TR-40 - Prodigal Son

 翌日。疲れていたのか、ロニーはいつもより少し遅い時間に目覚めた。

 簡単に身支度を済ませてリビングの扉をそっと開けると、ルカがソファに寝そべったままTVの画面を眺めていた。ロニーに気がつくとルカは躰を起こして坐り直し、朝の挨拶もそこそこに、音をだしていない画面を黙って指さした。

「うっそ、もう報道されてるの……」

 いつもコーヒーを飲みながら視ているニュース番組で、淡いパープルのスーツを着た女性アナウンサーがなにか熱心に喋っていた。画面の下には『テディ・レオンの双子の弟、間違われて襲われ死亡』とテロップがでていて、画面が切り替わるとかなり前に出演した音楽番組の演奏シーンが映った。映像が停止され、眩いライトを浴びベースを弾くテディが一瞬顔をあげたところを、画質が荒くなるのも構わずクローズアップされる。

「さっき別のチャンネルでユーリも映ってた。まったく、どこから情報を仕入れるのかね」

「事故も報道されてるのね……。ま、しょうがないわね。またしばらく鬱陶しいかもしれないけど、すぐに収まるわよ」

 ロニーはカーテンと、デスクの後ろの窓を開けた。途端に冷たい空気が吹きこんできて、眠気の残っていた頭をすっきりと目覚めさせる。

 八月も残すところあと僅かな、濃厚な秋の気配にロニーは思わず身震いした。

「ああ、またブルチャークの時期だな、来週か、再来週くらい?」

「そうね、楽しみ……。一年って早いものね」

 答えながら窓を閉め、デスクの上に置きっぱなしだった煙草を取って火をつけると、ロニーはルカの向かい側に腰を下ろし、灰皿を引き寄せた。

「みんなお寝坊さんね。昨夜はそんなに遅くまで飲んでないのに……」

「ああ、ドリューとジェシはもう帰ったぞ? 七時半頃だったかな……まだみんな当分起きてこないだろうし、暇だから帰るってさ」

「え、そうなの? じゃあユーリとテディだけまだ――」

 云いかけて、ロニーは声のトーンを落とした。「ねえルカ、結局あなたたちってどうなったの? ユーリはテディにふられたって云うし、昨日はふたりでなにか話をしたんだろうって思ってたのに、またテディはユーリと一緒だし……。ユーリが怪我をしてるからだっていうのはわかるんだけど」

「ああ、それなら心配ないよ。テディの好きにさせときゃいい」

「より、戻らなかったの……?」

「戻したよ」

「じゃあ……やっぱり怪我してるから? 今だけ?」

「いや、ユーリもより戻したろ、たぶん」

「え?」

 ロニーはわけがわからないという顔をした。「どういうこと?」

「結局、俺もユーリもテディから離れられないだろうって話だよ」

「ふたりでテディを共有……じゃない、ふたりともテディを譲れないってことなの?」

 ルカは頭の後ろで手を組んで、さもおかしそうに笑った。

「違うな。……テディの奴が、俺とユーリのふたりともをしてるのさ」

 ロニーが首を傾げていると、ばたん、かたんと物音がした。呼ぶより誹れではないが、どうやらテディたちも起きてきたらしい。ロニーは立ちあがってキッチンへ行き、コーヒーを淹れる準備を始めた。

 同時にエントランス側の扉も開き、ユーリとテディがルカと朝の挨拶を交わす声が聞こえた。

「おはよう」

「おはよ。ロニーは……キッチンか。ドリューとジェシは?」

「もう帰った」

「早いな」

 ユーリがテディの肩を借りながらいつもの場所に坐るのを見届け、ロニーは後ろから声をかけた。

「おはよ。あのふたりは早起きってだけじゃなくて、すごく周りを見てるからね。ジェシはすごく空気を読む子だし、ドリューはいつも周りを気にかけて、さりげなくいいフォローをしてる。だから、きっと……あなたたち三人になにか感じて、気を遣ったんじゃないの」

