第二話 ばあや志望の少女は本編開始に向け着々と準備を進める

 前の「私」を思い出してから二年が経ち、わたしターニャは十二歳になった。


 リリーヴァレー王国では無償での初等教育制度があり、多くの子どもたちは十二歳から十五歳までの三年間、街の初等学校に通う。


 平民の子どもの場合、十二歳になるまでには家の手伝いや他家での下働き等を行いながら、自分の適性を見極める。農業に従事するので学問は不要だという場合や、家業を継ぐため学校よりも家の仕事を学びたい場合、兵士志望のため初等学校ではなく兵士養成所へ入る場合などもあり、初等学校への入学は必須ではない。下働きや家庭教育の時点で勉強より体を動かす方が向いていることが判明すると、そういった進路を選ぶことが多く、また、基礎的な読み書きだけ修めたい場合には、最初の一年目だけ初等学校へ通うということもできる。


 しかし、初等学校へ通う子どもが大多数ということもあり、通わないことを決めた子どもには街の担当者が直接面談し、本人の意思確認を行っている。親の一方的な押し付けで子どもの将来を狭めてしまったり、学びの機会を奪って子どもが強制的に働かされたりすることは、将来的な国の損失であるという考えから、そのような不幸な子どもを生み出さないため、この制度はこの国では長く続いていた。


 そして今、わたしの前には街から派遣された面接官がいる。

 子どもでも臆せず話しやすいようにという配慮なのか、ひとりは母親くらいの年齢の優しい笑顔の中年女性で、主に書記を担当している若い男性も、親しみやすい雰囲気の「良いお兄さん」という印象だ。


「ターニャさん、初等学校へ通わないというのは、あなた本人の意思で間違いないですか?」


「はい、間違いありません」


 面接官の言葉に、私ははっきりと肯定を返す。


「学校へ通わないことを決めた理由を教えてもらえるかしら?」


「これまで本をたくさん読んで勉強したり、男爵様のお屋敷で下働きをさせていただいたときに、使用人の方々から計算や他国語を教えてもらったりしたので、初等学校での勉強は私には必要ないと思うからです。十五歳になったら王立学院の使用人科へ入りたいので、下働きをしながら勉強は自分で続けます」


 スラスラと理由を答えたわたしに、面接官ふたりは驚いたような顔をした。


「そうなのね。だけど、王立学院を目指すのなら学校で習うこともとっても大事だと思うのだけれど?」


「近所のお姉さんから、初等学校の三年生の試験問題を見せてもらったことがあるんです。…ちょっと言いにくいんですけど、私にはその問題があまり難しくなかったんです」


 わたしの言葉に、面接官は戸惑ったようだが、その言葉は紛れもなく事実であった。前の「私」の世界で大学まで卒業した記憶のある今のターニャわたしにとって、この国の平民が勉強する内容は小学校から中学校で学んだ内容で問題なくカバーできており、本当に必要がなかったのだ。


 そんなところに三年もの年月を費やすくらいなら、少しでも貴族のお屋敷で働いて、使用人としての経験を積み、知識やスキルを強化したり、剣術の稽古をしたり、他のスキルを学ぶ時間に使いたいと思う。そして何より、わたしにはこの三年間でやりたいと決めていることがあるので、ここは面接官に納得して帰ってもらいたい。


「あの、生意気を言って申し訳ないのですが、何か私に初等学校で習う内容から問題を出していただけませんか?答えられるか確かめてもらえたらなって思うんです」


 私は敢えて子どもらしさを残した喋り方で、面接官にお願いをする。その言葉を聞いて、書記を務めていたお兄さんが面白そうな表情で、わたしにいくつか質問をしてきた。掛け算や割り算といった計算問題から、この国の歴史に関することや、身分制度のこと、他国の知識や言語についてなど、様々な分野について問われたが、わたしは淀みなく回答していく。


「驚いたわ、あなた天才かもしれない!いろんな事情で初等学校に行きたくないという子はいたけれど、学校の勉強内容が不要な子なんて初めてよ!」


 面接官の女性は本当に驚いた様子であったが、わたしの意思について納得してくれた。先に両親からも話を聞いていたとのことで、わたしの初等学校入学見送りについて無事に承認してもらうことができた。


