TR-03 - You Can't Always Get What You Want

 そうそう思いどおりに事が運ぶことはないのだと、思い知らされた。

 ラジオ局では門前払い、レコードショップにCDとポスターを持って頭を下げに行けば、ひとつ置くときりがないのだと申し訳なさそうに断られ、ロンドン地下鉄アンダーグラウンドでバスキングできないかと調べてみれば、オーディションが必要だとかイングランド在住者でないと許可できないなど条件が厳しく、断念せざるを得なかった。

 決して楽観はしていないつもりだった。いくらロンドンでプロモーションをしても、そうそうすぐにスターダムへのチケットは手に入らないだろうと、この世界がそれほど甘くはないことをしっかり念頭に置いていたはずだった。

 しかしまさか、そのプロモーション自体をやらせてもらえないなどとは、露程も考えていなかった。

 プラハでは旧市街広場でアコースティックライヴをやったり、ホスポダやクラブでギグをやらせてもらったこともあった。CDもショップに当たり前に並べられていたし、一度だけだがストアイベントにも出ていた。わかっていたことだけれど、本当にはわかっていなかったのだ。ロンドンは段違いだと。桁違いなのだと。其処彼処そこかしこに明日のスターかもしれないミュージシャンがごろごろいるのを目の当たりにし、ロニーは顔に焦りの色を浮かべた。

 しょうがなくマンチェスターに移動してあちこちにあたってまわり、やっとライヴができる場所――しかも、アコースティックで軽く演奏するくらいしかできない往来や広場ではなく、広い公園内の隅にある野外ステージ!! ――をみつけ、何度か演奏をすることができた。

 しかし、まったく手応えがない。

 演奏スキルには自信があり、ぱっと人目を引くルカのルックスのおかげか、ごく偶に若い女性が連れだって立ち止まってはいくのだが、しばらく眺めるだけで曲が終わらないうちに立ち去ってしまう。そもそも人の往き来が少ないのでもちろんチップなどほとんど入らないし、CDも一枚として売れていない。

 これではだめだとロニーは他の場所を探し続けたが、人の多いところはロンドンとさほど事情が変わらず、ストリートライヴの許可が取れそうなところなどなかった。

 そもそもこの公園内のステージにしたって、なにもない時期だから空いていたというだけで、イベントの予定が入っているらしい四日間は既に押さえられていて、自分たちが使用することは叶わない。

 公園内の人影は疎らで、犬の散歩と小さい子供連れの若い母親たちと、陽なたぼっこの老人の姿はちらほらと見えるが、そういう層には大きな音をだしているというだけで歓迎されない。比較的若い世代――学生やオフィスワーカーがステージ前に並ぶ石造りのベンチ目当てで留まってくれるのは、ランチタイムの五十分間ほどだけ、という状況なのだった。

 プラハからロンドンまでの航空券×人数分と、最低限必要な楽器や機材類の輸送費。こちらに着いてからすぐに借り、帰りに返却するまで料金が加算されっぱなしのレンタカー。ガソリン代、宿泊費、食事代――もう経費として計上なんてとんでもないというところまできていた。已むを得ずロニーは自分の貯金を切り崩していたのだが、それをこのままゼロにするまで続けるわけにもいかない。

 もう一度よく考えて策を練らなければ……と、サクラのつもりでロニーがバンドの演奏を見ながら考えていると、横から「もったいないなあ」と声がした。

「うーん実に惜しい。せっかくあんなにルックスがいいのに。演奏だってそんなには悪かない。いやあもったいないねえ」

 いったいいつからそこにいたのか。なんとなく聞こえよがしなその言い方に、ロニーは顔を顰めつつ男のほうを見た。

 歳は三十代半ばか四十そこそこくらい、だろうか。どことなくアーティスティック、というより胡散臭い、皺くちゃのシャツをだらしなく着た、ぱっとしない風采の男だった。

「……なにが足りないのかしら?」

「いやあ、足りないんじゃなくて間違ってるのさ。若いのにまあまあ演奏はいけてる。なのにだ、なんでこんなところでオリジナル曲だかなんだか知らんが、誰も聴いたこともないような曲ばっかり演ってるんだ? そんなもん、誰も聴きゃあしねえだろうよ。先ずは有名な定番曲でも演って、人を集めてからにしろや」