 それを聞いてユーリは軽く驚いた顔をすると、ルカに向いた。

「かもしれないな。――で、テディから聞いたが、おまえ、本当にそれでいいのか」

「ん? ああ、そのことか……いいも悪いも、そんな感じにしかならないさ。それを受け容れるだけだよ。今までとそんなに変わらないってことだし、問題ないだろ」

「……ただし、俺が余所で遊ぶのはなしなんだよな」

 テディがそう付け足すと、ユーリがすかさず「当たり前だ!」と顔を見た。テディはその勢いにくすくすと笑って席を立つ。

 その様子に、ああ、本当だ……とロニーは、さっきのルカの言葉を頭のなかでなぞった。

 ふたりを――否、世界中のファンを魅了してやまない容姿と才能を持った青年をじっと見つめる。今はガーゼや絆創膏が貼られた顔半分を隠すように長めの髪を垂らしているが、それでも整った中性的な顔立ちは隠しきれてはいなかった。

 コーヒーメーカーからサーバーを外し、カップに入れていると「手伝うよ」とテディが自分用にであろうミルクを冷蔵庫から出した。半分ほどコーヒーを入れたカップを左側に立つテディに渡しながら、ロニーはその横顔を目に留めた。


 滑らかな線で描かれたような、額から頸へと続く理想的なライン。長く濃い睫毛はアイラインなど要らぬほどにくっきりと大きな瞳を縁取り、やや厚めのかたちの良い唇は肌の白さを際立たせるように血の色を透かしている。

 ロニーはあらためて思った――間近で見ると本当に、吸い寄せられそうに綺麗な顔だ、と。ずっと見つめていたくなるような、自分が対象外なのが残念なような――


「……なに?」

 つい見蕩れてしまっていたらしい。マイクロウェーブオーブンからカップをだすテディにそう訊かれ、ロニーは慌てて「その絆創膏、取れかかってるわよ。あとで貼り替えてあげるわ」とごまかした。




       * * *




 ロニーの自宅周りはさすがになんともなかったが、送っていったルカやユーリのフラットの辺りには予想どおり、またもやカメラを持った報道陣が何人か待ち構えていた。

 ユーリが病院で自宅で安静にしているようにと云われていたこともあって、ロニーは当分のあいだメンバーたちは自宅待機と決めた。が、翌日は警察署から連絡があり、ルカとテディ、ユーリの三人を連れて書類にサインするためだけに出向き、帰りにユーリの病院へも寄ったり、ついでに買い物をしたりと、ずっと部屋に籠もっているわけにはいかなかった。

 警察へ行ったとき、ふと思い至ってロニーはルディの葬儀について尋ねたが、ローゼンベルク氏の自宅があるドレスデンに遺体が送られた以外のことは警察ではわからない、ということだった。

 テディはドレスデンという、プラハからさほど遠くない地名に目を瞬かせていたが、葬儀の日時や場所がわかったところで行く気はないと云った。ロニーもそのほうがいいのかもしれないと思い、それ以上はなにも云わなかった。



 それから四日が経って、ふらりとテディが事務所に顔を出した。買い物に行く途中、美味しそうなチョコとピスタチオのヴィエネチェクVěnečekと、ラズベリータルトMalinová tartaletkaがあったので差し入れにと思い、買ってきたと云う。

 サングラスを取ったテディの左目の痣は少し黄色味が残ってはいるものの、痛々しかったあおぐろい部分はほとんどなくなり、腫れもすっかりひいていた。ユーリの脚も順調に回復へと向かっているらしい。テディは、自分がずっと傍にいるのは世話をして助けるというよりも、動けないわけではないのでついついキッチンに立ったりするユーリを見張って、安静にさせるためという感じだと笑った。

 ずっと閉じ籠もっているわけにもいかず、フラットを出たときに何度か報道陣やパパラッチに写真を撮られたりはしたものの、肉親の不幸が絡んでいる所為か思ったほどしつこく付き纏われはせずに済んだとも云っていて、ロニーはほっとした。

