TR-04 - Dancing in the Street
出費を抑えるため、滞在にはかなり安いホテルを選んでいた。朝食付きで四部屋。すべての部屋がツインなので、チェックインするときロニーは冗談半分に誰か私と同室にする? と云ってみたが、例によって挙手する者はいなかった。
今回は同室というだけでベッドを共にするわけじゃないので、例えばユーリと同室ならありじゃないのかと尋ねたところ、一部屋減らしたい気持ちはわかるが勘弁してくれと呆れたように断られた。結局ロニーとユーリがひとりずつ、ドリューとジェシ、ルカとテディという部屋割りにまたもや落ち着いていた。
昨夜は考えていたことが一通りやれて、ロニーは少し自信を取り戻していた。立ち直りが早いのはロニーの長所だ。業界ではまだ若いと見られるうえ、女性というのもけっこうなハンディだが、これでもいちおういろいろ試行錯誤しては自分で道を切り開いてきたという自負がある。落ちこみはするけれど、諦めるのは自分に足りない部分を補う努力をしてからだ。
リハーサルルームはすぐにみつけることができた。バンドは
その様子を眺めているうち、ロニーにもバンドの方向性が少し見えてきた気がした。当初は彼らのルックスの良さから、無難な流行りのポップロックなど演らせていたが――あの男、ニールの云ったようにもっとルーツに根ざした、玄人好みな感じの曲が合っているかもしれない。
リハーサルルームで時間いっぱい演奏したあと、ロニーとルカたち五人は夕食のためチャイナタウンへ向かった。ここにしようとテディが云った
美味しい食事とお酒、そして仲間と語らうひととき。なんでもないことだけれど、こういうのって大事よね、と思いながら、ロニーは皆が音楽談義をするのを微笑んで眺めていた。
一夜明けて。
「おはようユーリ。よく眠れた?」
「あー眠ぃ……。朝メシなんかいいから、もっとゆっくり寝かせといてくれよ……」
一行は朝食を摂るため、
「テディは? まだ起きてこないのか」
「起こしたんだけどな、なんか疲れてたみたいだ。たぶんもうじき来るだろ」
ルカがそう答えると、ユーリは特になにも云わず、グラスに水を注いで飲んだ。
その様子に、ロニーはあら? と顔をあげてユーリを見た。いつもならここで、おまえが疲れさせたんじゃないのか、などと揶揄する言葉が飛ぶのだが。
オレンジジュースのグラスを傾けながら、ロニーはなんとなくすっきりしない気持ちでドリューと目を合わせた。ドリューもなにか違和感を覚えていたようで、眉をひそめてユーリを見た。だが違和感の原因はみつからなかったらしく、彼は小首を傾げ、軽く肩を竦めてみせた。
別に揃うのを待っているわけではなく、着席した順にもう食べ始めていたので、特になにも話をせず皆は静かに食事をしていた。そこへ、ようやくテディが姿を見せた。ルカの隣に坐るなりグラスを取って水を注ぎ、一息に飲むとふぅ、と息をつく。なんだか酷く怠そうだった。
「おはようテディ。ぐっすり眠れた?」
ああ、うん……と再度水を注ぎながら返事しかけていたテディを遮って、ルカが云った。
「そういやおまえ、夜中にどこ行ってたんだ?」
「え」
トーストを取り、マーマレードをスプーンいっぱいに掬いながらテディは、「ああ……、ちょっと目が覚めちゃったんで、外の空気を吸いに出てたんだよ」と答えた。
「外?」
ロニーは少し驚いた。「散歩に出たの? 夜中に?」
「いや、ホテルの前にしばらくいただけ……。すぐに戻ったよ」
「なんだ、起こせよ。どこへ消えたのかと思うじゃないか」
悪い悪い、とテディはルカに笑ってみせて、トーストを齧った。
今日は昨日と違ってしっかりセットリストを組み、ざっとだがリハーサルもやってきていたので、ずっと出来の良いライヴになった、とロニーは思った。おそらくルカたちも手応えを感じているはずだ。
申請した時間分はめいっぱい演奏しなければ損なような気がしていたが、決してそんなことはないと昨夜、話し合いのなかで気づいた。なので今日はランチタイムの始まる少し前から一時間ちょっとのあいだ、ちゃんと集客を意識した選曲でみっちりと演奏をした。そのおかげか昨日より更にベンチの空席は減り、チップもずっと増えた。
昨日の胡散臭い男――ニール・ジョーンズは一時半頃、ちょうど〝