 云われたもっともな言葉にはっとする。答えに窮してぽかんと口を開けたまま、ロニーはかっと顔が赤くなるのを感じた。なにか云われているのを察したのか、ルカが歌うのをやめ、つられて全員が演奏を中断すると、突如として現れた胡散臭い批評家に視線を集中させる。

 すると、その男はすくっと立ちあがり、ステージに近づいていった。

「悪く思うなよ? 音楽に関しちゃ、俺はほんとのことしか云わねえからよ。おまえら、まじで演奏はそんなに悪くねえと思うぜ。けどなあ……キーボード!」

「え!? は、はい」

「おまえ、クラシックやってただろう」

「わ、わかるんですか」

「そんくらい簡単にわかるさ。うん。まあ、下手じゃあない。下手じゃないがきちんとしすぎ……っつーか、きちんと弾こうって意識しすぎてんのか、なんかノリきれてないんだよ。それからドラム! タムまわし入れすぎ。おまえ、さてはジンジャー・ベイカー好きだろ。けどな、無理。無理っつか、おまえらのやってるようなそんな曲ならもっとシンプルに叩いたほうがいいって。あとギターな、バンドでギターってのは素人目にはいちばんかっこいいんだから、もっと前に出ていけよ。いちばんでかいナリしてやがるくせして、なにちっちゃく弾いてんだ、ギタリストってのはもっとエゴだしてっていいんだよ」

 ルカたちは呆気にとられて立ち尽くし、ただ聞いている。

「んで……ベース。おまえ、ジャズ出身か?」

 アンプの上に置いていたペプシコーラの缶を右手で持ち、左手で開けながらテディは驚いて男を見た。テディは左利きだが、ベースギターは右利き用を使って、普通にネックを左にして弾いている。

「……ジャズのレコードなら、うちにいっぱいあったけど」

「聴いて育ったのか。なるほどな。あのな、おまえのベースはかなりいい。グルーヴ感がちゃんとある。だけどな、一体感が足りないともたついて聴こえるだけなんだよ。おまえがもっとぐいぐい引っ張ってくか、――おまえらがこいつに合わせるかしねえとキマらないんだよ」

 一気に云いたいことを捲したて、男はあちこちのポケットを探り始めた。ようやく探しあてたらしいひしゃげた煙草の箱をズボンのポケットから取りだすと、一本振り出して咥える。

「あーそうだな、なんか、カバー演ってみろ。なんか旧いやつ。なんでもいいからよ」

 煙草に火をつけながらぶっきらぼうに云う男に、なぜか逆らう気はしなかった。ロニーがルカに向かって頷いてみせると、皆はドラムの前に集まってぼそぼそと話しこみ始めた。そしてよし、と拳を合わせると定位置に散り、スタンバイする。

 ユーリがカウントし、始まった曲は〝Love Potion No.9ラヴ ポーション ナンバー ナイン〟だ。短いイントロからルカとテディのダブルヴォーカルに入る。アメリカのドゥーワップグループ、クローヴァーズのオリジナルで、リヴァプール出身のバンド、サーチャーズを始め数えきれないほどのミュージシャンがカバーしている、名曲中の名曲である。

 選曲はどうやら合格だったようで、男は煙草を吹かしながらうんうんと機嫌良く聴いていた。超のつく有名曲に惹かれたのかぽつりぽつりと人も集まり始め、バンドも調子を上げて演奏を続ける。

 楽しげにドラムを叩く真似などしている男に向かって、ロニーは尋ねた。

「……あなた、いったい何者なの?」

「俺? 俺はただの通りすがりの音楽ファンさ。……こんな答えじゃだめかねやっぱ。雑誌の記者だよ。おっと音楽誌じゃないぞ? 大衆向けの娯楽誌さ、アングラな。ふん、やっぱり巧いじゃないか。さっきやってたような流行りに乗っかった中途半端なロックより、連中こういうファンキーなのが合ってんじゃねえのか」