 帰り際、書記を担当していたお兄さんが、ささっと紙に何かを書いてわたしに差し出してきた。


「キミはとても面白いお嬢さんだね。もし良かったら、この紙を持ってこちらの屋敷を尋ねてみて。夏の社交シーズン前で使用人を募集しているから」


 その紙を見た私はとても驚いた。それは、ある侯爵家での使用人募集に応募するための紹介状であったのだ。なぜお兄さんにそんな伝手があるのか尋ねると、お兄さんはそちらの侯爵家で代々執事を務める家の三男で、跡取りには上の兄ふたりがいるし、貴族家での堅苦しい仕事が肌に合わなかったため、今は街で文官を務めているのだという。


「初等学校をすっ飛ばして難関の王立学院使用人科を目指そうという、優秀で珍しいお嬢さんだからね。ちょっと応援したくなったんだ。それにたぶん、今ならキミにぴったりの仕事があるはずだから」


「…!ご親切にありがとうございます!雇っていただけるかは分かりませんが、ぜひ挑戦させていただきます!」


 わたしはお兄さんに深く頭を下げ、その背中を見送ったのだった。


 元々使用人としての経験を積むため、以前働かせてもらっていた男爵家の伝手で、今年の夏はもう少し爵位の高い家で下働きができたら、と考えていた。そしてわたしには、あと三年の間になんとか潜り込みたい、否、働かせてもらいたいと願っていた侯爵家があった。


 叶うとしてもずっと先のことだと思っていたのに、まさかこんな急に幸運が舞い込んでくるなんて…。

 手の中の紹介状に書かれた侯爵家の家名に、私は心臓がドクドクと音を立てるのを感じた。



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 ついに、来てしまった…。


 先週我が家を訪問した面接官のお兄さんが書いてくれた紹介状を握りしめ、わたしは今、この国で王家を除いた貴族家全体で五番目の地位を持つ、超高位貴族の屋敷の裏門を見つめている。使用人が主に使用する裏門ですら木戸ではなく金属で造られており、扉には家紋が彫られている。


 ピアニー侯爵家は、この国の第三侯爵家である。


 この国の権力ピラミッドでは、頂点に立つリリーヴァレー王家を筆頭に、現在は第一と第二の二つの公爵家が後に続く。公爵家の数は状況によって変動するため決まりはないが、侯爵家以下の貴族家の数は上限が決められていて、侯爵家が八、伯爵家が十二、子爵家が十五となっている。

 

 男爵家は全部で四十の家があるが、そのうち半数の二十の家については領地なし貴族となっており、騎士や文官として功績を上げた者に対する褒章としての意味合いが強い爵位となっている。


 男爵家についてはとくに序列はないが、公爵家から子爵家まではそれぞれ国への貢献度や領地経営の状況など様々な指標を基に、第一・第二・第三…といった序列があり、三年に一度の見直しが行われる他、何か大きな成果を上げた家に対して特別褒章として爵位が与えられた結果、序列が入れ替わることもある。


 あらためて王国の最新貴族名鑑を脳内で復習し、たった今、門を叩こうとしている「第三侯爵家」と、平民でありまだまだ子どもであるわたしとの格差を自覚し、緊張で指先が震える。


 わたしがこの家で働きたいと考えたのは、将来的に王立学院使用人科への受験に必要な知識と経験を得たいというのはもちろんであるが、もうひとつ大きな理由があった。


 現ピアニー侯爵のご息女であるピヴォワンヌ様は、現在わたしと同い年の十二歳で、リリーヴァレー王国の第一王子であるアルベール様の婚約者だ。そしてこのピヴォワンヌ様こそが、『月と太陽のリリー』における悪役令嬢その人であった。


 『月と太陽のリリー』では、三人の攻略対象のルートがあるが、ハーレムエンドや途中でのルート分岐はなく、ストーリー開始時にルートを選択し、最初からひとりのヒーローに絞って仲を深めていく。もちろん、クリア後に他のルートを選択して全ストーリーを楽しむことは可能である。そしてどのヒーローのルートを選んでも、悪役令嬢はピヴォワンヌただひとりとなっており、彼女は必ずヒーローの婚約者としてヒロインの前に立ち塞がる。


 わたしが暮らす世界でのピヴォワンヌ様は、幼い頃に第一王子と婚約を結んでいたことから、現在ストーリーは第一王子アルベール様をヒーローとしたメインルートに向けて進んでいると考えて間違いないはずだ。


