転生侍女は完全無欠のばあやを目指す
ロゼーナ
第一話 ばあや志望の少女は前の「私」を思い出す
それは長い冬の寒さが和らぎはじめた静かな朝のこと。華美な物は何一つないものの、すべてが清潔にきちんと整えられ、誰もがほっとするようなあたたかさを感じる室内は、ベッドに横たわる女性の生き様を映し出すようだった。
「ばあや!!起きて!ねえ、起きてったら!!」
「……なんですかお嬢様、そんな大きな声を出して…」
とっくの昔に母親になったというのに、少女の頃と変わらないキラキラとした大きな瞳に涙を浮かべるお嬢様を見て、思わずたしなめる言葉が口をつくが、どうにも声がかすれてしまう。
「ばあや!聞こえているか!目を閉じないでくれ!なあ、ばあや!」
「……ええ、聞こえてますよ。……いつ以来でしょうねえ、ぼっちゃまが私をばあやと呼ぶなんて…」
ほとんど骨と皮だけになってしまった皺々の左手を、いつの間にかぼっちゃまの大きな手が包み込んでいる。程よく鍛えられた体躯に、強い意志が感じられる眼差し、常に凛とした佇まいは、在りし日の先代のお姿に瓜二つだ。しかし、そんな立派な成長を遂げた彼であるが、今は声も手も微かに震えている。
その横には、今年五つになるぼっちゃまの双子の娘たちが、いつにない父と叔母の姿に心細そうな顔をしている。
「……嫌ですよ、ぼっちゃま。…少し落ち着いてくださいな。お嬢ちゃまたちが心配してますよ」
「大ばあや、どうしたの?おねむなの?」
「大ばあや、どうしたの?どこかイタイの?」
「…いいえ、お嬢ちゃま方。大ばあやはどこも悪くありませんよ。…さあさあ、こんな年寄りの部屋にいても面白くないでしょう。…食堂に行ってらっしゃいませ。…料理長がビスケットを焼いてくれますからね」
「「ビスケット!!!!」」
大好物を思い浮かべたふたりの天使は、途端に目を輝かせて駆けていく。
「大ばあや、またねー!」
「大ばあや、またくるねー!」
いつものお見舞いと同じ言葉を残し、手を振るふたりに精一杯の微笑みを返した。「また」はもう二度とないのだと、幼いふたりは知らない。
そんなふたりの姿を見たぼっちゃまとお嬢様は、いよいよ目を真っ赤にしている。
「ふたりは私が引き受けましょう。そろそろうちのおチビちゃんの昼寝も終わる頃だしね。…ばあや、ありがとう。また必ず会おう」
そう言ったのは、お嬢様のご主人様だ。
彼はお嬢様の背中を支えていた手を離し、私の右手とその上に重なるお嬢様の手を一緒に大きな両手で包んで、強くぎゅっと握りしめた。お嬢様の幼馴染みでもあった彼のことは、子どもの頃から知っており、私にとってはもうひとりのぼっちゃまのような存在だ。
その分だけ彼にも思うところがあったのだろうが、この場はぼっちゃまとお嬢様のふたりに任せようと決めたらしい。双子のお嬢ちゃまたちと同じ「また」という言葉に違う意味を込めて去って行った。此岸で「また」彼らと再会することは、もう二度とないのだ。
………良い人生だった。
長らく見守ってきたおぼっちゃまとお嬢様に逆に見守られ、両手から伝わる温もりを感じながら、ゆっくりと目を瞑る。
重いまぶたの向こう側にぼやけていく、大切な人たちの幸せを祈りながら…
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
「…というのが私の理想の人生!」
いつものメンバーのいつもの女子会で熱弁を振るうが、友人たちの生温い視線が返される。
「いや、あんたの人生だしそれであんたが満足なら何も文句はないけどね…」
「その妙に具体的な看取り希望はなんなの?普通は自分の子どもや孫に囲まれて死にたいとか言うでしょ!何故にばあや?」
「分かんないかな〜?ばあや最強じゃない!私はこれまでの仕事を通してばあやポジションに無限の可能性を感じてるんだよ!」
私は、よくぞ聞いてくれたとばかりに立ち上がり、こぶしを握り締めて熱弁する。
「まず第一に、長らく同じ家にお仕えすることが可能、つまり終身雇用!それも奉公先の一家の状況に合わせて任される仕事も変わるから、最初は下働きやメイドから始まり、徐々に実力を認められてメイド頭や侍女に昇格したり、乳母になってお子様方を育てたり、自分の年齢や能力に応じたキャリアアップができるから働くモチベーションの維持が可能!築き上げた信頼関係によってリタイア後の面倒まで見てもらえる!(イメージ)」
友人たちは私から目を反らして、「あ、この唐揚げおいしーい!」とかなんとか言っているが、私は私でそちらのことは気にせず続ける。
「第二に、ばあやには奉公先の一家、とくに家長である旦那様への絶対的忠誠心がある!(イメージ)
尊敬も信頼もできない上司の出す、理不尽で効率の悪いアホみたいな指示とは無縁の生活!このお方の言うことに間違いないと信じて迷いなく働けることのなんと素晴らしいことか!
