TR-31 - Love of My Life

 数日後。ほぼ復調したテディがロニーや皆の前に姿を見せると、すぐにバンドはリハーサルスタジオに籠もることになった。

 六月にはイギリス、ピルトンで開催されるグラストンベリー・フェスティバル、七月にはスペインのフェスティバル・インターナショナル・デ・ベニカシム、八月はハンガリー、ブダペストのシゲト・フェスティバルと、この夏はジー・デヴィールにとって初となる、野外音楽フェスティバル参戦の夏になることが決定していた。それもジャンル、知名度的に、ジー・デヴィールはメインステージ出演の可能性が濃厚らしい。

 グラストンベリーには、前年にキンクスのレイ・デイヴィスが出演していたこともあって、バンドの面々はひょっとしたら憧れの大物アーティストに会えるかもしれない、間近でステージが観られるかもしれないと、早くもお祭りムードだった。

 そしてフェスで演奏する曲を選ぶ段階で、まだリリースしていないカバー曲をやろうという案がでた。

 それ以外は、ファンではないオーディエンスも盛りあがりやすいように、ヒットしたシングル曲などを中心に選ぼうという意見に全員が賛成し、メインとなる曲目はすぐに決定した。だが、だからこそそれだけで終わってはつまらない。誰もが知っていて乗りやすく、できればイントロだけで会場全体がどよめくような曲がいい。ユーリが〝 Sunshine ofサンシャイン オブ Your Loveユア ラヴ 〟を挙げ、ルカが触りを口遊くちずさんでみたが、どうもピンとこなかった。他にもそれぞれが自分の好きな曲などを挙げていったが、これと思うものはなかった。

 なにかないものかと悩んでいるとき、テディがちら、とルカを見た。ルカがそれに気づいて「ん? どうした」と訊くと、テディはおずおずとこう云った。

「……俺がリードで歌いたい曲があるんだけど、だめかな……、みんなが知ってる、有名な曲なんだけど」

「おまえが?」

「なんだ、云ってみろ」

 ルカとユーリにそう訊かれ、テディは反応を窺おうとするようにふたりの顔を見やりながら答えた。

「〝ハッピー〟」

「――キースか!」


 〝 Happyハッピー 〟はローリングストーンズの一九七二年のアルバム〈エグザイル・オン・メイン・ストリート〉に収録された、キース・リチャーズがリードヴォーカルをとっているライヴの定番曲である。


「おまえがキースを歌うって、そりゃジョークのつもりか? それとも自虐か?」


 キース・リチャーズといえば、長きに亘るロックの歴史のなかで数々の伝説を残している、ジャンキーの代名詞である。『次にドラッグで死にそうなロックスター』という悪趣味なランキングで、何年ものあいだ一位に選ばれ続けていたことがありながら、未だに現役という非常にタフなギタリストだ。


「まあ、ジョークではあるよね。とりあえず、ストーンズならみんな知ってるし、観客は沸くかと思うんだけど」

「悪くないかもしれないな。テディがリードをとって歌うのも、アイデアとしてはありだと思う」

「俺はそのあいだなにをしてれば?」

「ギター弾けばいいだろ。ストーンズはツインギターなんだから」

「ルカも一緒に歌えばいいじゃない。一本のマイクでミック・ジャガーみたいにね」

「あっ、じゃあどうせならストーンズメドレーにしちゃったらどうですか? ストーンズのあのアルバムの曲は、ニッキー・ホプキンスのピアノが効いてていい感じなんで、僕もやりたいです」

 ジェシがそう云うと、ルカたちは皆、顔を見合わせて頷いた。

「あのアルバムの曲で、ライヴで一気に盛りあげるなら……」

「……〝リップ・ディス・ジョイント〟、〝タンブリング・ダイス〟、〝ハッピー〟」

「……いいんじゃないか」

「とりあえずその三曲でやってみて問題がなければ、それでいいと思う」

「決まりね」

 そしてバンドは、入念なリハーサルを繰り返した。

 ストーンズメドレーでは初め、ルカがギターを弾きながら歌っていたが、ギターリフが要のストーンズのカバーを、普通に弾ける、というレベルのルカが弾き語るというのは少々荷が重いということで、〝 Happy 〟の演出も考えてテディがギターを、ルカがベースを担当することにした。ベースパートはそれほど難しくはなく、ルカもすぐに弾き熟すことができた。

 そして蓋を開けてみれば、ストーンズの曲でテディがキース・リチャーズのパートを担当するというのは、いつもユーリとリズムを織りなしてバンドを引っ張っていくことを思えば、頗る理に適っていた。

 テディはスタジオにあったバタースコッチブロンドのテレキャスターを六弦なしのオープンGチューニングにしてしまい、一日めは慣れるまでずっとそれを抱えて、キースのあの個性的なピッキングスタイルを研究していた。キースとまったく同じように右腕を一瞬宙で止める仕種にルカが「恰好まで真似なくていいだろ」と云うと、テディは苦笑した。

