第二話:ヒロインは王子なんていらない

 王子との不本意な出会いイベントを終え、彼は物語どおりにミーナわたしを気に入ってしまった。事あるごとに話しかけたり体に触れようとしたり、とにかく私にちょっかいを出して来るようになった。学園最上位の身分を持つ王子を適当にあしらうわけにもいかず、正直言ってとても面倒だと感じている。


 物語では平民であるヒロインは学園に馴染めず、孤独な少女であったこともあり、自分にフレンドリーに接してくる王子へ心を開いていくのだが、そうはさせない。

 学園祭のミュージカルで主役になってしまうことは回避できなかったが、私だってただでは転ぶまいと決意し、とにかくクラスメイトと親しくなるよう努めた。その時点では王子からの寵愛もなかったため、クラスメイトも平民の私を特別に見下したり避けたりすることもなく、むしろ貴族ばかりの魔法学園に入学し、よく頑張っていると認めてくれて、意外にもすんなりと仲良くなることに成功した。

 私はそんなクラスメイトたちに感謝しつつ、必ず学園内での移動の際には、数名の女子生徒と行動を共にしていた。ひとりにさえならなければ、王子だって声を掛けにくいはずだから。


 しかし王子も一筋縄では行かず、クラスメイトがほんの少し私のそばを離れた隙や、人の少ない登下校の時間帯を狙って声を掛けて来た。また、そうしているうちに、ついに王子の婚約者であるフィオレンティーナ様からの嫌がらせが始まった。


 最初は口頭で王子と仲良くするなという警告や、身分をわきまえなさいというごもっともなご指摘だけであったので、やはり彼女はストーリーどおりの悪役令嬢なのだと思っていた。


 しかし、徐々に彼女からの当たりが強くなるにつれ、私は違和感を抱いていた。フィオレンティーナ様の嫌がらせの内容が、少し、いや、だいぶ、物語よりも緩いというか、やさしいものであったのだ。



 ある日は中庭で殿下に言い寄られている私にタックルをかまし…


「あーら、ごめんなさい。まさかわたくしの婚約者である殿下の隣に、わたくし以外の方がいるなんて思わなくって…!あなたのこと見えなかったのよ」


「いえ、とんでもないことです。おっしゃるとおり、殿下のお隣にはフィオレンティーナ様がいちばん相応しいのですから。私は失礼いたします」


 物語では私はこの勢いで後ろにある噴水に落ちるはずだったが、彼女のタックルは思いのほか弱く、私はほんの少しよろけただけであった。むしろタックルしてきた彼女のほうがバランスを崩したので、私は自然と彼女を王子が抱き留めるよう誘導した。王子に絡まれてめんどくさかったので、ふたりきりでいるタイミングを邪魔されることは願ったり叶ったりだ。これ幸いとばかりにとっととその場を後にした。


 またある日は、カフェテリアで食事をしていたら、王子が向かいの席に座って来た。運悪く一緒に食事をしていたクラスメイトは先生に質問をしに行くと先に席を立ってしまっていたため、私はひとりで食事をしていたのだ。前世での勿体ない精神が邪魔をして食べかけの物を残すこともできず、私は王子と一緒に食事を続ける羽目になってしまっていた。


 そこに嫌がらせという名の助け舟を出してくれたのがフィオレンティーナ様だった。悪役令嬢らしく、私の横を通り過ぎる際に、、私の頭上からお茶を掛けてくれたのだ。


「わたくしとしたことが、うっかり手がすべってしまって…!平民には高価な制服ですのに汚してしまってごめんなさいね」

 

「フィオレンティーナ様でもうっかりされることもあるのですね。すぐに洗えば落ちますから、どうぞお気になさらないでください。私は失礼いたしますので、どうぞ殿下とお食事をお楽しみください」


 どうやってこの場から去ろうかと悩んでいたので、これはまさにナイスアシストとしか言いようがなかった。しかも、悪役令嬢の定番である“赤ワイン”や“アツアツの紅茶”を掛けるのではなく、彼女が持っていたのは“冷たいジャスミンティー”であった。掛かったところで火傷の危険もなければ、お茶の色も薄いものであったため、制服のシミにもならないだろう。


 このように、悪役令嬢に絡まれてはいるのだが、いじめと呼ぶほど困るようなこともない出来事が続いており、私はある仮説に至っていた。もしかしたらフィオレンティーナ様も、この物語を知っているのではないか。もし知らないとしても、殿下との婚約継続を望んでいないのではないか、ということである。


