言霊
虹音 ゆいが
とある暑い夏の日に
梅雨が明けて夏の盛りを迎えたある日、職場の友人から誘いを受けた。
アイドルの握手会に付いてきて欲しい、と。
まず、彼がアイドルに現を抜かしている事に驚いた。わたしも彼と同じ男の身ではあるが、アイドルに興味を持ったことは一度もない。握手会なんてテレビの向こうに広がっている世界でしかなかった。
なので、最初は断ろうと思ったが、興味本位……いや、職場付き合いの延長線、だろうか。その日は予定もないので付いていくことにした。
アイドルの名前は、リィ、というらしい。えらく味気のない名前だと思ったが、今や全国津々浦々にアイドルが犇めく時代だ。そういうアイドルもいるのだろう、と適当に考えた。
全国的に見れば無名でしかない彼女に、友人は少し前から興味を持っていたらしい。そして、非公式の握手会の情報を聞きつけ、少しの不安を抱きながらも参加してみる事にしたとの事。その不安を和らげるのがわたしの役目なのだろう。
握手会、と聞くと、ファンがずらっと列を成して順番待ちしている光景が頭に浮かぶが、その握手会はかなり特殊らしい。それに参加した者の中で、たった一人だけが握手を許されるのだ。
つまり、参加者のうちのほとんどが、アイドルと握手も出来ないままに解散する事になる。そんなものに人が集まるのだろうか、と会場に向かいながら考えていた私だったが、杞憂だった。
まず、そこはただの公園だった。ちょっと寂れた、子供が寄り付かなさそうな公園。
その中心に立つ女の子と、それを取り囲む男達。
大体20人前後だろうか。握手会未経験のわたしには詳しくは分からないが、規模から考えれば多いのだと思う。
アイドルのリィは、予想に反して普通の女の子に見えた。アイドルらしい衣装でもなく、派手なメイクなどもない。ただ、確かに男受けしそうな可愛らしさとあざとさが同居してはいる。そんな子だ。
取り囲む男達は、大体20~30歳あたりの男達。まぁアイドルのファン層としてはこんなものなのだろう。
わたしがこの握手会を分析していると、一人の男が彼女の前に躍り出た。おもむろに手を出すと、リィもそれを握り返す。
「くすくす……来てくれてありがとね?
……何となく、妙な感動を覚えた。くすくす、という笑い声が現実に存在している事と、それを違和感なく使いこなしている彼女に。
それがアイドルとしてのキャラなのかどうかは分からないが、キャラなのだとすればミステリアスだとかそんな感じだろうか。
「い、いつも応援しています! 頑張ってください、リィちゃん!」
男ははっきりとした、少し熱のこもり過ぎた声で応えた。取り囲む男達から歓声が上がり、ついで拍手。……これは握手会とはまた別の儀式じゃあなかろうか。
「し、しばらくは手、洗いません!」
「くすくす……ダメですよ。ちゃぁんと洗わないと。三科湖のお水で綺麗にしてきて?」
どっと笑い声が巻き起こる。ちなみに三科湖は、ここから車で3時間ほど行ったところにある、小さな湖だ。山の奥地にあるので、誰も寄り付かないという意味で地元じゃ有名だったりする。
正直、どこに笑いどころがあったのか分からないが、流されて一応笑っておいた。そして、この謎の会は少女と男たちの笑顔に包まれて終わったのだ。
ただそれだけ。それだけのはずだった。
三日後、三科湖で
また、友人から握手会の話を聞いた。そして、友人が握手の権利を得た事も同時に聞いた。
わたしは彼に忠告した。行くのは良くない、と。
そんな曖昧な忠告しか出来なかった。わたしには、その現象を理論立てて説明する術がなかったから。
当然、そんな忠告になど耳を貸してくれるはずもない。なので、今回はわたし自身の意思で、握手会に参加する事にした。
会場は前と同じ公園。集まった男達も前と変わり映えがない。
あのニュースを見ていないのか。見た上でここに来たのか。わたしが考え過ぎなのか。