第三に、親でも他人でもないばあやポジだからこそ適度な距離感でお子様方をかわいがることができる!(イメージ)
ベタベタに甘やかすタイプのばあやも良いし、躾に厳しく口うるさいタイプのばあやもまた良し!あくまで子育ての責任と主導権は親にありながら、親と同じかそれ以上の熱量で愛情を注げる対象がいることで死ぬまで楽しい!ばあや万歳!!そんなばあやに私はなりたい!!!」
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
妙な夢を見てしまった…
どこか違う国なのか、私はエールのようなお酒がなみなみと注がれた大きなグラスを片手に、ばあやになるという夢について熱弁を振るっていた。最終的には、「私、生まれ変わったら絶対ばあやになるんだ!!」と叫び、周りの友人たちに「死亡フラグを立てるな!」とツッコミを入れられていた。
……ん?…私?
そう、あれは確かに「私」だった。
夢と現実が入り混じる妙な感覚に首をひねりつつ、朝の身支度を始める。初夏の清涼な空気を感じ、井戸で汲んだばかりの冷たい水で顔をさっと洗い、清潔な布で拭くと、シャキっと目が覚めた。続いて、こっそり気にしている天然の癖毛を収めるため、櫛を手に取り手鏡に向かう。
鏡に映る自分を見た瞬間、突然頭の中にもうひとりの意識が流れ込み、思わず呟いた。
「…わたし、ターニャだ。」
両親や弟妹がわたしを見たら何を当たり前のことを言っているんだとあきれただろうが、今はわたしひとりなので気にせずそのまま思考を続ける。
今朝夢に見た「私」は、「わたし」を知っていた。
「私」はここよりもずっと文明の発達した国で、会社員として働いていた。幼い頃から絵本やアニメの世界で知った「ばあや」という存在に妙に憧れ、大学時代は幼稚園教諭の免許を取得し、アルバイトではベビーシッターをしていた。子どもたちのお世話をするのは大変だけどやりがいがあって、何より私に懐いてくれる姿が可愛いくて可愛いくて仕方なかった。
現実的な給与や働き方の問題もあって、就職先は子ども相手の仕事ではなく、子ども向けの知育玩具を中心に開発を行っている、社員数80名ほどの中小企業の事務職を選んだ。新卒後三年ほど経った時点でたまたま空いた社長秘書の仕事を任された。
最初は子ども向けの夢のある仕事だと思ったのに、現実はどこまでもブラックで、事務職の三年間は残業地獄であった。社長秘書になってからは、早々に接待ディナーに出かけていく社長を見送り、ほぼ定時で会社からは帰れるようになったが、プライベートのスマートフォンには朝から深夜までお構いなしに延々とワンマン社長からの連絡が入ってきて、私は徐々にノイローゼ気味になっていった。
社長より送られてくる連絡から物理的にも精神的にも距離を取るため、休日はスマートフォンの電源を切り、パソコンで乙女ゲームをするのが、あの頃の私の唯一の楽しみであった。
現実でささくれだっていた私の心には、過激すぎる内容のゲームは合わず、グラフィックと音楽の美しさに心癒されるゲームが好みだった。中でもお気に入りだったのが、リリーヴァレー王国という架空の国を舞台とした全年齢版ゲーム、『月と太陽のリリー』だ。このゲームでは、壮麗な学園の校舎内だけでなく、イベントによって郊外の自然豊かでのどかな風景の中でキャラクターを操作できること、王都や都市部は発展しすぎず不便過ぎず、ほどよい中世感があり私好みだったこと、そして何より、身分制度はあるものの、きちんと本人の能力が評価される国の仕組みがあったことで、理不尽なことばかりの現実からトリップしたい私にはぴったりだった。
乙女ゲームなので、定番の王子様×平民出身ヒロインが結ばれるのがメインストーリーで、ふたりの邪魔をしつつ恋愛のスパイスとなる王子の婚約者(=悪役令嬢)も存在したが、全年齢版のため悪役令嬢の嫌がらせ内容もそこまで陰湿なものはなく、婚約破棄イベントは起きるが、断罪追放断頭台エンドのような凄惨な事件には発展せず、婚約破棄後の悪役令嬢は領地でしばらく謹慎になるか、修道院に入るかのどちらかであった。せめてゲームの中くらい幸せな世界であってほしいと思う私には、この過激すぎないほのぼの乙女ゲームが性に合っていたのだと思う。
