第四話:悪役令嬢は喜んで婚約破棄を受け入れる
わたくしとミーナさんの王子の前での小競り合いは、徐々に魔法学園中が知るところとなり、周囲の生徒たちから生暖かい目で見られるようになっていた。
その間、殿下は他の女性とも浮き名を流しつつ、相変わらず本命はミーナさんであるようだった。しかしありがた迷惑なことに、殿下はわたくしの容姿も気に入っているようで、ミーナさんを婚約者に据えたいと思いつつも、わたくしのことも完全には手放したがらず、残念ながら婚約破棄は進まずにいた。悪役令嬢として生まれてしまったこの美しい顔と、食べても食べてもナイスバディにしかならない体が本気で憎い。
ミーナさんをわたくしなりに精一杯いじめてみても上手くいかず、殿下の好みから外れようと暴飲暴食をしてみてもお腹を壊すだけであったため、わたくしは直接的にミーナさんを褒めて殿下におすすめする方向にシフトした。
「ミーナさんったら、平民なだけあって考え方まで可愛らしいこと!殿下にお似合いじゃございませんこと?」
もちろん脳内では「殿下」の前に括弧書きで(頭の軽い)が付いている。ミーナさんは本当は殿下と違って優秀な方だと分かっているが、このくらいの悪口は仕方ない。
「とんでもない!フィオレンティーナ様のような崇高なお考えをお持ちの方こそ、未来の国母に相応しいです!」
ミーナさんはわたくしの悪口を真っ直ぐ受け止め、だからこそわたくしの方が殿下に相応しいなどとのたまう。殿下は何を勘違いしたのか、わたくしとミーナさんが自分を取り合っていると解釈したようで、だんだん気を良くし始めているのが腹立たしい。
また、想い人との逢瀬を邪魔して殿下に嫌われつつ、ミーナさんを新しい婚約者として薦めるため、殿下とミーナさんがふたりきりのときを狙って声を掛けているのだが、かえって二人の時間を邪魔しているような気もしている。悪役令嬢って難しいわ…と嘆きながら、また次の機会をうかがうのであった。
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「ミーナさんたら体育着がよくお似合いね!普段から活発で運動神経も素晴らしいですし、行動的な殿下と相性が良いこと間違いなしですわ!」
「フィオレンティーナ様のその完璧なプロポーション、憧れちゃいます!男性の理想のような体型でうらやましいです!私が男の人だったら絶対にフィオレンティーナ様に恋い焦がれてしまいます!」
この日は脳筋タイプの殿下にお似合いだと指摘してみたが、あっさりとミーナさんに言い返された。悪役令嬢なだけあって、わたくしの体型は暴飲暴食にも負けずに見事なボンッキュッボン。ちなみにミーナさんは、手足はスラリとしているが、まあ…俗に言うつるぺたさんだ。前の世界の記憶からすると、彼女の体型に体育着というのは一部の嗜好の方にはたまらないはすだ。殿下がそれに当てはまるかどうかは知らないが、彼のミーナさんへ向けている視線からしておそらく好みなのだろう。
殿下はわたくしが声を掛けるまではミーナさんをいやらしい目で見つめていたくせに、ミーナさんの言葉を受けて、今度は鼻の下を伸ばしながらわたくしに目を向けた。殿下がわたくしのスタイルを好んでいることは気付いている…というか体目当てで婚約破棄しないという説もあるので、脳内では「やめてよ馬鹿!そんなこと言わないで!こっち見ないで!」とミーナさんと殿下に暴言を吐きつつ、キッとふたりを睨みつける。
「清楚で慎ましいミーナも、フィオレンティーナの妖艶さも魅力だろう。そんなに俺を取り合って喧嘩するな。はっはっは!」
勘違い野郎のセリフにイラっとする。
「喧嘩なんてしておりませんわ!