「それは……私も今そう思ってるわ。彼らがこういうの演ってるの、お恥ずかしながら初めて聴くの」

「あんたマネージャー?」

「今頃訊くの? わかってて話しかけてきたのかと思ってたわ。……そうよ、名ばかりの無知なマネージャー」

 レーベルの運営者でもあるなど、とても云う気になれなかった。正直、かなりこたえていた。

「あのベース、いいな。演奏がじゃないぞ? いや演奏も、さっきも云ったようにかなりいいが、なんつーかこう……色気がある。顔もいいしな。ヴォーカルのあんちゃんも二枚目だし、くりくりの長髪で見た目がずっと派手だから気づかれにくいんだろうが、こういうバンドが売れるといちばんホットな奴よりああいう、クールな二番手に人気が集中するもんさ」

 ――それはなんとなくわかる気がした。

 曲が終わると、いつの間にかベンチを埋めていた観客が、次々と開けて置いてあるギターケースのなかにチップを投げ入れ始めた。こんなことは初めてで、ルカたちは笑顔で小さくガッツポーズを交わしていた。

 すると男がつかつかと歩み寄り、ギターケースの中の五ポンド札をちょいちょいと二枚指で挟み取り、ロニーに向かってひらひらと見せた。

「レクチャー代、もらってくぞ」

「ちょっと……!」

「いいだろ、煙草代程度だよ安いだろうが。それより、おまえら明日もここで演ってるか?」

 ロニーはルカたちと顔を見合わせた。

「ええ、たぶん。それが?」

「よし。んじゃ、また明日な」

 男がふらふらと歩きだす。ロニーは慌てて小走りに追い、声をかけた。

「待って! 名前くらい教えていきなさいよ」

「あ? ニール・ジョーンズだよ。検索かけても引っかかりすぎて引っかからない、平凡な名前さ」

 じゃあまたな、と消えていった男のほうをしばらく見つめたまま立ち尽くしていると――歯切れのよいジェシのキーボードの音がして、意識が引き戻された。

 ステージの前に戻る。シンプルだが激しいドラム、踊るように跳ねるベースの音――始まったのはビートルズヴァージョンの〝Slow Downスロウ ダウン〟だった。ラリー・ウィリアムズの軽快な曲にヘヴィな味付けをした、ビートルズのアレンジセンスの光る一曲である。

 時刻はいつの間にか、昼の一時を過ぎていた。どうやらルカたちは、この貴重なランチタイムのライヴを、あの胡散臭い男の意見を素直に取り入れたものにすることにしたようだ。音楽のバックグラウンドをぴたりと当てられた最初の一撃が、余程効いたのかもしれない。だが別に悔しそうな表情ではなく、ドリューもユーリも皆、楽しそうにやっている。

 さっきあの男にも云ったとおり、こういった旧い曲を彼らが演っているのをこれまで聴いたことはなかった。だが、ちょっと打ち合わせただけで演奏ができるということは、以前にも何度となくやっているのだとロニーは思った。

 初めて観たときから既にオリジナル曲と、カバーといってもクリームやディープパープルなどロックの定番をやるくらいで、これほど旧い曲はレパートリーにあることすら聞いたことがなかった。やはり自分はまだまだ彼らのことをなにも知らないのだと、ロニーはあらためて反省した。

 また明日、とあの男――ニールは云った。

 明日、いったいなにが起こるのだろう? とロニーは胸がドキドキするのを感じた。恋の始まりでもない。不安でもない。それは、なにが入っているかわからないプレゼントの箱を開けるときのような、期待に高鳴る鼓動だった。





