第七話

「私の瞳はさっき言った通りです。通常の状態で普通の視覚が働かないため、幼い頃

 はよく色々なところに迷い込んでいたんです。深い森とか……、でも私が通常視え

 る者たちは良からぬことに私を巻き込みたがるんです」


 美津さんは俺たちにコーヒーを手渡しながら、さっきの話の続きを話し始めた。コーヒーはいつもより暗く、濃い香りが鼻に届いてくる。


「良からぬこと?」

「えぇ、なのでよくそれらの意思のまま足を動かすと、有体に言うと死体と出会った

 り、崖から落ちたり……」


 美津さんが微笑むと、吹雪さんが苦い表情を浮かべた。しかし、美津さんはそう苦い思い出ではないようだった。それが長年彼女と共にあったものだからだろう。とはいえ、ああやって倒れてしまうのを見てしまたからには心配になってしまうけれど。


「あの暗闇のような視界でも、母が見えていたのは覚えています。唯一、あの人がい

 るのだと認知は出来ていました。顔を実際見たことはないですけれど……」

「そりゃあ、真雪まゆきサンは美津家の血が濃い方だったからな……」


 吹雪さんが思い出すように話す美津さんを眺めながらつぶやくように言った。


「真雪さん……?」


 俺が首をかしげると、吹雪さんはまるでそれが言ってはいけないことだったかのようにハッとした。しかし、美津さんは微笑みながら俺の疑問に答えてくれた。


「真雪は私の母ですよ。私はこの家の養子なんですよ」

「んえ?」

「母はすでに亡くなっていて、私は母の兄にあたる美津冬治とうじに引き取られたんです」


 衝撃の事実だ。

 つまり、吹雪さんは美津さんにとって従兄ということになる。それに彼女の表情は、母がなくなったことを話しているというのに平常のままだ。不思議と彼女という存在がまるで人間でないかのように見えてくる。しかし、美津さんは俺のすぐ目の前にいて、長いまつ毛を伏せて一息ついている。

 しばらく、沈黙が広がるとカラコロンと喫茶店入り口の扉が開く音がした。美津さんは眉をひそめて、パッと扉の方を見やる。


「おや、今日はお休みなんやないんです? 勢揃いで」


 現れたのは青のメッシュが印象的な同級生の二条柳だった。

 美津さんは目を見開いて、扉の方を見やる。


「二条君、あの鍵束を使ったんですか」

「ま、そんなとこですわ」


 ひらひらと手を振って、二条はやや胡散臭い笑みを浮かべた。


「おい、お前不法侵入だぞ!」


 二条のその笑みを睨み付け、吹雪さんが大声を出す。しかし、二条はそんなことなどどこ吹く風で、ふうッとため息をついた。それから懐からやけに厚みのある茶封筒を取り出し、美津さんの方へ放り投げた。美津さんはそれを受け取り、まじまじと差出人を確かめるように目を細めた。

 すると、美津さんは今まで見たことのないくらいに眉根を寄せて、嫌悪を露にしていた。


「あは、相変わらずいやぁな表情しはりますなぁ……」

「懲りないですね、あの人は」


 美津さんは茶封筒を見ながら、呆れたような怒っているようなため息を漏らした。


「とはいえ、自分の娘ですやろ? あん人も最近はしびれを切らして、自分から出向

 こかと思っとるらしいんですわ」


 それを聞いた美津さんは皿に眉根のしわを深くした。

 二条と美津さんが言うが誰なのかわからないが、少なからず美津さんがその人を好いていないのはありありと伝わってくる。美津さんのこんなにも嫌悪を露にした表情を目にしたことはないからだ。

 俺は隣に腰かけた二条にちらりと視線をやる。すると、ちょうど二条もこちらを向いたようで、ばちっと視線が合った。しかし、すぐに視線はそらされる。それから、美津さんに向き直る。


「霙はん、あの商品まだあります?」

「あぁ、ありますよ。というか、この街で使うのは二条君だけだと思いますが……」


 美津さんはニコリと笑みを浮かべた二条に小さな箱を手渡し、小さくため息を吐く。何が入っているのか気になるが、聞いてもいいものなのだろうか。すると、二条がこちらをじっと見て「中身、気になりますのん?」と、悪戯気な笑みを浮かべて首を傾げた。

