【特別読み切り】河原に散った恋心

おもちさん

【特別読み切り】河原に散った恋心

 夕暮れ時に影が伸びる。昇降口はほの赤く染まり、下校する生徒もまばらだ。そんな折に虚ろな瞳のままで、靴に履き替えようとする青年フリオもその1人だ。


 普段であれば、彼はまだトレーニング中であるはずだが、明日は人生における大切な日だ。その為に顧問より早めの帰宅が許された。大事を取れと言うのである。ただし緊張の虜となった彼に、十分な休息が得られるかは怪しい所であるが。


「おっ。我が校始まって以来の天才君じゃないか!」


 校門を通り過ぎようとしたところ、顔見知りの教師が話しかけてきた。好意的な言葉であっても、フリオは曖昧な返事を返すばかり。そして去り際に、「明日は応援に行くからな」と背中で聞き、曖昧な会釈だけ残して帰路についた。


 高校から駅までは一本道だ。どれほど深く考え事をしようとも迷う余地はない。だがシンプルな帰宅路であるがゆえに、顔見知りに待ち受けられる事もしばしばだ。


 今などまさに典型的なシーンだろう。


「遅かったじゃないか、フリオ。もっと早い帰宅だと思ってたぞ」


 道の真ん中に同世代の男が立っていた。白を基調とした学生服に身を包む、壮健な人物だ。半袖のワイシャツからは、鍛え抜かれた逞しい腕が顔を出している。陽に焼けた素肌が、印象を一層濃いものにした。


 その人物だが、フリオにとって顔を確かめるまでもない相手だ。声を耳にしただけで十分である。


「一徹(いってつ)じゃないか。何か用かい?」


 問いかけへの返事は遅かった。それよりもまず大きな溜め息を挟んだ為である。


「トオル。オレの名前は久野一徹(くのいちとおる)だ」


「分かってて言ってるんだよ」


「お前だって人を笑える名前かよ? 不知火川不理男(しらぬいがわふりお)じゃねぇか」


「……用がないなら通してもらうよ」


 フリオは脇から通り抜けようとする。しかし行く手はトオルによって遮られた。


「そう邪険に扱うなって。明日は因縁の対決が待ってるんだ。ライバル同士、会話のひとつでもあった方が盛り上がるだろ」


「盛り上がる?」


「マスコミは連日大騒ぎだぞ。天才球児2人が甲子園で激突するってな」


 トオルは眼光を一層鋭くし、いくらか鼻息を荒くした。だがフリオの瞳に熱を帯びた様子はない。


「他人の言葉なんてどうでも良いよ。僕の意思は僕のためだけにある」


「フン。孤高の天才気取りか。その余裕もいつまで保つかな」


 トオルはフリオに向けて真っ直ぐ指を突き出した。顔だけでなく、魂の底までをも貫くようにして。


「明日、いよいよ決着がつく。エリート集団で構成される我が最京提督高校が勝つか、それともお前たち、ワンパク干潟高校の寄せ集めが勝つかをな」


 フリオは黙して語らない。ただ突きつけられた指先を、ジッと眺めるだけだ。


「オレの新魔球、ネオムービングファスト・ドロップスクリュー・ナックルチェンジカーブは完璧だ。お前は凡打どころか、バットに当てる事すらできない。それを今から予言してやる」


 そこまで言うと満足したのか、高笑いとともに踵(きびす)を返した。


「明日の甲子園が楽しみだな!」


 ゆっくりと遠ざかる背中が、雑踏の向こうに消えた。フリオというと、遂に一言さえも語らず、ただ黙って見送る姿勢を貫いた。


 翌日。絶好の晴天に恵まれ、甲子園球場は大賑わいを見せた。観客席は双方を応援する声で、耳が痛くなる程である。


「プレイボール!」


 審判が高らかに開始を告げ、球児達が配置に着く。最京提督側の先発ピッチャーは当然トオルである。


 彼は慢心せず、ひたすら自分の仕事に専念した。伸びやかなストレートに新魔球を織り交ぜ

るという緩急自在なスタイルは、高校野球の次元を遥かに超えていた。


 築かれる三振の山。アウト、アウト、バッターアウト。試合の展開は終始変わらず、一方的なものとなった。結果は12対0という圧勝で、トオルは予言通りに完璧に抑えきったのだ。


 それなのに、彼は喜ぶどころか、激しい怒りを露わにした。


「フリオの奴、ふざけやがって!」


 試合後にトオルは1人球場を後にした。出待ちしていた取材陣を掻き分けてまで向かった先は、悲嘆に暮れるワンパク干潟高校の集団ではない。


 自前の自転車に乗り込み、力の限り漕ぎまくった。そうしてフリオの家までやってくると、インターフォンを何度も何度も鳴らしまくった。


「はいはい、どちらさん?」


 間の抜けた声とともに応対したのはフリオ本人だった。トオルは顔を見るなり、腹に蠢く感情をそのままブチ撒けた。


「どういうつもりだ! なんで試合に出なかったよ!?」


 答えは、やや間を置いて返ってきた。


「いや、だって、今日はフィギュアの発売日だったから。朝イチで店に並ぶために昨日は早く帰ったんだし」


「そんな物の為に!?」


「僕にとっては大切な宝物だよ。人生を左右する程だと言っても過言じゃないんだ」


 そう言うフリオの手には、一体の人形が収まっている。体つきは少女、顔は魚面という、ハゼッ娘シリーズの最新モデルだ。それを愛おしそうに撫でては、早起きして眠たいなぁなどと呑気に語る。


