第六話 新米主従はクラスメイトと交流する
入学式後のホームルームは、顔合わせと教科書類の受け取りだけで終了となった。全寮制の学院で、生徒の多くが入学式の前日もしくは当日の入寮となるため、今日は早めに寮に戻って生活環境を整える時間を取るという目的もある。
ホームルーム終了後、待ち構えていたというように、リーリエ様と私の元にやってきたのは、ピヴォワンヌ様であった。
「リーリエさんとおっしゃるのね。これから三年間、どうぞよろしくお願いいたしますわ」
「ピアニー様。あらためまして、お初にお目にかかります。リーリエ・ジプソフィラと申します。これからどうぞよろしくお願い申し上げます」
「そんなにかしこまらなくてもよろしくてよ。クラスメイトなのですから、もっと気軽な口調で構いませんわ。それに、名字ではなく名前の方で呼んでいただきたいわ」
「ありがとうございます。では、…ピヴォワンヌ様と、呼ばせていただきますね」
つい先日までのリーリエ様にとっては、間違いなく一生出会うことのなかったであろう超高位貴族、第三侯爵家出身のピヴォワンヌ様を名前で呼ぶには、相当な勇気が必要であったのだろう。顔には出ていないが、美しく揃えられた指先が一瞬だけ震えていた。
ピヴォワンヌ様は確かに高位の貴族令嬢であるが、その人となりをよく知っている私としては、気持ちはよーく分かるけれど、そこまで緊張しなくても大丈夫なのだとリーリエ様に伝えたい。そう思っていると、ピヴォワンヌ様が今度は私に話しかけてきた。
「侍女のターニャさんも、これからよろしくお願いしますわ」
「はい、こちらこそよろしくお願い申し上げます。ピヴォワンヌ様」
互いにいかにも初対面のクラスメイトらしく挨拶した後、目を合わせて微笑み合う。リーリエ様は私が臆さずにピヴォワンヌ様の名前を最初から呼んだことに、一瞬驚愕の表情を浮かべたが、すぐにポーカーフェイスを作ることに成功した。一方で、ピヴォワンヌ様の紅玉の瞳には、いたずらが成功した子どものような、楽しげな光が見える。
「ふふ、堅苦しいのはここまでにいたしましょう。ターニャ!お久しぶりですわね。いつか学院で会えたらとは思っておりましたけれど、まさか貴族科のSクラスで会えるなんて思ってもみませんでしたわ。これから毎日一緒に学べるなんて夢みたいですわ!」
ピヴォワンヌ様は先ほどまでのいかにも高位貴族のご令嬢といった雰囲気を緩め、無邪気な顔で笑い、私の両手を握った。第三侯爵家の息女であり、第一王子の婚約者でもあるピヴォワンヌ様が、初対面のはずの平民出身の侍女に親しげに接する様子に、隣にいるリーリエ様だけでなく、クラスメイト全員が驚いている。
「お久しぶりでございます、ピヴォワンヌ様。私もお会いできて嬉しゅうございます。実は私にとっても青天の霹靂だったのですが、幸運なご縁があり、こうしてリーリエ様付きの侍女として、貴族科にて学ばせていただけることとなりました」
驚きに固まる周囲をよそに、私もピヴォワンヌ様へ言葉を返した。
「あなたとクラスメイトになれるなんて、これからの学院生活が本当に楽しみですわ。お友達として仲良くしてくださいね、ターニャ。もちろん、リーリエさんもでしてよ」
「…はい、ありがとうございます。ピヴォワンヌ様」
「ありがとうございます。ピヴォワンヌ様」
私との会話に巻き込まれる形で話しかけられたリーリエ様は、戸惑いながらも返事をする。私はピヴォワンヌ様がリーリエ様にも声を掛けたので、主であるリーリエ様の返事を待ってから、一歩遅れて返事をした。
クラスメイトとはいえ、侍女としてここにいる私が、主であるリーリエ様を差し置いてピヴォワンヌ様と親しくすることは、どう考えてもおかしい。ピヴォワンヌ様はリーリエ様の立場に気を遣って、このように話しかけてきたのだろう。また、そこにはピヴォワンヌ様の思いやりが見える。高位貴族である彼女が、積極的に平民出身のリーリエ様と私を認めることで、名実ともに私たちを対等な関係として扱うことを、周囲に示したのだった。
やはりピヴォワンヌ様は、悪役令嬢とは全く違う、よく気の回る素敵な女性へと成長している。ゲームの強制力の発動を恐れていた私にとっては、それが何よりも嬉しかった。
その後もにこにこと笑いながら会話するピヴォワンヌ様と私の姿に、誰もが疑問に思ったことを、アルベール様が口に出した。クラスメイトではあるが、まだ初日のこの状況で、ピヴォワンヌ様に気安く話しかけることができるのは、婚約者であり第一王子である彼だけであった。
「話の邪魔をしてすまない。ピヴォワンヌ、もしかして彼女が、以前あなたが話していた他言語が堪能な少女だろうか?」
「ええ、殿下。左様でございますわ。ご紹介いたしますわね。こちら、たった今お友達になりました、リーリエ・ジプソフィラさんと、侍女のターニャさんです。ターニャさんは昨年までの三年間、夏の間にわたくしの他言語の会話練習相手をしてくださってましたの。リーリエさん、ターニャさん、ご存じとは思いますが、こちらはリリーヴァレー王国第一王子のアルベール殿下ですわ」
