第8話 特大メロン

 その日の晩。

 俺は家から徒歩五分のコンビニで、今週号の漫画雑誌を立ち読みしていた。


 発売日は一昨日だけど、立ち読みに適する日は今日だ。

 火曜日の午後六時頃、つまり現在の時間帯は、店員が一人しかいない。


 しかもその店員が、向こうに見える、あの死んだ目をしたオバチャンだ。

 なにぶん彼女は常に臨死状態のため、俺がどれだけここに立ち往生しようが、なにも言ってこないのだ。


 ……つーか、店長はこれでいいと思っているのだろうか。

 あのオバチャン、マジでボーッと電灯眺めてるだけだぞ? 万引きとか危なくね?

 まあ、俺には関係ないんだけど。


 それにしても、この漫画。

 謎の光がクソ邪魔だ。

 なんで洞窟の中なのに光が差し込んでるんだよ。

 乳首券つきの単行本を買うにしても、バイトしてない勢の俺から見たら、440円はかなり痛手だ。


「——その気持ち、よぉく分かるよ」


 突然、力強い声と同時に、肩に手が乗った感触がした。

 振り向く。


「誰⁉︎」


 知らないオッサンだった。

 いや、オッサンというより、オジサマに近い。

 ビシッとしたスーツに身を包んでいて、髪はオールバック。IT企業の社長みたい。


「ハッハッハ、驚かせてしまったようだねぇ」


 オジサマは高らかに笑って続ける。


「ボクの娘がキミのことを教えてくれてねぇ。折角だから会いに行こうと思ったのさ」


「む、娘……?」


「ああ、恥ずかしがってそこの棚の後ろで隠れているがねぇ。菜々、出てきなさい」


 菜々……?

 聞き覚えがあるな。誰だっけ。


 ——お菓子棚からひょっこり顔を出したのは……今朝学校で知り合ったばかりの、源菜々だった。


「神谷」


 無表情ながらも少し顔を赤らめ、特徴的なアニメ声で俺の名前を呼んできた。

 一瞬、萌えボイスすぎてたじろいでしまったが、俺はなんとか「源……?」と返事をする。


「ハッハッハ、初々しいねぇ。……さて、役者が揃ったところで改めて言おう」


 オジサマはガシッと源の頭を掴む。

 髪をワシャワシャされる源は、恥ずかしそうに、だがちょっぴり嬉しそうに見えた。


「ボクは源宏峰ひろみね。作家をやっていてねぇ。知っての通り、こちらが娘の菜々さぁ。よろしく頼むよぉ」


 娘……父……。

 ——つまりこのオジサマが、「異世界に行ったら、魔法の詠唱が全部淫語だった件」の原作者⁉︎


 マジか……! 

 見た目は紳士なのに……! いや、だからこそなのか……?


 それより……


「なんで俺がここで立ち読みしてるって知ってたんです……⁉︎」


 それには娘の方が答える。


「第六感。シックスセンス……セッ◯スセンス……! ……フフフ」


「セッ◯スセンス⁉︎ ハッハッハ! ハッハッハ!」


 怖い……怖すぎるぞ、この親子!

 父としてそのボケに反応するのはどうなんだよ⁉︎


 数十秒間笑い続けて、やっと二人共々落ち着いてきた。


「……ところで、神谷クン……」


「は、はぁ……」


「——今日はウチで夕食でもどうかな?」


「夕食……?」


  ◇ ◆ ◇


 俺はそのまま、源家で夕食をご一緒することになった。

 まさか、知り合って一日の男を家に連れ込むとは……なかなか変な家庭だな。


 いったいどこから電話番号を手に入れたのか分からないが、既にウチの家族は了承していた。

 ちなみに、案の定母さんと妹には「サインもらってきて!」と頼まれた。


 ——そして現在俺は、源父の運転するドイツ製の車に揺られている。

 助手席は空いており、後部座席に俺と源娘が座っている。


 ……外車なんて、16年生きてきて初めて乗ったな。

 なんというか、全体的にゴツい。軽自動車しか知らない俺にとっては新鮮すぎる。


 しかし、今一番俺の心を乱しているのはそんなことじゃない。


 ——スヤスヤと寝息を立てて俺の肩に持たれる、源の存在だ。


 正直、SAN値が限界。

 物凄く幸せそうに寝ている彼女のネコのような可愛さ、漂う甘い香り。

 そのせいで俺の頭はどうにかなってしまいそうだった。

 頼む、早いとこ到着してくれ。


  ◇ ◆ ◇


 ——食卓を囲み、源家三人(お兄様は……用事があるらしい)プラス俺は合掌する。


 源母は、まさしく「美女」って感じの、ハイファンタジーでいう魔女のような風貌だ。

 日本人離れした魅惑的なスタイル。大きく見開いた目や、高い鼻。長いブロンズヘア。

 エロい。なんか……エロい。


 俺が夢中になって見つめていると、それに気づいたのか、彼女はウフフと微笑んで言う。


「ウチの菜々と仲よくしてくれてありがとうね、神谷くん。菜々、学校だとあんまり友達いないみたいだから、別のクラスの友達ができるなんて、私も嬉しいわ」


「う、うっす……」


「ハッハッハ、神谷クン。ボクからもよろしく頼むよ」


「う、うっす……」


 ダメだ。

 同年代の人間に話しかけることはできても、さすがに友人、それも女子の親御さんとの会話は緊張する。


 いくら幼なじみとは言えど、今朝、まったく怯むことのなかった葵をちょっと尊敬した。


 アカンアカン。俺がなにか話題を振らねば……!


「あ、あの! 源さんにはお兄様がいらっしゃるとお聞きしておりますが、なにをなさっているのですか?」


 さすがに専業汁男優ってことはないだろう。

 源父が答えてくれた。


「作曲家をしているよぉ。主にネットでねぇ」


 へえ。

 ……と、そこで娘が口を挟む。


「私、音楽の『マスタリング』、オ◯ホの別称かと思ってた」


「急になにを言い出す⁉︎ なにが『マスター◯ーション・リング』だよ! リングは輪っかだろうが!」


 あっ……思わずツッコミを入れてしまった……。

 しかも……ドギツい下ネタで……。

 ヤバいぞ、これはさすがに怒られ……


「ハッハッハ! アーハッハッハ!」


「ウフフフフフフフフフフフ……」


「……フフフ」


 家族揃って変態だったわコイツら!


  ◇ ◆ ◇


 夕食後、自宅まで送ってもらった。

 俺は車から降りて、「それでは……お暇しました」と言いながらペコリと頭を下げる。


「ハッハッハ、今日は楽しませてもらったよぉ」


「うん。面白かった」


「……そうだ! コレはボクたちからのお近づきの印だよぉ」


 源父は助手席のドアを開け、大きな箱を手渡してきた。


「メロンだよぉ。それも特大サイズの」


「特大メロン……デカメロン。……フフフ」


「あ、ありがとうございます……」


 源父は大笑いしながら「それじゃあまたねぇ!」と機嫌よさそうに挨拶をして運転席へ向かう。


 娘の方も「バイバイ」と俺に手を振る。


「お、おう。またな、源さん」


「——菜々でいいよ。…………またね、圭」


「え?」


 帰り際、それだけを言い残し、源は——菜々は、車に乗り込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る