押しつけあう女たち~王子なんて熨斗を付けて差し上げます~
ロゼーナ
第一話:ヒロインは物語開始を阻止したい
…やはり彼女もこのストーリーを知っていると見て間違いないわ。
足早に去っていく伯爵令嬢の背中を見つめながら思う。
下校途中の階段の踊り場。物語の中ではヒロインが悪役令嬢に背中を押され、階段から落ちる場面だった。
しかし、彼女は私の存在に気付きながら、何もせずに去っていった。
それは今日に限ったことではない。彼女は、
私、ミーナには、現在通っている魔法学園を舞台にした、王子と彼を取り巻く恋愛模様がテーマとなった物語の記憶があった。これがいわゆる前世と呼ばれるものの記憶なのか、転生と呼ばれるレアな現象が自分の身に起きたのか、はたまた実際には記憶でもなんでもなく、予知や未来視と呼ばれる能力によるものなのか、私には分からない。
ただ言えることは、私は「この学園で起きる大まかな出来事とその先のストーリーを知っている」ということである。また、詳細な記憶は抜け落ちているが、「前」の自分が「日本」という国で生きた女性であったということも覚えていた。
この世界には、大きく分けて二種類の人間が存在する。魔法が使える者と、そうでない者だ。魔法と言ってもその内容は多岐に渡り、おとぎ話に登場する魔法使いのように魔物や敵を攻撃するような力を持つ者もいれば、指先からちょろちょろと水を出せる程度の者もいる。当然魔法を使えないよりは使える方が便利なので、自然と力のある者が人々の上に立ち、その血を繋いでいくことになる。要するに、魔法を使える者の多くは貴族で、使えない者の大多数は平民なのである。
魔法を使う力のある者は、その力の制御や有効な活用方法を学ぶことが義務とされ、十六歳から二年間、必ず魔法学園に入学せねばならない。私は平民であるが、たまたま魔法を使う素質を持って生まれたため、この学園に入学することになってしまった。そう、「なってしまった」のである。
私は十二歳になった日、魔法の素質を調べるために街の魔法協会を訪れた。そこで能力測定に用いられれる水鏡に自分の姿を映した瞬間、突然これから始まるストーリーを悟ったのであった。私は自分の境遇を大いに嘆いた。だって、もしも一日でも早くストーリーを思い出していたら、絶対に回避するよう動いたに違いないのだから。
水鏡での素質測定は、一瞬で終わる。各街の魔法協会に設置されている水鏡を覗き込み、素質のない者は何も映らず、素質がある者だけは自分の姿が水面に浮かぶ仕組みとなっている。ちなみに、覗き込んで何が起こるのかは子どもたちには知らされず、測定部屋を出た後には、自分の魔法測定の結果は覚えているが、どうやって判定したのかは記憶に残らないので、魔法協会の一部の人間以外はこの仕組みは知らない状態となる。
つまりあのとき私が水鏡を覗き込んだ瞬間、「何も起こらない」と答えキョトンとした顔を見せたら、素質なしと判断されて魔法学園入学の道は避けられた可能性が高い。一生魔法とは無縁となるが、平々凡々とした平民暮らしができるのなら、私はそれで良かったのだ。
実際には、水鏡にはしっかりと自分の顔が映っていたし、その瞬間に魔法学園で起こるストーリーが頭の中に流れ込んで来たため、私は大いに動揺してしまった。その様子を見た魔法協会の測定師に、「何か見えましたか?」と問われたので、素直に自分の顔が見えたと答えるほかなかった。
今思い出してもため息が出てしまうが、本当にこの学園への入学は、避けられるものなら避けたかった。
あの日に悟ったストーリーの中で、私ミーナの役割は「ヒロイン」であった。ただのその他大勢だったら良かったのに、よりにもよってヒロインだ。そしてどんな役回りかと言うと、この国の王子と恋に落ち、彼の婚約者である伯爵令嬢に嫉妬され、恨まれ、二年間延々といじめられ続けることになる。最終的には王子と伯爵令嬢の婚約は破棄され、私が王子の婚約者となるのだ。
無理!絶対無理!!