今日も草臥れたシャツを着たニールとは不釣り合いな、高級そうな洒落たスーツに身を包んだ美人だった。年齢はロニーよりも上のようだが、まるでモデルかなにかのように垢抜けている。持っているバッグはジバンシィだと気がつき、きっとスーツもブランド物だろうな、とロニーは羨望の溜息をついた。
演奏しながらふたりに気がついたルカたちも相当気になったようで、ちらりちらりと何度もニールたちのほうを見ていた。
そして、ランチタイムもまもなく終了という頃。バンドが演奏を終えると、ニールはぱんぱんとゆっくりとした拍手をしながら立ちあがり、ステージのほうに歩いてきた。そのあとに美人も続く。
「よお。一日でずいぶん良くなってるじゃないか。こりゃ煙草代くらいじゃ安すぎたか」
「昨日はどうも」
ロニーより先に、ルカが挨拶をした。「昨夜はあんたの噂で持ちきりだったんだ……ひょっとしたら、なんかすごいプロデューサーとかだったんじゃないかってね」
「はっはっは、残念だがそりゃあ違う。悪いな、変に期待させちまってたか? 昨日も云ったがただの音楽ファンさ」
「今日の俺らの演奏の感想は?」
「ん、まあ、あんなもんだろ」
「なんだよ、そんだけ?」
「云いたいことは昨日全部云っちまったからな」
ニールは肩を竦めると、傍で様子を窺っていたロニーのほうを向いて「おお、紹介するわ」と謎の美人を手で示した。
「こいつ、なんだっけ、なんたらいう雑誌の編集長」
「〈
「ヴェロニカ・マルティーニです……どうも」
紹介されて握手はしたものの、さっぱり訳がわからない。途惑い気味にロニーがじっとニールの顔を見ていると、エマが「ほら! あんたがちゃんと説明しないから困っちゃってるでしょうが!」と、ジバンシィのバッグを振り回した。バッグは見事にニールの腕にヒットした。
「痛ってぇな!」
傍で見ていたルカたちが、思わずぷっと吹きだす。
「なにしやがんだ、このバカ……あー、うん、ええと、つまりだ。俺にはこいつしかコネがないんだよ……で、考えたんだが、おい。ヴォーカルのあんちゃん」
「ルカだよ。ルカ・ブランドン」
「ルカね。それと、おーいベースマン、ちとこっち来い」
「俺?」
少し離れたところでユーリと話していたテディが、訝しげに応じる。
「こいつはテディ・レオン」
ルカが軽い調子で紹介すると、テディは少し俯き加減に、視線だけでニールとエマの顔を交互に見やった。
「うん、テディ、ルカ。あのな、おまえら、モデルやれ」
「はあ?」
突拍子もないその言葉に、ルカとテディが思わず顔を見合わせる。
「ああもう、違うってバカ。……ごめんなさいね、いくら私でもあなたたちをいきなりモデルにしてあげることはできないんだけど……とりあえず、ファッションスナップを撮って雑誌に載せてみようと思うの」
どうかしら? とエマは右手で肘を支え、左手を頬に当て小首を傾げた。
話を聞いていたドリューとジェシも驚きの表情を浮かべ、ユーリは口笛を吹くように唇を尖らせている。ロニーも目を丸くしながら、慌てて話に入った。
「ちょ、ちょっと待って。ファッションスナップって……」
そしてようやく、さっき聞いた言葉がすとんと頭のなかで落ち着いた。「フロレゾンって、あの〈Floraison〉!?」
「たぶんそのフロレゾンよ。他にはない誌名だと思うから」
「編集長なの!? ああ、どうしよう、なんか失礼しました……」
あはは、と笑ってエマはロニーの肩を叩いた。
「やめてよ。雑誌は有名かもしれないけど、私はそんな偉いわけじゃないんだから」
〈Floraison〉というのは、フランス発信の女性向けファッション誌である。世界十二ヶ国で出版されている、女性であれば知らない者はいないであろう超有名誌だ。
「待って待って待って。俺らはその雑誌のこととかなにも知らないんだけどさ、とりあえずどういうこと?」
わけがわからないという表情でルカが尋ねる。自分も、エマがファッション業界の重要人物であるということはわかったが、誌面に載せてどうするのかということまではぴんとこない。ロニーは話の続きを待つように、エマを見つめた。
「もう……このろくでなしが説明下手でごめんなさいね。要するにね、この人、君たちのことがすごく気に入ったみたいなのね」
「よけいなことまで云うなよこのスベタが……」
