第286話 引っ越しのための……
1週間後、私は公都から領地へと引っ越しをすることになっている。
生活基盤を領地改革のために公都から領地へ移すためだ。
決して、ソフィアにアンバー公爵夫人の座を明け渡すためではない。
まぁ、私、夫人ではなくなったのだけど……
いつの日か、ソフィアにアンバー公爵ですって名乗り出てもいいかしら?
そしたら、私の夫人に……バカなことを考えるのはやめよう……
私が、これから行う領地改革や断罪について、他に漏れないようにするために相談の上、噂を意図的に流すことにした。
嫉妬に狂ってしまった公爵夫人は、領地で療養することになったと。
これくらいの情報操作は、かわいいものだろ。なんせ、噂なのだから。
本当のことを知っているは、私の周りにいるジョージアと侍従たち、公爵移譲の話をしに行ったときにいた公たち、あとは、アンバー領の領民の一部だ。
これだけでも、結構な人数が、知ることになった。
あとは、楽しく領地で狂っている役をする必要があるのだが、そこは抜かりない。
ナタリーが定期的に茶会や夜会に出て、私が狂ってしまって手が出せない状態であることを広めてもらうように手筈が整っている。
ちなみに、ナタリーはそんな私の話し相手として選ばれてしまった可哀想な令嬢である。
私の友人だからこそ、噂にも信憑性が増すだろう。
そして、要がジョージアだ。
ソフィアに、私が領地に引っ込んだことを告げてもらうことになった。
それで、噂はさらに広まるだろう。
悪阻で別宅からでれないソフィアからでなく、ダドリー男爵から。
多少、男爵には警戒されるかもしれない。
うまいこと考えたつもりでいるのだけど、そう、うまいこといくのかしら?と思わないこともないのだが、ノクトたちの太鼓判をついてくれたので安心して、今日は狂った公爵夫人アンナリーゼを演じることになった。
今回は、ナタリーとリアンが付き添って領地まで行ってくれることになった。
私の部屋では、最終打ち合わせ中である。
どこかで見ているかもしれない別宅の侍従向けだ。
「アンナは、嬉々として狂った役をするんだね?」
「騙すなら、身内からというではないですか!
別宅もアンバー公爵家の一員ですからね、徹底的に騙さないと!」
荷物と一緒にジョーとデリアは、先に領地へと出発した。
1泊目の宿で落ち合うことになっている。
「どこから演技すればいいですか?」
「玄関前でいいんじゃない?」
「では、階段辺りから始めましょう。ナタリーごめんね、こんなお芝居に付き合わせて!」
「いいえ、いいのですよ!むしろ、楽しいですわ!」
ナタリーは、夢見心地で楽しそうに私の手を取りノリノリ階段を降りていく。
領地にすでに向かった面々に、私の演技を伝えるためにナタリーは気を引き締め一言一句逃さないようにと意気込んでいる。
そんな中、申し訳ないのだけど……そこまで頑張るほどのものではないはずだ。
「リアンは、馬車の中を先に整えに行ってくれる?茶番に付き合わなくていいわ!」
「かしこまりました。では、お先に準備してきます」
そう言ってリアンが出て行こうと扉を開いた途端だった。
「いやです!ジョージア様、何故、私が領地などに行かなくてはならないのですか!」
第一声は、扉が開いた瞬間にお腹に力を込めて最大声量で張り上げる!
外にもきちんと揉めていることが聞こえるようにだ。
始めるよ!の声もかけないまま始まった茶番。
それに付き合ってくれるのは、ジョージア、ナタリー、リアン、ディルを始めとする侍従たち。
私の声が玄関ホールに響き、みなが集まってくる。
嫌々している私に言い聞かせるように、ジョージアは両の腕を掴んで語りかける。
「それは、アンナ、君が病んでいるからだよ?空気のいいところで、穏やか……」
「いや!ジョージア様と離れるなんて、絶対に嫌です!
また、私を追い払うのですか?私を……私を避けるのですか?」
私を掴んでいたジョージアの両手を振り払う。
本気で暴れ始める私。
困惑しきりのジョージアとナタリー、そこに侍従たちも何事かとさらに集まってきた。
「アンナリーゼ様、私も一緒に領地へ向かい……」
「いやよ!ジョージア様が一緒にいてくれないとダメ!来てくれないと行きたくない!
私は、病んでなんてないわ!すこぶる元気だし、どこも悪くないわ!」
少しずつ玄関に近づきながら、押し問答を繰り返す。
玄関の扉まで来たところで、ナタリーが自然に扉を開け放つ。
「私は、行かないわ!行かないって言ってるでしょ!
何故ジョージア様は、私を私たちを追い出そうとするの?
