魔法少女デス

紀ノ川 つかさ

第1話 帰還者

 牧田天莉(あめり)は、巨大なサーカステントの天井近くで、弧を描いて飛び回る空中ブランコに見とれていた。隣にいる河本沙夜も、時々驚きの声を上げながら見ている。

 天莉は小さい頃、両親に連れられてサーカスを見たことはあるが、今思えばあれは曲芸を取り入れた芸術的な舞台だった。装置の造形も凝っていて、照明も幻想的ではあったが、どこか不気味で凄いとは思わなかった。今見ている方が、人間とブランコだけで、単純に技の凄さが分かる。

 空中ブランコを最後に、二人はサーカス会場を出た。夕刻前でまだ明るく、海浜公園の広場は子供連れの家族やカップルで賑わっている。中学生は自分達ぐらいだろうか。広場では一人のピエロが楽器の演奏をしていた。背中に大太鼓を背負って、足踏みで叩けるようになっている。右手で肩から下げた小太鼓を叩き、左手で鈴を降って鳴らし、口に笛のようなものをくわえてメロディーを奏でていた。

「わぁ、あのピエロ器用だね」

 天莉が感心する。

「あんまり近づくと、お金取られそうだね」

「え? そんな心配してるの?」

 天莉は笑った。沙夜も苦笑する。

「つい警戒しちゃうんだ。それより、おなかすかない?」

「そうだね、何か食べようか? 屋台が出てるよ」

 天莉がそう言った時、沙夜が遠くの何かに目を止め、そのまま黙ってしまった。

「……どしたの?」

「あれは……なに?」

 天莉は、沙夜の見ている方を見る。異様なものが目に入った。巨大な建物が動いている。いや、それは建物ではなかった。高さは百メートルぐらいか。黒い塊のようだが、細いトゲのようなものがいっぱい生えていた。まるで巨大な直方体のウニだ。天莉は身震いした。あれは何か危険なものだ。

「何だろう」

「逃げた方がいいかな」

 周囲でも気づく人が出始めた。立ち止まり、遠くで動いている不気味なものを見ている。スマートフォンで写真を撮る人もいた。

 その時、トゲが一斉に波打って動き、下の方を向いた。そして地上に向けて一斉に光の粒を撃ち出した。少し遅れて破裂音が聞こえた。地上から次々と吹き上がる炎が見える。二人は仰天した。あれは兵器だ。建物に光の粒が当たると、壁が破壊され、中に炎が巻き起こる。現実とは思えない光景だ。

「なに? なにあれ怖い」

「……うそでしょ」

 周りからも怯えた人達の声が聞こえる。あの物体からこの公園までは遠い。こちらに向かってきているわけではなさそうだが、光の粒をこちらに撃ってきたらもちろん危ない。逃げなければ……天莉は思ったが、足が震えて動けなかった。思わず沙夜の方を見る。

「ど、どうしよう……足が」

 沙夜は天莉の手を取った。

「お、落ちついて……落ちつけば、いいよ」

 沙夜もそんなに落ちついてはなかった。その時、音楽が聞こえた。見ると、すぐ近くであのピエロが平気な顔で演奏していた。この状況でよく演奏できるなと、天莉が思った時。ピエロは演奏を止め、口から笛を外した。