 彼女とは二年間クラスが同じということもあり、顔を合わせる機会はクラスの違う殿下よりも当然多い。時には授業で同じグループになることだってある。しかし、教室での彼女は大人しく、いかにも優等生な令嬢として存在していた。彼女が私が平民であることを理由に蔑んだり、生温い嫌がらせをしたりしてくるのは、であったのだ。


 相変わらず王子は私を気に入っていて、自分の前で私をいびっているフィオレンティーナ様を邪険に思っているようであるが、物語と違って私が王子への好意を示さず、フィオレンティーナ様も決定的ないじめをするわけでもないため、ふたりの婚約に亀裂が入るほどの事態には至っていない。


 王子の様子を見ている限り、フィオレンティーナ様への嫌悪感はあるようだが、同時に見目麗しい彼女のことを下心アリアリの目で見ていることも多く、手放す気はないように見える。



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 婚約破棄の場となる卒業式の日まで残り半年ほどとなったが、ストーリーは膠着状態となっていた。そしてあちこちで形だけの対立を繰り返しているため、私とフィオレンティーナ様が王子を巡って争っているというのは、すでに学園中が知るところとなっていた。


 王子や周りの生徒たちは私たちが互いにいがみ合い、遠回しにいやみを言いあっているように見えているようだが、実際は違う。もはや私たちは互いを褒め合い、王子に押し付けあっていた。


「ミーナさんったら、平民なだけあって考え方まで可愛らしいこと!殿下にお似合いじゃございませんこと?」


 私には、フィオレンティーナ様の言葉には、「殿下」の前に括弧書きで(頭の軽い)が聞こえる。


「とんでもない!フィオレンティーナ様のような崇高なお考えをお持ちの方こそ、未来の国母に相応しいです!」


 私は本気でフィオレンティーナ様こそ王子に相応しいのだと薦めている。もはやいやみでもなんでもない。


 この頃になると、王子は何を勘違いしたのか、私とフィオレンティーナ様が自分を取り合っていると解釈したようで、だんだん気を良くし始めているのが分かり、無性に腹が立つ。


「やめろ、フィオレンティーナ。ミーナを貶めるようなことを言うな。ミーナも、フィオレンティーナにやきもちを焼いて対抗するなど、可愛いすぎるな」


 ニヤニヤと笑いながら私たちのやり取りをご機嫌に眺める王子を蹴飛ばしてやりたい気持ちをぐっと堪える。こんなのでもこの国の将来を背負って立つ人物なのだ。



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 この日は、体育祭練習へ向かう途中で殿下に捕まってげんなりしていたところ、フィオレンティーナ様が絡んできた。いつもながら良いタイミングで邪魔をしに来てくれて、有難いことこの上ない。


「ミーナさんたら体育着がよくお似合いね!普段から活発で運動神経も素晴らしいですし、行動的な殿下と相性が良いこと間違いなしですわ!」


「フィオレンティーナ様のその完璧なプロポーション、憧れちゃいます!男性の理想のような体型でうらやましいです!私が男の人だったら絶対にフィオレンティーナ様に恋い焦がれてしまいます!」


 フィオレンティーナ様が言外に私の幼児体型をいじってきた。ついイラっとしたので、仕返しとばかりに、彼女の持つ殿下好みの体型を揶揄する。


「清楚で慎ましいミーナも、フィオレンティーナの妖艶さも魅力だろう。そんなに俺を取り合って喧嘩するな。はっはっは!」


 相変わらずなぜか気を良くしている勘違い野郎のセリフにはもっとイラっとする。私のどこを見て「慎ましい」と言いやがるのか、まったく。


「喧嘩なんてしてません!」

「喧嘩なんてしておりませんわ!」


 思わずフィオレンティーナ様と同じツッコミを入れてしまった。王子に対して不敬かもしれないが、この際気にしない。私たちはいつの間にか喧嘩するほど仲良しになりつつある。


 そこで私はハッと気が付いた。実際にこのままでは埒が明かないのだ。フィオレンティーナ様が殿下と離れたがっていることはすでに確信しているし、私だってフィオレンティーナ様の代わりの婚約者になどなりたくもない。ここはいっそ手を結んでしまうべきではないだろうか。彼女の本心を知るため、仕掛けてみる。


「ご安心ください、殿下。フィオレンティーナ様には仲良くしていただいておりますし、私もフィオレンティーナ様に憧れております。殿下のことは、素敵なフィオレンティーナ様にと思っております」


 私の言葉に、王子は不思議そうな顔をする。「熨斗」なんてものは当然この世界には存在していないので、そんな言葉を知るはずもないのだ。しかし、フィオレンティーナ様は私の言葉を確実に理解して返答した。