「あんたがちゃんと説明しないから私がしてるんでしょ。――でね、君たちすっごくルックスがいいから、それを賢く利用して売っちゃえってことなのよ。まあまあ人気のあるコンテンツなんだけど、街で見かけたお洒落さんのストリートスナップを載せるページがあるのね。それに君たちを出そうってわけ。……とっかかりさえあれば、きっとバンドは売れる。音のほうはこの人が気に入るくらいなんだから絶対よ」
「いやでも、顔で売るとか……」
「その案乗った」
ええっ、とルカとテディは声の主を振り返った。
「なに云ってんだよユーリ……」
「いいじゃねえか。バンドにゃビジュアルも大事だぜ? ああ、でも俺からひとつ、条件がある」
「条件?」
ユーリはつかつかと歩み寄り、後ろからルカとテディの肩に手を置いた。
「条件っつか提案かな。ばら売りなし。必ずこいつらふたり一緒に写真を撮ること」
「ああ」
エマは顎に手をやって少し考えると、にっと笑った。「いいわね、それ」
「いいだろ?」
「最高」
なにやら意思が通じあってしまった様子のユーリとエマを交互に見やって、ルカとテディが思いきり不安そうな顔をする。
「えーと……で、どういうことになるのかしら」
ロニーも、マネージャーとしてよくわからないままではいられないと、もう一度尋ねた。
「ええとね。そうね……服は、私が選ぶわ。ヘアメイクとカメラは連れてくるから、どこか映える場所を探して撮りましょう。で、来月号……はもう無理ね、その次の号に必ず載せるわ。そしたらうまくすれば、高感度な女の子たちのあいだやウェブ上で話題になるかも、って話」
「うまくしなくても、すればいいのさ」
ユーリがそう云うと、エマがまたにっと笑った。
「君……ユーリっていったっけ。気に入ったわ。それも採用」
「ユーリ、おねがい。私にもわかるように云ってちょうだい」
「自作自演ってことだよ……」
ゆるゆると頭を振ってテディが云った。「そこまでやらなくちゃいけないのか? っていうか、そんなことでバンドが売れるなんて信じられない」
「大丈夫。君、とても綺麗な顔をしてるもの。それにこんなナリだけど、音楽に関してだけはこの人を信用していいわ」
「こんなナリとだけはよけいだよ。でもま、話はわかったか?」
「話はわかったけど納得はできないよ。曲もろくに聴かずに顔だけで売れって云われても――」
「ああ、曲もそれなりに良かったぞ? 無理に今時の感じにしようとしてるのが、俺としちゃマイナスポイントだけどな。アレンジさえなんとかすりゃあましになるさ」
「いつ聴いたんだよ、おっさん。俺たちのCDどこかで買ったのか?」
「いや昨日、そこにあったやつを一枚拝借して帰った」
「泥棒じゃねえか!」
持っていったのはチップだけではなかったと知って、ユーリが呆れた声をあげる。
「まあいいじゃねえか。それよりどうなんだ、乗るのか乗らねえのか」
「俺はオッケー。もう乗ったよ。もしバンドが売れなかったとしても別に、なにも損がないからな。それにおもしろそうだ」
ルカがそう云うのを聞いて、テディは「嘘だろ……」と髪を掻きあげた。
その様子を見て、ニールが目尻の皺を深くする。
「いいかテディ、『
「ここまで云われたら私も納得するしかないわね……どう? テディ、どうしても厭なら私は無理にとは云わないけれど……」
「いや、だめだ」
ユーリは首を横に振った。「ルカひとりじゃ効果が薄い。やれ、テディ」
「ユーリ」
テディは顔を顰めてユーリと睨みあっていたが、やがて溜息をついて頷いた。「わかったよ」
「よし」
ユーリはくしゃっとテディの髪を掴みながら、頭を撫でた。
「ところでおたくら、ひょっとして夫婦?」
「あら、よくわかったわね」
エマが軽く驚きそう答えると、隣から異が唱えられた。
「元だよ、元。エクスワイフ」
「なあおっさん。あんた、なんでこんなに俺らによくしてくれるんだ?」
ユーリが訊くと、ニールはぽりぽりと顎を掻いた。
「だから、おまえらが気に入ったんだよ……おまえらの音がさ。へっ、おまえやっぱり相当擦れてやがるな。なんか裏があるんじゃないかって警戒してるんだろ? マネージャーのねえちゃんが薄ぼんやりでもおまえがいれば安心だな」
「薄……!」
「安心しろよ、俺にもちゃんと思惑があるから。いくら気に入ったっつっても見返りのないことなんか誰もしやしねえよ。ただ、その見返りが手に入るかどうか、おまえらが本当に売れるかどうかって部分はまあ、ギャンブルなんだよ。で、俺は俺の耳に従って、おまえらに賭けることにした。そういうことさ」