 エリーやターニャとヴィエネチェクを食べながら雑談しているテディを見て――ロニーは、なんだか雰囲気が変わったなと思った。どこが、というほどのことでもないのだが、なんだか少し余裕というか落ち着きというか、纏う空気に穏やかさを感じるのだ。

 まあ、いろいろなことがありすぎるほどあったし、テディももう、次に年が明けたら二十四歳だ。成長するのも当然かもしれない。

 感慨深げに笑みを溢し、ロニーはデスクの上に置いたはずの煙草の箱を探した。

「あれ? ……ねえ誰か、私の煙草知らない?」

「え、触ってませんよ? ああ、ひょっとしたらさっき、手紙を置いたときに下になってしまったのかも」

 ターニャが答え、ロニーはデスクに積まれていた手紙の束を除けてみた。

「ああ、あったわ」

 マルボロライトメンソールの箱をみつけ、じゃあ重ねて置いてあったライターもここらにあるはず、と、ロニーはばらばらに崩れた手紙を無雑作にひっくり返した。案の定そのなかからスリムな銀色のライターが現れた。それを取り、煙草を一本箱から出そうとして――ふと、除けた封筒の裏の達者な文字に目がいった。

 ライターと煙草の箱を片手に持ったまま、もう一方の手でその手紙を抜きだし、封筒の宛名を確認する――セオドア・ルシアン・レオン・ヴァレンタイン。事務所名のあとに記された長いフルネームを一瞬考えるようにまじまじと見つめ、ロニーは顔をあげた。

「テディ……、これ、あなた宛だわ」

「え?」

 ロニーはデスクを立つと、ソファでターニャの淹れたカフェオレを飲みながら煙草を吸っていたテディに、手紙を手渡した。テディはなんだろう、と小首を傾げながら封筒の裏を見た。

 差出人の名前はアレックス・V・ヴァレンタイン、とあった。

「……じいさんから?」

 テディは眉を寄せながら煙草を消し、封筒を開けて手紙を読み始めた。

 ロニーは黙って文字を追うテディの顔を見つめた。長い手紙のようだった。テディは便箋を一枚いちばん下にして持ち替え、暫し読み続けてからもう一枚、更に一枚と捲っていく。

 テディの瞳は少し潤んでいた。最後まで読み終えたらしく、テディはふっと息を吐きながら顔をあげ、くすりと笑みを浮かべた。

 そして、傍に立ってその様子を見守っていたロニーに、「読む?」と便箋を差しだしてくる。

「いいの?」

 途惑いながらロニーは便箋を受けとり、それを読み始めた。



『セオドアへ


 ルドルフのことを聞いた。驚いただろう、おまえになにも教えなかったのはアンナの意思だ。しかし今となっては、アンナが逝ったとき、おまえをロンドンの学校に入れる前に話しておくべきだったのかもしれないと、私は後悔している。


 コンラッドがおまえも養子にしたがっていたのは知っていた。ルドルフは大変育てにくい子で、小さい頃は躰もあまり丈夫ではなかったそうだ。アンナはルドルフでさえも泣く泣く諦めたのに、おまえまで連れていかせるわけにはいかないと、コンラッドの雇った追手からずっと逃げていたのだ。

 幼い頃から言葉も習慣も違う国を転々として、おまえには大変な苦労を強いたと思う。ひょっとするとおまえは母親を恨んだりすることもあったかもしれないが、元はといえばすべて私の責任だ。どうかアンナはゆるしてやってほしい。


 聞いているかもしれないが、アンナは私と離婚した母親のもとで育った。その母親もアンナが十六の頃、病であっけなく逝ってしまい、あの子は私と暮らすためにひとり、戻ってきた。