すでにクラス全体での自己紹介はしていたが、ピヴォワンヌ様が先に私たちの「お友達」になったので、アルベール様に形式に沿った紹介をした。ついでにこの場にいる全員の疑問を解決すべく、私となぜ面識があったのかを説明してくれた。私としてもリーリエ様に説明する機会がないままだったので、ピヴォワンヌ様のこの発言は非常に助かった。
「ジプソフィラさんと、ターニャさんだね。これからよろしく頼む。ふたりとも平民出身ということで、もしも何か学院内で困ることがあればいつでも声を掛けてくれ。私としても、平民の暮らしや街での生活についていろいろと教えてもらえるとありがたい」
「リーリエ・ジプソフィラと申します。温かいお言葉、痛み入ります、殿下。どうぞ私のことも気軽に名前でお呼びください」
「では、リーリエさんと呼ばせてもらおう。私のこともアルベールで構わない。ターニャさんもな」
「承知いたしました、アルベール様。これからどうぞよろしくお願い申し上げます」
「ありがとうございます、アルベール様。私のことは呼び捨てで結構でございます」
第一王子でありながら、平民出身の私たちに温かい言葉をかけてくれたアルベール様に、リーリエ様と私は丁寧なお辞儀と共に、感謝を込めて返事をした。
学院全生徒の中で当然ながら最高位にあたるアルベール様が、私たちのことをクラスメイトとして受け入れたということは非常に重要である。そもそもこの王立学院は、前の「私」が知る他の殺伐とした乙女ゲームとは違って比較的平和ではあるが、イレギュラーな存在というのはどうしても悪目立ちし、反感を買いやすいものだ。
第一王子がクラスメイトとして名前で呼ぶことを許した私たちに、滅多なことをする輩は現れようがない。アルベール様と、婚約者であるピヴォワンヌ様の今の態度こそが、リーリエ様と私にとってはいちばんの盾となってくれるだろう。
ふたりへの感謝で胸がいっぱいになっているところに、テンションの高い声が飛び込んできた。
「初めましてー!ねえねえ、あなたたちとっても優秀なのね?貴族なら誰でも入れる貴族科と違って、難関の魔術学院特別クラスの合格者と、使用人科特別クラスの合格者だなんて、驚いちゃったー!これから一緒に学べるのが楽しみだわー!それにそれに、ターニャちゃんは語学が堪能なことで有名なピヴォワンヌ様の練習相手だなんて、びっくりしちゃったー!平民なのにそんなレベルで他言語を身に着けるなんてあなた只者ではないわねー?ねえねえ、どうやって勉強したのかしらー!?」
怒涛の勢いで話しかけてきたのは、オリアンダー伯爵家の双子の妹の方、エヴリン様であった。好奇心旺盛なことはゲーム知識で知っていたものの、その勢いに圧倒されていると、兄のイーサン様が助け舟を出してくれた。
「エヴリン、まずは挨拶をしなよ。リーリエさんとターニャ、と呼んで良いかな?驚かせて悪かったね。僕はイーサン・オリアンダー。こちらは妹のエヴリン。僕らのことも名前で良いからね」
「はい、よろしくお願い申し上げます、イーサン様、エヴリン様」
「どうぞよろしくお願い申し上げます」
イーサン様の割り込みによって、なんとか最初の挨拶の体裁が調ったので、私たちはまたも揃って頭を下げた。
自分の質問の邪魔をされ、隣でブーブー言っているエヴリン様をよそに、イーサン様はさらに続ける。
「今年の貴族科Sクラス合格者は
何気ないように話すイーサン様の言葉に、リーリエ様と私は思わず息を呑んだ。第一伯爵家であるオリアンダー家の力と、彼自身の情報収集能力の高さが垣間見えたからだ。
王立学院貴族科も、王立魔術学院も、合格者にはそれぞれに合格証明書と共にクラス分け通知が送られるが、合格者数は一切知らされないため、入学するまで本人以外の生徒のことは分からないはずなのだ。
また、使用人科に至っては、当日に合格者のクラス分け掲示板を見て初めて、自分の順位とクラスを知ることになる。だと言うのに、イーサン様はターニャの順位を知っていた。事前にあらかじめ調査をしていたか、今朝の発表後に家の者に確認させた情報を入手したのかは不明だが、いずれにしてもかなりの情報収集力があることは間違いない。
そしてその内容は妹のエヴリン様には伝わっていないらしく、素直に驚いている。
「使用人科Sクラス合格というだけでも超優秀なのに、ターニャちゃんは一位だったのー!?本当にすごいのね、驚きだわー!」
エヴリン様の言葉を受け、この機会に説明してしまおうと判断したのか、リーリエ様が口を開いた。