薄ぼんやりと云われて目を吊りあげていたロニーは、その言葉ですーっと肩の力を抜いた。
――自分とまったく同じだ。偶々みつけて、レーベルを立ちあげデビューさせて、厭な思いもしてあちこち駆けずりまわって。私財まで
そして、その賭けに勝つ日がいつかくると信じている。
「なるほど? 思惑ってのがなんなのかわかんねえが、いちおう納得してやるよ」
「そいつぁどうも」
去り際に、今日も当然のようにチップに手をだそうとして、ニールは再度ジバンシィで叩かれていた。どうやらエマは鞄で人を攻撃する癖があるらしい。もらった連絡先のメモを見つめながら、ロニーは自然と口許が綻ぶのを感じた。
ニールはちょっと口が悪いけれど、あの一言で今やすっかり信用してしまったし、エマとは気が合いそうだった。なにより自分があんな有名な雑誌の――本国フランスのではなくイギリス版のだとしても――編集長と知りあうなど、夢のようだった。
幸先がいい、運が向いてきている。そう思った。テディはあまり気が進まないようだったがルカはすっかり乗り気のようだし、ちょっと写真を撮るだけだ。きっとうまくいくだろう。
公園を後にし、今日も予約してあるリハーサルルームへと車を走らせながら、ロニーはなんとなく上機嫌に鼻歌を歌っていた。
「……ボン・ジョヴィかよ……」
「そういうのが好きだったのかロニー? 俺らとは微妙に趣味が合わないな」
自分で気づいていなかったロニーは、え? とバックミラー越しにユーリを見た。
「やだ私、なんか歌ってた?」
「〝ユー・ギヴ・ラヴ・ア・バッド・ネーム〟を鼻歌でな」
「……やっぱり女性は男前がいるバンドがいいのかね。いや決してボン・ジョヴィの音楽が悪いと云ってるわけじゃないけど」
「んー、それねえ。私思うんだけど」
図らずも、公園での話の続きのようになった。「熱狂度が変わるんだと思うの」
「熱狂度?」
「そう。……例えば、ラジオで聴いて気に入って、CDを買って聴くでしょ? 純粋に曲が好きな場合、聴けるだけでもう満足なの。いい音楽を聴くこと以外の付加価値なんか要らないの。どんな顔かどんな名前か、どんな人なのかとか、別に知らないままでいいの。音楽がすべてなの。それはミュージシャンとしては最高に素晴らしいことだろうとは思うけれど……」
ふむ、とルカたちは黙って聞いていた。
「顔がハンサムとかかっこいいとか……そう思った時点でもう音楽だけの価値じゃなくなってるわよね。で、ハンサムなミュージシャンに疑似恋愛するのは思春期の通過儀礼だと思うし、ラヴソングだって説得力っていうかうっとり度が増すでしょ。雑誌のインタビューなんかを読んで人生観に影響受けたりもするし、その人に惚れこんじゃうじゃない。そうなるとだんだん会いたいとかライヴに行きたいとか……全部のライヴを追っかけてくファンもいるわよね……、あれはどうかと思うけど、リリースされるものは全部コレクションして、グッズや写真集も買って、次のアルバムはまだかまだかって待ち望んで、髪型や服装を真似たりもして……生活の中心になってしまう。こうなるともう宗教みたいなものよね。まあ、これはピンからキリまでの、キリのほうだけどね。で、これってね、伝染するの」
「伝染?」
「特に女の子にはそれが顕著だと思うんだけれど、一部がきゃーって騒いでるとみんな右へ倣えするのね。それがどんどん伝搬していくと、社会現象にまで膨れあがったりするのよ。ビートルマニアがその最たる例よね」
「ああ……〈ア・ハード・デイズ・ナイト〉で観たな」
「その証拠に、空港で人気のあるスターが歩いてても、みんなおとなしく手を振ってるだけって光景はTVでよく視るでしょ。でも、ひとたびそのなかのひとり、ふたりがロープを潜り抜けて、スターに向かって駆け寄ってしまったら――」
「つられてパニックになるな」
「集団心理ってやつだね」
テディが前のシートに凭れ掛かり、云った。「大勢のなかだとモラルが低下したり、判断力が失くなったりするんだってさ。でも、いいことにも表れる場合があるんだ……みんなやってるから自分も募金しよう、とかってね」
「なるほど? そして俺たちはこれからそれを利用するわけだ。しっかりやれよ男前ども」
ユーリが笑ってそう云うと、テディは勘弁してくれというように、シートに躰を埋めた。
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