TR-32 - Gimme Some Lovin'
見渡す限りの人の波。五万人を超える観客の前でジー・デヴィールは、世間を騒がせた数々のスキャンダルなど何処吹く風と、堂々としたステージを披露した。
いきなりヒットシングルを立て続けに三曲演奏し、MCを挟んで最新アルバムのなかでも評価の高かった曲、バラード、各パートのソロを含めた得意のジャムから最初に火のついたシングル曲――と、五人は休む間もなくオーディエンスを沸かせ続けた。
地鳴りのように響く大歓声が次の曲を待って少し収まり、メンバーの名前や口笛の音が耳に届いていたとき、ステージの中心に立つルカのもとへテディが歩み寄った。途端にきゃーっという、黄色い歓声があがる。テディはストラップを持ち、服を脱ぐようにトレードマークとなった愛用のベースを下ろすと、ルカの肩にストラップをかけてそれを持たせてやった。
悲鳴にも似た女性ファンの甲高い声と、ルカがベース……? というざわめきが会場内に充満する。ルカが少し音をだし、テディとハイタッチしてマイクスタンドから離れると、テディはアンプの後ろ側へと姿を消した。
程無くカポタストをつけたバタースコッチブロンドのテレキャスターを抱え、小指にスライドバーを嵌めたテディがでてきて、会場は更にどよめいた。おそらく、この時点でぴんときているロックファンもいただろう。ステージの中心に置かれたマイクスタンドの前に立ち、テディがふぅ……と深呼吸しながら、果てしなく続いている人の波を見まわし、両手を広げる。わあっと観客が沸き、テディはギターを構えてドラムのほうを振り返った。
一瞬ユーリと視線を交わし、テディは〝
ドリューの短いギターソロのあと、テディはヴォーカルパートをすっかりルカに任せ、ドラムセットの横辺りに立った。ユーリと視線だけ交わしながら、特に合図もなしに〝Happy〟から〝
三曲め、〝
そうして、ストーンズメドレーを含むジー・デヴィール初の野外音楽フェスでのライヴは、大盛況のうちに終わったのだった。
シゲト・フェスティバルの最終日の夜。前日に出演の済んでいたルカたちは、ブダペストのとある大きなクラブで行われるパーティに呼ばれていた。
著名な芸術家や映画監督、俳優、ミュージシャン、デザイナー、モデルなど、セレブの集まる大規模なパーティにルカ以外のメンバーはあまり慣れていなかったが、エマも来ると聞いてロニーは招待を受けることにした。ユーリは初め気が進まないようだったが、それでもエマの名前をだされると顔を見せないわけにはいかないなと腰をあげた。
ロニーは急遽スタイリストたちに頼み、アンドラーシ通りで五人分の服を用意した。順に全員、誰の前にでても恥ずかしくない、それでいてロックミュージシャンらしいセンスでコーディネートされた恰好に着替えさせ、髪もきちんと整える。予定外だっただけで、いつもTV出演時などとやることは同じで、慣れっこだ。
そうしてすっかりドレスアップを済ませると、ロニーを含む六人は揃ってホテルを出た。
リムジンで会場のクラブに着いてみると、既にたくさんの人で溢れかえっていた。
ルカたちが車から降りても大騒ぎになったり、人集りができたりしないということは、皆なにかしらショービジネスの世界で活躍している人間なのだろう。招待状は持ってきていたが、ロニー以外は顔パスで大きな扉の奥へと通された。
青いライトに照らされた、広く暗い空間はプログレッシブハウス系の音楽が鳴り響き、たくさんの人々が躰を揺らしていた。隙間を縫って歩いていると知った顔にも知らない顔にも次々と声をかけられ、握手し、ハグをする。こういった場に何度も顔をだしているルカは何歩か進むごとに呼び止められていたが、慣れた様子で対応していた。それ以外の面々は中二階のようになっているところのボックス席に腰を下ろす頃には、もうすっかり疲れてしまっていた。
「こんなんでエマと会えるのか? やっぱり来るんじゃなかったぜ……」
「今メール送ってみる。でも想像以上にすごいわね、TVや雑誌で見たことのある顔がいっぱい」
ルカはまだファッション業界の知りあいらしき女性たちと、ホールで話しこんでいた。ウェイターが色とりどりのカクテルやシャンパンを持ってきて、他にご所望のものがありましたらお作りしてお持ちしますと云ったが、ロニーたちは適当にそこにあるなかから選んで取った。ロニーはシャンパン、ユーリはキューバリブレ、ドリューとジェシはよくわからないまま軽いものをと頼み、綺麗な色のコリンズグラスを勧められていた。テディも迷わずオレンジジュースのようなコリンズグラスを取ったが、それはスクリュードライバーだった。
