TR-37 - Lazy Sunday

 テディたちが警察署に連れていかれたあと、ロニーはさてどうしよう、とドリューとジェシの顔を見た。とりあえずふたりとも朝からなにも食べていないと云うので、ロニーはじゃあどこかで食事をしましょうかと提案し、三人で病院を出た。

 旧市街広場の周囲辺りにたくさんあるレストランへ行こうと、ロニーはゆっくり車を流していたが、どこの店も遅めのランチを食べる客で混み合っているようだった。そういえば今日は日曜だったんだわ、とロニーはレストランでの食事をあっさりと諦めた。ドリューとジェシが一緒だということもあったし、人の多いところにいる心境でもなかったのだ。

 そして、人気のベーカリーでフレビーチェクを多めに買うと、ロニーは以前の事務所――自宅へと向かった。





 リビングの真ん中を陣取っている大きなソファセットの、いつも決まった場所のように坐っていた場所に三人が腰を下ろすと、ぽかりと空いた空間が奇妙な寂寞感を感じさせた。

「……なんだか変な感じね」

「そうですね。ルカやテディたちがいないと……って、テディは無事だったからとりあえずいいんですけど、ユーリのあの怪我はいったいどうしたんですか? ロニー、一緒に来ましたよね」

「あ、うん。……そうね、時間もありそうだし、今わかってることだけでも説明しておくわ」

 ロニーはそう云うと、まだ食べていたジェシに「ごめん、いい?」と煙草の箱を示し、一本取りだして火をつけた。

「まずね、私は病院から連絡をもらったの。ユーリがここにかけてくれって云ったって、看護師さんからね。それで急いで病院へ行って、ユーリがバイクで事故を起こして救急車で運ばれたって知ったのよ。

 検査の合間にやっとユーリの顔を見られるまで、本当に気が気じゃなかった。ユーリはあちこち傷だらけだったけど、幸い骨とかには異常はなくて、打撲で全治三週間から一ヶ月程度で済んだの。ただ、検査が終わってから話を聞いたら、事故の原因がテディのフラットから出たときに、例のあの、ビデオの男を見て追いかけたせいだって云うのね」

「えっ……あの気持ち悪い手紙の、ですか? あいつがテディのフラットの傍に?」

「ええ、ミルクティーみたいな色のファビアって聞いて……、私も確かに憶えがあるんでぞっとしたわ。ずっと見張られてたのかもしれない。で、その男を追ってる途中で事故を起こしたらしいの。ユーリは『してやられた』って云ってたわ……なにかトラップを仕掛けられて、それでバイクが転倒したみたい。偶々ヘルメットをかぶってなくて、意識を失う前はもう死んだと思ったって云ってたわ」

「それが打撲か、不死身だなあいつは」

「ほんと、無事でよかった……。で、そんな感じで話を聞いてたら今度はテディが心配になって、モバイルを見たらルカからあのメールが来てたのよ。私もまさかって真っ青になったけど、ユーリがもうそれどころじゃなくって」

「想像はつく」

「で、松葉杖持ってるのも忘れたみたいにぴょんぴょん外に飛びだしていって――私も追いかけて出てみたら、すごく近い病院にいたんだって気づいたの。で、そのまま歩いて行ったのよ」

「ああ、あの辺りは病院がいくつか固まってますもんね」

「で、あなたたちのいた病院に着いて、ルカ・ブランドンが来てないかって尋ねたら、ご遺体のところ、なんて云われて――あのときは本当に眼の前が真っ暗になったわ! もうすっかり一時はテディが死んでしまったんだって思ってたから……今考えたって泣きそうよ。よかったテディじゃなくて――」

 ロニーのその言葉に、ドリューは苦言を呈した。

「よかったってことはない。人が亡くなっているんだ……それも、ずっと知らず会ったこともなかったとはいえテディの弟だ。それに、ひょっとしたら……いや、おそらくそのファビアに乗ってたビデオの男が、テディと間違えてなにかしたんだと思うんだ。麻酔薬がどうのとか云ってたからな」

「えっ、ユーリを事故に遭わせてから戻ったっていうの? でも……そうか、ユーリが追いかけたりしてるあいだに、あのそっくりな弟がテディのところに行って……」

「なにかあったんだ。テディも自分が殺してしまったんじゃないかとか云っていたしな。それでテディが、ひとりで部屋から出ていって――」

「順序として辻褄は合いますね。テディと入れ違いにあのビデオの男が戻ってきて部屋に入ったんだとしたら……もちろん、そこにいるのはテディだとしか思いませんよね」

 なんて不幸なんだとロニーは思った。

 ずっと離ればなれだった双子の兄弟が再会したのが、何故よりにもよってこんなタイミングだったのだろう。ふたりのあいだにいったいなにがあったのか、テディがどうして部屋を飛びだしたのかはまだわからないが、生きてさえいればわだかまりがあったとしても、いつか解けただろうに。

