をするのならば、私としてはそちらを全力で応援するだけなのだ。


 明日からはリーリエ様の心の変化をしっかりと見極めていくと共に、教室で気になったあのふたりにも話を聞く必要があるだろう。


 ひとりはもちろん、一瞬だけ悪役令嬢のような空気を纏ってみせた、ピヴォワンヌ様。教室でリーリエ様と話す様子からは、ここ数年の彼女らしい優しさが見えたが、帰り際に発していたオーラが気になっていた。ゲームの強制力が後から働き、突然キャラが変わる可能性だって否めないのだ。彼女の変化については要注意である。


 そしてもうひとりは、私と同じくアルベール様の一目惚れに気付いていた、彼の従者ヘクターだ。ゲームの中ではヒロインに惹かれていく王子に苦言を呈し、婚約者(悪役令嬢)との関係を大切にするよう説いていた彼が、この世界でどう出るのかは分からない。しかし、もしも彼がリーリエ様を害するような動きを見せるのであれば、私としては容赦しない。長年鍛えてきた剣術や隠密スキルを駆使し、状況次第では物理的にも社会的にも潰すくらいの覚悟は持っている。

 

 実際にそんな血生臭いことにはならないことを願ってはいるが、ヘクターは要注意人物として、彼に対し気を抜かないよう、私は方針を固めたのであった。



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 貴族科学生寮の自室に戻り、扉を閉めると、第一王子アルベールの従者であるヘクターは、主人に容赦なく詰め寄った。良い笑顔を浮かべているが、彼のこの類の視線は自分を責めるときのものだと、アルベールは長年の経験で嫌というほど分かっている。

 

「で、何をやっているのかなあ、アルは?」


「…何のことだ」


 もちろん心当たりはあったが、自身でも困惑しているところであり、つつかれたくないところでもあったので、アルベールはとぼけてみせた。二歳年上のヘクターは従者ではあるが、子どもの頃から生活を共にしており、兄弟のような気安い関係である。公の場でなければ、敬語も使わない。こういう言い方をするのは王子である自分を叱ろうとしているときだけなので、できれば話を逸らしてしまいたい。


「ジプソフィラ男爵令嬢に見惚れてたよね?従者や侍女の自己紹介のときも、話半分だったし。素直に白状しようか」


「…すまない」


「何に対する謝罪なのか分からないよ。…まあ、問題があることを自覚しているなら良いけど。隣に婚約者であるピヴォワンヌ様もいらっしゃるところで、あんな表情で固まるんだから、オレは本当にハラハラしたよ。目線で何度も合図しているのに気付かないなんて、アルらしくもない」


「……うん、すまない。自分でも驚いているんだ。…彼女を見た瞬間に、目が離せなくなってしまって…」


 主が本当に困惑した表情で、長身を丸めてシュンと小さくなっている様子は、世の中のご令嬢たちが見たら普段の硬派なイメージとのギャップで「可愛いいいいい‼」という悲鳴が上がりそうだなと、ヘクターはぼんやりと思う。しかしいくら可愛らしく萎れた様子を見せられようと、容赦はしない。


「ホームルームのあと、ご令嬢方に直接挨拶したときも見惚れてたよね。まさかあんな短時間でアルが二度も醜態をさらすなんて想像もしなかったよ。ピヴォワンヌ様が他のことに気を取られていたから気付いてなかったのが幸いだったね」


「…う。二度目はすぐに取り繕って見せたと思ったのだが…やはりお前にはバレていたか」


「もちろん。というか、取り繕えてなかったよ。態度は自然を装えていたけど、視線がずっとリーリエ嬢に向いていたからね。ちなみにオレだけじゃなくて、イーサン様にも感づかれたと思う」


 アルベールは驚いた顔をしているが、ヘクターは小さくため息をつき、続ける。


「妹のエヴリン様は気付いてなかったと思うけど、イーサン様は抜け目のないことで有名なオリアンダー伯爵家の中でも、とくに洞察力に秀でている方だからな。最初の自己紹介のときには気付いてなかったけれど、ホームルームの後にみんなで雑談をしていたときには気付いてた。…頼むからこれからはもっと気を付けてくれよ。オリアンダー伯爵家は王家との繋がりも深く、イーサン様はアルの幼馴染でもあるし悪いようにはしないだろうけど、婚約者を持つ第一王子が他の女子生徒に懸想したとの噂でも立てば大問題だ」