何度このストーリーを脳内で反芻しても、拒絶反応で鳥肌が立つ。
まず何が無理って王子との婚約なんて私はまったく望んでいない。人間誰しも身の丈に合った生活がいちばんなのだ。平民から国の頂点に上り詰めるなんて、不要な反発を招くだけに決まっているし、何より壁が多すぎて面倒くさい。
そしてポッと出の平民の娘が突然王子と仲良くし始めたら、王子の婚約者である伯爵令嬢が怒るのは当たり前である。妃教育どころか貴族教育さえ受けていない平民がいきなり王子の婚約者になれるほど世の中は甘くできていないのだ。
私の記憶にあるストーリーでは、王子とミーナが婚約し、学園卒業後の未来は薔薇色に輝いている…!という結末で終わっているが、冗談じゃない。私の人生はそのあとだって続くのだ。どう考えたって無理があるし、王子という立場はこの際置いておくとしても、婚約者を持つ男性と仲良くしている時点で、相手の女が爪はじきにされるのは当然なのだ。あのストーリーを作った人は頭のネジが抜けているとしか思えない。ヒロインであるミーナは「伯爵令嬢にいじめられた」と認識しているが、今の私自身、伯爵令嬢の言動の方がよほど正しいと思う。
そして何より無理なのが、王子のキャラクターだった。
金髪碧眼の見目麗しさはさすが王子というところであるが、彼は根っからの女好きで、美しい伯爵令嬢の婚約者がありながらも学園内外の可愛い令嬢に粉をかけまくる。ストーリーではヒロインであるミーナと出会い「僕は真実の愛を見つけた…!」とのたまうが、婚約者がいながら他の女に手を出しまくった挙句に真実の愛とは脳内お花畑すぎる。あんなのが王子で大丈夫なのかこの国。まあ王位継承者は男子のみで、現国王の子どもは長子である王子の他は王女が五人なので、他に選びようもなかったのだろう。というか、王子の後に妹を五人もうけている時点で、国王夫妻としてもこの王子だけではヤバいという認識があったとしか思えない。
王子が恋に現を抜かすだけのお花畑野郎というだけならまだ救いもなくはなかったが、最悪なことに王子は頭も悪ければ素行も悪い、非常に残念な人物であった。だからこそ、学園の卒業式後の祝賀パーティーの場で、公衆の面前で婚約破棄と新たな婚約者のお披露目を行いもする。王家と伯爵家が決めた婚約を解消したいなら、せめて先に父である国王と、伯爵家に話を通し、穏便に事を運ぶべきなのだ。それを強行突破で発表する時点で頭が悪い上に、その場で新たな婚約者の発表をするとは、「自分は家同士で決めた約束事も守れない浮気者です」と高らかに叫んでいるのと同じことである。
そもそもこの残念な王子では国が治められないことが目に見えているからこそ、容姿端麗なだけではなく、成績優秀で人徳もある伯爵令嬢が婚約者に据えられているのだ。その彼女を追い詰めて悪役にし、大勢の前で断罪して婚約破棄を行うなど愚の骨頂であるし、何より私自身が彼女の代わりに王子の面倒を見るなどしたくもないしできるはずもない。
この物語の作者は、ダメな王子がミーナとの出会いで真実の愛に目覚め、成長する過程を描きたかったらしいが、王子が救いようのなさすぎるダメ男なので、物語の中ならまだしも、現実世界ではたまったもんじゃない。
私はなんとしてもヒロインの座から降りたい。そのためには、王子の婚約者である伯爵令嬢フィオレンティーナ様に、そのまま婚約者の座にとどまっていただく必要がある。
物語では、フィオレンティーナ様は王子と仲良くなるミーナを忌み嫌い、いじめたり、執拗に絡んだりしてくるのだが、それが災いして王子は嫉妬心の強い彼女を厭うようになる。
ミーナ自身も王子からの寵愛は畏れ多いと感じながらも、「フィオレンティーナ様にいじめられた」と話せば自分のことのように怒り、全身全霊で彼女からミーナをかばい、守ろうとしてくれる姿に惹かれていくのだ。今のミーナからすれば、物語にありがちなご都合主義であると一笑するだけであるが。
このような展開を避けるために、私はふたつの方針を決めた。第一に、何が何でも王子との接触を避けること。可能であれば彼に見初められないことがベストだ。また、うっかり好意を持たれたとしても、ミーナ自身が彼を頼ったり、甘えたりしなければ、それ以上に好感度は上がらないはずである。
第二に、フィオレンティーナ様にいじめられるようなことが起きたとしても、決して王子を頼らないことだ。第一の作戦が上手くいけばこれは不要なのだが、物語の強制力がどの程度働くのか未知数なので、油断はできない。万が一フィオレンティーナ様に疎まれるようなことになったとしても、物語のようにそれをきっかけとして王子の庇護を受けるようなことをしなければ良いはずだ。可能であれば、むしろフィオレンティーナ様を崇め奉る側となって、彼女の素晴らしさを王子や学園中に知らしめ、ふたりの婚約を安泰なものにしたい。
