第四話

 日曜日の午前九時――。

 俺は美津さんのいる喫茶店の前にユキチといた。定休日とはいえ、それは午前中だけらしい。美津さんは仕込みをしていたらしく、慌てて喫茶店の扉から出てきた。今日もややラフな格好に身を包んでいる。


「ごめんなさい、早めに呼んだのに遅れてしまって」

「いや、まだ十分前だから大丈夫……」


 美津さんはそう言ったが、持っていたスマートフォンの示す時間は九時。指定されたのは九時十五分だ。俺は首を振り、特に待ったわけではないと言った。美津さんは少し安心してから、ユキチに視線を向けた。


「ユキチさんは、一応これを身に着けておいてください」


 そう言って取り出したのは、六角形の小さな筒状で漆で塗られたペンダントだった。何だろうかと覗き込むと、美津さんは「妖怪とバレないようにする香が入っているんです」と言った。ユキチはそれを首にかけて、六角形の筒をクンクンと嗅いだ。

 

「害はないですよ。信頼できる人が作ったので」

「信頼できる人?」

「はい、ずいぶん前に欧州にいた方なんですけどね」


 どうやら、日本人が作ったものじゃないらしい。筒のデザインは漆塗りで、和風な感じなのに。それにしても、美津さんのコネクションは不思議だ。

 

「あ、今日はその人のところに行くんですよ」


 美津さんは街のはずれの方を指さした。あちらは確か、レイラさんお屋敷があったところとは反対で、海のある場所だ。あそこは引っ越し時に車で通ったきりで、ほとんど人気ひとけが無かったような気がする。

 曖昧にうなずくと、美津さんは苦笑を浮かべた。


「あの人は、情報通ですけど極度の人嫌いで、あんな離れたところに住んでるんで

 す」

「なるほど」


 頷いて、美津さんの歩いていく方向へついていく。

 それはやはり、街のはずれにあるだけあって人気はだんだんなくなっていく。俺は昨日のことを少し気にしながら、ふっと息をついた。さらに歩くと、海の方へ出る林道に出る。鋪装され、時々車が通るくらいで薄暗い不気味な雰囲気のところだ。


「ここの近くがズザさんの穴場スポットらしいですよ。通るとよく会います、涼しい

 らしくて」

「へぇ。ズザさんって、どういう人なんだ……?」


 昨日から話題に上がっていたが、どんな人――猫又かはよくわからない。


「ズザさんは、彼女はトラ猫の猫又なんですよ」


 美津さんの言葉に少しだけ驚く。猫たちの頭領というだけあって、男の人だと思っていた。だが、実際は女性だったらしい。そんなふうなことを話すと、美津さんはくすりと笑った。


「多分、見ても男の人だと思われますよ」

「……ボーイッシュってこと?」

「端的にはそうですね。性格も勝ち気で、サバサバした方なので話しやすいんですよ

 ね」

 

 彼女の話で、どことなく短髪の勝気そうな女性をイメージする。

 

「あと、ロアさんとは子猫お時に仲が良かったらしいですよ。今は、互いにナワバリ

 争いをする仲ですけれど……」


 美津さんはさみしそうに微笑んで、少しだけ足を止めた。

 それから、深い林へ視線を向けた。俺も彼女と同じように目を凝らしてみたが、特に何も見えなかった。


「どうしたんだ」

「あっ、いえ。人影が見えたので……」


 美津さんはハッとしたように笑みを浮かべて、「早く行きましょう」と言った。追わなくてもいいのかと尋ねると、「変なものに連れていかれる可能性がありますから」と述べた。

 それきりそれも気にしないように林道をまっすぐ歩いていくと、ちょうど海の方へ抜けた。海水浴場とは違い、浜の匂いがやや強く風も少しだけ強かった。


「こっちです」


 美津さんは林道に出たところの左へ曲がり、林の中に見える鋭角な赤い三角屋根を指さした。遠目にみると、それはログハウスのように見える。


「あの家か?」

「はい、あそこに住んでるんです。あまり、家の外に出ないらしいので今日もいると

 いいんですけど……」


 美津さんは心配そうに笑いながら、鋪装されていないあぜ道を慎重に歩み進めていく。俺も、ユキチもどうにかはぐれないようにと続いていく。なにせ、このあぜ道のわきには伸び切った雑草が視界を邪魔していた。

 ユキチは足に当たる雑草を気にしながら、俺の上着の裾をつかんだ。転びそうになったのだろう。それにしても、本当にこの家に誰かが住んでいるのだろうか。

 思わず小さなログハウスを見上げた。

 やや色あせた屋根の塗装、家の前に置かれた鉢植えの中の土は水分がなくなり、窓もやや曇っていた。


「本当に住んでるのか」

「住んでますよ。ただ、誰かが来ないように廃墟に見えるようにしてるんですよ」


 振り返った美津さんは苦笑した。

 それから、ログハウスの扉を軽快にノックした。しかし、誰かが出てくる気配はない。それでも、美津さんは何度もノックを続ける。

 すると、流石にあきらめたのか家の中から不機嫌そうな顔が出てきた。


「霙、今は睡眠時間だ」


 低い声のその人は、やけに背の高い男だった。

 白髪で、ところどころが傷んでいる。それと、血色も悪く健康的とはあまりいいがたい見た目だった。不思議だったのは、裾のほつれたアオザイという民族衣装にいている白衣を着ていることだった。それから、左目の部分にレンズがうっすらとひび割れた丸眼鏡をかけている。

 その人は、美津さん・俺・ユキチの順に視線を移し眉根を寄せた。


「なぜ、人間もいる」

「ハルジオン、それは気にしなくても結構です」


 珍しくも、美津さんが誰かを呼び捨てにしているのを聞いた。彼女は明らかに年下に見えるようなコロポックルの双子ですら呼び捨てはしていなかったのに。

 そう思っていると、彼は背を向けて扉を開け放った。


「入りましょう」


 美津さんに促され、俺もユキチもおずおずとログハウスの中へ足を踏み入れた。

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