答えは出ない。そうこうする間に握手会が幕を開ける。
「リィちゃんに会えて嬉しいっす! 天にも昇る心地っすよ!」
元々軽いノリの彼だったが、今日は輪をかけて発言がふわふわしていた。リィはそんな彼の手を優しく握り返し、
「くすくす……なら今なら空を飛べるかもね? 高いところから勢いをつけたりぴょんってすれば、もしかしたら……」
ずくん、と心臓が高鳴る。イヤな予感が頭をもたげる。
リィのその言葉に不穏なモノしか感じられなかった。けど、それはわたしだけらしい。
集まった男達も、友人も、狂喜の渦の中にいた。わたしは蚊帳の外だった。
ふと、リィがわたしを見て、笑った。怖気を感じるほどに、綺麗だった。
その日、わたしは極力友人から目を離さないようにした。
けれど、三日後に友人は職場を無断欠勤し。
その日の夜、ビルの屋上から飛び降りた男としてニュースに流れた。
故にこそ、わたしはもう一度、握手会に参加した。
分からないことだらけだが、このまま放置していいはずがない、と思えたから。
意外な事に、つぎはわたしが握手をする番らしい。
いつどこでそれが決まったのか全く分からないが、好都合だ。あの女と真っ向から対峙する事が出来る。
「くすくす……三回目、だっけ? 嬉しいな」
「うるさい」
わたしはぴしゃりと言った。
「お前、何をした? 彼らに、わたしの友人に」
「握手、だよ?」
「そんな答えはいらない」
明らかにいつもとは違う空気のはずなのに、周りの男達は全く動じない。まるで、滞りなく握手会が進行しているかのような態度。それがわたしの中の危機感を加速させる。
「わたしにはこれがオカルトな何かにしか見えない。もう一度訊く。何をした」
「……だってさ。気持ちいいじゃん?」
リィは笑った。それまでの笑みと少し違う、蠱惑的でどこか残虐な笑み。
「他人がさ、リィの言葉で狂っていくんだよ? 見てておかしいし、じゃあ次もってなるの、普通でしょ?」
「……そんな理由で、殺すのか」
「くすくす……殺す? 何それ怖ぁい。みんな、勝手に死んじゃっただけ」
話にならない……が、わたしには彼女を裁く権利は無い。彼女が具体的に何をしたか分からない以上、裁く法律もない気がするが。
「あれ? どこ行くの?」
「お前の罪を訴えに行く」
やらないよりはマシだ。少なくとも、この握手会の異常さを他人に伝えるくらいは出来る。そこから何かしらが進展する事を祈るしかない。
「警察、行くの?」
「止めても無駄だ」
「止めないよぉ。でも……くすくす、すっごく怒ってるね? 勢いあまって警察で暴れたらダメだよ?」
わたしは振り返らず、狂気の公園から出て行った。
その少し後、私は地元の警察署の前にいた。少し時間は掛かったけど、無事に辿り着けた。
あとはリィについて話すだけ。わたしは先程購入したばかりのそれをぎゅっと握り締めつつ、一歩二歩と足を踏み出す。
『勢いあまって警察で暴れたらダメだよ?』
バカバカしい。何だそれは。
わたしがお前の忠告など聞くはずがないだろう。
「すみません、お時間よろしいですか」
わたしの言葉に、受付の女性がひどく驚いた顔をする。周囲がにわかにざわつき始め、あっという間に数人の警察官がわたしを取り押さえる。
良かった、話を聞いてくれるみたいだ。
からん、と手からこぼれ落ちた一振りの包丁を見やりながら、わたしは安堵の溜め息を漏らすのだった――――
『――――本日の午後2時過ぎ、三科警察署に包丁を持った男が押し入り、現行犯逮捕されました。包丁は近くのホームセンターで購入したものと見られ、男は意味不明な供述を――――』
少女は、
「くすくす……あーあ、だから言ったのに」
言霊 虹音 ゆいが @asumia
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます