おわりに
優造さんが目を覚ましたのは、俺たちがいろいろと話してからだいぶ経ったころだ。彼はここ数日の記憶がないと言う。
「
何でもないような顔をして
彼はすぐさま教会に帰ると言い出した。
遊佐さんを誘ったのだが、遊佐さんはまだ残ると言った。
「あぁ、優造さん」
扉を開けて、出ていこうとした優造さんを美津さんが止めた。優造さんは振り向き、「どうしたんだい」と首を傾げた。
「懺悔できないとは、苦しいですね」
穏やかな笑みを浮かべ、美津さんが言葉を紡ぐ。
優造さんがきょとんとした表情を浮かべて、それから一瞬だけ険しく表情を顰めた。それから、「どうだろうね」と踵を返して喫茶店から出て行ってしまった。俺は自分の隣にいる遊佐さんにちらりと視線を向けた。優造さんが出て言って、少しだけ疲れたような表情を見せた。
「霙さん、私はこのままでも良いのでしょうか」
「このまま、とは……?」
ぎゅっと服の裾の握りしめ、遊佐さんが目を伏せた。もう還らぬ人に想いを寄せているように、どこまでも続く哀しみが垣間見えた。彼の頭上にいるハインリヒは、守護天使らしく優しく微笑み、遊佐さんの頭を柔らかく撫でた。
「いえ、何でもありません。私は、今まで通り聖人君子のように」
そう言って、彼は首から下げていた十字架に手をのせた。
「ミゾレ様、僕からも感謝いたします。しかし、あのオオトリ様というかたは、どこ
かアオエに似ていました」
「母に?」
アオエとは、遊佐さんの母の名前らしい。すると、美津さんがバックヤードの方向を向いて言った。
「そうですね。遊佐あおえは、
「「「「えっ」」」」
「男運が悪いのは、血筋と言ったところでしょうね」
声をそろえて、美津さん以外の全員が声を上げた。美津さんはそれに構わず、困ったように苦笑した。それから、俺たちの食べかけのフルーツサンドを指さす。
「そして、遊佐さんのお母上はこの店のフルーツサンドとフルーツティーがお好きだ
ったようです。祖父からお聞きしたことですが、目が見えずとも香りが楽しめる品
だと仰っていたようです」
美津さんの言葉に、ハインリヒがハッとした。それから、ぼろぼろと大粒の涙を大きな瞳からこぼしていた。美津さんはそれを見ながら、話をつづけた。それは、遊佐あおえの過去の話。
「彼女が失明したのは、事故だ理由だったそうです。それも、視界に見えた少年をか
ばったとか。でもその場にいた歩行者は、彼女だけ。……さて、それから導き出せ
る答えは何でしょうか」
俺たちはハインリヒを見て絶句した。
「遊佐さんのお母さんがかばったのは、守護天使だったハインリヒ……?」
俺の問いかけに、彼女は悲しそうな笑みを浮かべて頷いた。
「彼女はその少年が、今にも世を儚んで消えてしまうのかと思ったらしいのです。そ
れをとどめたかった、それで犠牲になるくらいなんてことないと言ったとか……」
「そうだったのですか……、僕が彼女に消えない傷を……」
「それは違いますよ」
美津さんの言葉に、ごちゃ混ぜになった感情に耐えるようにハインリヒは震えていた。大きな後悔と、やっと思い出したかのような大事な過去に彼は向き合っていた。卑下するようなつぶやきに、ストップをしたのは遊佐さんだった。迷いなど消えたかのように、笑みを浮かべてハインリヒの背に手を置いた。
「そうですね。彼女は、自らの信仰が報われたのと同時に、天涯孤独と思われた人生
に光が差したのだと祖父に告げたそうです。それは、ハインリヒさんのおかげでし
ょう?」
遊佐さんの否定の言葉に、美津さんが加勢した。
元から伝える予定だったのかもしれないが、わざわざハインリヒが後悔を表に出すようなことを言う必要だったのだろうか。それを聞かぬまま、時間はずいぶん遅くなっていた。
遊佐さんとハインリヒ、祭先輩、それから俺と
ただ――。ただ、ハインリヒがすっきりした表情を浮かべていたことは喜ばしい事であった。
夜道を歩きながら、俺はため息をつく。
一人だと、やけに静かだと感じる。もう六月。ぽたぽたと、雨粒が髪の毛をなぞり落ちる。俺は鞄の中が濡れないように抱きかかえ、自宅まで全力疾走した。雨脚はだんだんと強くなっていく。さっきみた、ハインリヒの涙のように大粒の雨が制服のジャケットに黒くシミをつくっていった。
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