「おまえ、絶対がぶがぶ飲むなよ? 知ってるだろうがそれはウォッカベースだぞ。ストレートの女誑し共が飲ませてお持ち帰りする、悪名高いカクテルだ」
「わかってるって」
ロニーはその様子に、必死に吹きだしそうになるのを堪らえていた。ここに来てからユーリはやたらと周りを気にし、テディを護るように寄り添って歩いていた。
こんな場だから想像はしていたが、
コカインはダウナー系であるヘロインとは真逆のアッパー系のドラッグだが、一時はテディと一緒にやっていたこともある強面のユーリが、まるで子供を連れ歩いているようにそういった誘惑から護ろうとしているのが、なんだか無性に可笑しかったのだ。
「なんだ、どうかしたのか」
「ううん、なんでも。……あ、エマから返信が来たわ」
ロニーは買い替えたばかりのスマートフォンをだしてメールを確認すると、「バーカウンターにいるって。ちょっと行ってくるわね」と席を立った。すると全員がそれに倣おうとするので、ロニーは止めた。
「待って待って、みんな離れたら席がわかんなくなっちゃうじゃない。あとで全員会えるようにするから、今はとりあえずここで待ってて」
「じゃあ俺が残ってるから行ってくるといい。ルカにも伝言しておく」
「あ、じゃあ僕も残ってます。なんかはぐれそうなので……どうぞ、行ってきてください」
「そうか? じゃあ、俺らは行くかテディ」
「ん」
テディは飲みかけのスクリュードライバーを呷り、三分の一ほどだけ残してグラスを置いた。
ドリューとジェシに軽く手をあげ、三人でホールに降り端のほうを歩いていると、ルカが人を掻き分けて近寄ってきた。
「ああ、ちょうどよかったわルカ。今ね、エマがあっちにいるっていうんで会いに行くところなの」
「そうなのか。……悪い、エマにはまたあとで声をかけるから、俺ら抜きで行ってきてくれ。――テディ、ちょっと来い」
「俺?」
テディが小首を傾げると、ルカは云った。
「リカルドと、カメラマンのロランド憶えてるか? おまえに逢いたいってうるさいんだ……少しだけ顔だしてくれ」
「ロランド? あー……」
どうやらほんの短い期間、テディがモデル業をしていたときの知りあいらしい。テディは少し面倒そうな顔をしたが、すぐに頷いた。
「しょうがないな。じゃ、ちょっと行ってくるよ……エマによろしく」
「わかったわ。じゃ、あとでね」
そう言葉を交わし、ロニーはテディはルカが混みあうホールの中程へ消えていくのを見送った。
「――ロニー、逢いたかったわ! 元気?」
「元気よ、エマ。私も逢いたかったわ……、レジーもお久しぶり」
「あたしも逢えて嬉しいわ~、名前は憶えてないけど。あら、あなたドラムの子よね? やだ~TVで視るよりいい男じゃない、よろしく~。……でも、あたしの傑作が見当たらないわね。テディはどこ? ルカはどうしたの?」
再会を無事果たし、エマと美容師のレジー、ロニーとユーリの四人は、カウンターの隅で注文した飲み物を待ちながら、一頻り話しこんだ。
「それにしてもユーリ、なによその恰好! すっかりもとのチンピラに戻っちゃってるじゃない」
「あら、でもなかなか素敵よ。似合ってるからいいのよ、その服もいい感じ」
「プロに褒めてもらってありがたいね。ま、このほうが楽なんだよ……いろんな意味で」
「人避け? 確かにこういう場所ではいいかもね。ルカやテディたちも元気?」
「ルカとテディは今誰かと話してるみたい。リカルドとロランドとか云ってたけど、もうじき来るんじゃないかしら」
「そうなの――」
「リカルドとロランドですって?」
ずっとハイな調子で喋りまくっていたレジーが、その名前を聞いて俄に眉を寄せた。それに気づき、ユーリが「どうかしたのか?」と尋ねると。
「え……ううん。なんでもないの。……お愉しみはみんな自由だものね……」
なにやらぼそぼそと呟いた声は、ユーリにはよく聞きとれなかったようだ。なんとなく会話が途切れたそのとき、「……ところで」とエマが真面目なトーンでロニーに話しかけた。
「なあに? エマ」
「ニールのことなんだけど……」
はっとして、ロニーはユーリと視線を交わした。
「あの動画流出の件は本当にごめんなさい……私が代わりに謝るわ。でも信じて。あの人があんなことをわざとしたなんて、絶対にありえないわ……。作品自体が問題って云われたら、それはどうしようもないけれど」
「ニールは今どこにいるんだ」
「あの人は……今、病院よ」
「病院?」
意外な言葉に、ロニーとユーリの声が重なった。少し疲れたような表情を浮かべ、エマは続けた。
「酔ってホテルのバルコニーから落ちたの。事故なのか、自殺するつもりだったのかわからない。あの動画についても訊いてみたけど、さっぱり要領を得なくて」
「……そんな」
「ニールはなんて云ってるんだ」