「喧嘩してません!」
ミーナさんとセリフがかぶってしまった。わたくしたち、いつのまにか喧嘩するほど仲が良いというやつになりかけているのかもしれない。
そこでわたくしはあることを思いついた。ミーナさんを見ると、しっかりと目が合った。おそらく同じ考えに思い至ったのだろう。先に口を開いたのはミーナさんだった。
「ご安心ください、殿下。フィオレンティーナ様には仲良くしていただいておりますし、私もフィオレンティーナ様に憧れております。殿下のことは、素敵なフィオレンティーナ様に
この言葉で、ミーナさんがわたくしと同様に「前」の世界の記憶があることを確信する。敢えてこの世界に存在しない「熨斗を付ける」という表現で、彼女も記憶を持っていることと、本気で殿下なんていらないと思っていることをわたくしに告げたのだった。わたくしも彼女だけに分かるよう、「前」の世界にしかないことわざで返す。
「まあ!それは
あまりメジャーなことわざではないので少し不安であったが、彼女はしっかりと理解してくれたようだった。
「とんでもないです。私など殿下にとっては
殿下は突然わたくしとミーナさんが使いだした謎の表現と「猫」を使った言い回しに不思議そうな顔をしているが、この世界では猫は神の遣いとして神聖で高貴な動物とされているため、成績優秀なミーナさんとわたくしが、何か高尚な表現を使ったのだと都合よく誤解してくれている様子だ。
「まあ!ミーナさんはそれほどまでに殿下のことを思ってらしたのね。実はわたくしも
わたくしも彼女の言葉に同意した。わたくしたちのどちらにも、馬鹿王子は相応しくないのだと。
そしてこのやりとりによって、今後の方針が決まった。これまで互いに殿下の婚約者となる道を避けようと押しつけあって来たが、双方に譲る意思がないのであれば、違う解決策を見つけるべきなのだ。それには、これまでのような不毛な言い争いを繰り返すよりも、彼女を協力した方が手っ取り早い。
「ミーナさん、わたくし、あなたのことを少し誤解していたようですわ。わたくしたち、良いお友達になれそうね?」
「はい、私もそう思います。これからはぜひもっと仲良くしてくださいませ、フィオレンティーナ様」
「…おい、フィオレンティーナ、ミーナをいじめるなよ?」
「そんなこといたしませんわ。ご安心くださいませ、殿下。おほほほほ…」
「殿下、大丈夫です。私たち、喧嘩するほど仲が良いんですから!うふふふふ…」
突如様子の変わったわたくしたちを殿下が不思議そうな顔で見ているが、ミーナさんもわたくしも笑顔を返す。ここに、物語における悪役令嬢とヒロインの共犯関係が始まったのである。
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これまでのわたくしたちが王子殿下を巡って争っていたことは周知の事実なので、突然ミーナさんと大っぴらに親しくするわけにはいかない。わたくしたちは、物語の中で悪役令嬢フィオレンティーナに絡まれることを避けて、ヒロインと王子が密会に用いた図書室の隠し部屋を使うことにした。
隠し部屋を見つけるのはヒロインなので、実際の殿下はこの部屋の存在を知らない。それどころか本なんて読まないので図書室に足を踏み入れたことさえない。
失敗するわけにはいかないので、念には念を入れて、わたくしたちは隠し部屋ですら直接会うことは避け、棚の中の一冊の本に手紙を挟んでやり取りを行った。共犯関係の発覚を避けるため、この世界の文字ではなく手紙には日本語を用いたので、万が一誰かに手紙もしくは、隠し部屋に入る姿を目撃されたとしても、いくらでも言い逃れは可能だ。
私たちは慎重に計画を進めた。まずは徹底的に殿下の好みを分析し、対策を練った。
殿下の女性への執着心は、「手に入れられないからこそ」のものであると、わたくしたちは気付いていた。物語の中のフィオレンティーナは、ヒロインに嫉妬し、王子へ執着したからこそ捨てられたのであった。この世界でわたくしとの婚約破棄が進まないのは、わたくしの王子への執着心が弱いことも原因であると考えられた。わたくしが追いかけていないから、王子もあまり逃げようとはしていない。