 思春期の娘といきなり向きあって、私はきちんと父親としての義務を果たさなければと気負いすぎていたのかもしれない。離婚したとき、アンナはまだ二歳にもなっていなかったし、ほとんど初対面のようなものでもあった。引っ込み思案でおとなしかったアンナが音楽に目覚め、ジャズを歌い始めたとき、私はそれに反対した。人前で肩や脚を出したドレスを着て歌うなど、とても破廉恥に思えて私には到底ゆるせるものではなかった。

 そして、あの子は家に帰ってこなくなった。ホテルのラウンジで歌うようになり、コンラッドと出逢った。アンナは一度だけ家に帰ってきて、おまえたちを身籠っていることを告げた。……私は激昂した。コンラッドが仕事で行くという香港へ自分もついていくとアンナは云った。アンナの母親は香港人の血を引いていたから、運命のようなものを感じたのかもしれない。アンナは私の反対などまったく聞かずコンラッドについて香港へ行き、そこでおまえたちを産んだ。そしてコンラッドはルドルフだけを引き取り、アンナを棄てた。

 そのときおまえを連れて戻ってきたアンナを、抱きしめてやればよかったのだ。しかし私は、それみたことかとアンナを詰ってしまった。ただでさえ傷ついているアンナを責めたて、閉じこめ、家で子育てだけしているようにと厳しい言葉を吐いてしまったのだ。アンナはおまえを連れて出ていった。そのまま二度と帰ってはこなかった。


 だからおまえがいろいろと苦労をし、不幸な目に遭ったならば、それは私のせいなのだ。おまけに私は、おまえが放校処分になったあと使いの者を迎えにやっただけで、対面して話すことすらしなかった。アンナの面影を残すその顔を見てついつい口煩く説教し、鬱陶しがられ、おまえまで家を出ていったきりアンナのように二度と会えなくなるのではと、また同じことを繰り返してしまうことをおそれていたのだ。

 しかし、それすらも既に失敗だった。おまえは結局すぐに家を出ていき、すっかり行方が知れなくなってしまった。

 アンナが家を出たのは十八で、ジャズシンガーという手懸かりを頼りに捜せばすぐにみつけられたのに、おまえは男の子とはいえまだ十六で、まったく連絡をとることもできず、捜す手懸かりもなかった。当然だった。私はおまえのことをなにも知らなかったのだから……。

 私は激しく後悔し、おまえのことが気掛かりなあまり心痛で一時は寝こんだほどだった。最初にTVでおまえの姿を見たときは、どれほど驚き、ほっとしたことか……。


 長々と言い訳をしているような手紙になってしまった。伝えたかったのは、この老いぼれや親の身勝手で、おまえには、いや、おまえたちには本当に申し訳ないことをしたと思っているということだ。すまなかった。私がアンナとルドルフのもとへ行ったときには、向こうでもしっかり詫びるつもりだ。


 いつもおまえの活躍を見守っている。愛をこめて 

 アレックス・ワレリー・ヴァレンタイン


 P.S.〝What is Thisホワット イズ ディス Thing Called Love?シング コールド ラヴ〟は私が若い頃好きな曲だった。アンナもよく聴いていたのだろうか……まったく、血は争えないものだとつくづく思う』



「……お祖父さま、ちゃんと聴いてくれてるのね、ジー・デヴィールの曲」

 ロニーがそう云うと、テディは肩を竦めた。

「さあ、その曲だけじゃない? ……それで、充分だけど」

「ほんとに血は争えないわね。いろいろひとりで抱えこんで云うべきことを云わないところとか、わかりにくそうなあたりが、お祖父さまもお母さまもあなたとそっくり」

「ええ? 俺そんなにわかりにくい?」

「わかりにくかったわよ! ほとんど喋らないし、おとなしく見えるし……」

 ロニーは手紙をテディに返しながら、でも、と付け足した。「まあ、今はだいたいわかるけどね。あなたの考えてることくらい」

「ほんとに? それは……困るな」

「わかられて困るようなことは考えないでね! まったく、バンド一の問題児なんだから!」

 意味深な笑みを浮かべたテディにロニーがいつもの説教口調で云うと、彼は声をあげて笑った。

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