そしてここからが本題であるが、今のわたし「ターニャ」は、このゲームの登場人物のひとりであった。
昔から鏡を見るたびに何か既視感のようなものを感じることがあったのだが、自分の顔を見知っているのは当たり前なので、とくに気にも留めていなかった。ゲームの記憶を思い出したわたしには、その理由が理解できていた。
「ターニャ」は主人公であるヒロイン付きの侍女であり、ゲームのサポートキャラだ。このゲームでは、ヒーローは王子をメインとした三人の男性がデフォルトでデザインされているが、ヒロインの容姿は細かくカスタマイズできるようになっていた。さらにオマケ要素としてサポートキャラにも愛着が湧くよう、ヒロインほど細かいカスタマイズはできず、顔やスタイルはデフォルト設定どおりだが、サポートキャラの名前、髪の色、髪型、瞳の色だけは選択可能になっていた。
サポートキャラは「侍女」としてヒロインに仕える設定であったことから、私は昔絵本で読んだお姫様付きのメイドの名前を付けており、そのメイドのイメージに合わせて金髪のお団子ヘアーで、目は青色にしていた。
今のわたしの名前である 「ターニャ」は、サポートキャラのデフォルト名であった。瞳の色は特徴のないダークブラウン。髪の色はピンクブラウンで髪型はミディアムボブ。天然パーマによるウェーブがかかっているが、わたしはこの癖毛にコンプレックスを持っているので、今は髪を結ってまとめられるように伸ばしているところだ。
顔立ちはデフォルトなのでゲームの記憶のとおりなのだが、自分が設定していた瞳の色や髪型と大きく異なるため、印象が違う。また、ゲームの開始年齢より今は幼いため、何か引っかかるものはあってもこれまで気づかずにいたのであろう。
そう、『月と太陽のリリー』は、王立学院の入学式の日からストーリーが始まる。その時点でヒロインと同い年のターニャは十五歳のはずだ。今のターニャは十歳なので、ここがゲームと同じ世界であるならば、本編のストーリー開始まであと五年というところだ。
「…これはいわゆる異世界転生ってやつかしら」
ここまで考えたところで、わたしは「私」の記憶から、そう推測する。ここがゲームの世界であるという証拠はないが、固有名詞や国のシステムなど、『月と太陽のリリー』の世界と一致していることから、おそらく間違いないだろう。「私」の世界にはそういったテーマを扱うゲームや作品が多数存在していたので、意外とすんなりと受け止められた。
また、いわゆる「夢オチ」や、「ゲームの世界に閉じ込められた」というパターンもあるが、十歳に至るまでのターニャ自身の記憶がしっかり存在し、夢にしては長く具体的すぎるし、現時点でターニャの人生がゲームとはまったく絡んでいなかったことから、後者の可能性も排除して良いだろう。
似た内容で「異世界転移」というジャンルもあったが、「私」と
肝心の意識だが、あくまでわたしはこれまで生きてきた「ターニャ」のままであると理解する。前世なのか何なのかは分からないが、ただ「私」という人間の生活知識や、ゲームに関する記憶を持っているというだけで、わたしの中にもうひとりの人格が芽生えたというわけではない。
そして何より、今のわたしが心から思うことは…
「この世界で良かった…。本当に良かった…!」
乙女ゲームと一括りで言っても内容は様々で、殺伐とした世界は山ほどあるし、戦争に巻き込まれて三回くらい滅ぶ国、魔界から魔物がわんさか沸いてくる星など、超ヘビーモードなストーリーは世の中にいくらでもあったのだ。もしかしたら乙女ゲームに限らず、大量ゾンビな世界やライフルを抱えて派手にドンパチやるような世紀末ヒャッハー!な世界への転生だってあり得たのかもしれない。その中で、「私」が現実逃避として楽しんでいた『月と太陽のリリー』ならば、終始戦争も起きない平和な世界で生きていける。