「心配ない。あれは幻だ」

「幻?」

 ピエロがいきなりそんなことを言うので、天莉が驚く。

「そうさ、実際に起きているわけじゃない。これは全部幻」

「みんなが同じ幻を見ているの? ありえなくない?」

 沙夜がそんなことを訊いた。ピエロが微笑した。

「それがありえるのさ……ただ、あれを倒さないと幻の世界からは抜けられない。そこで君達、魔法少女になる気はないか?」

「ええっ? 魔法少女?」

 天莉がまた驚く。

「そう、魔法少女になればあれを倒す力を持てる。倒せばこの街は救われる。元に戻る」

「倒せなかったら?」

 沙夜が訊く。ピエロは鼻で笑った。

「あのままさ。破壊された街も何もかも。でも大丈夫。魔法少女は強い」

 天莉と沙夜は顔を見合わせた。

「沙夜、どうする?」

「どうしよう……ねえ報酬は?」

 ピエロは苦笑した。

「おい現実的だな。報酬? んなものはない。その代わり、君達はこの世界の歴史に残る。長い歴史の中にね。さあ時間がない。どうする?」

「あなたは誰なの? 演奏家?」

 沙夜が訊くと、ピエロはまた笑った。

「俺か? 俺の名はドロン。あいつを倒すために来た。遠い国からね。ピエロは仮の姿だ」


 父の優しい顔をひさしぶりに見た気がする。祐司はベッドに横たわりながら、そんなことを思った。自分が海外へ派兵されることに、あんなに怒っていたのに。

 戦地に行くわけではなかった。戦地にはならないはずだった。日本は戦争には直接参加できない。憲法でそう決まっている。だから同盟国が行っている戦争の、補給部隊の支援を任された。しかし、敵が狙うのはその補給路だった。祐司が乗ったトラックは爆破された。一命を取り留め、母国に戻ってきた。

 痛みはない。ただ、ほとんど動けない。祐司は毎日ベッドでぼんやりしていた。

「よくやった祐司。立派だぞ」

 父はそう言い、母も笑顔で、祐司の手を握っていた。怒っていないのが返って不自然だ。自分は相当ひどい状態なのかもしれない。

 ただ、これでいいのだと祐司は思った。色々あったが、こんなことになって、やっと温かい普通の家族に戻った感じだ。

「元気になったら、リハビリを始めような」

 父がそう言って、二人は出ていった。眠気が襲ってくる。窓を見ると、何かが飛んでいた。黒い影だった。翼がある。鳥ではない。コウモリだろうか。それは開いた窓から中に入ってきた。そして一瞬にして、少女の姿になって、祐司の傍らに立った。祐司は驚く。夢でも見ているらしい。幻覚だろうか。少女の表情はやや冷たかったが、美しい顔立ちではあった。髪はストレートで長く、黒い簡素なワンピースを着ている。少女はしばらく祐司を見つめていたが、やがて口を開いた。

「あなたは、間もなく死ぬ」

 それを聞いても、意外には思わなかった。薄々そんな気はしていたからだ。痛みがないのも、強力な麻薬で抑えているはずだ。

「ああ、死ぬかもな……」

 ぼんやりして、別にそれでもいいと思った。少女は身を乗り出した。

「死んではだめ! あなたには生きる力ががあるはず」

 いきなり強い調子で言われ、祐司は戸惑う。

「なんだ……君は、誰なんだ?」

「私は、ネメシスの使者。ネメシスは復習の女神よ。ねえ、これを持って」

 少女はそう言って、手に持っている小さい石を、祐司の手に握らせた。光沢のある黒い石。冷たい感触が伝わってくるが、すぐに温かくなった。

「なんだいこれは? 俺、力は……あんまりないよ」

「あなたは戦場へ行って、辛い思いをたくさんした。でもこの国の人は、そんなこと知らない。みんな自分のことしか考えていないから」

 石から何かが自分の中に流れ込んでくる。エネルギーのようなもの。自分の中で渦を巻き始める。

「平和だからいいと思うけど」

「いいえ。あなたは怒るべき。あなたを戦場へ送って、笑っている人達を」

 不思議な声の少女だった。石からは絶え間なくエネルギーが送り込まれてくる。でも、それは明るいものではなく、何か黒い渦のような、あるいは赤い炎のようなものだった。それが、心の中に沸き上がってくる。

「外を見て。みんな笑っているでしょう? 楽しそうでしょう? あなたはもう手にできない。その体ではもう無理よ。でもそんなこと世間はお構いなし。あなたがどんな目に遭おうと、あの人達は笑っているんだよ」

 祐司の顔つきが、悪魔のような笑顔に変わっていく。祐司は体を起こした。

「そう言われちゃあ、ちょっと憎たらしいよな」

「そう、憎いでしょ? この石に、怒りと憎しみを込めて! 石が応えてくれる」

 どういうことか分からないが、石からのエネルギーが自分の中で増幅していく。今度はこのエネルギーを石に送り込むんだ。自分は戦地に行った。任務だった。必死だった。ひどい目にあった。怪我をして帰ってきたのに、この国の連中は脳天気に笑っている。自分だけ戦場に放り込んでおけばそれでよし、あとは好き勝手に生きるような連中だ。許せるわけがない。手の中の石を握りしめた。自分の怒りや憎しみが石に流れ込んでいくのが分かった。石が熱くなってくる。熱すぎて持てなくなり、思わず手を開いた。石は鈍く赤い光を放っていた。中が燃えているようだ。少女はそれを見てうなずき、そして叫んだ。