そのような方針に基づいて行動したはずなのに、やはり強制力は働いてしまった。ミーナと王子はクラスが異なるので、避け続ければ出会わずに穏便に過ごせるのではないかと期待していた。彼との出会いイベントは学園祭のミュージカルで、ミーナが主役を務めることがきっかけとなる。それを観劇していた王子が彼女を見初め、言い寄ってくるようになるのだ。
そのため、いちばん簡単なのはミュージカルに出演しないことなので、できれば大道具係などの裏方に回ろうと考えていた。しかしながら残念なことに、物語のとおりに、クラス中からの推薦を受けてミーナは主役に抜擢されてしまう。それも、最終的に決定の後押しになったのは、同じクラスにいるフィオレンティーナ様の鶴の一声だった。
私は主役を断る口実として、学園の誰よりも美しく、見るからに劇中のお姫様役がぴったりな、フィオレンティーナ様を推薦し、実際にクラスメイトも私の意見に同調し始めていた。私としては、王子との出会いイベントを阻止すると同時に、このミュージカルの主役をフィオレンティーナ様が務めれば、逆に王子が私ではなくフィオレンティーナ様へ恋心を抱くのではないかという淡い期待があった。
しかし、フィオレンティーナ様はハッキリと断りつつ、その美貌を惜しげなく利用した上目遣いを使いながらこう言ったのだ。
「わたくしは皆さんのおっしゃるとおり、ミーナさんがヒロイン役に相応しいと思いますわ。来賓の方々もわたくしの顔など見飽きていらっしゃいますし、王子殿下の婚約者という肩書きがございます故に、せっかくのミュージカルが正当に評価されず、おべっかを使われることが目に見えております。それではせっかくのクラスの皆さんの努力が台無しになってしまいますもの。
それに、ミーナさんの歌声は音楽の授業で聴かせていただきましたが、とても伸びやかで素敵でしたわ。わたくしはぜひともミーナさんの演じるヒロインが観てみたいと思いますの。ねえ、ミーナさん、引き受けてくださらないかしら…?」
あの顔はずるいと思った。普段からフィオレンティーナ様はとんでもなく美人であるが、キリっとした瞳や凛とした佇まいから、強気な印象を受ける令嬢である。そんな彼女が上目遣いでお願いするような表情を繰り出してきたのだから、私などが断れるはずもなく、また、クラスメイトたちもその可憐さに胸を撃ち抜かれていた。さすが悪役令嬢、恐るべしである。というか、彼女がこのような態度を王子に見せたら、あの馬鹿王子なんてイチコロだと思う。フィオレンティーナ様にはぜひともその魅力を有効活用していただきたい。
何はともあれ、フィオレンティーナ様の後押しが決めてとなり、私はミュージカルで主役を演じることになってしまった。そして物語のとおり、学園祭のクライマックス、後夜祭のガーデンパーティーで、王子に声を掛けられた。これも強制力なのか、たくさんの生徒がいるはずなのに、なぜか王子と私の周りから人が消えていく。やめて!ふたりっきりにしないで!と脳内で叫ぶが、助けなどあるはずもない。
王子も王子で、普通にパーティー会場で声を掛けたら良いのに、わざわざ暗がりまで私の手を引いていき、なぜか大きな木に壁ドン…ならぬ木ドン?樹ドン?をされている。
「今日のミュージカルを観た。なかなか良いヒロインだったな。お前、名はなんという?」
「お…王子殿下に名乗るなど、畏れ多いことにございます。私は平民です。殿下に名乗れるような者ではございません」
「…ほう。そういえば今年の新入生の中に平民がいるとか聞いた気がするな。俺が良いと言っているのだ。良いから名乗れ」
「…はい。ミーナと申します…」
私は観念して答えた。
「ミーナか。その顔によく似合う可愛いらしい名前だ」
物語のとおりのセリフで、女性を褒めるのにストレートに顔を褒めるという不躾な態度に内心ドン引きした。王子はストーリーどおりに私の手を取り、手の甲に口づけしようとするが、予期していた私は手に触れられた瞬間に高速で手を引っこ抜き、自然とスカートの裾を持ち、カーテシーに持ち込むことで回避した。そして丁寧なお辞儀からゆっくりと顔を上げ、そそくさとその場から逃げたのであった。
こうして、大変不本意なことに、物語は始まってしまったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます