第八話
目の前には、あらゆるとことに包帯を巻いたロアさんがいた。
少なくとも、傷は浅かっただけで致命傷ではないらしい。ただ、出血量が多くぐったりとしていた。ロアさんは、出されたホットミルクを黙って飲みながら、うつむいていた。
美津さんは、猫の姿であったロアさんを抱き上げた時に付着した血液が目立つため、バックヤードの方へ着替えにいっている。
「お待たせしました。お茶をどうぞ」
「え、ありがとう」
戻ってきた美津さんは、お盆片手に紅茶を持ってきた。それから、まだ時間に余裕があるか確認してから、自分も椅子に座った。
「ロアさん、大丈夫ですか? 一応、ハルジオンの薬を使いましたけど……」
「あぁ、平気だ」
ロアさんはひどく落ち込んでいるようで、ぼそりと呟いたきりだった。それから、美津さんは俺をじっと見る。それから、怪訝そうに眉を
「
美津さんの瞳の色が、一瞬だけわずかな燐光を帯びていた。俺は動揺と、例えようのない違和感に少しだけ身を引いた。
しかし、美津さんはハッとして「言わなくてもいいですよ」と、苦笑した。それから、少し焦ったように紅茶を飲み目を伏せた。しかし、俺はわずかに燐光を帯びていた彼女の瞳が焼き付いて離れなかった。
「さっき、林の奥に男がいた……」
そう、つぶやく。すると、美津さんが目を見開いた。
「確か、光る模様が羽織の背中に縫われていた」
「ホンモノ、ですか……」
美津さんは顔を青ざめさせて、小さくつぶやいた。
「ロアさん、彼と会ったんですか?」
それから、ずっと俯いていたロアさんの方を向いて、美津さんは心配そうに眉を下げた。すると、ロアさんは頷く。俺の見た人と見た目が合致したのだろう。ただ、あの羽織の男の周りには一切の血液も見受けられなかった。
「あぁ、アイツからズザの血の匂いがしたんだ」
ロアさんは椅子に足を載せ、膝を抱え込んだ。美津さんは特に咎めず、「そうですか」と紅茶を一口すすっていた。
「ロアさん、しばらく集会は休止してください」
「あ? なんでだよ、対策考えねぇと他の」
「集会をすれば、猫又狩りは本領を発揮します。それでも、貴方は集会を開きます
か?」
ロアさんに美津さんは柔らかな口調で問いかけた。すると、ロアさんは言葉に詰まりぎゅっとこぶしを握り締めていた。美津さんがロアさんを責めているような口調に聞こえた。しかし、ソアさんはそれっきり何も話さず、舌打ちを一回して喫茶店を出て行ってしまった。
ばたんと、けたたましく扉が閉まる。
美津さんは、ため息をついた。
「さすがに言い過ぎましたかね……?」
美津さんは少しだけ苦しそうに笑って、そう小さく言った。
それで気が付いた。彼女は、感情が希薄なんだ。レイラさんの件で、彼女は悲しいとかそういう感情が表情に出ていなかった。時々見せるものは、どこか遠いところに向いていた。いつも笑顔。
「慣れませんね。怒ったつもりなんですけど、伝わらなかったみたいで」
また彼女はつぶやいた。
母は、感情表現のできる人で感情がころころと変わる人だった。だから、彼女に抱いた居心地のよさとか、違和感の正体が何となくわかった気がする。
「そ」
「そ?」
何かを言おうとして止まった口調に、美津さんが首を傾げた。
「そんなことは、ないと思う。美津さんは、ロアさんを心配してるんでしょ」
美津さんは何度か瞬きをして、「そうですね」と言った。いつもの笑みで、それがただただ不安になる笑みに見えた。
「そうですね。私は、普通には視えないような者たちの方が話がしやすくて、だから
余計に心配になるのかもしれませんね」
「……そっか」
美津さんは俺の空になったティーカップに紅茶を注ぎ、ことりと静かにティーポットを置いた。
それから、美津さんはハルジオンさんからもらった資料を開いて、髪の毛を耳にかけている。俺はそれを眺めながら、じっと美津さんの次の言葉を待っていた。すると、美津さんがこちらを向き、くすりと笑った。
「見過ぎです」
「ごめん、その字よく読めるなって」
「あぁ、こういうの得意なんですよ。ハルジオンも、よく俺の字が読めるなって言わ
れたんですよ」
ふと、気になる。
「なんで、ハルジオンさんは呼び捨てなんだ……」
すると美津さんはじわじわと目を見張って、それから弾けるような笑みを見せた。
「ふふっ、えっと、ハルジオンはあだ名みたいなものなんです。昔、俺は貧乏神みた
いだなんて皮肉気に言っていたから。それに自分の名前がないことを気にしていた
みたいだったので、幼い頃にノリで」
「ノリで……」
無邪気そうな美津さんの幼少期。あまり想像できないな。
そう考えていると、美津さんは「ハルジオンは貧乏草って呼ばれているんです」と、教えてくれた。そう言われると、相当意地悪なノリだなとぼんやりと思った。苦笑すると、美津さんも同じように笑う。
それから、少し落ち着いて美津さんは俺に資料の一枚を渡した。
「え、」
「読めないのはわかってるんですけど、それ林の中の地図です」
それにはあのミミズののたくったような文字とは打って変わって、やけに丁寧な手書きの地図が書かれていた。ただ、それに書かれている文字はミミズのようだった。そのある部分を美津さんは指さした。
記憶を手繰り寄せると、美津さんが指さしたのはロアさんが飛び出してきた林道の部分だった。
「ここで、ロアさんが出てきましたね。それで、ここが祠。その間のエリアが、ハル
ジオンいわく近づけないらしいです。それも今月に入ってから」
「え、じゃあここに例の猫又狩りがいる……?」
「街中から離れてますけど、ここじゃないかと言われました」
美津さんと視線が合う。
「今日、探す?」
「……いえ、対策なしだとつらいかもしれません」
覚悟を決めた表情が、俺の顔を見据えた。それから、美津さんから今回の猫又狩りについて詳細を聞いた。
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