「それにしても、ユーリが気づかなかったら、テディが来たときみんな腰を抜かしてただろうな。あの痣がなかったとしたらユーリだって別人だとわからなかっただろうし、みんなすっかりあの遺体がテディだと信じこんでたんだから」

「僕は死後のケアってタトゥーまでなにか塗って消してしまうのかと思いましたよ、ありそうでしょ!? だからほんとに……腰が抜けて立てなかったんです」

「そういえばジェシ、ずっと黙って坐ったままだったわね。でもあとでユーリには説教してやらなくっちゃ……。あんなになるほど殴るなんて」

「あのふたりが一緒にいればいつかああなるって、僕は思ってましたけどね。テディって、偶にわざと人を怒らせるようなことを云ったりやったりするんですよ……。ルカみたいな、典型的な長男気質じゃないとテディの相手は無理だと思います」

「え、ルカって長男だっけ」

「とても可愛い妹さんがふたりいますよ、それも双子の。一度だけ学校へ来たときに会ったことがあるんです。ちなみに僕も長男ですよ」

「俺も長男だ。下はだいぶ離れてるけどな……ユーリは男ばっかりの三人兄弟の末っ子だと云ってたな」

「ルカのところにも双子がいるの……結構いるものなのね」





 三人で一頻り話したあと、ロニーはドリューとジェシを部屋に残して警察署にルカたちを迎えに行った。

 しかし、まだ来るのは早すぎたようだった。小さな応接室のような部屋に通されたはいいが、ロニーはコーヒーも出ないままそこで一時間近くも待たされた。

 TVや雑誌があるわけでもなく、なにもすることがない部屋で、ロニーはいつの間にかついうとうとしてしまっていた。腹を満たして来た所為もあったかもしれない――ドアが開く音ではっと目を覚ましたとき、そこには呆れ顔で自分を見ているルカがいた。

「ルカ、よかった……ずっと心配して待ってたのよ」

「嘘つけ、寝てたくせに」

 ルカがロニーの向かい側のソファに腰を下ろすと、程無く若い警官がホルダーをつけたペイパーカップに入ったコーヒーを持ってきた。これがセレブと一般人の扱いの差か、と少し拗ねながら、ついでのように出てきた自分のコーヒーに口をつける。

「テディとユーリは?」

「さあ、俺ら、ばらばらに話を訊かれてたんでわからない。俺は遺体の第一発見者ってだけで、たいして答えられることがなかったから早かったのかな」

「そっか……ユーリもテディも、訊かれることはいっぱいありそうだものね。じゃあ、まだもうちょっとかかるかもね」

 そう云って、ロニーは心配そうに熱いコーヒーを啜った。「テディ……大丈夫かしら」

 と、そこへまたドアが開いてユーリが入ってきた。

 松葉杖をソファの背に立てかけ、痛てて……と顔を顰めながらルカの隣に腰掛ける。

「おつかれさま……大丈夫? 無理しないで、車椅子でもなんでも押すわよ?」

「勘弁してくれ。そんな大袈裟にしなくても、たいしたことねえよ。これもテディのおかげだな」

「テディの?」

 ユーリは右手を握ったり開いたりしながらじっと見て、苦笑しながら答えた。

「昔、免許も取れない歳からバイクには乗ってたが、その頃の俺はいいかげんなバイク乗りだったんだよ。ふつうのジーンズに薄着でグローブもつけないで、ひどいときはメットもなしで走ってたんだ。だが、テディと一緒にバイクを買って乗るようになって……あいつに怪我なんかさせちゃいけない、あいつのいい手本にならなきゃいけないと思って、ライディングパンツやプロテクタージャケットをちゃんと着るようになったんだ。グローブもプロテクションのいいやつをつけてた。俺がテディに勧めたんだ、楽器を弾く指だからってな。で、俺も同じのを使ってた。電話の途中であの変態野郎を追ったんじゃなきゃ、メットだってちゃんとかぶってた。頭が無事だったのはただの運だな」