 俺はおずおずと頷き、少々の気まずさを感じた。


「俺は霙はんと似通ったもんがあるんです。まぁ、霙はんみたいに視界が利かないせ

 いで瀕死になるとかはないもんやけど」

「霙と似た体質ゥ?」


 吹雪さんが二条の言葉を受けて、怪訝そうに眉を寄せて凄んだ。すると二条はわざとらしく両手を上げ、「おぉ、怖いですわぁ」と言った。それから、美津さんからさっき受け取っていた箱を開けた。中にはピアスなのだろうか、対となったプラチナの小さなアクセサリーが二つ。


「俺は、霙はんと違って味覚が怪異に侵されとるんですわ。食ってるもんの味はわか

 らんどころか、作った人間の感情まで流れ出す始末で」


 そう言って、二条はンベッと舌を出した。下の真ん中には小さくピアスが輝いていた。


「二条君に渡したのは、二条君の味覚に合わせて通常の味覚を保つ舌ピアスです。ピ

 アス自体は市販物ですけど、これにまじないをかけると味覚制御の効果が二週間ほ

 ど続きます。二つで一か月分ですね」

「ま、陰陽師が作るような薬よりよっぽど精度が高くて助かっとりますわ」


 二条は笑みを浮かべるが、対照的に美津さんは少し眉を寄せた。二条と美津さんの関係性がいまいちつかめない。俺が美津さんにそれを伝えると、美津さんは首をかしげて「そういえば言ってませんでしたね」と言った。

 美津さん曰く、二条の家庭は代々陰陽師の家系らしい。そのつながりで、美津さんと二条は顔見知り程度だったらしい。


「まぁ、さすがに味覚作用のピアスを作ってくれと頼まれるのは予想外でしたが」


 と、言って美津さんはふっと息をついた。

 それから、何かを思い出したように瞬きをした。


「そうでした、二条君、今回のお代なのですが金銭は結構です」

「ほぉ? ほんなら、別の対価を要求されるんやろ?」

「……えぇ」


 美津さんは頷いた。どうにもその対価を口にすることをためらっているような気がする。そんな美津さんを心配してか、吹雪さんが眉を下げて何かを言おうとしたが、アイダさんにそれを止められてしまった。吹雪さんは苦虫をかみつぶしたような表情をした。


「少しだけ、今回の対価を悩んでいます。……下手をすれば、貴方がたの規律に反す

 ることですから」


 美津さんはぽつりと、自信なさげに口にした。二条はとりあえず話を聞こうかと姿勢を正し、美津さんの言葉に耳を傾けるように息を吐く。


「鍵束の鍵から、を貸してほしいんです」

「鈍色の……、ふむ。霙はんの目的はわかりまへんが、確かにこの鍵を使うには厳密

 すぎる制約がついてきますなぁ……。それに、いや……、わざわざ口にするのはけ

 ったいってもんですな」


 真剣な瞳をした美津さんに二条は少し悩んだふりをしてから、ジャラジャラと何十本もの鍵が束ねられている鍵束を取り出した。その中には、美津さんが指定した鈍色の鍵が二、三本吊るされている。

 他は銀色だったり、金色や銅色だったり、鈍色より深い黒に近い色が多かった。ものによってはきらきらと輝く淡い色合いの宝石で飾られていたり、やけに細かい細工が装飾してあるものもあった。

 二条はその中から一等地味に見える鈍色の鍵をするりと取り、美津さんの方へ投げる。放射線を描いて投げ出された鍵を美津さんは素早くキャッチする。

 それを受け取ったと見たのか、二条は静かに席を立ち「ほな」と後ろ手を振り、この喫茶店から出て行ってしまった。それを見届けると、吹雪さんはよっぽど二条の訪問が嫌だったのかすぐさま喫茶店の鍵を閉めた。


「……ったく、厳重に鍵をかけてたはずなのに」


 吹雪さんは腕組をして、ぶつくさと文句を言う。

 すると、美津さんが苦笑を浮かべた。


「吹雪お兄さん、二条君の持っている鍵束は鍵の型に関係なくあらゆる扉を開けるこ

 とのできる、特殊なまじないの掛けられた代物なんですよ。陰陽寮であの鍵束を使

 える数少ない品なんです」

「わ、すごい反則技な道具」

 

 俺がつぶやくと、美津さんは「そうですか?」と言って首を傾げた。

 以前、レイラさんの本体と言えるであろう人形を探しに行ったとき二条から受け取っていたのもその鍵なのだろう。そのときはこの鈍色の鍵ではなかったけれど。


「まぁ、この鍵はそれらとは少し違うのですが……」

 

 美津さんはやや青光りする鈍色の鍵を握りしめ、ニコリと微笑んだ。

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