また、舞台となっているリリーヴァレー王国は四季や自然も美しく、平民でも出世可能な能力主義の国で、「私」にとっては理想の世界だったのだ。どこの世界の神様に感謝したら良いのか分からないが、わたしはこの幸運に心から感謝していた。
前の「私」は現実逃避も含め、ばあやになることを夢見ていたが、ターニャ自身の夢も「ばあやになること」であった。子どもの頃より「いつか立派なお貴族様のお屋敷で働き、生涯お仕えすること」を夢見ていたのだ。そのため、「私」の夢には非常に共感できたし、もしかしたら思い出す以前より、前の「私」の記憶や感情に影響された結果、ばあやを目指していたのかもしれない。
わたしは五歳から、実家のパン屋の手伝いを始め、六歳からは徐々に他の店や農家での下働きもしていた。それらはすべて、「将来ばあやになるためには、その過程として優秀なメイドや侍女にならなければいけない。そのために、主人のどんな要望にもお応えできるよう、どんなことでもできるようになりたい」という強い気持ちがあった。
そう、わたしが目指すのは、ただのばあやではない。おとぎ話や小説に登場する、家事やご主人様のお世話だけでなく、様々な知識と能力を持ってご主人様を支え、必要なものは瞬時に用意し、戦闘も暗躍も何でもこなせるような、完全無欠のばあやになりたいのだ。
この世界の平民は、子どもの頃から家業の手伝いや近隣の店での下働きなどを行い、自分の適性に見合った職業を選ぶことが一般的である。最初は子どもの遊びの延長線上で、簡単な手伝いから始めるのが普通なのだが、わたしはなぜか幼い頃から「何でもできるばあやになる!」と宣言しており、吸収できるものは何でも身に着けようと、周囲の子どもたちとは一線を画すレベルで本気で働いていた。
両親の作るパンは素朴でとてもおいしいが、生来の人の好さが全面に出ており、商売としては微々たる儲けしか出ていなかった。わたしは最初は店の品出しや厨房での洗い物の手伝いから始め、徐々にパンの作り方を覚えると、店の経営の立て直しに着手した。次々と新作の総菜サンドや見た目の可愛いらしいデザートパンなどを生み出し、両親の店は街でいちばん人気のパン屋となった。
もちろん、パンを作ることだけではなく、料金設定の見直しや手作りポップの設置、商品配置と客の導線の見直しなども並行して進め、わたしの数々のアイディアによってかなりの繁盛店に成長した。ちなみに、元々おっとりした両親が忙しくなりすぎることのないよう、今は毎日夕方にほどよくすべてのパンが売り切れになるように調整している。
両親がとくに隠しもしなかったので、パン屋の成功がわたしの力によるところが大きいことは、近隣住民にもよく知られていた。これをきっかけに、潰れかけていた近所のレストランや、市場の寂れた野菜売り場の立て直しなども頼まれるようになり、小さな街でわたしはすっかり有名人になっていた。
父には「ターニャは本当にすごいなあ。自慢の娘だよ」と手放しで称賛され、母には「お母さんのうっかりが遺伝しなくて良かったわ~。だけど私たちからこんなに優秀で働き者の娘が生まれたなんて不思議ねえ~」とよく言われていた。
わたし自身、両親と自分のキャラの違いは不思議であったし、なぜこれほどまでにばあやになるために必死なのか、自分でもその原動力がよく分かっていなかったのだが、やはり前の「私」の影響を、知らず知らずのうちに受けていたのだと思う。思い返してみれば、パン屋の経営やその他のお店の立て直しなどに用いたアイディアは、前の世界の知識を無意識に利用していたのだった。
十歳のわたしの目下の目標は、平民が通える学校として最難関の、リリーヴァレー王立学院使用人科へ入学することであった。しかし、ゲームの記憶を得たことで、今後の方針を少々見直す必要が出てきた。王立学園入学まであと五年、まだ時間はある。これからのことをしっかり考えて、「わたし」と「私」の夢を絶対に叶えよう。
鏡に映った自身を見つめ、わたしは静かに決意を固めたのだった。
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