「甲子園だぞ? しかも決勝だぞ? 普通なら這ってでも出るだろ!」


「いやさ、正直言って野球とかどうでも良いんだよね。たまたま上手だったから顧問に頼まれただけだし」


「お前の野球熱はそんな程度だったのか? もっと真摯に向き合えよ」


「向き合えったって、僕は干潟を研究する方が性に合ってるし」


「プロ入りする癖に何言ってんだ! オレとお前、2人並んで記者会見をやったじゃないか!」


「あぁ、あれってそういう……」


「理解してなかったのかよ!」


 要領を得ないフリオに、トオルの怒りは更に燃え上がった。


「本当なら今日の試合で大盛り上がりする予定だったのに、お前のせいで台無しじゃねぇか!」


「何でそうまでして人目を気にするかなぁ。皆にチヤホヤされたいの?」


「そうじゃない。今のうちから有名になっておけば、プロで失敗してもタレントへの道が開けるだろ!」


「君こそ真摯に向き合うべきなんじゃないの」


「オレは真剣だよ。成功者になるプランはバッチリだ。プロ野球は踏み台のひとつでしかない」


「まぁ、うん、別に良いけど。君の人生だし」


 フリオは話の途中でドアを閉めようとした。だがトオルの抵抗により、逃げ切る事は出来なかった。


「フリオ、話題づくりに協力しろ! これから河原に行くんだ」


「えぇ? いきなり何を始めようってのさ」


「球場でつかなかった決着を2人だけでやった事にすれば、マスコミも食いつくだろ」


「そんな上手くいくかなぁ」


「ゴチャゴチャぬかすな、お前に拒否権なんか無いんだからな」


「だったらハゼ子さんも連れてって良い?」


「何でも良いから早くしろ!」


 こうして強引にも連れ出されたフリオは、町外れの河原へとやって来た。時折ジョギングする人を見掛けはするが、基本は閑散とした場所である。


「良いか。これから3球だけ投げる。1球でもまともに打ち返せたらオレの負け。そうでなければ勝ちだ」


「ルールとか気にしてないよ。早いとこ終わらせようよ」


「どこまでもフザけた奴……!」


 言うが早いか、トオルは渾身の力でボールを投げた。それはフリオの前を通り過ぎ、背後の土手に当たり、高くバウンドした。


 続けて投げた2球目、3球目も同様だった。フリオは力なくバットを振るだけで、まともに付き合おうとはしなかったのだ。


「真面目にやれ! それともオレをおちょくってんのか!」


「違うんだよ。ハゼ子さんが気になって集中できないんだ」


 フリオの胸ポケットには、確かにフィギュアが顔を覗かせている。


 魚類特有の瞳がトオルの目線と重なった時、とうとう怒りは限界を超えてしまった。


「こんなものが有るからいけないんだ!」


 トオルはフリオの傍まで駆け寄ると、件のフィギュアを奪い取った。そして手頃な岩に叩きつけて粉砕。そして、無残にも四散したパーツを執拗なまでに踏みつけた。


「どうだ。これで少しは野球に身が入る……」


 トオルが己の意識を保っていられたのは、ここまでである。無言のまま駆け寄ったフリオに襲われたのだ。


 トオルの身体目掛けて、躊躇なく振り抜かれるバット。何度も、何度も、何度も何度も叩きつけられる凶器。それはトオルが痙攣している間も続けられた。


 やがて凶行は息切れとともに終わり、フリオはその場に立ち尽くしていた。赤く染まったバットは握りしめたまま。まさに茫然自失そのものでたり、にわかに騒がしくなる背後には気付けなかった。


「おい、カメラ用意しろ。噂のコンビが決闘してるぞ!」


 たまたま居合わせた記者が、その凄惨な現場をフィルムに収めた。そしてそれが決定的な証拠と為り、フリオは緊急逮捕されてしまう。


 この事件は速報として全国を駆け巡った。特にテレビの報道番組は、こぞってこの事件を取り上げた。


「臨時ニュースです。高校球児による傷害事件が発生しました。被害者は全治3ヶ月の重体です。調べに対し少年は『僕の愛しい人を殺された』と話しており、事件の全容解明に向けて慎重に捜査を進めています」


 この事件はお茶の間を大変に賑わせた。ウェブ上でも様々な憶測が飛び交い、連日のように激しい議論が繰り広げられた。


 その後、フリオとトオルはどうなったか。奇跡的にもプロ野球の世界に受け入れられたのだが、史上最大のお騒がせ人として悪評がたってしまった。悪目立ちも良い所だ。


 そして肝心のプロとしての活躍はというと、どちらも成果を残せなかった。二軍扱いの日々が長々と続き、遂には引退を余儀なくされた。世間に全く気づかれないままに。


 その後、干潟ではしゃぐ成人男性の姿が度々目撃されるようになるのだが、恐らく無関係ではあるまい。



ー完ー

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