私は、こんなにも……こんなにもジョージア様を愛しているのに、なんで……」
ハラハラと涙が溢れてくる。
感極まって、涙が次から次に流れてきた。
全く女優にはなれないわね……なんて、頭の中は冷静なのに驚いた。
さすがに、ジョージアはギョッとして、私の涙を拭こうとする。
そして、差し出した手を私の頬に当てることなく手を握って馬車に歩き始めた。
準備してくれていたリアンにどいてもらい、馬車の扉を開ける。
「アンナ、領地に行くんだ!そして、その狂ってしまった心をきちんと治すんだ!」
「ジョージア様がいないところなんて二度と行きたくない!」
思わず蹴飛ばしてしまったが、倒れることなく私を引き寄せる。
「必ず迎えに行くから……アンナ、領地で療養をしておいで」
怒らない、叱らない、最上級の優しい声で私を諭す。
この声、弱いのよね……私。
演技といえど、この声を引き出せた私は満点で大満足だ。
「アンナリーゼ様……」
私の周りに侍従たちが膝を折ってくれる。
筆頭執事のディルが、声高々に言ってくれる言葉は、単純に嬉しかった。
「アンナリーゼ様、領地へいけど私たちの奥様はあなただけでございます。
あなた様が、気にいるものが領地にはたくさんあります。
旦那様は一緒には行けませんが、存分に領地で遊ばれませ!
アンナリーゼ様のお早いお帰りを心よりお待ちしております」
ディルの言葉に、私は目を見開いた。
目が覚めたかのようにディルに話しかける。
視線をディルに合わせて屈む。
「ディル、ありがとう。わかったわ、ジョージア様がいないけど、領地へ遊びに行きます」
立ち上がり、ジョージアの前に立つ。
「でも、ジョージア様、必ず私に会いに来てくださいね!
1ヶ月に1回。いえ、2週間に1回。
領地で、首を長くしてお待ちしております!!」
震える手をジョージアの頬に添える。
泣き叫んでいた私が急に大人しくなったわけだが、普通に考えてそうはならないだろう。
なんせ、狂っているのだから……
私は、空いている手でジョージアの首に手を回し少しこちらに引き寄せると、背伸びをしてジョージアにキスをする。
それも犬歯で唇を噛みついてやった。
突然のことに驚いている周りをほっておいて、続ける。
じゃじゃ馬ならぬわがまま言いたい放題の時間だ。
「必ず来てくださいね!じゃないと迎えに来ますから!
手紙(公都の情報を報告書として)もください!たくさんたくさん!
私もたくさん書きますからね!」
無邪気に笑ながら、ジョージアの手をギュッと握る。
「次は、いつ会えますか?明日?明後日?まだ、領地についてもいないかもしれないですね!
ずっと待ってますからね!ジョージア様!」
チラッと音が鳴ったほうを見るために体を傾けて甘える素振りをすれば、見覚えのある別宅の執事が隠れて見ている。
これだけ泣き叫んで、ジョージアに諭され、ちょっとおかしいこと大声で言えば大丈夫だろう。
ナタリーが私に近づいてきた。
コクンとわからない程度に頷くと言うことは、ナタリーも気づいたのだろう。
「アンナリーゼ様、そろそろ向かいませんと……日が暮れてしまいます。
ジョージア様は、必ずお迎えに来てくれますから……一緒に待ちましょう。ね?」
両肩を優しく触られ、私はナタリーの指示に従う。
でも、やっぱり、名残惜しい気もするので、最後に1回だけ……とジョージアに向かって駆けていく。
ジョージアの腰に腕を回し、胸に頭を押し付ける。
ジョージアの心地よい香水の匂いが、体を駆け巡る。
自分が演技でしているのか、本当に恋しくなりしているのかわからなくなる。
まぁ、どちらもと言うのが答えだろう。
「アンナ、可愛いアンナ。愛しているよ。
旅立つ君に、公爵となった君に、幸多いことを願うよ。
いつも傍にアンナの帰る場所を用意しておく。いってらっしゃい!」
耳元で囁いたのは、ジョージアから私への応援の言葉だろう。
私にしか聞こえない。
なので、驚いて顔をあげたりしない。
そのかわり、腰に回した腕をさらにきつくする。
文句ひとついわれず、したいようにさせてくれた。
ひとしきりして、腕を解き踵を返す。
弱々しくナタリーに添われながら、私は馬車まで歩いた。
膝を折っていた侍従たちが一斉に並び直す。
「奥様、いってらっしゃいませ」
「「「いってらっしゃいませ」」」
ディルのいってらっしゃいに頷く。
真ん中で、ジョージアが寂しそうにしている。
私は、窓から身を乗り出し、手を振る。声は出ずともわかるだろう。
しばしの別れである。
◇◆◇◆◇
馬車の中に戻ると、ひと息いれる。
はぁーと長く息を吐き出した。
「お疲れさまでした。アンナリーゼ様、素晴らしかったです!!
奥様の葛藤は見事でした。ウィルたちに話したら喜びますね!」
ナタリーは喜んでいるが、私は寂しいやら嬉しいやら感情が追いつかない。
「ナタリー、さっきの話てもいいけど……あまり広めないでね。恥ずかしすぎる……」
さっきのを語られるのかと思うと、顔から火が出るほど恥ずかしい。
願わくば、多くの人に広まりませんように……と思っていた。思っていたのだ!
まさか、1ヶ月後には、国中に『アンナリーゼは、気が狂う程ジョージアに熱を上げている』と大々的に広まるとは露ほど思わずにいた。
名前はぼかしてあるが、明らかに私であるのが確信できる観劇になったり、小説の元になったり……気が狂った悲劇のヒロインとして国中を私をモデルにしたお話が歩き回っている。
もう、恥ずかしすぎる。
私は、領地で静養していたので知らなかったが、後に知ることになった。
不名誉なお話の公爵夫人として、しばらく社交界でも町中でも噂の的となったそうだ。
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