「無事っていうか……痛々しいけど」

「中身が壊れてなかったって意味だ。目の上ちょっと切って、脳震盪起こして気絶するくらいのダメージで済んでよかったよ」

「ユーリ、そんなことより――」

 ルカがなにか云いかけたとき、ノックの音がしてまた警官がコーヒーを運んできた。やっぱり私だけ扱いが違ったんだわと思いながら、ロニーはその警官に尋ねた。

「あの、テディ……、テディ・レオンはまだ時間かかるんですか?」

「ああ……、ちょっと僕にははっきりしたことは。でも、もう少しで終わると思いますよ」

 警官がそう云って出ていくと、ユーリはちら、と横に坐っているルカを見た。

「なにか云いかけてたろ」

「ああ。……さっきは、すっかり死んだと思ってたテディが生きてたんで舞いあがっちまって、他のことなんてどうでもよくて気にもしなかったけど」

 ユーリは頷きながらふっと笑みを浮かべた。ルカがなにを云おうとしているのかわかっているのだ。

「おまえ、テディのあの顔はなんだよ。顔は殴るな、尻にしとけって云っただろ」

「尻は別のもんで毎晩叩いてたんだけどな……っておい、冗談だ。今は膝は勘弁してくれ――」

 ルカとユーリのやり取りを聞きながら、ロニーはこほんと咳払いをした。

「あれは……反省してるよ。テディにも謝った。テディにぼろっかすに云われてな、つい手が出ちまったんだ。……おかげでしっかりふられたから、もうゆるしてくれ」

「ふられた?」

 ロニーが目を丸くして訊いた。「ユーリ、テディにふられたの? 別れたってこと?」

「あいつは……いったいなに考えてんだ、まったく」

 ルカは驚いたというより、意味がわからないという反応だった。「大丈夫だユーリ、あいつの気紛れなんか気にするな。あいつのことだから、しばらくするとまた自分から誘いかけてくるから。あ、でも放っておきすぎるとろくなことしでかさないからな、頃合いを見て――」

「待て待て。おまえ、俺をけしかけてどうするんだ。いいか? テディは――」

 ルカとユーリのふたりがそんな話をしているとき、再びノックの音がした。返事を待たずにドアを開け、警官がひょっこりと顔を覗かせる。

「聴取が終わりました。もうお帰りになれますよ」



 警官について廊下を折れると、その先に立っていたテディが振り向いた。

 左目の上には白いガーゼが貼られていた。手に黒いレザージャケットを持ち、ブーツを履いた姿をまじまじと見てロニーは、さっき聞いたばかりのユーリの話を思いだしていた。今まではまったく気がつかなかったが、よく見ると確かにテディの穿いているジーンズに見えるパンツは膝や腰の周りがごつごつと頑丈そうにできていた。持っているレザージャケットも固くて畳めないという感じで、縦に二つ折りにし襟からぶら下げている。

「時間がかかってすみませんでしたね。もう犯人も逮捕しましたんで、ご安心を」

「えっ……捕まったんですか!? あの男が?」

「ええ。旧市街広場に様子のおかしい男がいるって通報がありまして、保護しようとしたら譫言みたいに云ってたそうですよ……殺してしまった、ってね。誰をって訊いたらテディ・レオンをって云うんで、即逮捕して連行したそうです」

「おかげで俺の容疑も晴れたよ」

 テディがさらりとそんなことを云うので、ロニーは丸くしていた目を更に飛びださせんばかりに驚いた。その後ろでルカとユーリも顔を見合わせている。

「テディが疑われてたの!? いったいなんの容疑で――」

「いやいや。なんの容疑とかそういうことではなくてですね……ただ、現場がご自宅だったのと、部屋を飛びだしたと云われるわりにはバイクの装備をしっかりしておられたんでちょっと――いえ、もう納得しましたんで結構なんです。お部屋のほうも、もう鑑識は引きあげてますんで掃除でもなんでもしていただいてかまいません。後日、書類などにサインが必要になるんであらためて来ていただくことになりますが、そのときはまたお願いします。ではどうも、おつかれさまでした」



 ロニーはなんだかすっきりしないまま廊下を歩いていた。

 犯人は捕まったと云われても、結局なにがどうしてどうなったのか、さっぱりわからないままだ。事務所に帰って皆から話を聞けばわかるのだろうか、と思いながら俯き加減に歩いていて――視界の先に茶色い革靴が見えたのに気がつき、視線をあげた。

 歳は五十半ばというところか。きっちりとスーツに身を包んだ、紳士と呼ぶに相応しい感じの男性が向こう側から歩いてきた。つい見蕩れてしまうほどハンサムで、まるで俳優かなにかみたい、とロニーが視線だけ向けていると――その紳士は、ふとなにかに驚いたように目を見開き、一瞬足を止めた。

 すぐにまた歩きだしたその紳士と擦れ違い、なんだったんだろう? と思いながらロニーが振り返る。すると――テディが、不意を喰らってほうけているような表情で立ち竦んでいた。

 その様子に眉をひそめ、ロニーは遠ざかっていくスーツの後ろ姿を目で追った。擦れ違いざまに見た、整った横顔を思いだす。白いものが混じり始めてはいたが、、すっと通った鼻梁にの――

「……!」

 ロニーは、さっさとここから去ろうとするように、足早に歩き始めたテディの袖を引いた。

「テディ……、今のは、今の人は――」

「ロニー……俺、朝からなにも食べてないんだ。早く帰ってなにかデリバリーでもとろうよ。で、食べながら今日あったことを話すよ――」

「待ってテディ、今を逃すともう会えないかもしれないでしょ? 戻って――」

「いいんだ!」

 テディは強い口調でそう云い――泣くのを堪らえるように、苦い微笑みを浮かべた。「通り過ぎただろ、だから……いいんだ」

 ルカとユーリもさっきの紳士が誰なのか、もうわかっているだろう。しかし、彼らはなにも云わなかった。ただ、テディの肩にぽんと手を置き、支えるように背中に手をまわし、足並み揃えて歩いていく。

 扉を開き、吹きこんでくる風に押されても立ち止まらずに進むその後ろ姿に、ロニーは眩しそうに目を細めた。

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