「はい、イーサン様のおっしゃるとおり、ターニャは使用人科入学試験の首席合格者でした。実は、父が爵位を頂戴したばかりの我が家では、お恥ずかしながら貴族科特別クラスに同行させられるような侍女がおらず、急なことでしたので適切な者を探す余裕もなかったのです。そこで学院に相談いたしましたところ、使用人科受験生のトップを取ったのが女子学生で、これまでの経歴から人格や能力も申し分ないとの推薦をいただいたのです。それがターニャでした。私の侍女の役目をお願いしたのは、今朝のことなんです。突然の無理なお願いにも関わらず、快諾してくれたターニャに、私は心から感謝しています」
リーリエ様は前半はクラスメイトに説明をするように、後半は時折私の目を見て、感謝の気持ちを伝えてくれた。そんなリーリエ様に、私も思わず微笑みがこぼれる。
「じゃあふたりは今日出会ったばかりだったのねー!先ほどからの様子を見て、古くからの主従なのかと思ったわー」
エヴリン様の言葉に、その場の皆が頷いた。おそらく、私が侍女としてごく自然に主を立てるよう振舞っていたからだろう。私自身は万能なばあやになるという夢のために、その過程としてメイドや侍女になれるよう、幼い頃から使用人としての振る舞いは独学で学んでいた。また、ゲームを思い出してからはリーリエ様にお仕えする日を夢見て猛勉強をしてきたこともあり、彼女を立てるのは当たり前のことであったのだ。
リーリエ様にとって私は数時間前に出会ったばかりの侍女でしかないが、私からすれば彼女は数年来出会う日を心待ちにしていた「生涯のご主人様」なのであった。
「うん。それにターニャさんもよく決断したよね。僕だったら迷うと思うな」
イーサン様の言葉にもまた、この場の皆が同意していた。貴族科特別クラスへ従者・侍女として主人と共に入学することは、使用人としては大変な名誉である。
しかしそれは前提として、以前から主やその家との繋がりがあってのことだ。もちろん、私がただの平民の娘であったなら、そのような幸運が転がり込んできたら一も二もなく飛びついたっておかしくはない。ところが、私は王立学院使用人科の特別クラスに合格しており、卒業すれば高位貴族である侯爵家や公爵家での雇用はもちろん、王宮勤めだって望む権利を得ることができたのだ。
貴族科特別クラスに通うリーリエ様の侍女となってしまえば、余程のことがない限り、彼女の手足となって生涯ジプソフィラ男爵家、もしくは彼女の婚家へ仕えることとなる。通常であれば、使用人科特別クラスへ首席で合格するほど努力したのは、より高い場所で活躍することを願ってのことであるはずで、言葉は悪いが、つい最近男爵家となったばかりで、領地なし貴族であるジプソフィラ家での雇用は、私の能力とこれまでの努力に見合っているとは考えられないものであった。
今朝の学院長室で私がジプソフィラ男爵家からの申し出を断る可能性だって十分にあり、だからこそ、男爵様もリーリエ様も、私に強く決断を迫るのではなく、あくまでも私の意思を尋ねる形で依頼してきたのであった。そのような背景についてはリーリエ様も理解していたのだろう。先ほどのイーサン様の言葉を受け、不安げな表情で私を見ている。
私は誤解のないようきっぱりと答えた。
「確かに、リーリエ様とはお会いしたばかりですが、リーリエ様の凛としたお姿を一目見た瞬間に、この方が私のお仕えすべき方だと感じたのです。もしもリーリエ様が私を侍女として望まれなかったとしても、使用人科卒業後はジプソフィラ男爵家へ自分を売り込みに行こうと思ったほどです。私はこういうときの自分の直感を信じておりますので」
リーリエ様を生涯の主に決めたことに、一切の悔いがないことを、私は言外に伝えた。
決意のこもった私の言葉を聞いたリーリエ様は、そのエメラルドグリーンの瞳が潤みそうになるのをこらえるように、数回瞬きをしてから、それは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、ターニャ。私も必ず、あなたに恥じない主になります」
新米主従の少女たちが微笑む合う姿を、クラスメイトも微笑ましく見守り、初日は和やかな雰囲気で解散となった。
…しかしその中の数名からは、違う種類の眼差しを向けられていることに、私は気付いていた。
ホームルーム中からずっとリーリエ様から視線を逸らせないでいるアルベール様は別として、彼の従者であるヘクターは、どこか意味ありげな瞳で私たちを見ていた。おそらくはアルベール様の異変に気付き、今後リーリエ様にどう対応すべきか考えを巡らせているのだろう。
そしてもうひとり気になる反応をしたのは…ピヴォワンヌ様だった。
一見穏やかに微笑んでいるのに、どこか冷ややかな空気を纏っている気がする。そんな彼女の雰囲気が、ほんの少しだけ、ゲームで悪役令嬢として登場した彼女の姿に重なったような気がして…
私は胸騒ぎを覚えたのであった。
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