第八話
結局、美津さんは二条から預かった鍵の用途は教えてくれなかった。「秘密」だそうだ。ただ、二条に鍵を借りるときに何かをためらっていたのは、何らかのリスクを背負うことになるからだろう。そして、二条も少し気乗りはしていないようだった。それでも、少し楽しそうにしていたけれど。
俺は美津さんから頼まれごとをされていた。
シルフさんに届けてほしいものがあるのだとか。美津さんは何やら準備をするらしく、そこまで手を回せそうにないらしいのだ。
「手紙だよな……」
しっかり封のされている真っ白な封筒に暗い緑色のシーリングワックスがされている。ぺたりと蝋燭のシールのようなそれにアザラシのような何かの模様がついている。美津さんのお気に入りの物らしい。
俺は学校が終わり、やや風の強い中林の方へ向かう。
私が、
霙ちゃんは、少し真雪ちゃんとは違った。
記憶力が良くて、思慮深い子だった。
もうそのころには、気まぐれなアイダ様も、メデューサのハルジオンも彼女の隣にいた。真雪ちゃん亡きあと、彼らを含めた妖怪や幽霊、人ならざる者たちが霙ちゃんを育てていたらしい。確か、霙ちゃんが小学校に入るような年に彼女の祖父が霙ちゃんを見つけて、この街に連れてきたのだったか。
始めは二人のお兄ちゃんたちともうまくいっていないようで、――そもそも人間の多い暮らしが初めてだったのだろう。両親となった
唯一彼女と救いであったのが、彼女の祖父だ。
彼女は喫茶店の一角に居座り、自分の祖父のことを眺めては気の赴くままにお客さんに話しかけ、時には給仕をし、ごくまれに人間のお客さんと会話をしてを繰り返して過ごしていた。
『シルフ様は、祖父のことが好きなのですか?』
ただの、年頃の女の子の問いかけだと思っていた。まだ八つの、おませさんだと思っていた。しかし、彼女の瞳のことをハルジオンに聞いて、それは違うのだと知ることになる。
『霙は、あの特殊な瞳ですべてを映す。信仰しているもの、感情の流れ、俺たちのよ
うな化け物、かすかな神の気配でさえも……』
彼女の瞳の本当の色を知っている人間は少ない。
霙ちゃんが、人間に自ら歩み寄ることをしていないからだ。普通の人間からすれば、彼女は控えめでまじめに見えるのかもしれない。同じ景色を見たことのない私も、彼女を見ていればそう思う。
『あなたは、きっとこのままだと後悔しますよ』
『え……?』
霙ちゃんは、厳しい子だ。
私が、彼女の祖父に恋慕のようなものを抱いていたことを前提に彼女がそう言った。この永い人生で、たった一人に想いを告げないことの何が後悔になろうか。彼女の祖父が亡くなる前まで、そう思っていた。
――しかし、人間の人生は長くはない。
つい最近、彼の訃報を聞いた。
もう、ずいぶん前に亡くなったそうだ。
霙ちゃんが言ったこと、なぜぞの時言ったのかよく分かった。霙ちゃんは何もかも見える。だから、普通のものが視えていなかった。きっと、霙ちゃんは彼が五年もしないうちに彼がなくなってしまうことを勘付いていたのだ。なんて、憐れなのだろう。
私は、彼の死とともに、様々なことを悔やんだ。
「おい、シルフ。客だ」
ゴンゴンゴンと扉の叩かれる音と、不機嫌に拍車をかけたようなハルジオンの声がした。私は返事をして、扉を開けそろりと扉の隙間から顔をのぞかせた。
そこには、いつか見た少年が立っていた。
「こんにちは、美津さんに頼まれてきました」
「ぁ、えぇ、ありがとう……?」
何か霙ちゃんに頼んだかしらと首をかしげると、隠岐くんは鞄をガサゴソと漁り、一つの封筒を取り出した。
「これです、美津さんは別件で忙しいらしいので……」
隠岐くんの言葉に相槌を打ち、渡された封筒を開ける。相変わらず、彼女の趣味で作られた蝋封が貼られているが中身は至ってまともらしい。一枚だけ紙が入っていた。書かれているのは、場所と日時だけ。要件すら書いていないが、きっと何か企んでいるのだろう。
私にずいぶん呆れていたようだし、なにか喝を入れるために何かするのかもしれない。
「何か、変なことでも書いていたんですか……?」
隠岐くんが心配そうな表情で、こちらをうかがってきた。私は首を振り、彼に簡潔な内容だけの手紙を見せた。「……明日ですよ?」と、隠岐くんが心配そうにこちらを見て言った。
確かに、天候を吹き荒ぶ強風に変えるほど精神が不安定ではある。彼はそれを知って、心配してくれているようなようだ。人間でない私を心配してくれるなんて、霙ちゃんも含めて片手で数えるほどしかいないのに。私は、こんな人間の子供を不安そうな表情にしてしまったことを申し訳なく思い、ほほ笑んだ。
「大丈夫よ……、もう心配しないで」
「……はい」
彼はどこか驚いたように目を見開き、それから照れ臭そうに微笑みを返してくれた。
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