「まあ!それは退ではなくって?」


 フィオレンティーナ様も、敢えてこの世界に存在しないことわざを引用して答えた。「猫の魚辞退」は「本当は欲しいのに遠慮する」という意味があったはずだ。私の記憶の中にその言葉があって良かった。


「とんでもないです。私など殿下にとってはでしょう。殿下にお会いした後には嬉しくてついついほどです」


「まあ!ミーナさんはそれほどまでに殿下のことを思ってらしたのね。実はわたくしもの」


 私も最後の仕上げとばかりに返答をした。そしてフィオレンティーナ様もその意味を完璧に理解して同意した。

 互いに「自分は馬鹿な王子なんかにはもったいない、塩を撒いて清めたくなるほど大っきらい」だと言ったのだ。

 王子は私たちの会話の意味は理解していないが、適当に王子殿下を称えているような言い回しをしたので、満更でもない様子だ。本当に頭がお花畑な方で良かった。


 フィオレンティーナ様もフィオレンティーナ様で、頬を可愛いらしく赤らめて恋する乙女の表情を作りながら、王子に塩を撒くことに賛同するとはなかなか強かだ。しかし彼女のこの発言によって、彼女も私と同様に「前」の世界の記憶を持っており、王子との婚約を破棄したいのだということに確信が持てた。


「ミーナさん、わたくし、あなたのことを少し誤解していたようですわ。わたくしたち、良いお友達になれそうね?」


「はい、私もそう思います。これからはぜひもっと仲良くしてくださいませ、フィオレンティーナ様」


 ふたりで目を合わせ、にっこりと笑い合った。



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 今日は、魔法学園の卒業式が盛大に執り行われた。そして今は、卒業式後の祝賀パーティーが開かれている。

 卒業生や在校生、保護者や来賓の大人たちは思い思いに集まって会話に花を咲かせていたが、ダンスの時間が近づいたため、多くの人々がメインホールへ集まり始めていたときであった。


 ホールの中央に陣取り、声を張り上げた者がいる。


「フィオレンティーナ、只今をもってお前との婚約を破棄する。俺の新たな婚約者にはこのラグウィード伯爵令嬢であるクレアを迎える!」


 高らかに宣言したのは、この国の王子殿下その人であった。


「殿下の御心に従います。陛下と我が父へのご報告はまだのことと存じますので、わたくしから話を通しましょう」


 王子の突然の宣言にも動じず、フィオレンティーナ様はあっさりと婚約破棄を受け入れた。この国でただ一人だけの王子の婚約破棄宣言と新たな婚約宣言に、会場の人間たちは当然注目する。彼らはこの舞台の観衆となり、王子と新旧婚約者の女性の周りを、少し遠巻きに円陣を作るような形で囲み、成り行きを見守り始めている。


「…やけにあっさり従うのだな」


 王子はなぜか少し残念そうな口調でフィオレンティーナ様に言う。泣いて縋られることや、その上で彼女を断罪することを考えていたのかもしれない。


「王子殿下のお言葉でございますれば。それにクレア様の方がわたくしよりもよほど殿下とお似合いと存じます」


 フィオレンティーナ様は涼しげな口調でにこやかに答えた。


「ふん、分かっているなら良い」


 殿下はそう言うと、隣で真っ赤なドレスを纏うクレア様の腰を撫で回しながら、満足げに新たな婚約者を見つめた。クレア様も、一瞬だけフィオレンティーナ様へ勝ち誇ったような笑みを浮かべてから、愛おしそうに殿下を見つめ返した。


 フィオレンティーナ様は、いつもと変わらない優雅な仕草で、殿下とクレア様にゆっくりとお辞儀をしてから、くるりと向き直り、周りを囲む観衆にも、同じように丁寧なお辞儀をされた。その姿はあまりにも美しく、不名誉であるはずの婚約破棄をたった今、公衆の面前で告げられたにも関わらず、悲しさや惨めさなど微塵も感じさせない。むしろその晴れやかな表情に、観衆が思わず見惚れてしまうほどであった。



 本来であれば、この場で殿下の隣にいるのはミーナわたしであったはずだ。しかし今、彼の隣には伯爵令嬢であるクレア様がいる。私はすでに、このストーリーのヒロインではないのだ。観衆に紛れ、私は事の成り行きを見守っていた。フィオレンティーナ様の、悪役令嬢としての最後の大舞台の成功を祈りながら。


  観衆に向けたお辞儀から顔を上げたフィオレンティーナ様は、薔薇の大輪が咲き誇るような美しい笑顔で、瞳には心からの親愛の情を浮かべて、私の方へゆっくりと歩いてくる。


 大仕事をやり遂げた大切な友人を、私も最高の笑顔で迎えたのであった。


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