「…ああ、肝に銘じておく」


 反省した様子の主を見て、ヘクターは今後は大きくため息をつき、従者としての小言はここまでで終わりにした。ここからは兄弟のように育った友人としての言葉だ。


「なあ、アル。今のは従者としてオレが言うべきことだから指摘したまでだ。昔から言ってるよな。『もしもお前に本当に愛する人が出来た場合には、何があっても応援する』と。その気持ちは今も変わってないよ。婚約を白紙にすることは確かに大ごとだが、所詮は結婚の約束をしているというだけであって、まだ結婚しているわけじゃない。王族だって人間なんだから恋だってするさ」


「…そうは言っても、お前は俺とピヴォワンヌとの仲を応援していると思っていたのだが」


「それはお前が他の誰にも恋をしなかった場合だよ。婚約者であるピヴォワンヌ様に恋ができたなら、それがいちばん幸せだろうと思ったからだ。お前が本気でピヴォワンヌ様以外の女性に恋をするとしたら、オレは全力で協力する。その根回しが出来るくらいの人脈も作っているから安心しろ。だから、もしもそうなったときは、迷うな」


 自分の目を見て真剣に話すヘクターに、アルベールはこれが彼の本心であることを理解する。


「…ああ、ありがとう。リーリエ嬢のことは自分でもまだよく分からないんだ。ただ単に彼女の容姿がとてつもなく好みであったというだけなのかもしれない。まずはクラスメイトとして普通に接してみるさ」


 アルベールの言葉に、ヘクターはそれ以上は何も言わず、ただ頷いたのであった。



 ヘクターは、アルベールとピヴォワンヌの婚約関係に、友情はあっても愛情はないことを知っている。アルベールだけでなく、ピヴォワンヌも彼に恋をしてはいない。幼い頃に王家と侯爵家が結んだ婚約であり、政略結婚というのはそういうものである。ふたりの関係は良好なので、愛はなくとも協力し、堅実に国を治めていくことは可能だろう。しかし、数百年に渡り安定した成長を続けているリリーヴァレー王国にとって、この政略結婚は必ずしも必要なわけではない。だからこそヘクターは、いつか自分の主であり親友でもあるアルベールが本気で恋をしたなら、必ず彼を支え、彼が真に愛する女性を妻に迎えられるよう、尽力するつもりでいた。


 そしてそこにあるのは、主への忠誠だけではない。彼には彼自身の目的があった。


「…イーサン様ともうひとり、彼女も気付いていたんだよなあ…」


 自室に戻ったヘクターは、リーリエの侍女の射抜くようなダークブラウンの瞳を思い出し、主には聞こえない音量でぼそりと呟いた。



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 その頃、イーサン・オリアンダーの自室では、彼の従者アールだけでなく、妹のエヴリンとその侍女のエマも集まり、四人で歓談していた。

 十九歳のアールと十七歳のエマは兄妹で、オリアンダー伯爵家の執事の子どもである。幼い頃からイーサンとエマの従者・侍女になるべく育てられた。よく言えば賢く、悪く言えば悪知恵が働く、いたずら好きの双子の世話役として、長年手を焼いてきた。


 十五歳になりだいぶ落ち着きが見えてきた双子だが、全寮制の学院に入学し親元を離れたことによって、良い方向に転ぶのか、悪い方向に転ぶのかは未知数で、従者兄妹は内心冷や冷やしている。


「リーリエさんが貴族科に来てくれて良かったわねー。平民出身で優秀な主従なんて、とっても面白そうだわー」


 エヴリンは他意なくリーリエとターニャの主従に興味を持っており、ご機嫌な様子でお茶を飲んでいる。


「ホントだよね。真面目で有名なアルベール様とご婚約者のピヴォワンヌ様、それに僕たちの四人だけで三年間過ごすなんて、つまらないし肩は凝るし、勘弁してほしいと思ってたからね。彼女たちが入ってきてくれたおかげで面白くなりそうだよ」


 イーサンも妹の言葉に賛同する。しかし彼が面白がっているのは、彼女たち自身のことだけではない。ホームルームの後の雑談中に、第一王子アルベールがリーリエを見たときの表情をしっかり目撃していたからだ。堅物として知られ、婚約者とも愛情はないが穏やかな関係を築いている幼馴染の彼が、これからどのように変化していくのか、非常に興味が湧いたのだ。


「これからの学院生活が楽しみだね」


 にこにこと笑うイーサンの表情に、幼い頃いたずらを思いついたときと同じものを感じた従者アールと侍女エマは、こっそりと目を見合わせて、主人たちにバレないようにため息をつくのであった。