 ゲーム開始前にわざわざ悪役令嬢の生家である侯爵家と縁を繋ごうとしているのは、彼女が悪役令嬢化することを防ぎたい、という理由に他ならない。


 ゲームでのピヴォワンヌは、見目麗しいが気位が高く我儘で、嫉妬深いキャラクターとして登場する。ダークレッドのロングヘア―と紅玉の瞳を持つことから、『赤百合の姫』と称され、キャラクターデザインのイラストでも、リリーヴァレー王国南部で名産の赤百合:サンライトリリーが描かれる。


 有力貴族である第三侯爵家の長女として生を受けたが、母親は彼女を生んだ後に産後の肥立ちが悪く亡くなっており、三歳のときに父である侯爵は後妻を迎えている。継母は穏やかな性格の女性で彼女を虐げるようなことはまったくなかったものの、父と継母との間に生まれた弟と妹が両親の愛情を受けてすくすくと成長するうちに、家の中で疎外感を強めていく。


 八歳のときに結ばれた第一王子との婚約によって長期間の王妃教育を強いられ、将来の王妃として育てるために実の父親である侯爵は常に彼女に厳しく接していた。可愛いがられ甘やかされて育つ弟妹との違いに幼い彼女の心が荒れるのは当然のことであった。その心を守るため、彼女は伯爵家出身の継母より爵位の高かった侯爵家出身の実母を持つこと、また、自身が第一王子の婚約者であることを心の拠り所とし、選民意識と王子への執着が増していくのである。


 ゲーム本編が始まると、平民から男爵家の娘となったヒロインのことを蔑み嫌うと共に、クラスメイトとして少しずつ距離を縮めていく王子とヒロインの姿に嫉妬の炎を燃やす。彼女にあるのは王子への愛情ではなく、「王子の婚約者」という自身の立場への執着であった。


 最初は婚約者であるピヴォワンヌを裏切るつもりなんてまったくなかった王子だが、次第に彼女の権力への執着心を嫌がるようになる。また、能力主義で平民にも勉学や活躍のチャンスを多く与える王国を、将来共に導く者として、彼女は国母に相応しくないと考え、少しずつ離れていく。そんな王子の心をなんとか自分に向かせようと、ヒロインへの嫌がらせを行うようになっていくのだ。


 このようなピヴォワンヌの生い立ちや思考は、ゲーム本編完結後、領地で静養という名目の蟄居を言い渡された彼女から、ヒロインへの謝罪と懺悔の手紙で明かされる。 


 彼女の気持ちと苦悩を知ったヒロインは、結果的に自身が第一王子と結ばれたことで大きく人生を狂わせることになってしまったピヴォワンヌを哀れに思うと共に、彼女のことを生涯忘れず、必ず立派な王妃として生きることを決意する。そして彼女を忘れないために、自身のいちばん好きな花であり、王妃となった際の象徴花でもある白百合:ムーンライトリリーを自分の身の回りには決して飾らず、いつまでも赤百合のサンライトリリーを傍らに飾り続ける…という後日談のエピソードがあるのであった。


 他にもいくつかのエピローグがあり、領地で静養する悪役令嬢も、彼女に仕える従者の青年との明るい未来が暗示され、希望を持たせるようなエンディングとなるのだが、ゲームをプレイしていたときの「私」は、彼女の生い立ちや心情には同情を寄せており、また、明るく健気なヒロインが、大好きな白百合ではなく、自責の念を込めて赤百合だけを飾り続ける姿に胸が痛んだ。


 悪役令嬢なのでゲームの演出上仕方ないとは言え、ピヴォワンヌの育ち方が少しでも違ったら、彼女はこれほど悲しい思いをしなかったのではないかという気持ちがあった。また、ヒロインも大好きであったが、ピヴォワンヌのビジュアルも好みであったということもあり、彼女たちのどちらにも幸せになってほしいと願わずにはいられなかった。


 十歳のときにゲームの記憶を得た、ターニャである今のわたしは、この現実をどう生きるかを考え、「ヒロインと悪役令嬢のどちらも幸せになる道を模索する」と決めていた。もちろん、その上で将来的にばあやポジションを得て、自分のことだって幸せにするつもりでいる。


 わたしはせっかくサポートキャラに転生したのだから、ヒロインも悪役令嬢もサポートして大団円エンドを作るんだ!


 自分の決意とやるべきことを頭の中で再確認し、緊張する胸を押さえながら、わたしは侯爵家の扉を叩くのだった。


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