「こんなことになるとは思わなかった、こんなはずじゃなかったって繰り返すばっかりで……行方がわからなくなる前に最後に会ったとき、なんだかものすごく後悔してる様子だったから、なにかやらかしたんだとは思うの。そのせいでますます飲んだくれて、その挙げ句の事故……だと、私は思ってるんだけど」
「……ニールに会えるか」
エマは首を振った。
「ごめんなさい……。会えなくはないけど、その……打ち所が悪くて、所謂まだら呆けの状態なの。あんなニールを見せたくはないわ」
それを聞いて、もうロニーはなにも云えなくなってしまった。ユーリも同じだったようで、黙って唇を噛んでいる。
「本当にごめんなさい……」
「……エマ、あなたが謝ることなんてなにもないわ。もう済んだことだし、まだバンドは仕事を干されたりもしてないしね。それに、そもそも今のジー・デヴィールがあるのはあなたとニールのおかげなのよ? 私たち、片時も忘れたことはないわ」
「ロニー」
いろいろ云いたいことがあったのに云えなくなってしまったことが口惜しいのだろう。ハグをする自分とエマに背を向け、ユーリは注文したドッグズノーズを飲みながらホールのほうを見ていた。
「とにかく私たちのいる席まで来ない? ドリューとジェシも待ってるし。ルカとテディもじきに戻ると思うわ」
ロニーがそう云うと、込み入った話に気を遣うように一歩下がっていたレジーが、「マッハで戻ってきたらそれはそれで問題だわね」と呟いた。
「え? それってどういう意味?」
首を傾げ、ロニーがそう尋ねると、レジーは困ったようにエマと顔を見合わせた。
「だって、リカルドとロランドと一緒なんでしょ? だから、あたしてっきり……」
ユーリも訝しげにレジーを見た。
「てっきりなんだ。リカルドとロランドってのはいったいなんなんだ?」
「やだ、知らないのね? リカルドはデザイナー、ロランドはカメラマンよ。ゲイのカップルなの。有名よ」
「そう。ロランドのほうはずっと前からテディにご執心で、撮影で会うたびにべったり迫って口説いてたわ」
「なんだって?」
レジーとエマの説明に、ユーリが顔色を変える。
「だから、あたしてっきり
「階上って?」
「階上ってなんだ」
ふたり揃ってそう訊くと、エマは困ったような顔でレジーを見、レジーは恥じらうように両手で頬を包んだ。
「あのね、ここの階上はね……VIP専用のボックスと、個室があるのよ。スイートにはキングサイズのベッドとバブルバスまであるらしいわ。セレブ専用のやり部屋よ。……あらやだ、あたしったらお下品」
「なんだって!?」
血相を変えてユーリがその場を離れようとするのを、ロニーが止めた。
「待ってユーリ! 落ち着きなさい」
「離せロニー、落ち着いていられるわけがないだろ!」
「な、なに、どうしたの……」
エマが驚き目を丸くする前で、ロニーはユーリの袖をしっかりと掴んだ。
「テディひとりならともかく、ルカが一緒なんだから大丈夫よ! ルカはそういうタイプじゃないし、それに少しって云ってたじゃない」
「え、どういうこと……? まさかユーリ、テディと?」
「えっ、そうなの!? うっそ!」
ちっと舌打ちをし、ユーリはロニーの手を振りきった。
「そのまさかだよ」
「やーだテディったら、やるわね! あんな可愛い顔してるくせしてっ」
「……あのね、上のその階に行くには通行証が要るの。一握りの選ばれた招待客と、その連れだけが通れるのよ。だから君が走っていっても無駄」
「あんたは持ってるのか、その通行証」
「残念ながらないわ」
ユーリは心配で居ても立ってもいられないというように、高い天井を仰いで頭を振った。
「いいわ……捜しましょ。彼らの知りあいをみつけて声をかけていけば、そのうちどこにいるかわかるかもしれない。ファッション業界の人間は私だいたいわかるから――」
「上に行ったって云われたらどうすれば?」
エマは困ったように視線を彷徨わせた。
「終わるまで待つ、とか? ……嘘よ嘘、ごめん! でもそれは……しょうがないんじゃないの? 子供じゃあるまいし、レイプされるわけでもないんだから」
その言葉を聞いてユーリは忌々しげにホールを見渡すと、エマを急かした。
「わかった。じゃあ早く知りあいとやらを捜してくれ」
「あたしは別行動するわ。あたしやリカルドたちと共通のコミュニティがあるから」
「ああ、レジー頼む」
「じゃ、私たちは……とりあえず、ホールのなかを歩きまわるしかないわね」
そしてレジーがひとり離れていくと、三人はEDMに身を委ねている人波をかき分け、歩き始めたのだった。
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