「真似てるつもりじゃないんだけど、あの音をだそうとするとこうなっちゃうんだよ」

 ドリューの、派手さはないが丁寧なギターもミック・テイラーのパートに向いていた。ジェシも〝 Rip This Jointリップ ディス ジョイント 〟で思う存分暴れ、ストーンズメドレーは満足の行く出来に仕上がった。




       * * *




「おつかれ」

「おう、また明日な」

「おつかれさま。気をつけて、安全運転でね」

 それぞれの愛車に跨り、ヘルメットを被って走り去るユーリとテディを見送り、ロニーは駐めた車のほうへと歩き始めた。停車していたカプチーノベージュのファビアが動きだし、それを避けて端へ寄るとなんとなくルカと目が合った。

 リハーサルスタジオに通いつめているこの数日、ユーリとテディのふたりは来るときも帰るときも常にふたり一緒だった。それはテディがまたヘロインに手をださないよう、ひとりにせず見守っているのと、例の脅迫めいた手紙の主を警戒してのことだろうと、ロニーは当たり前に思っていた。スタジオで見ている限り、これといって三人のあいだの様子にも変わりはなかった。

 だから車のドアを開けようとしたとき、ルカが不意に「バンドのセールス的には、俺とテディは今でも好い仲だってことにしておいたほうがいいんだよな?」なんてことを云いだしたとき、ロニーは跳びあがらんばかりに驚いた。

「――別れたの!?」

「声がでかいよ……別れたっていうのも変だけどな。バンドで顔は合わせるし、そうでなくても大事な友人であることに変わりはないし」

 スタジオのある建物の裏手、ひっそりとした路地にはピアノの黒鍵のように点々と車が駐められていた。ロニーは慌てて口許を押さえながら辺りを見まわし、街灯に照らされたルカの顔を見た。

「嘘でしょ、どうして……いいわ、今からちょっと付き合いなさいよ。飲みながら話を聞くわ」

「別に、話すようなことはなにもないよ。俺があいつに流されるのをやめたってだけで、今までとなにが変わるってわけでもないさ。……もともと、俺ひとりの問題だったんだ。それにやっと気づいただけだよ」

「……もう、疲れた?」

「いや……、ユーリが真剣にあいつのことを考えてるのがわかったし……あいつがユーリを選ぶんなら、そもそも俺のでる幕なんかありゃしないじゃないか」

「……あなたはそれでいいの?」

 ルカはひょいと肩を竦めた。

「俺はあいつが……あいつにとってそのほうがいいんなら、それでいいさ」

「……やっぱり飲みましょうよ」

 ルカは苦笑しながら、首を横に振った。

 送るつもりだったのにそれも断られ、ロニーは愛車のフィアット500にひとり乗りこんだ。バックミラー越しにルカの姿を見ながら、彼の言葉を頭の中で反芻する。

「……愛してるくせに」

 アクセルを踏みこみ車を出す。ルカの後ろ姿が見えなくなる。黄色い光に照らされた石畳の道を走らせながら、ロニーは何の気無しにラジオをつけた。チューナーを送り、聴き憶えのある声に手を止める。かかっていたのは、クイーンの〝 Love of My Lifeラヴ オブ マイ ライフ 〟だった。

 僕の元へ戻ってきてくれと歌うフレディの声が、まるでルカの心の叫びのように聴こえて、ロニーはますますやりきれない気分になったのだった。




       * * *




 冷蔵庫を開けると、キッチンの片隅を白い光が照らした。二本めのスタロプラメンを開け、飲みながら部屋に戻ると、自分のあとにシャワーを使っていたテディがちょうどバスルームから出てきたところだった。ユーリはそのシャム猫サイアミーズのようなしなやかな肢体が、スウェットパンツとTシャツに包まれていくのを残念そうに眺めた。

 ビールの瓶をカウンターテーブルの上に置き、ユーリはテディに近づいた。頭に引っかけているタオルを引き寄せるようにして、その上気した頬に口吻ける。フロアランプの仄かな灯りだけが照らす薄暗い部屋の真ん中で、ユーリはテディの腰に手をまわしながら、顎を持ちあげ更に深く唇を重ねた。そして舌の裏を探ると――テディがユーリの胸を押し、躰を離し顔を背けた。

「どうした」

「もう……今日は疲れたんだよ。そんな気分じゃない」

 テディがそう答え、ユーリはあっさりと「そうか」とキッチンへ戻った。別にそんなことで気分を悪くしたり、がっかりしたりはしない。冷蔵庫を開けてアップルタイザーをだし、さっき置いた自分のビールといっしょに持って戻ってくると、ベッドに腰掛けていたテディに渡してやる。