また、実際の殿下は他の女性にもよくちょっかいを出しているが、手に入ってしまえば飽きるのは早い。殿下がミーナさんのことをいたく気に入っているのは、自分になびかない彼女へ興味を惹かれたからという理由が大きい。つまり殿下は女性を追いかけることが好きなのだ。
物語のヒロインは、王子と恋仲になった後も、いつまでも恥じらいを忘れず、いじらしい姿が王子の心に刺さっていたと思われる。これを参考に「どうやって殿下にひとりの女性を追いかけさせ続けるか」というのが重要であった。
わたくしたちは以前と変わらず、殿下の前で小競り合いを演じつつ、少しずつ執着心を見せていった。わたくしが物語の悪役令嬢ばりに、殿下へ近づく女たちへの嫉妬心をむき出しにし、殿下にまとわりつくようになると、殿下は最初こそ、ここぞとばかりにわたくしの体にベタベタと手を回してきたが、すぐにわたくしのことを疎むようになった。ちなみにもちろん、殿下に少しでも触られた日には寮の自室の入口には塩を撒き、全身をゴシゴシと洗った。
ミーナさんはこれまで頑なだった態度を崩し、王子へ可愛らしく愛を囁くようになった。もちろん彼女としても実際に殿下に手を出されてはたまらないので、「明らかにお金目当てである」という空気を醸し出し、高価なプレゼントをおねだりしだした。最初はやっと手に入ったミーナさんにデレデレしていた殿下も、彼女の態度の急変にはドン引きするようになっていった。
そこで、わたくしたちは満を持して「新ヒロイン」を投入した。
白羽の矢を立てたのは、ラグウィード伯爵家令嬢であるクレア様だ。
物語の中では悪役令嬢フィオレンティーナの取り巻きの中心的な人物であり、実際にあわよくば殿下を射止めて未来の王子妃の座を手に入れたいという野心を持つ令嬢であった。家の権力は我が家よりは劣るものの、家格はわたくしと同じく伯爵家。だからこそ現実の彼女がわたくしへの嫉妬心を秘めていることも分かっていた。
スタイルは出るところは出ていて殿下好みだし、顔もミーナさんほどの美少女ではないが整っている。何より彼女は権力さえ手に入るのであれば、自分の結婚相手が浮気野郎だろうと頭が残念だろうと気にしないという清々しい精神を持っているたくましい女性だった。
彼女は王子の婚約者であるわたくしに取り入ろう、機会があれば取って代わってやろうと、以前からわたくしの周りをウロチョロしていたので、簡単に捕まえることができた。
そしてわたくしは彼女の心に、そっと毒の花を植えた。
「クレア様、わたくし、あなたをお友達だと思うからこそ、折り入って相談がございますの」
「まあ!フィオレンティーナ様が私に相談事だなんて!なんでもおっしゃってくださいな!」
彼女は人の良さそうな笑みを浮かべるが、わたくしには彼女の瞳の奥に光る野心が見える。わたくしに少しでも恩を売るか、もしくは弱みを握ってやろうという。
「…絶対に、絶対に、内緒にしてくださいね。実はわたくし、お慕いする方がおりますの…」
「…!それは、殿下のことでは…?」
「…残念ながら、それが誰かは言えないのですわ。殿下の婚約者として、自分が失格だということは分かっておりますの。…でも、簡単に婚約を解消することなどできませんし、何より殿下のお気持ちを傷つけず、また、後々の混乱がないように、穏便に殿下に相応しい素晴らしい女性を次の婚約者に迎えたいのです」
そう言って、わたくしは瞳に信頼の色を乗せ、彼女に告げた。
「…クレア様、わたくしのお友達の中で、その容姿も、優秀さも、あなたほどの方はいませんわ。わたくしの代わりに、殿下を支えてくださらないかしら。殿下の周りをうろついている、あの平民の小娘なんかに殿下の婚約者の座を渡すわけにはいかないので、実はずっと困っておりましたの。わたくし、クレア様にだったら…と思いますのよ」
彼女は驚いた表情を作りながらも、瞳に涙を浮かべて答えた。おそらく本当に嬉し涙だろう。
「…!フィオレンティーナ様、私でよろしければ、もちろんでございます。…実は、どなたにもお話ししたことがなかったのですが、私は幼い頃からずっと殿下をお慕いしておりました。ですが、フィオレンティーナ様のような完璧なご婚約者がいるのだからと、必死で自分の気持ちに蓋をしてまいりました。この気持ちを殿下にお伝えすることができるなんて夢のようです…!それにもちろん、大切な友人として、フィオレンティーナ様の恋を応援したいです!」