「アグニア、ゲノス!」

 石が光って、一瞬目がくらんだ。次の瞬間、石が消えていた。そして、地震のように建物が揺れた。

「何だ……?」

「外を見て」

 祐司は窓を見る。すると、窓のすぐ外が、何かに覆われた。見ると、窓の向こうで、黒い砲身でびっしり覆われた巨大な何かが動いていた。

「何だ……あれは?」

「アグニアよ……あなたの怒りと憎しみの実体化。今から街に行く。憎たらしい街を破壊するの」

 それを聞き、祐司は笑った。

「面白い。やろうよ。やってやるよ」

 あのアグニアの視点を得たのか、広がる都会が見える。みんな壊してやると思った。


「さあ、これを首から下げて」

 ドロンが二人にくれたのは、透き通る石のペンダント。天莉には赤い石、沙夜には青い石。ただ、透き通っているだけではなく、中に何か入っているのが見える。

 二人は言われた通り首から下げた。

「よし、かけ声で変身できる『テュリスフィリア』だ。ペンダントに聞こえるように大声でな」

 ドロンの言葉に二人は顔を見合わせる。

「やるの?」

 天莉はやや戸惑い気味だ。

「やろうよ」

 沙夜はあまり迷っていない。二人はうなずいて、ほぼ同時に叫んだ。

「テュリスフィリア!」

 二人とも一瞬めまいがした。

 次の瞬間、二人はコスチュームを身にまとっていた。石の色と同じ。天莉は全身赤い、沙夜は全身青い。短いスカートやタイツといった動きやすい姿ではあるが、子供番組で見たような魔法少女に比べると単色だし、フリルやアクセサリーなどもほとんどなかった。フィギュアスケートの衣装に近いと思った。そして二人の背中にはコスチュームと同じ色の巨大な翼があった。

 コスチュームは簡素でも、変身したこと自体で、その気にはなる。ドロンは満足そうにうなずく。

「お見事。君達は『魔法少女テュリス』だ」

「テュリス?」

「そう、羽ばたいてみろ。飛べるぞ」

 どうするか分からなかったが、翼も腕のように動かせると分かった。羽ばたくと体が浮き上がる。まるで以前から飛び方を知っていたかのようだ。

「すごい、飛べる!」

 天莉はそう言うと、羽ばたいて高く上っていく。沙夜も後に続いた。地上がたちまち小さくなる。

『俺の声が聞こえるか?』

 遙か下の方のドロンの声が、耳元ぐらいでした。

「聞こえる。どうして?」

『ペンダントに通信機能もあるんでな。これで指示ができる。まずはあのアグニアに向かって飛んでくれ』

「アグニア? それがあいつの名前?」

 沙夜が訊く。

『そうだ』

「何か撃ってくるけど大丈夫かな」

 天莉が心配そうに訊く。

『幻だと信じろ。現実だと思うとやられる』

「心がけしだいってことか……」

 沙夜がつぶやいた。

 二人は羽ばたいて、アグニアに向かって飛んだ。ウニのように見えたのは、無数に生えた砲身だった。アグニアは飛んでくる二人を見つけたのか、いくつかの砲台が二人を狙って発砲した。光の粒が自分に襲いかかってくる。