「にわか仕込みのギタリストだもんな、そりゃ疲れるか……」

「しかもチューニングが違うから……もうとちらずに弾けるけど、あの三曲以外をなんかやれって云われてもたぶん無理」

「でもしっかり様になってたぜ?」

 ユーリはテディの隣に坐り、膝に手を置いた。

「おまえはすごいよ、テディ。完璧だ」

 ビールを飲み干し、空になった瓶を床に置いて、ユーリは膝を撫でていた手をすっと後ろにまわした。腰の下辺りから尻のほうへ手を滑らせると、テディが身を捩ってユーリを睨む。だがその表情も、男の征服欲を滾らせるだけだった。

「……やっぱりだめだベイビー。疲れてるのはわかったが、俺が我慢できない。おまえはなにもしなくていい……おまえを抱きたい」

 そう云ってアップルタイザーの瓶を取りあげると、ユーリはテディの躰をゆっくりと押し倒した。

「やっ……ちょっと待って。昨夜もしたばかりじゃないか……」

「昨夜のはだ」

 リハーサルの合間を縫って受けてきた二度めのHIV検査も、無事に陰性という結果を知らせる封書を受けとったばかりだった。自分がちょっと浮かれ気味なのはその所為かもしれないな、とユーリは思ったが、テディはそうでもなく、本当にそんな気分ではないようで――

「今日はほんとに疲れたから勘弁してってば……」

「おまえがそんなに魅力的なのが悪いんだ」

 テディは頑なに拒んでいたが、ユーリは押し戻そうとしてくる手を捉えて押さえつけ、テディに覆い被さった。弱い頚筋に熱い息を纏わせるように唇で辿り、吸いついてテディの反応を確かめる。テディが微かに息を溢すと、そのまま耳まで舐めあげていき、耳珠を舌でノックした。

 びくんと躰を跳ねさせたテディの顔を上から見下ろし、にやりと笑う。噛みつくようにキスをし、ユーリは隈なく舌で探り存分に味わった。はぁ、と息を溢し涙目になっているテディに、ますます劣情をかきたてられる――押さえていた手を離し、着ていたタンクトップを脱ぐと、テディがその隙に起きあがって逃れようとした。

「テディ……待てって。いいだろ……」

「だから、今日はいやだって――」

「一回だけだ……ほら、もうこんなになっちまった。このままじゃ眠れやしない」

 そう云ってユーリはスウェットパンツの前を下げ、ボクサーショーツの真ん中がはちきれそうに膨らんでいるのを見せた。そしてテディの腕を引いて後ろを向かせ、穿いているものを引き下げる。そうしてユーリはその白くて形のいい尻を撫で、愛撫を始めた。

「ユーリっ……こんなのはいやだ――」

 やめて、と途切れ途切れに聞こえる拒む言葉も、このときのユーリには自分が与える刺激に啼く可愛い声としか聞こえなかった。Tシャツを着たまま俯せにした躰を包みこむように抱き、泣きそうに歪めている顔を間近で見つめる。愛しくてたまらない、自分だけの恋人。この顔もこの髪も、この躰もなにもかも――溢れる熱い息も、ベッドでしか聴けない高い声もすべて俺のものだ――そう教えこむように、ユーリはテディの躰の奥深くへと熱を送った。縋るものを探すようにシーツを掻いたテディの手を逃がすものかというように掴み、微かに震えた背中にぴったりと自分の熱い躰を重ねる。

 そうして暫し余韻に浸ったあと、ようやくユーリがテディの上から退き仰向けに転がると、テディもそれに倣った。まだ荒い息を整えながら、ユーリはテディに恨めしそうに睨まれ苦笑した。

 手を伸ばし、ユーリは愛しい恋人の髪を撫であげると、こめかみにキスをした。

「……おまえは素晴らしいよ、最高だ……。抱いても抱いてもまだ足りない気がする。できることなら一晩中、おまえの中に挿れたまま眠りたい」

「無茶云うなよ……もう、疲れてるって、本気で今日はいやだって云ったのに。汗もかいちゃったし……」

「もう一回風呂に入るか?」

 テディは起きあがって汗ばんだTシャツを脱ぎ、丸めてユーリに投げつけた。笑いながらユーリはそれをベッドの脇に放る。テディは拗ねたように、ユーリに背を向けそのまま横になった。

「もういい……このまま寝る。ほんとに疲れた……」

「そうだな……風呂に入るとまた襲ってしまいそうだしな。もう寝よう」

「……ユーリ絶倫すぎ……。俺そのうち死んじゃうよ」

 そうさせてるのはおまえなんだがな、と思いながら髪を撫でていると、一気に眠気が襲ってきた。程無くすう、と寝息をたて、ユーリは満足そうな笑みを浮かべたまま眠りに落ちた。

 ――ふと起きあがったテディが、なんの感情も浮かべていない冷淡な表情でじっと自分の寝顔を見下ろしていたことを、ユーリが知る術はなかった。

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