第二話

 一同、美津さんの発言に異質さを感じた。「まじないをかけるだけ」、だなんて一般人には普通のことではないのだ。少なくとも、消しゴムに両想いの相手の名前を書くとか、ミサンガを身に着けるとかそういうレベルではないはずなのだ。

 当然、アイダさんが盛大なため息をついた。

 

「お嬢さん、この金平糖の作成ははマンドレイクの収穫より高度だ。三年前に、鍋に

 集中しすぎて脱水症状を起こしたのはどこの誰だい?」

「うっ……、金平糖作るの好きなんですよ」


 アイダさんの指摘に言葉を詰まらせながら、美津さんは少し寂しそうな顔をして虚空を見上げた。それから気を取り直したのか、パッといつもの微笑みを浮かべてアイダさんが飲み干したコーヒーグラスを下げた。

 そして、それをバックのキッチンへ持って行く。すると、アイダさんがその後ろ姿を眺めて、小さく呆れたようなため息を漏らしていた。


「そっかー、流石にまだ話してないか」


 アイダさんは頬杖をついた。それが何か聞こうとしたが、上階から駆け下りてくる足音がしてタイミングを逃した。バックヤードへつながる扉が開き、そこからは美津さんの兄である吹雪さんが現れた。

 俺たちを見て彼はあからさまに顔を顰め、アイダさんに視線をやりさらに顔をしかめた。


「蛇野郎……」

「蛇野郎とは失礼な、お嬢さんは礼節わきまえて接するというのに」

「俺とみぞれは違うだろうが。それに、お前は霙に近いんだよ」

「なんだ、嫉妬か? 男の嫉妬は見るに堪えんぞ」


 吹雪さんとアイダさんはたがいに煽り合い、口喧嘩をし始める。グラスを洗いに言った美津さんが速く戻ってきてはくれないだろうか。そう思うのは、この二人の喧嘩に口を挟めば、ただでは帰れそうにないからだ。

 実際、祭先輩も遊佐ゆささんもハインリヒも、この言い合いを戸惑ったように見ているだけで口は出していない。すると、美津さんが呆れたようにキッチンの方から顔を出した。二人の言い争いは彼女にとってはもはや恒例なのか、その横を通り過ぎてこちらへ来た。


「止めなくてもいいの?」


 声を潜めて聞くと、彼女は「んー」と何やら悩んだように口元に人差し指を当てた。それから苦笑して「無駄ですね」とばっさりと切り捨てるように言った。


「まぁ、気が済むまで喧嘩すればいいんじゃないでしょうか」

「他のお客様がいらっしゃるのでは……?」


 遊佐さんも会話に混ざる。遊佐さんの言葉に、美津さんは「大丈夫です」と言った。祭先輩も遊佐さんも首を傾げた。俺も、なぜ彼女が大丈夫と言ったかよくわかっていない。


「そもそも、この店は夜間に妖怪たちが繁盛させてくれるので。人間のお客様が少な

 くても、――というか人間のお客様は少ないんですよ。多いのは休日とか、季節の

 行事があるときですかね」

「そっか、普段は学校があるもんね」

「えぇ、それに稼ぎ時は今の時期じゃありませんし」


 ニコリと貼り付けたような笑みを浮かべて美津さんはそう言った。


「稼ぎ時って何月なんだ?」


 はて、と首をかしげる。すると美津さんが「お盆です」と言った。


「お盆は、先祖の魂が帰ってくるんだっけ?」

「そうです。ハロウィーン前後もそうですね。幽霊、悪魔、妖怪、その他怪物等々、

 愉快な人たちが訪ねに来るので個人的にも楽しい時期なんですよね。何より、の世

 の流行はやりだとか面白い情報も知れますしね」

「面白い情報」


 俺が鸚鵡おうむ返しにした言葉に、彼女は生き生きとした表情で頷いた。


「はい。本じゃ知れないような、……いえ人間が隠してきた歴史とか、魔法の植物の

 製作法とか」

「魔法の植物?」

「えぇ、主にアイダさんが先ほど取り上げられたマンドレイクなどですね」

「マンドレイクは土から引き抜くと悲鳴を上げて、周囲の人間を発狂させ死亡させる

 伝説のあるマンドレイクですか?」


 遊佐さんがゾッとしたかの方に眉根を寄せた。隣にいるハインリヒも、「本当にそのようなものが存在しているのですか」と不安そうに首をかしげている。


「存在しますよ。実在するマンドラゴラ同様、幻聴や幻覚を見せる神経毒が含まれて

 いますが煎じれば薬になります。北欧神話に出てくる、黄金のリンゴだとかも存在

 します。人間には提供しません、どれも人外のお客様用に作られた人間にとって毒

 でしかない品ですから」

「人間が取り入れたらどうなるの?」


 祭先輩が喉を鳴らし、好奇心半分恐怖半分で尋ねる。すると、美津さんはニコリと笑った。


「薬の効能によりますが、少なくとも命の喪失に導かれますかね」


 それから、「黄金のリンゴは別ですけど」と訂正するように言った。とはいえ、美津さんがこの手の話で俺たちを怖がらせるのを少し楽しんでいる気がする。とはいえ、俺たちがこういう未知の世界の話に興味が全くないわけでもない。


「それって、霙も?」


 美津さんの言葉を受けて、祭先輩は首をかしげる。すると、美津さんは少し驚いたように目を見開き、どう答えるべきか考えているようだった。


「……ふむ、私はあちら側の存在に耐性があるので、死ぬほどの痛みに長く苦しんで

 三日後くらいにはケロッとしてそうですね、ははっ」

「え、今の笑うトコ?」


 美津さんがからりと笑い声をあげる。

 内容が内容なだけに、どう突っ込んでいいのかもわからない。とはいえ、彼女が妖怪やらに強いのはなんとなくわかる。ロアさんとズザさんとか、緑雀リョクジャクさんとかも、いつも彼女のすごさが何たるかを語っている。

 それに、先月に起こった教会で辺りを包んでいた瘴気だが、俺や祭先輩や遊佐さんはその影響で体調を崩した。しかし、彼女は「大丈夫そうですか?」と謝罪と心配とハーブティーをもってお見舞いに来た。とても元気そうで、安心したのを覚えている。


「え、笑うトコなんじゃないですか? 私の知り合いは似たような話をしたときに、

 大爆笑しましたけど……」

「はは、それボクだな」


 いつの間にか口喧嘩が終わっていたらしい。

 にゅっと、アイダさんが会話に混じってきていた。吹雪さんがものすごい剣幕で、アイダさんを睨み付けているが彼は気にしていないようだ。そういえば、さっきと今ではアイダさんが何か違う気がする。

 なにか。

 何が違うのだろうか。ううんと、頭を悩ませていると遊佐さんがその違和感を指摘した。


「えぇと、アイダ……様の瞳の色が先ほどと違うような気が……」

「あぁ、雨が止んだのですね」


 その指摘に、美津さんとアイダさんか顔を合わせて微笑みを浮かべた。


「虹蛇である彼は、虹そのもの。雨が止めば、空模様と同調するように彼の瞳も虹色

 に輝くんですよ」


 違和感はそれだったのか。彼と対面した時は、どんよりとした曇り空のような色の瞳だった。今はそれが七色のグラデーションに輝いていた。

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