わたくしも器用に潤んだ瞳を作って答える。
「まあ、そうでしたの!なんて素晴らしいのかしら!そして今まで辛い想いをさせてしまって本当にごめんなさい。クレア様、わたくしたち、本当に良いお友達になれますわね!これほど一途でお可愛いらしい方ですもの、殿下も間違いなくクレア様のことを好きになりますわ。わたくし、殿下の好みだったらよーく知っておりましてよ。わたくしにもクレア様の恋を応援させてくださいな」
そうしてわたくしは彼女にたくさんの指示を出した。殿下の好む服装や髪型から、殿下が思わず追いかけたくなるような、絶妙な距離の取り方や言葉の選び方まで。もちろん、それらの情報の多くはミーナさんから得たものであった。殿下の好みのど真ん中であるミーナさんの言動をコピーさせつつ、それに加えて物語のヒロインと同じように、ポロりと殿下への愛情をこぼして見せれば良いのだ。
もちろん、それ以外にも悪役令嬢としての知識を生かし、どういう言動が殿下の気に障るか、両想いになった後にどうやったら殿下を繋ぎとめられるのかも、しっかりとレクチャーしたのであった。
単純な殿下が彼女に夢中になるのに時間はかからなかった。急に執着を露わにしたわたくしと、お金目当てなことを前面に出し始めたミーナさんへの嫌悪感が相まって、殿下はクレア様の愛らしさと優しさにあっさりと陥落したのであった。
殿下を夢中にさせたクレア様は、彼の前でだけはそれまでどおりに可愛いらしく、それ以外の場所では未来の王子妃は自分であると示すかのように、高慢な振る舞いが目に付くようになった。わたくしたちからすれば、殿下さえ捕まえてもらえたらそれで良いので、その他の評判については関与していない。彼女は、物語の中のヒロインと悪役令嬢の特徴を併せ持った、それはそれは素敵な令嬢へと成長した。
こうして名実共に、わたくしは殿下に捨てられる悪役令嬢となり、ミーナさんはヒロインではなく、殿下が真実の愛に気付く前に懸想をした数多くの女性のひとりとなったのであった。
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そして、今に至るのだ。
「フィオレンティーナ、只今をもってお前との婚約を破棄する。俺の新たな婚約者にはこのラグウィード伯爵令嬢であるクレアを迎える!」
魔法学園の卒業パーティーの場で、王子殿下が朗々と宣言する。
「殿下の御心に従います。陛下と我が父へのご報告はまだのことと存じますので、わたくしから話を通しましょう」
「…やけにあっさり従うのだな」
「王子殿下のお言葉でございますれば。それにクレア様の方がわたくしよりもよほど殿下とお似合いと存じます」
「ふん、分かっているなら良い」
殿下はそう言うと、もはやわたくしへの興味は消えたご様子で、隣で真っ赤なドレスを纏うクレア様の腰を撫で回しながら満足げに彼女を見つめる。
クレア様はわたくしへ勝ち誇ったような笑みを浮かべてから、愛おしそうに殿下を見つめ返す。
わたくしは最後にゆっくりとお辞儀を繰り出し、殿下とクレア様に背を向ける。周りを囲む観衆にも、大切な場で騒がせたことへの謝罪を込めて優雅にお辞儀をし、出口へ向かって歩き始めようと顔を上げた。
その瞬間、観衆の最前列で祈るように手を組んでいた彼女と目が合った。
彼女は、わたくしがこの学園で見つけた、いちばんの心の友であった。
わたくしは彼女の前へと進み、微笑みながら声をかける。
「終わったわね」
「…はい」
「さ、行きましょう、ミーナさん」
「ええ、フィオレンティーナ様!会場の出口までお供します」
「まあ、出口までなんて言わず、今夜はうちへ遊びにいらっしゃらない?卒業のお祝いをしなきゃ」
「…!はい、喜んで!」
一時は王子を巡り、言い争う姿が目撃されていたふたりの少女。
恋のライバルだったはずの美しい少女たちがにっこりと微笑み合う姿に、観衆はさらに呆然とする。
足取り軽く去っていくふたりの少女には、きっと輝かしい未来が待っているのだ。
押しつけあう女たち~王子なんて熨斗を付けて差し上げます~ ロゼーナ @Rosena
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