「うわあっ!」

『大丈夫だやられない!』

「そうは言うけど……」

 その時、天莉が光の粒の直撃を食らった。

「わあっ!」

 天莉が落ちていく、沙夜は焦る。

「天莉! 天莉! 大丈夫?」

 天莉は羽ばたいて落下を止め、再び上ってきた。

「大丈夫……確かに幻みたい。驚いただけ。何ともないよ」

 天莉はそう言って微笑する。沙夜も微笑を返した。

『いいね! その調子だ』

 ドロンの褒める声。

「でも、近づいていってどうするの?」

 沙夜が訊く。

『敵からだいたい百メートルぐらい離れて。それから二人の間は二十五メートルぐらい離れて空中に停止。まあ、だいたいでいい』

 二人は言われた通りにした。アグニアは、地上に向かっても、絶え間なく発砲をしている。地上を見ると、アグニアの周囲の建物はすっかり壊されていて、街にはところどころ火災も見える。道路も破壊され車が転がっている。人々がどうなっているかは分からない。幻とは言うが、その無惨な光景に天莉は震え上がる。でもあれは幻。今はあの幻を破るために戦っている。そう思うことで、自らを奮い立たせた。

「位置についたよ。どうするの?」

『互いの相手側にある腕を水平に伸ばして叫ぶんだ。「テュリスアニックス」ってね。できるか?』

 天莉は離れて滞空している沙夜の様子をうかがう。沙夜も同じ指示を受けているはずだ。沙夜がこちらに手を振った。天莉もうなずいて振り返した。

「できるよ」

『よし、行けっ!』

 ドロンのかけ声で、二人はそれぞれ片腕を水平にして同時に叫んだ。

「テュリスアニックス!」

 その時、二人の間に、白く光る四角いフレームが出現した。それは光でできた巨大な窓だった。窓はアグニアの方を向いている。両開きの扉があって、空間を切り取るかのようにそれが開いていく。窓の向こうに何があるのか、アグニアからは見えても二人からは見えない。


「見える……」

 遠くを見るような目つきのまま、今まで不敵な笑みだった祐司の表情が、穏やかに変わっていく。少女は顔色を変えた。

「何が……何が見えるの?」

「僕は、戦場から無事に帰ってきた。みんな待っていてくれたんだ」

「それはあなたじゃない! だまされないで! 誰もあなたを待っていない!」

 少女は必死に叫ぶが、祐司の表情は変わらない。

「いや、あれが僕なんだ。ここにいる僕が違うだけなんだ。みんな笑ってるよ。迎えてくれている。僕のこと、誰も忘れてなんかいなかった」

「だめ! 嘘よ! 嘘に飲み込まれないで!」


 無数の砲台が発砲をやめ、砂のようになって崩れていく。砂粒は風に乗るかのように、窓の向こうに吸い込まれていった。

 天莉と沙夜は、その光景を呆然と見ていた。この窓にこんな力があるとは。

 すっかり崩れたアグニアの最後の粒が吸い込まれると、下界の景色が一変した。壊れた建物も道路も元に戻っていき、以前の姿を取り戻した。

『オッケー魔法少女達、よくやった!』

 ドロンの声がして、空中の二人はまた一瞬めまいがして、気がつくとドロンの前に立っていた。魔法少女に変身はしていない。サーカスを見ていた時と同じ姿だった。天莉はあたりを見回す。アグニアの出現前と変わっていない、サーカステントの前のにぎやかな広場だった。しかし周囲の人も、今しがた何か異様なことがあったとは分かっているらしい。不安そうに会話する人もいれば、スマートフォンの写真を確認する人もいる。ドロンは鼻で笑った。

「記録なんか残らない。幻だからな」

「何か……夢を見ていたみたい」

 天莉がつぶやくように言う。

「まあ似たような現象だ。時間が経つに連れ、記憶も消えていく。俺達以外はね」

 そこで沙夜が口を開いた。

「ねえ、あなたはどうして全部分かっているの? あなたはいったいどういう人なの?」

「説明が難しいな……いつか教える」

「いつかって……」

 沙夜はやや納得していない表情だ。

「今は、魔法少女テュリスとして活躍してくれ。そのペンダントを持っていれば、いつでも俺と通信がとれる。近々似たようなヤツがまた襲ってくるはずだ。その時連絡する。頼んだよ」

 天莉は思わず、ペンダントを握りしめた。自分なんかで大丈夫かという思いと、何か任された誇りのようなものがないまぜになっている。

 ドロンが演奏を始めた。その曲は『聖者の行進』だった。


 同盟国の補給支援で、攻撃を受けて負傷した、秋本祐司二十三歳が死亡した。

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