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 ピヴォワンヌの自室では、ソファーに腰掛け、侍女のサラが淹れた紅茶を飲みながらも、拗ねた表情でブツブツと呟くピヴォワンヌの姿があった。


「うう…人を羨んだり妬んだりするのはいけないことですわ。分かってはいますのよ。…でもでも‼」


 侍女のサラは、そんな主の姿に苦笑いを浮かべている。貴族科特別クラスの学生がそれぞれ家から連れてくる使用人は、信頼が厚いだけでなく、ひとりで主人の身の回りの世話から基礎的な護衛まで務まる者である必要があるため、生徒本人よりも年上の場合が多い。サラもピヴォワンヌより三歳年上の十八歳であり、ピヴォワンヌの乳母の娘であったことから、幼い頃よりピヴォワンヌに仕えている。ピヴォワンヌにとっては自分を取り繕う必要のない姉のような存在でもあった。


 夏の社交シーズンにピアニー侯爵一家が王都の屋敷に滞在する際には、領地の使用人の多くは同行しないのが普通だが、サラはここ三年間ピヴォワンヌの侍女として王都にも同行していた。そのため、彼女はピヴォワンヌとターニャの関係もそばで見てよく知っている。本当はピヴォワンヌがターニャを侍女として学院に同行させたいと願っていたことも。だからこそ、今ピヴォワンヌが何に対して拗ねているのかよく理解していた。


「まさかターニャがジプソフィラ男爵令嬢の侍女として貴族科Sクラスにいらっしゃるとは思いませんでしたねえ」


「そうなんですの…!本当はわたくしだってターニャを連れてきたかったのに!」


 昨年の夏にターニャと他言語会話の練習をしていた頃も、ピヴォワンヌは本心では彼女を侍女に誘いたいと思っていたのだ。しかし、ターニャが使用人科特別クラスを目標として何年も努力していたことを知っていて、それはきっと将来仕えたい家か、就きたい職業があるのだと理解していたからこそ、ピヴォワンヌは友人の夢を邪魔するようなことは言えなかった。


 また、自分が貴族科特別クラスに合格しないという可能性は低かったが、万が一クラス分けテストで失敗し、普通クラスになってしまったら、侍女を同行させることはできなくなる。たとえわずかでもその可能性がある以上、大切な友人であるターニャを囲い込むようなことはしてはいけないと考え、黙って身を引いていたのだ。


 そして内心では、この王立学院で過ごす三年の間に、立派な淑女となれるようさらに努力を積みながら、ターニャとの交流を重ねて、ターニャが使用人科を卒業するときには、自分に仕えたいと彼女が思ってくれるような存在になろうと決意を固めていた。


 まさか入学初日に、新興男爵家の令嬢にターニャを取られるなんて思ってもおらず、ピヴォワンヌは入学早々に自分の三年間の目標を見失ってしまったのだ。


「わたくしの方がターニャと早くお友達になりましたのに…!学院卒業後には彼女に選んでもらえる自分になろうと努力しておりましたのに…!わたくしはもう、リーリエさんがうらやましくて…!それも出会った瞬間に彼女に仕えることを決心したのだなんて…!…うう、ターニャもリーリエさんも、何も悪くないことは分かっておりますのに、あっさりとターニャがわたくしではなくリーリエさんを選んだことが、どうしても恨めしくて悔しくて…!…ひっく!こんな汚い心を持ってしまうなんて、わたくしは第三侯爵家の娘として、アルベール様の婚約者として、本当に…恥ずかしくて死んでしまいそうですわーーーー!!」


 ピヴォワンヌはサラ相手に愚痴をこぼしながら、最後には抱えきれない思いが溢れて泣き出していた。


 妃教育を受け、常日頃より賢く冷静で淑やかな令嬢であるよう徹底しているピヴォワンヌであるが、まだまだ幼い部分もあった。普段感情を抑えているからこそ、極稀に感情がピークに達したときに決壊してしまうのだ。


 そんな主人のことを妹のように思っているサラは、わんわんと声を上げて泣くピヴォワンヌの背中を優しくさするのであった。彼女がこんな風に感情を爆発させることができるのは、自分の前だけであることを理解しているからこそ、こういうときは昔から思いっきり甘やかそうと決めている。彼女が明日になれば、また完璧な侯爵令嬢として、背筋を伸ばして歩けるようにと祈りをこめて。


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