 結局あのあとバンドは、思いつくままに昔のレパートリーをやり続けた。〝Dancing inダンシング イン the Streetザ ストリート〟、〝Who's Loving Youフーズ ラヴィング ユー〟、〝Time Betweenタイム ビトウィーン〟、〝All Day andオール デイ アンド All of the Nightオール オブ ザ ナイト〟、〝Honest I Doオネスト アイ ドゥ〟、〝Time is on My Sideタイム イズ オン マイ サイド〟――どれもカバーソングとしては定番で知名度も高いおかげか、サンドウィッチなどを片手に集まっていた四、五人の学生たちが腕を振りあげ声援を送っていた。少し離れたところのベンチに腰掛けていたオフィスワーカーらしき二人組も、なにか話しながら楽しげにステージを見ていた。

 旧い曲ばかりなのでコード進行などはとてもシンプルで、だからリハーサルなしぶっつけ本番でも演奏が可能だったようだ。だが歌詞が度々飛んでルカが困った顔で横を向き、〝All Day and All of the Night〟などはほとんどテディが歌っていた。そういえばテディがリードで歌うのを聴くのも初めてだった。ちょっと鼻にかかった甘ったるい声と気怠い歌い方はルカとはまったくタイプが違うが、なかなかいい感じでロニーはちょっと驚いた。

 〝Time is on My Side〟はローリングストーンズの一九八一年、ハンプトンコロシアムのライヴバージョンの忠実なコピーだった。これもテディがキース・リチャーズのパートのバッキングヴォーカルを――たぶんキースより巧く――歌った。キーの高いところで、ちょっと苦しそうに声を張りあげる顔がなんだかエロティックだわ、とロニーは思った。確かに色気がある。


 『あのベース、いいな』


 つい数十分ほど前に聞いた言葉が、どこかにずくずくと刺さっているのを感じた。……私はどうしてこれに気がつかなかった? 彼が、テディがあまり喋らないから? ルカのほうが目立ってハンサムだから? ドリューのほうが背が高くてお洒落だから? ジェシは可愛くて、ユーリはアウトローな魅力があるから? ところどころ焦げた藁のような、伸ばしっ放しの暗い金髪ダークブロンドに隠れてすっきり見えていなかった顔が、ニールに云われてちゃんと見てみれば、表情があまりない所為か気づかなかっただけで、実は欠点がまるでない非常に整った顔立ちであることがわかる。

 素材は良いのにぱっとしなかったというのなら、それは自分の責任だ。ロニーは自分のセンスの無さを悔しく思い、ぎりりと歯を食いしばった。

 否、それでも彼らを見出したのは自分の目であり耳なのだ。自信を失ってはだめだ――彼らをみつけ、プロとして世に送りだした以上、成功に導く責任が自分にはある。

 ロニーは落ちこんでいる暇などないと、顔を上げてステージを観た。

 ルカがそのよく通る伸びやかな声で、『時は俺の味方さ』と歌っていた。





 使用許可の出ている時間が過ぎて、バンドが撤収のための片付け作業を始めたとき。そこには今日のディナーのぶんくらいはありそうなチップの入ったギターケースと、ステージに張り付いてまた明日もここに来る? と尋ねている、ジー・デヴィール初の固定ファンかもしれない女の子三人組の姿があった。ルカは持ち前の明るさと愛想の良さで、片付けを手伝いながら相手をしていた。

 ジェシはなにやら興奮気味に喋り続けていて、ドリューに口より手を動かせと促されている。いちばん大変なドラムの撤収作業はユーリとテディがふたりで黙々とやっていて、ときどき手を止めて言葉を交わしてはくすくすと笑っているのが見えた。

「……今夜はミーティングだわ」

 なにか美味しいもの――イタリア料理か中華料理チャイニーズの店でも探そう――を食べながら、もう一度バンドの方向性についてしっかりと話をしよう。できればどこかリハーサルルームを借りて、レパートリーの確認と練習もできるといい。

 ロニーはこれからやるべきこと、やらなければいけないことについて考えを巡らせながら、機材を車に積みこみ終えたのを確認して「おつかれさま!」と声をかけ、運転席に乗りこんだ。

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