第三話

 織姫様と彦星様が、唯一会える七月七日。

 自業自得だというのに、彼らが唯一会える日。


「お嬢さーん、街の方にある短冊に何か書いた?」


 小麦色の小さな手が眼前で振られる。私はハッとして、声の方を向いた。ハルジオン同様、幼い頃から変わらない一人だ。そして、アイダ様は、幼い頃の私を知っている数少ない一人。神様とはいえ、私一人を気にかけてくれる寛容な人だと思う。

 私は、彼の問いかけに少し間をおいて、頷いた。


「短冊は武芸の上達のため抱負を書くものだと伺っております」

「それは知ってるさ。お嬢さんは、現代らしくお願い事を書いたのかなと思って」

「……そうですね」


 確かに、もうすでに街の小学生や子供たちの短冊の中に埋もれる笹に吊るした。上達したいことは大してないから、周りと同じように願い事を書いた。些細なことだったと思う。本当に、この家に来てからずっと願い続けたことだ。

 ――叶うことはないけどね。

 必要最低限なものと本しかない自室の隅で膝を抱えた。

 私は窓の外を見た。この光景を、誰も知らないだろう。あの男さえ、この光景が視れないのだ。


「お嬢さんは、目が良いからね」


 アイダ様が背後から私の視界をふさいだ。

 隠岐おきくんや、お兄さんたち、けいくんたちと共有したくない景色。私の世界は、いつも人々の恐怖にあふれていた。スプラッタホラー映画で見るような怪物とか、和製ホラーで見るような少女とか。聊斎リョウサイさんの本性など微塵も怖くなくなるようなものばかりが私の視界にあふれている。

 だから、希に普通の人間の顔を認知できないときがある。取り憑かれている人間とか、強い負の感情を抱いている人間はいろいろなものを宿している。目に見えてグロテスクなものなど、どこへ行っても視てしまう。

 この喫茶店だけは、それがなかった。

 そういう存在と、物質に頼って生きている生物を隔てているから。


「アイダ様は、視えていますか」

「……お嬢さんと同じ世界が?」

「はい」


 私の返事を聞いて、アイダ様は黙り込んだ。

 

「誰しも、同じものなど共有できない」


 そりゃあ当然か。

 いつものように乾いた笑みを浮かべた。そうだ。

 普通は見えなくて当然のものなんだ。とはいえ、普段はハルジオンが特別に怪異への視力を制御するための薬を作ってくれる。ズザさんの件で情報を求めに行ったとき、渡された小瓶はそれだ。ただし、朝に飲んだとして効果は夕方には切れてしまうのだ。――まぁ、この喫茶店は昼間は人間、夜は怪異たちと決まっている。怪異たちの力は決まって夜に強くなるからだ。

 聊斎さんや、ハルジオン、ロアさんやズザさんのように昼間も活動できる人たちは別だが。


「アイダ様も笹に短冊を吊るされましたか?」

「ボクが? まさか、少なくとも神は叶える側だ」

「……ふーん、神様が願い事を叶えてくださるのは迷信にもほどがあるのでは?」

「意地悪だね。ま、人間がそう思い込んでいるだけだものな。とはいえ、対価なしに

 叶うと思っている人間が多いのは許せないが」


 幼い頃から、このような人たち――ほとんどが人間ではないが――と関わっていると、どうにもそれらの思考に毒されつつあるようだ。神様という類のものは質が悪い。当然、人間にも契約があるように、神様との契約もある。願い事を叶える代わりに、依頼に見合った対価をもらう。それは子供でも知っていることだ。川の氾濫を止めるために川の神様に、娘の人柱を出していたように。

 

「とはいえ、今は昔ほど物騒ではないですから」

「ふふ、そうだ。お嬢さんにはたくさん聞かせたからな」


 アイダ様は気ままな神様で、人の願いを叶えたことはないらしい。そもそも、人間と会ったのは、飢餓きがで弱っていた彼を拾った私が初めてだという。神様と知らず彼を家まで引きずり回したのは、とても申し訳なく思っている。

 

「ところで、お嬢さん」


 アイダ様は私の目に当てていた手のひらを離し、私の目の前に座った。

 神妙な表情は、見た目が少年であるだけで違和感がある。妙な貫禄があるからだろうか。無邪気そうな小麦色の肌の少年の見た目には、まるで稚気など感じられないのだ。

 私は彼に視線をじっと留めた。


「シルフを知っているか」

「えぇ、何度かお会いしたことはありますが」


 シルフとは、少女の姿をした風を司る精霊のことだ。四大精霊という、地・水・風・火の四大元素の中に住む精霊のことだ。サラマンダー・ウィンディーネ・ノーム、そしてシルフ。シルフは森の妖精でもある。

 彼女は、まだ祖父が生きていた頃、喫茶店の常連だった人だ。色素が薄く、優美でほっそりとした少女の姿をしていた。薫風のごとく旅を続け、定期的にこの喫茶店へ顔を見せに来た。

 しかし、祖父が亡くなる二年ほど前から彼女の顔を見ていない。祖父が亡くなったのは三年前。だから、五年ほど彼女を見ていない。


「彼女がこの街に来たのだが……」


 アイダ様が深くため息をついた。


「君の祖父が亡くなったことにショックを受けて、寝込んでしまった」

「え?」

「ハルジオンの家にいるらしいぞ。この街の入り口にある家だからな」


 そう言えば、と思い出す。

 シルフ様は、私の祖父を慕っていた。とはいえ、祖父には私の祖母がいるので彼女は遠くから見ている程度。いつだったか、想いを伝える気はないのかと尋ねたことがある。そのとき彼女は、「いつしか彼は死んでしまう。だから、彼が笑顔で死ねるなら十分なの」と微笑みを浮かべていた。

 ついでに言うと、シルフ様は祖母とも仲が良かった。だからこそ、あの祖父母を眺める視線が幸せそうだったのだろう。


「とはいえ、寝込むほどのショックですか……」


 いつも聖母のような笑みを浮かべていた彼女からは想像ができない。

 すると、アイダ様が人差し指をぴんと立てた。


「だから、ボクからの依頼だ」

「依頼……、シルフ様を立ち直させろと言うことですか」

「んー、とりあえずな。でなきゃ、嵐が来る」

「シルフ様の感情に制御がきかなければ、七夕祭りにも影響が出ますねぇ」


 精霊の力は感情につながっている。怒りや、悲しみ、憎しみ、あらゆる感情に比例して天候や地形は変わる。制御しようと思っても、感情に呑まれれば大災害を生むのだ。

 ――ふむ、一肌脱いでもいいかもしれませんね。


「わかりました、承ります」


 私はニコリと笑みを浮かべた。

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